20_拾う神(Бог Сбора)
――この者たちは、彼らを憤怒から救い出すだろう。(『アダムの黙示録』、第24節)
目を閉じると、クニカは両手を組んだ。背筋を張り、肩の力は抜く。呼吸するたび、クニカは亜熱帯の大気と一体化しているような気分になる。
まぶたの裏をかすめる色の点滅に、クニカは集中する。意識のうねりの中で、色合いは統合され、次第に形を帯び始める。
程なくして、クニカの脳内に炎のイメージが形成された。白さを内に、赤さを輪郭に備えた炎、周囲の暑さをも涼しさに変えてしまうような、そんな炎である。
炎の連想に誘われ、クニカの五感が外界を捉える。まぶたの裏は闇に閉ざされていたはずなのに、今は明るい。鼻をつく腐敗臭も、蠅の羽音も、炎の前に消えていく。息を吸えば、クニカの肺の中に、熱せられた空気が染み渡っていく。
クニカは目を開ける。正面で、炎が渦を巻いていた。渦の中心では、折り重なった死体が燃えている。行き倒れたまま、朽ち果てていた死者たちが、今、クニカの手によって葬られようとしていた。
ここはウルノワ。ウルトラ領の北部にある学術都市だった。
ベスピンの町を抜け出してから、二週間が経とうとしている。
今、クニカはウルノワ大学の中庭で、死体を弔っている最中だった。
炎のまぶしさに耐えかね、クニカは空を見上げる。立ち上った煙が、青空へと吸い込まれていく。
腕を伸ばすと、クニカはカートをたぐり寄せる。カートは大学の構内で、偶然見つけたものだ。中には、数々のガラクタが積まれている。
ガラクタのひとつを、クニカは手にとってみる。一つ目は数珠。マツ製の珠は黒ずんでおり、年季が籠もっている。
数珠を丸めると、クニカはそれを炎の中へ投じる。数珠をつないでいた紐が燃え、珠が死体の山の中に没していった。
次にクニカは、履を手に取った。表面には金糸で、花の刺繍が施されている。儀礼用の履で、もしかしたら、花嫁のためのものだったのかもしれない。クニカが火に投じると、履の糸はほどけ、散り散りになっていった。
ガラクタをひとつずつ手に取ると、クニカはそれを火の中へ投じる。人形、指輪、聖書、写真――。皆、死者が持っていたものだ。他人にとっては無価値なものであっても、彼らにとってはかけがえのないものだったに違いない。
だからこうして、クニカは一緒に弔っている。これが気休めに過ぎないことぐらい、クニカにも分かっている。それでも、打ち棄てられた死者をそのままにして進むことは、クニカにはできなかった。
炎の光を受け、クニカの影が長くたなびく。
◇◇◇
火が消えてから、クニカは灰の中へ分け入る。骨を集めるためだったが、全てを拾い集めるのに、それほど時間はかからなかった。ひときわ大きなダンボール箱を見つけ出してきたというのに、骨はその半分を埋める程度しかなかった。
カートにダンボール箱を乗せると、クニカは進む。大学の案内図を見た限りでは、しばらく進めば、花壇にぶつかるようだった。リンも既に、そちらへ移動しているはずだ。
レンガで舗装された道路を進む間、さび付いたカートは、ひっきりなしに音を立てた。立ち並ぶソテツの木は、青々と茂っている。
クニカは耳を澄ました。音はない。立ち並ぶ校舎からも、物音は聞こえない。そよぐ風に合わせ、教室からはみ出たカーテンがたなびく程度だ。
クニカは花壇にたどり着いた。枯れ尽くした花の茎が、花壇全体を覆っている。リンはいない。
「リン?」
桃色の髪が、風になびくのを押さえながら、クニカは声を上げる。返事はなかった。
カートに提げていたスコップを掴むと、クニカは花壇に分け入り、土を掘り起こす。枯れてしまった草花の根もろとも、土の塊が脇へどけられる。クニカの背中は、すぐに汗でびっしょりになった。
やがて、黒々とした穴ができた。ダンボール箱を持ち上げると、クニカは穴の中へ身をかがめる。ダンボール箱を底に置くと、ショルダーポーチから取り出したナイフを使って、クニカはそれを切り崩していく。
箱を取り除くと、クニカは穴から抜け出した。またスコップを取ると、骨の上へと、クニカは土を被せていく。
一仕事終えたクニカは、何気なく花壇の前方に目を向けた。そこにも校舎があり、一階の窓ガラスには、外の景色が映りこんでいる。
窓には、空の雲と、クニカの姿が映りこんでいる。クニカの胸元には、ロケットがあった。
ベスピンでの一件以来、リンの首にぶら下がっていたロケットは、クニカのお守りになっていた。リンに内緒で、クニカはロケットを開けようと試みたが、上手くいかなかった。陽射しを受け、銀製のロケットはまぶしく輝いている。
映りこんだ雲を眺めているうちに、クニカは窓の向こう側の景色に気付いた。大教室の教壇、席に着いたリンが、頬杖をついて物思いにふけっている。
クニカは大教室へと近づいた。
錆びついたジョウロが、水たまりに転がっていた。
◇◇◇
教室に入るために、クニカは遠回りをしなくてはならなかった。静まり返った廊下をひた走り、クニカは目当ての教室に入る。
扉を開ける音は大きかっただろうに、リンは身じろぎしなかった。クニカは一瞬、リンが居眠りしているのかと思ったが、それは違った。リンの視線は相変わらず、教室の後ろへと注がれている。
リンの視線につられ、クニカも教室の奥に視線をやった。窓から差し込んでくる光のために、教室の影は十字に切り取られている。
教壇の上には、講師用の席が設けられている。リンはそこに座っていた。リンは右手で頬杖をつき、左手の親指で、石鹸のようなものをせわしなくいじっている。こする音からして、砥石の類だろう。事実、ナイフは机に突き立てられており、陽射しの前に光沢を放っていた。
「リン?」
「――あ、終わったのか?」
リンの返事は、なま返事だった。
「どうしたの?」
「大学って広いんだなァ、って」
リンの言葉に、クニカは鼻白む。そもそも「大学で野宿しよう」と提案したのは、クニカではなく、リンの方だった。
クニカのうろんな視線に気付いたのか、リンは肩をすくめる。
「初めてだったからさ、“大学”ってのに来たのは」
「え?」
「何だよ、クニカだって初めてだろ? こんな広いとは思わなかったんだよ。ビックリしちゃってさ」
「あ、うん」
ばつの悪さを覚え、クニカはリンから視線を逸らす。
大学ならば、クニカは何度か行ったことがある。もちろん、転生する前の話だ。小学生のときには、地元の大学祭に遊びにも行っている。高校生になってからも、オープンキャンパスで都内の大学へ行ったことがある。だから大学がどんなものなのか、クニカは何となく実感できている。
「すごいよな。頭いいヤツが、たくさんいたんだろ?」
だが、リンはそうではない。リンは大学を知らない。むしろこの世界では、知らない人の方が多いのかもしれない。高校を卒業して、大学に入る。転生する前のクニカには普通だったことが、こちらの世界では通用しない。
「さ、行こう」
席を立つと、机に突き刺してあったナイフを、リンは引き抜く。
◇◇◇
外へ出ると、二人は西へ歩き始める。二人は今、人文学部の校舎から、理学部、工学部の校舎へと向かっていた。
「工学部って、何だろうな?」
道すがら、リンがクニカに尋ねてくる。
「物理とかじゃない?」
と答えかけ、クニカは慌てて言葉を呑み込む。記憶が無い設定で、クニカはこれまで通してきている。不用意に喋ったら、ウソがばれてしまう。だからクニカは、
「さぁ、何やるんだろうね?」
と、しらばっくれて、ごまかそうとした。
ところが、今日のリンはしつこい。
「工業高校とは違うのか?」
「違うんじゃないかな」
黙っているわけにもいかず、クニカも返事をする。
「リンは工業高校だったの?」
「いや、商業高校だ」
「なぁんだ……あイテっ?!」
リンに頭をひっぱたかれる。
「『なぁんだ』って何だよ。オレだって工業高校に行きたかったさ」
「行かなかったの?」
「行、け、な、か、っ、たんだ」
「あっゴメンナサイ……」
すごんでくるリンに対し、クニカはか細い声で謝る。リンの心の色は真っ赤である。下手なことを言ったら、げんこつが飛んでくるだろう。
「まったく。……あ、勘違いするなよ? バカだから入れなかったわけじゃないからな?」
「分かってるよ。ゴメンってば」
「商業高校に入るほうが難しいんだからな。それに……いや、何でもない」
途中まで言いかけていたリンだったが、不意にため息をついて、会話を打ち切ってしまった。心に見える色も、活発な赤色から、よどんだ灰色へと変わっている。
「どうしたの?」
「バカバカしいからさ。昔の話なんかしたって」
リンはそっぽを向く。いつも通りの口調だったが、いつも通りの口調であるだけに、クニカの心に突き刺さった。
「リン……そんな寂しいこと言わないでよ」
「何だよ。お前だって寂しそうな顔してるくせに」
リンは鼻を鳴らす。
「それにな、高校は辞めたんだ」
「えっ、何で?」
「親父が働き詰めで、家の面倒はオレが見ることになったのさ。そしたら高校なんか行ってらんないだろ? だから辞めたんだよ」
「そうなんだ」
クニカは、逃げ場を見失った気がした。会話をすればするだけ、ぬかるみに嵌まっていくような気分になる。
「えっと、そのさ、リンのお父さんって、何の仕事してたの?」
「Ножницы заточки мастера」
クニカは目を白黒させる。発音された一音一音の意味が、頭の中ではっきりと結びつかない。
「ハサミ研ぎ……?」
「そう。ハサミ研ぎ職人」
そんなニッチな職業が通用するのだろうか、とクニカは考えてしまう。
しかし、思えばリンもよくナイフを研いでいる。リンも父親から手ほどきを受けたのだろう。“ハサミ研ぎ”とは言っているが、実際は研磨職人みたいなものだろう――と、クニカは自分を納得させた。
「何ブツブツ言ってるんだよ、気持ち悪いな」
「ごめん……」
「ウルトラに着いたら、クニカにもナイフの研ぎ方教えてやるよ。ちゃんとしたやり方があって――」
不意にリンが言葉を切って、クニカの着ているタオル地のパーカーを引っ張る。抗議の声をあげかけたクニカだったが、指の関節が白くなるほど、リンが力を込めていることに気付く。
「リン?」
「見ろ」
通路の壁に、クニカは目をやる。校舎の壁面に、橙色の魔法陣が殴り書きされている。ベージュ色の壁とあいまって、魔法陣は毒々しい色合いだった。
クニカもリンも、顔を見合わせる。魔法陣がひとりでに作られるはずなどない。
地面に落ちていたレンガを掴むと、魔法陣めがけ、リンはそれを投げる。レンガが魔法陣を通過した瞬間、魔法陣がまばゆい光を放った。
「うわっ?!」
クニカは顔をそむける。レンガの破片は飛び散り、クニカの背中に当たる。
「大丈夫か?」
「うん。平気」
リンの黒髪にくっついたレンガの粒を、クニカは取ってあげる。魔法陣は跡形もなく消え去り、壁の塗料は焦げ落ちていた。
「泊まる話は無しだ。ここを出るぞ」
魔法銃を取り出したリンの傍らで、クニカも頷いた。




