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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第4章:巡礼の街・ウルノワ(Урнова)
25/50

25_異邦人(Нееврей)

――お前が完全な探求心をもって捜し求めるとするならば、お前は自らの心の裡に、あの善があることを知るであろう。(『アロゲネス』、第9節)

 南階段を登り、クニカとリンは三階にたどり着く。スコールが降っていたことなど嘘のように、陽射しが三階に降り注いでいる。


 死体さえなければ、拍子抜けするほど穏やかだった。


「リン。変じゃない?」

「何がだよ?」

「この人の服」

「服?」


 死体は白衣を身にまとっている。しかし、その白衣は厚手で、医者が着るものとは異なっていた。肩の辺りには青い線が刺繍(ししゅう)されており、一見したところ、制服のようだった。


「今はいいだろ。それより、これだよ」


 リンは、壁にある見取り図を指さした。そこには、【院長室】と書いてある。


「ここだ」


 リンに言われるがまま、クニカも院長室を目指す。



   ◇◇◇



「――あった!」


 院長室の扉を蹴破ったリンが、部屋に入るなりそう言った。院長室の壁には、各部屋の鍵が、フロアごとに吊り下げられている。


「これだ!」


 駆け寄ると、リンは最下段にある鍵を(つか)み取る。クニカが(のぞ)き込んでみれば、鍵には【地下棟】とラベルが貼ってある。


「これで……」


 そう言ったきり、リンは口をつぐんでしまった。


「リン?」

「クニカ、あれ、何だと思う?」


 リンの指さす先、院長の机の上には、機械があった。機械の表面には、幾つものダイアルがついており、アンテナが突き出している。


 見つめてくるリンに対し、クニカもかぶりを振るしかなかった。院長室にはふさわしくない機械だろうということは分かる。しかし、この機械が何かは、クニカにも分からない。


「とにかく、一階まで――」


 戻ろう、と、クニカが言いかけた矢先、クニカとリンの耳に、ガラスの割れる音が響いてきた。音は通路の南側、二人が先ほど通り抜けてきた地点からだ。


 クニカもリンも、とっさに身をかがめ、息を殺す。リンは耳を澄ませ、音の正体を探ろうとしている。


 音の方角に目を向けたクニカは、二つのオレンジ色のもやを発見した。


「人だ」

「人?」

「二人いる」

「どういうことだよ――」

「イネ・ドゥオ」


 二人の会話を遮って、外から声が響いてきた。男の声だった。男は、もうひとりに呼びかけているらしい。


「エツィ・デ・ニナイ?」

「ネイ」


 もう一人が答える。答えた方もまた男だった。と同時に、その男の息を呑む音が聞こえてくる。


「イネ・ネクロス」

「アネトゥス、ニコル」


 声の大きくなった男に対し、もうひとりがたしなめるような声音で応じる。


「カンネ・ティ・ディキ・サスィ・ピヒリシ」


 クニカの隣で、リンが苦虫を噛み潰したような表情をしていた。今までに聞いたことのない言葉の応酬に、リンはたじろいでいる様子だった。


 だが、クニカは違った。


「〈死んでるぞ〉」

「〈落ち着け、ニコル。仕事に集中するんだ〉」


 どういうわけか、クニカには二人の会話が分かった。耳に入ってくるのは、不明瞭な声のうねりだが、クニカの頭の中では、それが明瞭な意味をつむぎ出している。知らない言葉が瞬時にして翻訳されるのは、奇妙な感覚だった。


 二人の異邦人(アロゲネス)は、院長室まで近づいてくる。姿勢を低くしたまま、クニカとリンは別の扉を使って、隣の医務室まで逃げ込んだ。


 通路側に据えてある医務室の窓に、男たちの姿が、一瞬映りこむ。これほどの蒸し暑さにもかかわらず、二人とも厚手の白衣を身にまとっている。死体が着ていたのと同じものだ。


「〈これが落ち着いてられるか、イーゴリ〉」


 背の高い方が、肩幅のがっしりした方に言い返す。今話しているのがニコルで、話しかけられているのがイーゴリという名前らしい。


「〈俺たちもいつかこうなる。俺は嫌だぜ。こんな死に方をするなんて〉」

「〈だれだってそうさ〉」


 イーゴリが言った。


「〈ここでしくじってみろ、ニコル。こいつらの仲間入りだぞ〉」

「〈俺は牧場に戻りたいんだ〉」


 ニコルは言ったが、イーゴリからの返事はなかった。院長室の扉が、乱暴に開け放たれる。


「〈馬の面倒を見ていたい。その方が俺には――〉」

「〈あった!〉」


 声とともに、足音が響いてくる。壁一枚を隔てて、クニカとリンは医務室に、ニコルとイーゴリは院長室にいる。


 ナイフを構えるリンに対し、クニカは首を振った。


(リン、待って)


 喋ることができないため、クニカは共感覚(テレパシー)を用いてリンに告げる。メッセージを受け取ったリンが、怪訝(けげん)な顔をした。


 イーゴリの心の色が、緑色に輝く。


「〈これだ。回収するぞ、ニコル〉」


 イーゴリに言われ、ニコルは机に回り込んだようだった。どうやらニコルとイーゴリの二人は、机の上の機械を相手にしているらしい。


「〈よし、俺が持つ。……くそっ、重いな〉」


 悪態をつくイーゴリを尻目に、ニコルは窓際へ寄ると、窓を開け放った。外からの日差しを受けて、ニコルの影がクニカの隠れている方向まで伸びる。


 その影が、クニカの眼前で膨れ上がった。驚いてクニカが見上げると、院長室の一画を、鷹の翼がふさいでいた。隣でリンが小さく息を漏らすのが、クニカの耳に届く。


 リンと同じように、この男たちも鷹の魔法使いなのだ。そういえば二人が登場したときも、ガラスの割れる音がした。スコールが止むと同時に二人は飛び立ち、窓を破って三階から侵入したのだろう。


「〈イーゴリ、大丈夫か? 飛べるか?〉」

「〈いや……ちときついな。狭すぎる。この通信機を落としたら終わりだからな、歩いて降りよう〉」

「〈分かった〉」


 クニカの視界から、ニコルの翼が消える。ニコルとイーゴリは分担して通信機を抱え、一階まで降りるつもりらしい。二人の足音は、院長室から遠ざかっていった。


 それを合図に、クニカもリンも静かに動き出した。ほとんど這うようにして、足音と反対方向へ進む。二人は北へ向かったらしい。少し遠回りになるが、南から一階へ降りれば、鉢合わせしなくて済む。


「何だったんだよ、アイツら?」


 リンが小声で、クニカに尋ねてくる。


「分かんない。通信機を持ってったみたいだけど」

「通信機?」

「さっきの機械だよ」

「ちょっと待て、クニカ。なんであれが通信機だって分かるんだよ」

「えっと、その、よく分かんないけど、何言ってるのか分かった、みたいな――」


 しどろもどろなクニカの言葉に、リンが鼻を鳴らした。


「ずるいだろ、そんなの――」

「ごめん……。リンは、あの人たちのこと分からないの?」

「たぶん、サリシュ=キントゥス人だ」

「サリシュ……?」

「話しただろ? 北の帝国の奴らだよ。こっちの国の言葉じゃないから、そうとしか思えない」


 ベスピンへ向かう道中のことを、クニカは思い出した。クニカたちのいる南大陸とは別に、北にも大陸がある。リンの説明によれば、そこを治めているのが、サリシュ=キントゥス帝国だった。


 しかし、北の帝国の人間が、どうして南にいるのだろう?


「なあおい、クニカ、ちょっと待て」

「何、リン?」

「アイツら、北階段に行ったよな」

「うん。……あっ」


 リンの言わんとするところを理解し、クニカも声を上げる。北階段の壁際には、魔法陣が書いてある。クニカとリンは、だから危険を冒してまで、南階段を使ったのだ。


「あの魔法陣――」


 そうクニカが口にした瞬間、空気の割れる音が、三階全体に響き渡った。天井が(きし)み、埃が宙を舞う。


 今の音は、建物の北側から響いてきた。それと同時に、誰かの叫び声がする。


「おい、クニカ!」


 いても立ってもいられず、クニカは北階段へ向かって駆け出していた。クニカの背後から、リンの声が響いてくる。



   ◇◇◇



「〈イーゴリ!〉」


 駆けつけたクニカの前には、惨状が広がっていた。魔法陣の描かれた壁面は、コンクリートごと消し飛んでしまっている。爆発と瓦礫(がれき)に巻き込まれてしまったのだろう。イーゴリは、血まみれになって階段に倒れていた。


「〈イーゴリ、返事してくれ!〉」


 そんなイーゴリに、ニコルは必死になって呼びかけていた。だが、イーゴリの腕はだらりと垂れ下がったまま動かない。即死だったようだ。


 クニカとリンは、立ちすくんでいるしかなかった。目の前のことに手一杯になっているのか、ニコルは二人がやってきたことにも気付かず、ただイーゴリの亡骸を抱きかかえていた。


 もし北階段を通っていたら――。クニカの背筋を、悪寒が駆けめぐる。イーゴリは眠ったような表情だった。クニカの目から見ても、とても死んでいるようには見えない。


 つい数秒前まで生きていたはずの人間が、今はもう死んでいる。クニカには、そのことが信じられなかった。


 立ちすくんでいるクニカの耳を、コイクォイの悲鳴がつんざいた。コイクォイの群れが、北階段を駆け上ってきた。


 イーゴリの側にうずくまっていたニコルが、コイクォイの姿を見て悲鳴を上げる。懸命に立ち上がろうとするも、ニコルは手すりに(つか)まるのがやっとの様子だった。爆風を受け、ニコルは脚をくじいてしまっているようだった。


 ニコルが正面を向いた。クニカの視線が、ニコルの視線と交錯する。


「〈あっ――!〉」


 ニコルが声を上げた。クニカの心臓の鼓動が早くなる。


「逃げるぞ、クニカ!」


 隣にいたリンが、クニカの手首を(つか)む。反射的にクニカは、リンの手を振りほどいた。


「おい、何やって――!」


 リンには耳を貸さず、クニカはただ祈った。天井を支えていた鉄骨の一本がもげ、鉄筋の束が北階段に降り注ぐ。音は軽かったが、帰結は重かった。ニコルに肉薄していたコイクォイの群れが、降ってきた鉄筋に叩き潰される。


「逃げて!」


 (ぼう)然としているニコルに向かって、クニカが叫んだ。言葉の意味が伝わったかどうかは分からない。それでもニコルは鷹の翼を伸ばすと、崩落した天井から飛び立っていった。


 よじれた鉄骨の一本が千切れ、クニカめがけて倒れてくる。クニカの着ているパーカーのフードを(つか)むと、リンがクニカの身体(からだ)を引っ張った。今の今までクニカのいた位置を、鉄骨が横に()いだ。


 クニカはリンに向き直った。リンは口をへの字に曲げて、げんこつを振りかぶる。だが、赤かった心の色が揺らぐと、灰色と、緑の混ざった色に変わった。


 (こぶし)をほどくと、リンはクニカの頬をよじる。


「このバカ」

「リン、痛いって――」

「痛くしてるんだ。行くぞ、クニカ。時間が無い」


 リンに促されるがまま、二人は三階の通路を戻っていった。

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