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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第3章:ただれた街・ベスピン(Беспин)
19/50

19_シャワールーム(Душевая)

――お前を導くはずの星は、お前を道に迷わせてしまった。(『ユダの福音書』、第45頁)

「ほら、早くしろ!」


 リンにお尻を叩かれながら、転がり込むようにして、クニカは建物に入る。“リエゴーイ”を経験したほとぼりが覚めないうちに、空から“黒いドーシチ”が降ってきたのだ。


 クニカは、ショックから立ち直れていなかった。


「これでよし」


 荷台を押しやると、リンは両開きのドアを塞ぐ。うずくまったまま、クニカは周囲の様子をぼんやりと眺める。他と同様、この建物も荒れ果てていた。照明についていたはずの蛍光灯は四散し、あたり一面埃っぽい。


 ヤンヴォイを抜けるときに滞在した水道局の詰め所よりは、幾分か広かった。中央にはスプリングの緩んだソファがあり、カーテンの向こう側にはカウンターがある。カウンターに載っていたはずのレジスターは、脇に転がってめちゃくちゃになっていた。


「ここは?」

「ホテルだろ、きっと」

「ホテル?」


 その割には、壁は死んだようなエメラルド色で塗りつぶされているし、オレンジ色のピータイルは安っぽい。ホテルというより、モーテルといった方がふさわしい感じだった。


「ぜんぜんホテルっぽくな……いや、何でもない」


 リンがじっと見つめてきていたため、クニカは慌てて発言を打ち消した。口ごたえをしたらげんこつが飛んでくる――と思ったためだが、リンの反応は違った。


「なぁ、そのさ……あれだよ」


 要領を得ないリンの言葉に、クニカはまばたきする。


「ほら、だれだって、ちょっとくらい変なところはあるだろ? オレはあれなんだ、眩しいとくしゃみが出る体質でさ」

「うん?」

「だからさ、お前の体がわけの分かんない感じだって、別に気に病むことじゃないって――」

「リン、もしかして……慰めてくれてるの?」


 クニカが訊いた途端、リンは歯が見えるほど大きく口を開けた。リンの胸の辺りに、不安定な赤色が去来する。


「なんか、リンに慰められると、くすぐったくなっ――うげえっ?!」


 リンのこぶしが、クニカのおでこに炸裂する。痛がっているクニカを尻目に、リンはため息をつく。


「ハァ、疲れるな」

「でも、あれだよ? リンに心配されて、ちょっと嬉しいなァ、って思ったよ?」

「“ちょっと(ニムノゴ)”?」

ウウン(ニエット)! すっごく(オーチシン)

「フォローになってないよ」


 (あご)で合図すると、リンは二階へと向かう。クニカもリンの背中を追った。



   ◇◇◇



 二階へ上がってみると、廊下の交互に部屋があり、ドアは半開きになっていた。


 二人は一通り家捜ししてみる。全く期待していなかった二人だったが、収穫はあった。栓の開いていない瓶コーラ、タオル、紙石鹸、乾パンの缶とコンビーフの缶とが数種類――。


「見ろ、クニカ」


 クロゼットの中から、リンが何かを引っ張り出してくる。それは、青いタオル地のパーカーだった。


「お前にピッタリじゃないか?」

「うーん、ちょっと緩いかも……」

「あとでゴムひもを詰めればいいんだ。よかったな。着替えが見つかったぞ」


 リンは嬉しそうだった。そのまま廊下の一番奥まで歩みを進める。角部屋までたどり着くと、


「この部屋にしよう」


 と、リンはクニカに告げた。早いところ横になりたかったから、クニカも二つ返事で(うなず)いた。


 部屋は清潔そうだった。相変わらず壁は死んだようなエメラルド色だし、その壁にはわけの分からない版画が掛かっているが、このくらいは、気にしなければどうというものでもない。


 版画を指差して


「福音書の伝承だよ」


 とリンは呟いたが、クニカもリンも、その内容を改めて確認しようとはしなかった。ベッドは低めで、側にはほころびたソファがあり、色とりどりのクッションが山積みになっている。


 目線を横にしたクニカは、そこにある個室を見てどきりとする。


「リン、シャワー!」

「みたいだな」


 居ても立ってもいられず、クニカはシャワールームまで駆け寄り、扉を開いた。シャワールームはペンキ塗りの、窓さえない小部屋だった。


 おそるおそる、クニカはシャワーの栓を捻ってみる。シャワーは先の漏斗状の部分がなくなっていて、壁から鉄管が突き出しているだけだった。


 それでも、クニカの頭よりずっと高さところから、確かに水が噴き出してきた。


「リン!」

「見りゃ分かるよ。入っちまおうぜ」


 リンの言葉に、クニカは真顔になる。


「リンが先でいいよ」

「バカ。水が出なくなったらどうするんだよ。加減お前だって浴びろよ」


 そう言われてしまうと、クニカには反撃する(すべ)がなかった。爆風にさらされ続けたせいで、クニカもリンも(すす)けて真っ黒だったからだ。



   ◇◇◇



 クニカとリンは、並んでシャワーに入る。水は冷たく、周囲に拡散しなかったから、ほとんど蛇口の下に頭を入れている感覚だった。それでも、こうして身体を洗えることが贅沢(ぜいたく)なことのように、クニカには思えた。


 シャワーを浴びている最中、リンは気持ち良さそうに声を出していたが、クニカはとてもそんなことをする気にはなれず、ただひたすら、自分のつま先を見つめていた。


 髪の毛。顔、全身、の順番に洗い終えると、二人はタオルを取る。


「ほら」

「ありがとう」


 ぼんやりしていたクニカは、リンの頭から滴ったしずくが、胸元まで落ちていくのを見てしまった。リンの身体を這う水滴に、クニカは釘付けになる。リンの乳房の稜線(りょうせん)をなぞるように、水滴は縦に流れ落ちる。


「クニカ?」


 呼び止められ、クニカも我に返る。クニカが顔を上げてみれば、濡れそぼった髪をタオルで拭いながら、リンが不思議そうな面持ちで、クニカを凝視していた。


「大丈夫か? 風邪ひくぞ」

「あ、分かった」


 間の抜けた返事をしてから、クニカも自分の裸体にタオルを這わせる。それでも、リンの肢体が気になり、クニカはちらちらとリンを見た。


 クニカの視線を、リンが気にするそぶりは無い。髪を拭き終えると、リンは腕を拭い、続けて肩から腰を拭いた。


 リンがタオルを脚の付け根へとのばす段階になって、クニカは目を反らす。髪に当てただけのタオルをもう一度強く握りなおすと、邪念を追い払うように、クニカは髪の毛にタオルを当てる。


「――ハックション!」

「バカ」


 鼻をこすっているクニカから、リンが強引にタオルを奪い取った。


 リンが何をしようとしているのか察知し、クニカも慌てる。


「いいよ。自分で拭けるって……」

「さっきからそう言ったっきり、ぜんぜんじゃないか」


 クニカの身体(からだ)に、リンは手を回す。リンの白い肌と接触しそうになり、クニカはのけ反った。


「なんだ、くすぐったいのか?」


 クニカの桃色の髪を拭くと、リンはクニカの正面にタオルを持ってくる。リンの裸体を正視できず、クニカはなるべく視線を虚ろにした。


「後ろ」


 リンに言われるがまま、クニカは回れ右をする。十六歳にもなって、誰かに身体(からだ)を拭いてもらうことになるとは思わなかった。


「本当に大丈夫か?」

「え? わたし?」

「ほかにだれがいるんだよ、バカ」


 リンはむっとしている。


「いや、だって、リンがさ――」

「オレ?」


 リンに尋ね返され、クニカも過ちに気付いた。


「オレがどうしたんだよ」


 クニカの思わくに反して、リンはやり過ごさせてくれないようだった。


 クニカの脳内に、先ほどのリンの姿がよみがえってくる。


 髪をポニーテールからおろしたリンは、可愛らしく、クニカ好みだった。


(なんて言えない!)

「なんだよ。ちゃんと言えよ」

「その、その……『キレイだなァ』と思って」


 リンにけしかけられ、反射的にクニカはそう口走った。できるだけ当たり障りの無いように、クニカは答えたつもりだった。


 ところが、リンの反応は違った。


「え?」


 と言ったきり、クニカの背中を拭っていたリンの指の動きも止まってしまう。リンの(かん)に障ったのかと思い、クニカも多弁になる。


「いや、ほら、リンっていつもポニーテールじゃん? でも、髪をおろしているからさ、その、『キレイだなァ』と思って、それで……リン?」


 いたたまれなくなって振り返ったクニカだったが、今度はクニカがリンに尋ね返す番だった。


 目を丸くしたまま、リンは立ちすくんでいた。右手にタオルを握りしめたまま、リンは身じろぎ一つしない。


「どうしたの?」

「え? あ……」


 再度クニカに呼びかけられ、リンは生返事をした。泡の抜けたサイダーを飲まされたような表情をリンはしていたが、それから口をへの字に曲げると、リンはばつ悪げに左の耳に手を当てた。


「まったく……お前がヘンなこと言うせいで、ビックリしたじゃないか」

「ゴメン」

「……もう!」


 鼻を鳴らし、リンはそっぽを向く。何気なくリンを見ていたクニカも、リンの頬が上気していることに気付いた。


 クニカの視線に、今度ばかりはリンも敏感だった。


「ほら! さっさと身体を拭けよ」

「あっ、はい!」


 投げ渡されたタオルで、クニカは弾かれたように自分の身体(からだ)を拭いた。


「まったく!」


 腕を組んでいるリンは、いつに無く不機嫌そうだった。


「変なこと言うなよな。――あ。あと、勘違いするなよ。クニカにそんなこと言われたって、嬉しくも何ともないんだからな!」

「分かってるってば!」


 語気に押されるようにして、クニカも答えた。



   ◇◇◇



 風呂から出ると、クニカとリンは、そのままベッドに横になる。ひとつのベッドを、二人で分け合った。


 クニカはさっそく、新しい服に着替えた。サイズは少し大きかったものの、充分着こなせた。タオル地のパーカーは子どもっぽかったが、汗でべったりと張り付いてしまうことがないから、心地良かった。


「ねぇ、リン」


 天井を見ながら、クニカは言った。


「どうした?」

「人が死んだら、その人はどうなるの?」

「導きの星になる」

「導きの星?」

「そう。人が生まれると、その人を導く星も天に生まれる。そしてその人が死んだら、星も消える。その代わり、死んだ人が新しい星になって、新しく生まれた人を導く」

「そうなんだ」

「そうさ。寿命だろうが、事故だろうが、死んだ人は星になる。星に生まれ変わる。殺された人でも」


 リンの言葉に、クニカはぎくりとする。クニカの気持ちなど、リンにはお見通しのようだった。


「考えてたんだろ、今日のこと?」


 クニカは(うなず)いた。


「オレも考えたよ」


 リンはいったん言葉を切る。


「オレは、こう考えた。あそこにいたギャングたちは、好きで人を殺してたんだと思う。遊びみたいなもんだったんじゃないかな? 制御室に向かって飛んでたときに、川辺に沢山の死体が浮いているのを見たんだ」

「わたしも……同じのを見た」

「そうか。じゃあ……話が早いな。どんなことがあっても、人は助け合わなきゃダメなんだと思う。オレと――クニカみたいにさ。人を殺して良い理由なんてないんだよ。アイツらは殺していた。だから死んだんだ。オレたちのせいじゃない。アイツら自身のせいだよ。そう思おうぜ、クニカ。そんなふうに」


 薄い掛け布団を、クニカは握りしるた。つい半日ほど前まで、クニカもリンも死ぬすれすれだった。今、ギャングたちは死んで、クニカたちは生きている。


 なぜか? 自分の「生きたい」という気持ちが強かったから? そうかもしれない。街を駆け抜けている最中、クニカは「死んでたまるか」と思った。


 しかしそれは、ギャングたちだって同じはずだ。「死にたい」と考えているのならば、とっくにそうしているだろう。彼らは生きていた。ちょうどクニカがそうしているように。


「あのさ……リン」


 クニカは再度、リンに問いかける。


「何?」

「祈るのって、おかしいかな? わたし、ギャングに殺された人も、ギャングたちも、一緒に祈ってあげたいんだよ。あの人たちだって、もし平和だったら、あんなことにならなくて済んだかもしれないし」


 リンは、すぐには何も答えなかった。ややあってから、


「お人好しだよな、お前って」


 と、呟くように言った。


「ごめん」

「お前はお人好しだよ、クニカ。オレが保障する。でも、それで良いのかもしれないな」

「それで良い?」

「うん。お前らしいよ。ウルトラに着いたら――」


 それっきり、リンは何も言わなくなる。程なくして、リンが寝息を立てているのが、クニカにも聞こえてきた。


 クニカは目を閉じる。睡魔はすぐにやってきた。眠っている間中、クニカは夢を見ていた。自分の身体(からだ)に白い翼が生えて、無尽蔵に空を泳ぎ、海を飛ぶ、壮大な夢だった。奇妙で、はっきりしない、しかしどこか懐かしい、そんな夢。


 神様、


 夢の中で、クニカは叫ぶ。神様、どうかわたしに祈らせてください。祈る以外にできることなど、何もないのだから。祈りが届いたのならば、来て、わたしを助けてください。さもなければわたしは、自分がだれなのか、分からなくなってしまいそうだから、と。

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