13_救済の光(Свет Рельефа)
――かれは、人びとの魂を死の淵から救う者である。(『アダムの黙示録』、第25章)
「見つかったか?」
頭上からの声に、クニカは身体を強張らせる。息を殺し、クニカは様子をを見守った。
クニカとリンは、車を抜け出し、水路の影に身を潜めていた。本来ならば、水路は水をなみなみと湛えていたのだろう。しかし、今はなぜか水がなく、潰れたオートバイが、クニカたちの隣に山積みになっていた。
「いねェなぁ?」
「ンなわけねェだろ、もっとよく探せ、ウスノロ!」
「だけどよォ……」
“ウスノロ”と呼ばれた男が、声を荒げる。
「この状況じゃぁ、無理ってもんだろォ? だってよォ、前の席なんか潰れちまってるぜ?」
「うるせぇな。テメェは弾二発も無駄にしてんだぞ! 降りろ、降りて調べんだよ」
「へいへい」
クニカは戦慄する。“ウスノロ”が降りてきたら、見つかってしまう。
「じっとしてて、リン!」
リンからの返事はない。リンの顔は紙のように白くなり、唇は紫色に変わっている。わき腹からあふれる血は止まらず、リンの心の色は、どんどん褪せていく。
どうすれば良いのか、クニカには分からなかった。それでも、逃げなければ殺されてしまうのは、確かだった。ヤンヴォイの街で、あれほど生きたいと思ったのだ。こんなところで死ぬのは、クニカは嫌だった。リンの体に腕を回すと、引きずるようにして、クニカは奥の通路へと逃げ込んだ。
「おおぃ、いんのカァ?」
“ウスノロ”が、水路まで降りてくる。煙を吐いている車を、“ウスノロ”は見つめていた。
「リン、待ってて。すぐ助けるから――」
「ダメだ」
「え……?」
訊き返すクニカに、リンは首を振る。リュックをたぐり寄せると、リンは地図をクニカに手渡そうとする。
「行くんだ……」
「リンは……?!」
リンは首を振るだけだった。
「できないよ……!」
「ばか……お前だけでも……行くんだよ」
血まみれのリンを前にして、クニカはその場に、膝立ちのまま立ち尽くした。リンと自分とならば、自分の方が生きられないだろう。――クニカは漠然と、そんな風に考えていた。
しかし今、リンは死にかけ、クニカは生きている。このままリンを庇っていたら、男たちに見つかって、クニカもリンも殺されてしまうだろう。だから、リンの言うことは正しい。
しかし、正しかったとして?
「言ってたじゃん、リン」
涙声になりながら、クニカは両手を、リンの傷口に当てる。血が止まってくれればいい、そんな思いからだった。腕を上げる力も無くなり、リンは地図を握りしめたまま、かすかな息を吐いている。
「『俺は死なない』って。死なないで……」
クニカは願った。
心の底から、どこにいるかも分からない、だれかに祈った。
そのときだった。目を閉じていたクニカだったが、まぶたの裏が、突如として明るくなる。
驚いて、クニカは目を開ける。クニカの両手からは、光が溢れ出していた。
光は、リンの傷痕に注がれていく。クニカの手の光に照らされ、リンの傷口が、すさまじい速度で塞がれていく。
やがて、光は収まった。クニカはそっと、リンから手を離してみる。傷は完全に塞がり、傷跡もなくなっていた。
「……クニカ?」
「リン?!」
リンが起き上がり、クニカの顔を覗き込む。
「リン、大丈夫――」
「お前、何やったんだ?」
リンの声は震えていた。
「わからない」
と言ったきり、クニカも口ごもる。正直のところ、クニカ自身も何が起きたのか分かっていなかった。それでも、何かとんでもないことをやってのけてしまったのだ、ということは分かる。
「おぉい? だれかいんのかぁ?」
“ウスノロ”の声に、二人は我に返る。
「まずいよ、リン!」
「こっちだ、逃げるぞ!」
立ち上がると、リンはクニカの手を引いて、水路の奥へと駆け出す。さっきまで死にかけていたなんて、まるで嘘のようだった。
◇◇◇
身をかがめ、クニカとリンは、用水路の太い土管を通り抜けていく。
このベスビンという街は、水路を利用して発展してきた町なのだろう。どういう事情かは定かでないが、今は水が枯れてしまっているのだ。
しかし、今の二人にとっては、それは好都合だった。おかげで、敵の目を出し抜きながら、忍び足で逃げることができている。
逃げている間じゅう、リンは自分のわき腹をさすっていた。怪我が治ったことが、不思議で仕方ないのだろう。
「なぁ、クニカ、」
とうとうリンが口を開いた。
「さっきのは何だったんだよ。もったいぶってないで、話せって」
「いや……わたしだって分かんないよ」
「分かんないわけないだろ、魔法に決まってるんだから。でも……あんなの初めてだ」
「そうだよね、やっぱり」
自分がとんでもないことをしたということを、クニカも実感する。いかにこの世界が空想譚めいているとしても、瀕死の人間を救うのは、度がすぎる所業なのだ。
「おい、だれだ!」
そのとき、前方から男の声がした。すくみあがっているクニカに対し、リンの動きは早い。ナイフを構えると、リンは前方を注視した。
前方から、光が漏れてくる。曲がり角の奥に、出入り口があるようだ。
「誰かいるのか?」
呼びかけと同時に、足音も響いてくる。男は近づいてくるようだった。ナイフを握りしめたまま、リンはじっとしている。足音から、男がどの辺りにいるのか判断しているのだろう。
一方、クニカは男が去ってくれることを望んでいた。耳を使わなくとも、男の心の色から、クニカは男の位置が何となく分かる。赤い色が、男の心を点滅していた。
鉢合わせたら、クニカもリンもただでは済まない。クニカの額から、汗がこぼれ落ちる。
クニカは目をつぶった。迫ってくる男が、自分の胸の鼓動に気付かないのが不思議なくらいに、クニカには感じられた。
「どうした、レニ?」
その矢先、別の男の声が響いてきた。ナイフを投げ込めるほどの近くで、「レニ」と呼ばれた男の足音が止まる。
「人の声がしたんだ」
「気のせいだろ。疲れてんじゃねぇのか? ほら、見ろよ。酒だ。一緒に飲もうや」
「やるじゃねぇか」
男が踵を返し、クニカたちから遠ざかる。
「しかしよく手に入ったな。かっぱらったのか?」
「あったりめぇだろ。盗賊家業万歳ってもんよ。これで食い物でもありゃあ、最高なんだけどよ」
「ねぇことはねえな。場所知ってんだ」
「ホントかよ?」
酒を持っている方の男が尋ねた。
「さては、黙ってやがるな?」
「言ったら他の奴らにも渡さなきゃならん。そんな野暮ったいマネはゴメンだな。それに、納まっているのは対岸のコンテナの中さ。お頭が取りに行くのを許すと思うか?」
「そういうことか。チッ!」
男の舌打ちが、クニカたちのいる方にまで響いてくる。
「顔思い出すだけでムカムカしてきやがる」
「まぁそう言うなよ。一杯やろうぜ……」
それ以後も男たちは会話をしていたが、全ては聞き取れなかった。声が聞こえなくなってから、クニカもリンも身じろぎをする。
「危なかった」
クニカは胸をなでおろす。まだ心臓は高鳴っていた。ナイフを構えたまま、リンは出口の方角を覗く。
「今なら行ける」
「行こう」
「分かってる」
とは言うものの、リンは動こうとしなかった。
「どうしたの?」
「不思議なんだ」
「不思議?」
「絶対に見つかると思ったんだ。でも引き返していった。まるで……こっちの願いが通じたみたいだ」
そこまで言うと、リンはクニカを見つめる。リンが言いたいことを察知し、クニカはまごつく。
「『いなくなくれ』って思ったけど、偶然だと思う」
「本当か?」
「分かんない」
「神通力なんてあんのか?」
最後のリンの言葉は、自問自答のようだった。
「あったとしても、いったい何の魔法で……」
「ねぇリン、行かないと」
リンの腕を、クニカは引っ張る。
「分かったよ。行こう」
うなずくと、リンは前へ進む。リンの背中を追いかけながらも、クニカはどことなく、すわりの悪さを覚えていた。




