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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第3章:ただれた街・ベスピン(Беспин)
18/50

18_聖体拝領(Святое Причастие)

【グロ注意! 食事中の方はご遠慮ください】


――それは繰り返し得ざる母の栄光の声。そして神の産出の栄光。そして隠された叡智に由来する男性的処女である。(『三体のプローテンノイア』、第24節)

「そっちは?」


 リンに示されたレバーを、クニカは倒してみる。二人の目の前で、波止場のクレーンが左へ旋回した。


「じゃあ、そっちは?」


 リンに言われるがまま、クニカは赤いボタンを押す。寝ぼけたような(うな)り声と共に、シャッターが一斉に閉まり、跳ね橋が見えなくなった。


「何だよ、クソッ」


 いら立ちまぎれに、リンが計器台の側面を蹴り飛ばす。


 先ほどから、ずっとこの調子だった。無数のボタン、無数のレバーが、跳ね橋を降ろす”だけ”の作業を阻んでいた。早くしなければ、ギャングたちが二人の存在に気付いてしまう。


「どうしよう」

「あれ?」


 途方に暮れるクニカだったが、そのとき、リンが声を上げた。クニカがそちらを向くと、計器台の側面についていた扉が開いていた。リンが蹴り飛ばした弾みで、側面の扉が開いてしまったようだ。


「何だこれ?」


 しゃがむと、扉の中に手を伸ばし、リンが何かを引っ張る。すると、金属同士がかみ合う音とともに、台に手をついていたクニカにも振動が伝わってくる。手をどけてみれば、下にあったプレートが外れていた。


 プレートの下に隠れていたつまみを、クニカは(ひね)る。(ひね)ったと同時に、足元から規則的な振動が伝わってきた。例えるなら、歯車が、重いものを引き下げているような感触だった。


「おおっ?!」

「やった――?」


 クニカが歓声を上げかけた、そのとき。外から、サイレンの音が響き渡った。


「まずい」


 リンの声がクニカの耳に届く。クニカの額から汗が噴き出し、脚の力がすっと抜けてゆく。


 跳ね橋は作動している。今までにない地鳴りから、そのことは分かる。しかし、サイレンは予想外だった。まだ平和だったとき、ベスピンの街が喧騒(けんそう)に包まれていたとき、サイレンの音は、取るに足らないノイズだったかもしれない。


 しかし、今は違う。ベスピン市内に響き渡るサイレンの音は、死に直結する音だった。


「今しかないよ」


 クニカはリンの腕にすがる。クニカの腕と同じように、リンの腕にも鳥肌が立っていた。


「急がないと!」

「わかってる、分かってるよ!」


 クニカの腕を(つか)み返すと、リンは制御室の出入口まで急ぐ。リンの背中を、クニカも追った。



◇◇◇



 制御室の扉を開け放ち、二人は外へ飛び出す。跳ね橋の反対に目を向けたリンが、その場に釘付けになった。


「リン……?」

「あれを見ろ!」


 遠方をにらんだクニカも、こちらに迫ってくるものを見てすくみ上がる。路上のガラクタを踏み潰しながら突き進んでいるのは、白い戦車(ヴァク)だった。


「いたぞ!」


 ギャングの声が響いた。遠くから聞こえた声なのだろうが、クニカには耳元で聞こえたような気がした。


 二人が駆け出したと同時に、街路の向こうから銃声が響いてくる。距離が離れていたために、銃撃は途中で勢いを失い、弾はアスファルトを転がった。追いつかれたら、いや射程に入った時点で、ひとたまりもないだろう。


 脚に羽が生えたかのように、しかも本能的に、クニカもリンも走っていた。走っている最中、クニカの脳裏を様々なイメージが一斉に駆け巡った。ハリウッド映画のイメージが浮かび、その滑稽(こっけい)さに冷静になりかけ、しかし「冷静になったら死ぬ」と本能は呼びかけてくる。度しがたき矛盾の中で、クニカは懸命に地面を蹴っていた。


「リン!」


 切れ切れになった息で、クニカは叫ぶ。跳ね橋の降下は、笑ってしまうぐらい緩慢(かんまん)だった。二人の目の前に(そび)えているのは、“橋”ではなく“坂”だった。


「登るぞ!」


 リンが大声を張り上げた瞬間、クニカたちの頭上を何かが通過する。視界の端に映ったそれは、“坂”の頂上に激突した。――遅れて、砲撃の音がクニカの耳に殺到する。


 今しがた目撃したものが、戦車の放った弾だと気付いたときには、クニカの身体は爆風に()されて、浮いていた。粉砕された橋げたの一部が、(れき)になって周囲に飛び散る。


 たたらを踏みかけたクニカの肘を、リンが咳き込みながらも、強引に引っ張った。


「リン!」

「飛ぶ!」


 クニカの肘を握るリンの手は、万力のように固い。


 さっきと言っていることが違う。――クニカはそんなことを考える。考えている最中にはもう、リンの背中から翼が生えていた。”鷹”の魔法を使い、リンは橋げたの先端から、対岸まで飛び移るつもりなのだ。


 リンが羽ばたき、クニカの体も持ち上がる。持ち上がったその瞬間、クニカの足元を銃弾が()いだ。


――あそこだ!


 クニカの脳裏に、男の野太い声が割り込んでくる。記憶が確かならば、それは“お頭”の声だった。と同時に、“お頭”の意識が制御室に没頭していることが、クニカには直感的に分かった。


「リン、左――!」


 クニカが叫んだのと、クニカの耳が砲撃の音を捕らえたのは、ほぼ同時だった。砲撃は、クニカたちの右脇に反れ、跳ね橋の制御室を粉砕した。ゆっくりと、しかし着実に平坦になりかけていた橋が、動作を停止する。爆発で生じた閃光に、クニカの目がくらむ。爆風に(あお)られ、リンとクニカの身体(からだ)は“坂”にこすりつけられる。


――ガキを狙え、“うすのろ”!


 “お頭”の言葉が、クニカの脳内に響いてくる。“お頭”が戦車で指揮を()り、“うすのろ”が砲撃手なのだろう。耳を澄ませてみれば、銃声は聞こえない。戦車の一撃で、“お頭”はクニカたちを仕留める気なのだ。


「飛ぶぞ、クニカ! 動くな!」


 言うなり、リンがクニカの脇に腕を回した。リンに抱えられた格好のまま、クニカの身体は橋げたの先端を離れる。砕け散った橋のつなぎ目の下に、エツラ川の青々とした川面が見える。


 砲撃を食らったら、どうなるか? クニカの頭の中で、全ての思考が一斉に積み重なっていく。砲撃が当たったら、粉みじんになるだろう。当たらなくとも、次の一撃で、橋げたに叩きつけられる。そうなったら、ただではすまない。


 何としても、“砲撃そのもの”を止めなくてはならない。


「おい、バカ! ちゃんと捕まってろ――!」


 クニカの頭の後ろで、リンの怒鳴り声が聞こえる。それでも、クニカは構わずに両手を組み、叶えられ得る限りの、最大の望みを込め、祈った。


「クソッ!」


 リンが叫ぶ。戦車がばく進し、橋の入口にまで来ている。戦車とクニカたちとの距離は、幾ばくもない。


 中空を飛ぶクニカたちに向けられ、砲弾が発射される――。



◇◇◇



「あっ!」


 リンの叫び声が、クニカの耳にこだました。


 奇妙な沈黙に確信を抱いて、クニカも振り返る。


 発射されたはずの砲弾は、砲身のすぐ先端で静止していた。まるで、飛んでいる最中に、氷漬けにされたかのようだった。周囲にいるギャングたちも、何が起きているかわからず、みな口を開いている。


「ちくしょう! どうなってやがる!」


 ただひとり、砲台から身を乗り出していた“お頭”だけが、この光景に怒り狂っていた。



◇◇◇



 恐ろしいことは、唐突に起きる。


 それがやって来るときは、慌しくもなく、しかし、避けることはできない。


 戦車の中で、彼がやったこと。


 それは、ささいなことだった。制御室を吹っ飛ばしたときと同じように、指の筋肉を収縮させ、トリガーを引く。


 たったそれだけ。狙撃に関して、“うすのろ”は天才だった。獲物を仕留めることについては、ギャングたちの誰よりも偉大だった。


 その才能が、ほんの少しでも、ほかの注意に向いていれば。


「お、おっ……?」


 喉の奥から、奇妙な声をしぼり出している“うすのろ”に気付き、戦車を運転していたギャングがそちらを向く。


 “うすのろ”の指がトリガーに掛かっているのを見て、ギャングは血相を変える。


「バカ! やめ――!」


 だが、最後まで言い切ることはできなかった。


 “うすのろ”がトリガーを引く。バネが弾け、火花が散る。強烈な力と速力とで、砲身の内側から弾が発射された。


 弾は命中した。――クニカとリンとにではなく、クニカの祈りによって静止していた、もうひとつの弾に。



◇◇◇



 その瞬間を、クニカは目撃した。そして


「あっ」


 と声を上げた。いや、実際には上げたつもりになっていただけかもしれない。とにかく、空中に静止していた弾めがけ、新たに発射された弾が追突しているのが、一瞬だけ見えた。その直後、縦につんざかれる戦車のイメージが、静止画のように、クニカの脳内に飛び込んできた。


 二つの弾が追突し、強烈な火炎が戦車の至近距離で炸裂(さくれつ)する。熱風は、砲塔から戦車内に逆流し、搭乗員を皆殺しにした。内部の高熱に耐えられず、戦車そのものが弾け飛ぶ。


(あつ)っ――!」


 だれかの声がする。リンが叫んだのかもしれないし、クニカが叫んだのかもしれない。もしかしたら、クニカが錯覚しただけかもしれない。声の主を確かめる間もなく、二人は別々に、対岸のアスファルトに叩きつけられた。


 目はくらみ、平衡感覚はなくなり、全身は(すす)け、服は破け、口の中は火薬臭くなった。体の節々が痛い。


 それでも立ち上がると、クニカは足腰を(ふる)い立たせ、倒れているリンの下まで近寄った。


「リン!」


 リンからの返事はない。


「しっかりして!」

「クニカ?」


 何度も呼びかけられ、リンは目を開ける。クニカと同じく、リンの身体(からだ)(すす)けて真っ黒だったが、怪我はないようだった。


 リンは、少しの間放心状態といった様子だったが、われに返ると、クニカの腕を鷲掴(わしづか)みにした。


「待て、いったい――?」


 リンはそれ以上、クニカに尋ねようとはしなかった。電撃を浴びせられたかのように飛び上がると、橋のたもとまで、リンは駆け寄る。


 クニカもリンに追いすがる。リンが見ているものと同じものを眺め、息を呑んだ。


 度重なる戦闘で、向こう側の跳ね橋は、根元からもげてしまっていた。対岸は一面が焼き尽くされ、何も残っていない。川面からは、崩れ落ちた瓦礫(がれき)と、戦車の残骸とが折り重なって倒れていた。


「ざまあみろ!」


 不意に、リンが声高に叫ぶ。声は重なって、空の彼方へと響いていった。


 右腕を大きく振りかぶると、リンは何かを投げ飛ばす。エツラ川へと放物線を描くそれは、くしゃくしゃに丸められた、ベスピン市街の地図だった。地図は、崩落した橋の残骸の中に落ち、戦車から漏れた重油にまみれ、川底に沈んでいく。


「……リン?」


 ためらいがちに、クニカはリンの背中へ声をかけた。肩を大きく上下させながら、リンは息をしている。


 もう一度声をかけようとしたクニカを、下からの爆発が遮った。クニカも慌てて、リンの側、崩落した橋の先端まで行く。


 川底の泥に突っかかっていた戦車が、盛大に燃えていた。小刻みにはぜながら、戦車の砲身がもげ、川の中へ沈んでゆく。右側のキャタピラーが千切れ、重油にまみれていた。


「乗ってた人……」


 そう言ったきり、クニカは口をつぐんだ。本当は「大丈夫かな?」と付け足したかったが、リンの手前、そんなことを口に出すのは(はばか)られた。クニカの心は振り子のように、赤と黒との境を行き来していた。「男たちを死に追いやってしまった」という良心の呵責(かしゃく)と「でも、そうしなければ二人とも死んでいた」という現実的な考えとが、クニカの中でせめぎあっていた。


「――うわっ?!」


 自分の感情にかかりきりだったから、クニカはリンが近づいてくるのに気付かなかった。クニカの影を踏むように足を出すと、そのままリンは、クニカを抱きしめる。


「くすぐったいよ」

「良かった」


 それがリンの言葉だった。宝物に傷がついていないと知って安堵(あんど)する子供のような、そんな言葉だった。


「本当に良かった」


 初めは苦しかったクニカも、リンから伝わってくる鼓動が緩やかになっていることに気付いた。


 戸惑いつつも、リンの腕に、クニカは身体を預ける。リンのシャツは、もはや何色だったか分からないくらいになり、おまけに汗でぐっしょりと湿っている――。


 そのときだった。下腹部の疼痛(とうつう)が、クニカに再び襲いかかった。痛みはその限界をつき抜け、クニカの足腰を襲う。


「クニカ?!」


 膝から崩れ落ちたクニカの身体を、リンは慌てて抱き起こす。


「どうした?」

「お、お腹が……」

「お腹?」

「もっと下? のほう」

「それって……」


 リンはしばらくクニカを見つめていたが、唐突にハァ、とため息をついた。


「あれだろ? リエゴーイだろ?」


 “リエゴーイ”が何か、クニカには分からない。


「何それ?」


 言った途端、リンが信じられないといった目つきでクニカを凝視する。その視線にびくついた弾みで、痛みが一気に強くなり、外に向かってはじけ飛ぶ。


「いっ……?!」


 お腹の下がうずき、太ももの内側から、生暖かいものが流れ落ちる。何が起きているのかわからず、クニカはうずくまりかける。


「クニカ、パンツ脱げ」

「うん。……え?」


 同意しかけた後に、クニカは慌てて首を振った。


「い、イヤだって!」

「バカ! オレだってイヤだよ! 今までどうしてたんだよ。ったく――」


 リュックサックを下ろすと、リンは中から何かを取り出した。それは、猫じゃらしみたいな形状をしたガーゼだった。


「ほら、はやく!」

「イヤ! ダメっ!」

「バカ、何がダメなんだよ!」

「う、うわあっ?!」


 クニカを強引に座らせると、リンはクニカのズボンに手をかけ、パンツごと下に引っ張った。


「……え?」


 不思議な形状をしたガーゼを握りしめたまま、リンがその場で呆然とする。慌ててパンツをはこうとしたクニカは、自分の下腹部を眺め、凍りついた。


 クニカの下半身、足の付け根から吐き出されていたものは、生臭いにおいを発する白い液体だった。


 精液だった。


「何だこれ?」


 リンの声を聞いて、クニカは我に返った。そして、クニカは全てを理解した。「リエゴーイ」の意味、リンが想定していたこと、リンの手に握られているものの用途――。


 クニカは叫ぶと、リンを跳ね飛ばすようにして立ち上がる。「ガーゼ」のセットを掴み取って、クニカは建物の影に隠れる。


「おい、どうしたんだよ?!」

「来ないで!」


 悲鳴を上げながら、クニカは「ガーゼ」を使って、内股についた精液を拭き取る。自分は女のはず、だから「リエゴーイ」が起きた。しかし、出て来たのは精液だった。


 何が起きているのか分からない。しかし、分かりたいとも思わない。


 使い方も分からないまま、使用済みになった「ガーゼ」が、クニカの足下に溜まっていく。


 空は雲に覆われている。雨が降りそうだった。

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