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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第3章:ただれた街・ベスピン(Беспин)
16/50

16_祈り(Молитва)

【ムシ注意! 苦手な方はご遠慮ください】

 すぐに部屋までたどり着けるだろう――そう考えていたクニカだったが、思いのほか、ダクトは入り組んでいた。


「うひぃっ?!」


 クニカの喉から、変な声が(ほとばし)る。てっきり板があるものと思って手をついたにもかかわらず、下は穴だったからだ。真っ逆さまに落ち、クニカはおでこで換気扇を破壊する。


「うげぇっ?! ――あ……?」


 危うく床に叩きつけられるところだったが、下には衣服や、袋や、灰色に汚れていたシーツなどが積んであったおかげで、クニカは怪我もなく、背中から着地する。


 クニカは、辺りを見渡してみる。壁にはロッカーが並び、折畳み式の机と長椅子とが、無造作に重ねてある。床のタイルは黒ずんでおり、全体的に埃っぽい。警備員か、あるいは掃除のおばさんなどの詰所だったのだろう。


 ギャングたちは、どこにいるのだろう。――そう考え、床に足をついた瞬間、足元で


 ぷちっ。


 という音がした。同時に、靴底の裏からでも伝わってくるような、なまなましい感触に、クニカの全身が総毛立つ。


 クニカの視界の端で、タイルの黒ずんだ部分が、一斉に動き始める。タイルの黒ずみだと思い込んでいたものは、床を覆いつくさんばかりの、ゴキブリの群れだった。


 本能的にクニカは後ずさるが、またしても


 ぷちっ。


 という音がした。ぺったんこになったゴキブリが、床で果てている。


 突然の来訪者に、ゴキブリたちも慌てふためいている様子だった。凍り付いているクニカをしり目に、ゴキブリたちは、そそくさと物陰に隠れていく。


 あっという間の出来事だった。クニカが我に返ったときには、ゴキブリたちは、影も形もなくなっていた。


 とはいえ、「姿を消していること」と、「消えていること」は違う。


 生まれたての子馬のように脚を震わせながら、クニカはロッカーのひとつを開ける。ゴキブリたちが飛び出してくる! ――ということはなかったが、そこに置いてあるものを見て、クニカはぞっとした。木の棒の先端に、タマゴのような形をしたかたまりがくっついている。手榴弾(グラナータ)だ。ゲームの中でしか見たことのないしろものである。


 喉が自然と鳴った。クニカの見るかぎり、出入口はひとつしかない。(わら)にもすがる思いで、クニカはドアノブに手を伸ばしたが、


「これで全員だな?」


 という、男の野太い声を聞きつけて、踏みとどまった。


 不用意に飛び出していたら、今ごろ命はなかったかもしれない。安堵のあまり、クニカはその場にへたり込んだ。クニカの目線と、ドアの鍵穴の高さが同じになる。鍵穴からは、向こうの様子が見えた。


 鍵穴まで、クニカは鼻先を近づける。隣の部屋は広いようだった。鍵穴の向こう側には、五、六人のギャングたちがたむろしている。


「状況は?」


 先ほどの声の主が、周囲にいるギャングたちに尋ねている。クニカのからは、彼の足しか見えなかった。声の主はいかつい、黒いブーツを履いている。椅子にふんぞり返って、脚を投げ出しているようだった。


「車の持ち主は見つかったのか、って訊いてんだ」

「……いなかった」

「そんな馬鹿な話があるか」


 黒いブーツが動き、苛立たしげに床を叩く。今のやり取りが、クニカには意外だった。ギャングたちはまだ、クニカたちを探しあぐねているらしい。


 目を細めていたクニカは、あることに気付く。目視できるかぎりでは、五人の人物がいる。しかし、心の色が見えるのは、三人だけだった。クニカの感情を読み取る能力は、万能ではないようだった。


「お頭、本当なんだ」


 “お頭”の言葉を聞きつけ、クニカは、喉まで心臓がせり上がってくる思いがした。さきほどから偉そうに振る舞う人物こそ、ギャングたちのボス・“お頭”なのだ。


 そして“お頭”の心の色を、クニカは見ることができないでいる。肝のすわっている人物の心は、見抜くのが難しいようだ。


「なぁ、相棒」


 相手のギャングに向かって、“お頭”が静かに口を開いた。口調こそ穏やかだったが、声の芯は、氷のように凍てついていた。


「分かってるよな? オレたちがこれまで、どれだけうまくやってきたのか。奇跡みたいなもんだ。連中を蹴散らして、武器を奪った。必要なのは食料だけだ。殺してでも奪い取らなきゃならん。『車の持ち主が見つかんねぇ』だと? そいつが街を抜け出したらどうする? おい、オレがこうして話してんのは、お前さんの首をつなぐためだぞ」

「あ、あんたの手腕は誰だって認めるぜ」


 相手のギャングは言った。表情は分からないが、心の色は青くなっている。その指はふるえ、声はカラスのようにしゃがれていた。


「肝っ玉も太いって、オレだって思ってる。だけどオレは降りるぜ」

「あはん?」

「もう限界だ。これ以上いたって、どうしようもねぇ。んなこと、ここにいるみんなだって、分かってるはずだ!」


 そう告げると、相手のギャングは(きびす)を返した。彼にしてみれば、棄て台詞を吐いたつもりだったのだろう。


 しかし、そう遠くまでは行けないのが、彼の運命だった。“お頭”は怒号を一つ上げると、隠し持っていた飛び道具を空中に投げる。尖った先端が、男の背中に深々と突き刺さった。


 クニカの耳にした音から考えると、今の一撃で、相手の背骨は砕け散ってしまったに違いない。湿り気を帯びた、ぞっとさせる音だった。


 “お頭”は猿のようにすばしっこくギャングにまたがると、背中に刺さっていたナイフを引き抜き、素早くギャングの喉に差し込む。ナイフが振り下ろされるときの、「きゅっ、きゅっ」という音が、クニカの耳に飛び込んでくる。クニカは気絶の何たるかを知らないが、このときばかりは、それが何であるのか分かった気がした。


「死にたいやつは?」


 “お頭”の声を聞きつけ、クニカは集中力を取り戻した。床には一人のギャングが転がっている。血生臭いにおいが、細い鍵穴を通してこちら側にまで漂ってくる。


 誰も返事をしなかった。


「見つけ出すぞ、何としても。街の入口に見張りをつけろ。相手だって逃げようとする。そこを捕まえる」

「でもよ、お頭、人手が――」

「掻き集めろ。跳ね橋(ブリッジ)の奴らも連れてこい」


 跳ね橋――その単語に、クニカの心臓が高鳴る。今、ギャングたちは街の入り口に張り付いて、クニカたちを仕留めようと躍起になっている。これから、人手を集めるために、跳ね橋を見張っているギャングたちも動員される。すると、跳ね橋は手薄になる。


 だから、クニカたちは逆手を取って、跳ね橋に向かえばいい。跳ね橋を機動させることができれば、対岸へと逃げ切ることができる。


「行くぞ」


 お頭の号令で、ギャングたちが一斉に退出し始めた。部屋を去るギャングたちの背中を、クニカは見守る。


 クニカの見る前で、黒い長上着(アオザイ)を着ているギャングが、別のギャングに呼び止められた。


「何だよ、おい」

「なぁ、あっちの部屋怪しくないか?」


 呼びかけた方の男が、クニカのいる方角を指さした。


 事の成り行きを確認するより前に、クニカの身体は自然に動いていた。静かに、しかし電光石火の早さでロッカーに駆け寄ると、クニカはその中に入り込む。


 背中には、手榴弾が置いてある。おしりでどついたりしたら、クニカは粉々だ。


「埃まみれじゃねぇか、ちくしょう」


 男たちが部屋へ入ってきた。


「誰がいるってんだよ」

「いた気がしたんだ」


 もうひとりのギャングは、いかにも疑わしいと言ったそぶりだった。間近にあるロッカーを乱暴に開いて確認する。ロッカーは横に五つ。クニカは一番端のロッカーにいる。


 まずい――冷や汗を掻くクニカの脳裏に、ふと記憶が蘇ってくる。


 リンが狙撃されたとき、「死なないで!」とクニカは念じた。すると、光がクニカの手から溢れ、リンは助かった。


 枯れた水路でギャングに鉢合わせそうになったとき、「こっちに来ないで!」とクニカは念じた。すると、ギャングは引き返していった。


 理屈の問題ではないと、クニカはそう思った。何もできない以上、今も祈るしかなかった。


(神様、)


 腕を組むと、クニカは祈った。隣ではギャングたちが、四つ目のロッカーを開けている。


(見つかりませんように!)


 ギャングの手によって、ロッカーの扉が開け放たれる。クニカは目を閉じていたが、まぶたの裏が明るくなった。


 おそるおそる、クニカは目を開ける。薄汚れたシャツを着たギャングと、クニカの視線がばっちり合った。


「ほら、言ったろ」


 凍り付いているクニカをしり目に、シャツを着た方のギャングが、長上着(アオザイ)を着ている方のギャングを小突いた。


「誰もいねぇじゃねえか」

「おっかしいなぁ」


 相方のギャングが、クニカのいるロッカーを覗いてみる。クニカは固まって動けなかったが、このギャングにも、クニカが見えていないようだった。


「勘違いだったのかなァ」

「当たりめえだろ。行くぞ」


 二人のギャングたちは、そのまま部屋を去っていく。ギャングたちが出て行ったのを確認すると、クニカはロッカーから抜け出した。心臓が口から飛び出しそうだった。


 クニカの心の中に、ひとつの確信が芽生えた。この異世界の中では小さな確信かもしれない。それでもクニカにとっては大きなモノだった。


 どうやらクニカは、祈ったことを現実にすることができるようだった。


(リンに会わなきゃ)


 駆け出そうとしたクニカだったが、踏みとどまって考える。二人で行動するのは危険だ。目立つ上、途中ではぐれてしまう可能性だってある。


 しかし、別々に行動したら? リンは“鷹”の魔法で安全に移動できる。小柄なクニカなら、物陰に隠れながら進めるだろう。


 無理してリンに会う必要はない。リンと連絡が取れさえすればいい。


 目を閉じると、クニカは、リンの姿を思い描く。自分でも驚いてしまうくらい、屋上をうろうろするリンの姿が、まぶたの裏にはっきりと思い浮かぶ。


〈リン!〉


 イメージの中にいるリンに、クニカは呼びかける。リンは、何かを探すようにして、周囲を見渡し始める。


〈聞こえる?〉


 クニカはもう一度呼びかける。リンは慌てている様子だった。リンの口がはっきりと「クニカ?」と言っている。


 呼びかけることは可能だが、リンの声はこちらに届かない仮に声が届くとしても、目立つから声は出せないだろう。


〈聞いて、リン〉


 リンは戸惑っているようだったが、それでもあさっての方角を向いたまま、しきりに(うなず)いていた。


〈ギャングたちが街の入り口に向かってる。だから、川を渡ろうと思うんだ。跳ね橋のある場所まで行ってて。わたしも後で追うから〉


 リンが腕を組んだ。クニカの提案に不満のようだ。クニカをひとりにしておくのが、リンは心配なのだろう。


〈ダイジョウブだってば!〉


 リンも折れたらしく、どこにいるのか分からないクニカに対し、再び(うなず)いてみせる。リンの背中から翼が生え、クニカのイメージの外へと飛んでゆく。


 集中していたクニカの耳に、羽ばたく音が聞こえてきた。クニカが窓の方角を向くと、リンが空を飛んでいるのが見える。


 その前方に、エツラ川が見える。橋はそのエツラ川に架かっていた。

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