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ラヴ・アンダーグラウンド(LOVE UИDERGЯOUND)  作者: 囘囘靑
第3章:ただれた街・ベスピン(Беспин)
12/50

12_襲撃(Креще́ние)

――私はこの世界へ、火(争い)をもたらすためにやってきた。見よ、私はその火が世界を焼き尽くすまで見守ることだろう。(『トマスによる福音書』、第10節)

「どれ、見せてみろ」


 リンに言われるがまま、クニカは額を向ける。クニカのあごに手を当てると、クニカの額に、リンは目を細める。


「どう?」

「治ってる。ほら」


 バックミラーを、リンはクニカへと向ける。額にできたはずの傷は癒え、跡形もなくなっていた。


「痛くないだろ?」

「うん」

「嘘みたいだな」


 ブレーキペダルを放し、リンは車を発進させる。


 ヤンヴォイを脱出してから、一週間が経った。二人は交代で運転をしていたが、旅は驚くほど快適だった。“黒い雨(ドーシチ)”に濡れる心配もなければ、障害物に煩わされることもない。必要な物資は、道路の脇に点在する家屋や、路上に放置されている他の車から頂戴すれば足りた。


 唯一の難点は、景色の退屈さだった。


「次の街は、ベスピン、だな」

「ベスピン?」

「そうだ」


 クニカの膝にまで、リンは地図を広げる。


「ヤンヴォイを出ただろ? で、ここに流れてるのが、オミ川だ。川にぶつかったら、そのまま川沿いに南西へ進めばいい。これが国道六十六号。カンタンだろ?」


 こうして二人は、その「国道六十六号」を通ってベスピンまで向かっていたのだが、いかんせん殺風景だった。


 もちろん、クニカは初めからそのように感じたわけではない。初めてオミ川を見たとき、クニカは腰を抜かしそうになった。


「で、でかい……」


 果たしてこれを「川」と呼んでしまっていいのだろうか、とクニカは思った。その日はたまたま霧がかかっていたこともあったが、「海」と呼んでも差し支えがないほど、オミ川の川幅は広かった。ところどころに渡し舟の港があり――ガソリンを調達するには絶好の場所だった――、ところどころに中州と、橋とがあった。


 とはいえ、それだけのことだった。初めは川の雄大さに釘付けになっていたクニカも、しばらく見ているうちに飽きてしまった。


 何より、景色がほとんど変わらないせいで、いつまでも同じ場所にとどまっているような錯覚を受ける。“救済の地”・ウルトラまで、生きてたどり着くこと。それを目標としたクニカにとって、変化のない景色は身体に堪えた。


 そして、あちこちに人為が凝らされているというのに、人影がないのは異様な光景だった。


「ヤダね」


 道端に点在する、人気のない家屋が、クニカたちの脇を過ぎ去っていく。


「何でだよ?」

「人がいなくて……」

「あぁ……かもな」


 窓を開け、リンは風を入れる。冷たい空気が、車内を満たしていく。まもなく、雨になるだろう。


「気にするな。ウルトラに着いたら、全部忘れる。それまでは、何も考えるな」

「うん」



◇◇◇



 そして、雨になる。


 雨の黒さを前にして、全ての光は遮られてしまう。ヘッドライトも無駄だった。だから二人は、雨のときには車を止め、じっとして過ごすことにしていた。


 この頃には、二人ともサバイバル生活に慣れてきていた。寒さをしのぐためには、新聞紙を使えばいい。だから後部座席の窓は、新聞紙で覆われていた。こうすれば、日中は涼しく、夜間や雨のときは暖かい。


「ディディモ、ってのは“双子”って意味だ」


 車を止めているとき、リンは決まって話をした。この世界について、ほとんど知識のないクニカにとって、リンの話は貴重だった。


 ちなみに今は、この世界の宗教についてである。


「双子?」

「そう。セツ様と双子、ってことだ」

「えぇ?」

「えぇ、ってなんだよ。変な顔すんなよな。オレだってよく分かんないんだからさ」


 この世界のキリスト教は、トンデモ話であふれ返っている。


「初めに、セツ様がこの世界に降り立った。セツ様は、(プネウマ)に派遣されてやってきたんだよ」

「何で来たかって? そんなの、人間を救うために決まってるさ」

「なぁ、クニカ。オレたち人間にも、(プネウマ)は少しだけ宿っているらしいんだ」

「例えるならば、お父さんと、お母さんと、子供みたいなもんかな?」

「あるときお母さんが、ちょっとふらふらとしているときに、支配者(アルコンテス)に出会うんだ。それで生まれた子供ってのが、人間たちなのさ」

「――『何でお母さんがふらふらしてたのか』だって? ばか。クニカ、そんなことはいいんだよ」

「で、そのアルコンテスの親分がデーミウールゴースや、ヤルダヴァオート、サクラス、って言うんだけど……」

「もともとお母さん、えっと、(ソフィア)は、(プネウマ)の奥さんだったわけじゃないか?」

「だから人間にも、ちょっとだけ(プネウマ)っぽさが宿っているんだよ」

「――『人間は直接的には(プネウマ)の子供じゃないじゃん』だって? ばか。いいんだよ、そんなことは。そこらへんは、ほら、ふわっとさせとけよ」

「でも人間は、自分たちの中にある(プネウマ)に気づいていないわけだろ?」

「それを気づかせるために派遣されてきたのが、セツ様なんだよ」

「それでセツ様は地上に降り立ったわけだけど、当然支配者(アルコンテス)たちは、セツ様に来られたら迷惑なんだよな」

「で、セツ様の(プネウマ)を消費させるために、四体の淫魔をやって、セツ様を誘惑させたんだ」

「だけど、セツ様の方が上手だった。淫魔たちはセツ様の霊験に感化されて、自分の中の霊性について覚知(グノーシス)したんだ」

覚知(グノーシス)した途端、彼女たちは不滅の王国(バルヴェーロー)へと帰昇して天女になったわけだ」

「その四人ってのが、古い言葉でハルモゼール、オーロイアエール、ダヴェイタイ、エレーレートっていうらしい」

「今の言葉では、天女ザラミダ、天女サピイェテ、天女アプサラ、天女アスイ、っていうんだ」

「『昔の言葉と全然違うじゃん』だって? ばか。いいんだよそんなこと。いちいち気にするな」

「クニカ。お前は本当に細かいヤツだな」

「で、その四人の天女たちは、セツ様と仲むつまじくてな、たくさん子どもが生まれたんだ」

「天女ザラミダとその子供たちは、北の大陸に移動したんだ。今はサリシュ・キントゥスっていう名前の国になっている。偉い皇帝(コスモクラトゥーラ)が治めているんだってさ」

「――おい、クニカ、今お前『なんで移動したの』って訊こうとしただろ? ダメだ。そんなこと訊いちゃ。神様たちにも、いろいろ都合があるんだから」

「で、天女サピイェテとその子供たちは、東へ移動して町を作った。それがシャンタイアクティ。南の大陸では、一番大きな街だな」

「『シャンタイアクティの人とチカラアリの人とは仲が悪いのか』だって? 悪いよ。ていうか、シャンタイアクティの人となんて、頼まれたって仲良くしてやりたいとは思わないね。断りもせずに平気でからあげにレモンかけて、レモンごと食べちゃうようなヤツらばっかりだぞ」

「何でこんな話してるんだ? まあいいや」

「そんでだ。天女アプサラは子供たちを引き連れて西へ向かい、ウルトラを建設したんだ。オレたちが目指しているところだな」

「チカラアリを作ったのは、天女アスイ様と、その子供たちだ。だからオレたちは、遠い昔には、セツ様と繫がりがあったんだ」

「――え? ビスマー(びと)? ビスマーの辺りは、もともと人が住んでいなかったんだよ。初めはシャンタイアクティの土地だったんだけど、次第に入植する人が多くなってきてから、ビスマーとして独立したんだ。だからビスマーってのは、シャンタイアクティの子分みたいなもんだな」

「『ビスマー(びと)に似てる』? クニカが? うーん。オレはビスマー(びと)に会ったことがないから分かんないけど、言われてみると、そんな気もするな。ビスマーの人って、おっとりしてるらしいから。でも、どうだろうな? どうしてそんなこと訊くんだ?」

「タミンが……そうか……」

「――まあ、いいさ。話を戻そう。さっきの続きだけど……」

「セツ様は、不滅の王国(バルヴェーロー)からやってきて――」

「ちなみに不滅の王国(バルヴェーロー)ってのはアイオーンとも呼ばれていて――」

「で、アイオーンは十二個あって――」

「それが協力し合って七十二の力が――」

「それがそれぞれ霊力を五個もってるから――」

「三百六十になって――」

「それが……飛んでいって――」

「それで……あっちに行ったり――」

「それが……こっちに行ったり――」



◇◇◇



「――って、こら!」

「ひぎいっ?!」

「『ひぎいっ?!』じゃないだろ、ばか。なに寝てるんだよ!」

「だって……」


 だって、眠くなってきたのである。途中まではわくわくしていたクニカも、淫魔が登場する辺りから、話についていけなくなった。クニカの頭の中では、スパゲッティが空を飛びかっている。


「もういい。話す気が失せた」

「ゴメンってば、リン。そうだ、魔法の話をしてくれない?」

「魔法? オレのか?」

「オレのは、“(ソーカル)”の魔法ってヤツだよ」

「へぇ。かっこいい」

「そうか? じゃあ、ちょっとだけ見せてやるよ」


 シャツの襟を引っ張ると、リンは肩を露出させる。


 クニカの見ている前で、肩の色が変わる。――いや、「肩から何かが生えてきた」と言ったほうが正しい。それはクニカの目の前で、とうとう一対の翼になる。


「すごい」

「なんだよ、今さら」


 リンの翼が動き、クニカに風を送る。窓に貼りつけてある新聞紙が、一斉に音を立てた。


「『今さら』っていうけど、ちゃんと説明してもらってないし」

「そうだっけ? あっ、触るな!」


 リンが翼を折りたたむ。翼は、すぐに見えなくなってしまった。


「でも、長くはもたないかな」

「そうなの?」

「個人差があるからな、魔力は」

「わたしも――」


 「人の心が、ちょっとだけ見えるんだよね?」と言いかけて、クニカはやめる。そんなことを言おうものなら、リンからいろいろとしぼられかねない。


「“わたしも”?」

「なんか使えるのかなァ、って」

「どうだろうな。まぁ、使えりゃいいってもんじゃないけど」

「使えたほうが格好良くない?」

「そんなこともないさ。親戚に“(コーシカ)”の魔法使い、ってのがいたよ。俺の従姉妹に当たるやつだけど、一日中ごろごろしてたな」

「それ、魔法じゃなくたって――」

「と、思うだろ? でも魔法なんだ。ソイツ、二階から転げ落ちたときに、両手両脚で着地したんだよ。あれは猫のなせるわざだな。つやっぽかったし。風呂好きだったけど。今どうしているんだろ、アイツ――」


 何かを思い出したのか、リンは肩を震わせて笑っている。


「どうしたの?」

「笑っちゃうのがさ、そいつ双子の妹なんだけど、姉ってのが“(サバーカ)”の魔法使いなんだよ。猫に犬って! よくできてるよな。喧嘩ばっかりしてたけど、仲がいいんだ」

「そうなんだ」

「楽しかったなァ。小さい頃はよく遊んでたんだけど、向こうが引っ越しちまって。ウルトラに越したはずなんだ。あの頃に戻れればなァ」

「……戻れるといいね」

「違うよ。戻るんだ、必ず。料理屋やってるって話だから、一緒に食べよう。お前も一緒にだ、クニカ。二人ともいいやつだから、絶対お前のこと歓迎してくれる」

「うん」

「さ、もう寝よう。明日も行けるとこまで行くぞ」



◇◇◇



 次の日も、二人は朝早くから車で出発した。初めこそ、おっかなびっくり運転していた二人だったが、今ではすっかり、片手運転だった。


「リン、見て」

「どうした?」

「あれ……検問所かな?」


 クニカが指差す先に、数台の車両があった。そのどれもが、くすんだ色をしている。白と赤のフェンスが、道路を横切っていた。


「待ってろ」


 検問所を見てから、リンは地図を確かめる。“鷹”の魔法は、かぎ爪や翼を生み出すだけではない。「遠目が効く」という特殊能力もあった。


「大丈夫だ。そのまま突っ切っちゃえ」

「でも、人がいたら……」

「いやしないさ。いたとしても、もう死んでる」

「うん……」

「ここを抜けたら、ベスピンはすぐだ。検問所を抜けたら、運転を交代しよう」


 リンの言うとおり、検問所に人の姿はなかった。戦闘でもあったのだろう。柵は焼け焦げており、車もぺしゃんこになっていた。火は消えているはずなのに、焦げ臭さが周囲に充満していた。


「何かあったのかな?」

「だろうな。気をつけよう。ここからウルトラだから」

「そうなの?」

「ばか。オレの話を聞いてなかったな。ウルトラっていう土地にある『ウルトラ市』に向かってんだから。見ろよ、あれがウルトラの紋章だ」


 リンは外を示す。クニカの視野に、青色の紋章が飛び込んできた。


「あれが……」

「そう。さ、交代しよう」



◇◇◇



 進むうちに、景色が変わり始める。オミ川と、赤茶けた大地と、熱帯雨林の風景が、こぎれいな町並みへと変貌していった。ベスピン市街へと突入しているのだ。


「なぁ、クニカ」

「どうしたの?」

「変な音がしないか?」

「“変な音”?」


 リンに言われて初めて、クニカも音に気付く。ラジオのスピーカーが、蚊の鳴くような音を流しているのだ。


「ラジオだよ。待ってて」


 クニカはダイヤルを回した。ノイズに混じって、女性の声が響き始めた。


《ウル……局より、……アリ地域の……んの……せです》

「リン、止めて」

「分かった」


 リンはブレーキを踏む。その間に、クニカはダイヤルを調節した。


《ウルトラ市広報局より、チカラアリ地域からの避難民の方々にお知らせです》

「ウルトラだって!」

「静かに!」


 リンに促され、クニカも耳を澄ませる。


《このたび、突如として北部へ降り注いだ“黒い雨(ドーシチ)”は、コイクォイたちの二次被害とあいまって、壊滅的な被害を各地にもたらしています。

 われらがウルトラ市も、この災厄により困難をきたしておりますが、わけても深刻なのが、最大の被害を蒙ったチカラアリ地域です。

 われらがウルトラ巫皇(ジリッツァ)は、隣接するチカラアリ地域の(かん)(なん)に、深い慈悲のお心をお示しになられております》


 車体が揺れ、リンが身体を折り曲げる。だが、放送に夢中になっていたために、クニカはそのことに気付かない。


《巫皇(だい)()のご聖断により、ウルトラ市は、チカラアリ地域の難民を保護することとなりました。保護を求める避難民の方々におかれましては、ウルトラ当局が発行する難民申請証をご持参の上、市までお越しください》

「難民申請証……」


 クニカの背筋が寒くなる。地球にいた頃の記憶がよみがえってきた。戦争で逃げ出した難民が、正式な許可を得られないまま立ち往生している――そんなニュースだ。


 難民申請証がなければ、ウルトラに入ることはできない。


「リン――」


 どうしよう――と、クニカは訊くつもりだった。リンに触れた瞬間、生暖かい感触がクニカの手に伝わってくる。


 驚いて、クニカはリンを凝視する。リンの右の脇腹からは、おびただしい血があふれ、白いシャツは、真っ赤になっていた。リンの額には脂汗が浮き、苦しそうに、肩で息をしている。


 フロントガラスに目をやり、クニカは青ざめる。ガラスにはひびが入り、中央には小さな穴が開いていた。


 狙撃――。そんな単語が、クニカの脳裡をかすめる。


 次の瞬間、向かいの建物で、何かが光った。


 危ない――クニカが叫ぶよりも前に、力を振り絞って、リンがアクセルを踏み、ハンドルを切る。ライフルの弾丸が、クニカとリンの間をかすめる。弾丸は、ただ風を切っただけだというのに、クニカは首筋の辺りに、ひりついた痛みを感じた。


 暴れ馬のようになって、車は市街を走り回る。どこからともなく、人の集団が走ってきた。


 リンはアクセルを踏みっぱなしだった。ハンドルを切ることもままならず、車は市街の段差を飛び越え、下層の壁に激突する。


《ウルトラ市広報局より、チカラアリ地域からの避難民の方々にお知らせです》


 ラジオの放送が、べスピンの市内に響きわたった。

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