21_フクロウ(Сова)
無言のまま、クニカとリンは、キャンパス内を歩いく。工学部の脇をすり抜け、長い階段を登る。上には図書館があり、その脇に門があった。
後ろを振り返りつつ歩いていたクニカも、図書館のたたずまいには気を引かれた。二階建ての図書館は瀟洒な造りで、レンガで覆われた壁には蔦が這っている。年季の入った青銅製のランプが、道まで突き出していた。
突然、前を歩いていたリンが立ち止まった。そして
「おい」
と声を上げる。リンの視線は、門の脇に打ち捨てられていた、コンテナに注がれている。
「出てこい」
魔法銃の撃鉄を、リンは起こす。
「いるのは分かってんだぞ」
「あー。分かったよ」
うんざりしたような声が、コンテナの中から響いてきた。不意に聞こえた他者の声に、クニカは背筋が寒くなる思いだった。
コンテナの中から、声の主が姿を現す。相手も少女だった。年齢は、二人とさほど変わらないだろう。背はクニカより高く、リンよりは低い。色の薄い金髪を、頭の後ろで無造作に束ねていた。眼鏡越しから、青い瞳を覗くことができる。少女は痩せていた――が、飢えているわけではないようだ。血色は良いし、肌にも傷はない。
少女は両手を、肩の高さまで上げている。リンは魔法銃を下ろした。
「お前だけか?」
「そうだよ」
所在なく歩くと、少女は図書館脇にある植込みの縁に腰掛けた。散歩の途中で、偶然二人に出くわしたとでもいうような、そんな無造作な態度だった。
リンが片肘で、クニカをどついた。心が読めるかどうか、リンは気になるようだった。
少女の胸の辺りを、クニカは凝視する。普通ならば“心の色”が見えるはずだが、クニカは、少女の感情を見透かすことはできなかった。
リンの視線に、クニカは首を横に振って応じた。少女は、心を隠している。
二人のことなど気にするそぶりもなく、少女は話を続ける。
「もっとも、“今は”、ってところだけどね」
「“今は”? 仲間がいるのか?」
「友達だよ。建物の奥にいる」
「何で一緒じゃないんだ?」
「動けないからさ」
クニカは、リンに目配せした。クニカと同じことを、リンも考えているようだった。
「――”雨”に打たれたのか?」
「いや。シュムは――あぁ、その子は“シュム”って名前なんだけど、コイクォイに噛まれたのさ」
「なんだって」
リンが言った。
「嘘だろ?」
「嘘じゃない。一週間臥せってる」
少女は軽く言ってのけるが、クニカもリンも、やすやすとは信じられなかった。コイクォイに噛まれたりしたら、傷口から”黒い雨”が入り、噛まれた人もコイクォイになってしまう。何日も生き延びられるものではないはずだった。
では、嘘をついているのか? 嘘をついているのだとすれば、何のために?
「どうして一週間も保つんだよ?」
「血を追い出したのさ」
「血を追い出す――?」
「瀉血だよ。噛まれた部分を、すぐに帯で縛る。血のめぐりが悪くなっているところで、すかさず血を抜く。メスさえあれば、やぶ医者でもできる」
この少女は、医術を心得があるらしい。
「ところが、だ。瀉血するまでは良かったんだけど、止血がね。あんたたちだって見たろ? コイクォイが体中から“黒い雨”を垂れ流してるのを」
クニカは頷いた。
「コイクォイだって、好きで流してるわけじゃない。当たり前だけど。それに、あれは“黒い雨”でもない。血漿が流れてる」
少女は立ち上がると、二人に近づいた。
「ウルノワには大学病院がある。そこに血漿製剤が保管されている。だけど、中にはコイクォイがうじゃうじゃしてる」
「何が言いたいんだよ?」
「血漿製剤を取ってきてくれないかなぁ、なんてさ」
「断る」
「ちょっと、リン!」
リンが断るだろうことは、クニカにも予想がついた。それでも、リンのすげない態度は、クニカの目には非情に映った。
「あの、もしかしたらわたし、治せるかもしれないです」
答える代わりに、少女はただ首をかしげただけだった。そのかしげた様子は、さながら
梟
を連想させた。
少女が何も答えないので、いきおいクニカも多弁になる。
「わたし、傷を治すぐらいなら、魔法が使えるから」
「血漿を増やすの?」
クニカは言葉に詰まる。これまで、クニカの発揮した魔法は、どれも具体的に想像の付きやすいものばかりだった。少女の言うとおり、“血漿を増やす”とき、何を想像すればよいのか、クニカは分からなかった。
「それは……分かんないけど……」
「おい、バカ!」
話を遮ると、リンがクニカの腕を引っ張った。
「首突っ込むなよ!」
「でも……?!」
クニカは最後まで言い切ることができなかった。相手の少女が腕を伸ばすと、クニカの右肩に触れたためだ。
「あっ――?!」
「クニカ?!」
右肩に走る痛みに、クニカは倒れこむ。右肩を探ってみれば、指の腹に血の痕がついた。クニカの耳元で、乾いた音がする。注射器が、地面に転がった。
「コイツ――」
「動くな」
リンの眼前には、材木に釘を打ち付けるための、工業用のピストルが掲げられていた。眼球にでも打ちつけられたら、そのまま脳に達してしまうだろう。
「クニカをどうした……!」
「毒を盛ったのさ」
少女は言った。
「神経に効く毒さ。三時間もすれば、毒は全身に回る。解毒剤がないかぎり、どんな方法でも体内からは出ない」
「オレが……オレがもしお前を殺して、解毒剤を奪うとしたら?」
「解毒剤は、さっき自分自身に注射した。あたしの体から血漿を分離できるってんなら、やってみればいい。どうする?」
怒りのあまり、リンは青ざめていた。クニカを支える腕は、小刻みに震えていた。クニカの身が危険だからこそ、リンはまだ我慢できている。そうでなければ少女に飛び掛り、今頃は八つ裂きにしていたかもしれない。
「怒るな。立場が逆だったら、お前だって同じことをしてる。妹をかわいいと思うんなら――」
「クニカはオレの妹じゃない!」
今までに聞いたこともないほどの大声で、リンが叫んだ。真っ赤に煮えたぎっていたはずのリンの心の色が、一気に黒く塗り潰される。
「リン……?」
リンの着ている白いシャツの袖を、クニカは握りしめる。リンの怒りを前に、クニカは首筋の痛みを忘れた。
「そうか? 悪かったな」
荒く息をついているリンに、少女は言った。その瞬間、少女の心の色が灰色にほのめいた。
「その子がかわいいのなら、あたしの頼みを聞いてくれよ。病院に行って、血液製剤を取ってくるだけだ。簡単だろ?」
「簡単だな……!」
喉の奥から絞り出すようにして、リンが答える。
「頼んだよ。あたしはここで待ってる」
少女は一歩下がる。その間も釘打ちピストルは構えたままだ。よろめくクニカを支えつつ、一緒に立ち上がったリンだったが、二、三歩歩いてすぐ、
「ちくしょう!」
と一声叫び、転がっていた大型缶を蹴り飛ばした。白い缶は地面に転がり、中からタバコの吸殻と、タールが広がった。
「行くぞ、もたもたすんな!」
「分かった」
リンを追いかけつつ、クニカは後ろを振り向く。
そんなクニカを、少女はじっと見つめていた。
太陽の光を、雲がさえぎり始めた。




