仮面の裏側
午後一の語学はたるいが、これが終わればちぇりに会えると思うと許せる。外人のちょっと変な日本語まで、優しい気持ちで聞き流せるから不思議だ。
ちぇりとはネットで出会って気が合い、デートを重ねて今回で3回目になる。はじめて会った時は、正直ちょっとがっかりだったけど、話してみれば面白い気の合う相手だった。やっぱり趣味が近くて話が通じあうっていうのは大きいな。
デートのプランもネットで知りあったシュンって奴と詰めてあるし、今回あたり、そろそろちぇりのハンドルじゃなくてリアルネームが知りたいところだ。ああ、携帯でもいいけど、そんな感じの作戦。まあ、練るだけは練ったし、後は出たとこ勝負だな。
ともかく、一年前まではパソコン? よく分かんねー、ていう超ビギナーだったけど、今じゃオレもバリバリにパソコンしてる。っていうか、ネットで彼女とか作ったし、かなりいけてる方だろ? いわゆるオタクってヤツ?
オタクで思い出した。最前列に座ってる遠藤聡実ってヤツ。あれ、本物のオタク。
どっからどー見ても真面目そうで、すっげーつまらなそうなヤツなんだけど、ネットでたまに会う。というか向こうから、「あなたA大の里山琢司でしょ?」って話しかけてきた。そんで、ネットとかスゲー詳しいの。普段すっげー大人しいのに、ネットだと饒舌なんだぜ、あいつ。
おっと、目が合った。リアルでは他人のふりする約束してっから無視しとかねーとな。
授業に集中、集中、と。
イマイチうまくいかなかったデートから帰ると、オレはすぐにチャットにログインした。
> ルーム37 たくじー さんがログインしました
シュン> お、きたきた
シュン> どうだった?
たくじー> うーん、イマイチだった
シュン> つまんなかったの?
たくじー> いや、作戦の方
シュン> ああ、そっちか……いけると思ったんだけどな
たくじー> うまくかわされた
シュン> 手ごわいなぁ
オレはシュンに今日のあらましを語って聞かせた。まあ、どう言ったところでうまくかわされた事に変わりはないんだけどな。
シュン> 残念だったな
まあ、そんな事もあるさ。まだ3回目だし、焦らずにやるさ。
そんなわけで、めげないオレはシュンと次のデートプランを練ることにした。過去は振り向かない主義なのさ。
それは数日後の事だった。オレが一人にしていたら、突然、聡実が話しかけてきたのだ。
> ルーム17 聡みぃ さんがログインしました
聡みぃ> よっす 最近どう?
たくじー> んーバリバリっすよ
聡みぃ> バリバリっすか いいですね
お? 何かいつもよりノリが悪いぞ?
たくじー> どうした? いつもより元気ねーじゃん
聡みぃ> 友達がちょっとトラブってさ
聡みぃ> マルチハンドラーって知ってる?
マルチハンドラー? はじめて聞くな。オレは素直に知らないと言ったら、それが何者であるか教えてくれた。マルチハンドラーというのは複数のハンドルネームを操る人物の事で、それだけならいくらでもいるのだけど、特に複数のハンドルを駆使して他人の個人情報を多面的に集める、ストーカーのような連中を言うらしい。
聡みぃ> たくじーも気をつけなよ
聡みぃ> 女でもいるらしいから
フーン、そんなのも居るんだな。まぁ、変なヤツはどこにでも居るからな。オレなんか、オープンな性格してっから、知られちゃ困る事なんか何もねーけどな。
って、事は聡実の友人がそれに絡まれて、ってパターンか。
聡みぃ> うーん、あたしはちょっと制裁を
おおっ怖っ。これだから真性のプロフェッショナルは。オレなんか足元にも及ばないね。
オレは素直に聡実の警告に感謝しておく事にした。あんま、関係ねーけどな。
ちぇりとの4回目のデートは散々だった。
> ルーム15 たくじー さんがログインしました
シュン> おう どうだった?
たくじー> 最悪
シュン> それは……どこらへんが
たくじー> つーかあいつ堅すぎ
たくじー> そーゆー柄じゃねーのによ
オレはシュンに不満をぶちまける。だいたい、顔だってスタイルだってそこまでいいわけじゃねえのに、自意識過剰なんじゃねーかっつーぐらい堅い。どっちかって言うと不細工な方に片足突っ込んでるくらいなのにさ。心の中だけ清純系ですか?
シュン> 言うねぇ、たくじー
シュン> 本気
たくじー> あー、前からそう思ってたんだ
たくじー> 付き合ってやってんのにさ
> ルーム15 ちぇり さんがログインしました
ちぇり> ふーん、そんな風に思ってたんだ
突然ログインしてきたちぇりにオレは狼狽した。落ち着け、ログインしていない部屋の会話は見れないはずだ。
シュン> たくじ、全然気がつかなかったけど
シュン> あたしもちぇりなんだよ
答えはシュンの方から来た。これまでシュンとしていた会話を思い出し、背筋が凍る。
ちぇり> だから、おしまいだね
ちぇり> 別れよ
ちぇり> あ、あとそれから
ちぇり> 今後あたしの事話したり、陰口たたいたりしたら
ちぇり> あたしが持ってるたくじーの情報、ぜんぶ晒すから
……どういう事だ?
ちぇり> 具体的には、シュンと相談したデートプランと、実際の行動の対比レポとかね
それが公開された事を想像し、恥ずかしさのあまり赤くなる。
白状すると、常にエロ分岐あったし……あぁ。
ちぇり> 言っとくけど、あたし、ちぇりとシュンだけじゃないから
ちぇり> ……じゃあね、たくじ
そうしてちぇりとシュンはオレの前から姿を消した。リアルはもちろん、ネットからも。
それはともかく、ちぇりとシュンだけじゃないってどういう事だ? ……聡実が言っていたマルチハンドラーって単語が脳裏をよぎる。オレは、はめられたのか?
その日からオレの疑心暗鬼なネット生活が始まった。
メグはちぇりの友人だって言っていたから、たぶん黒だろう。本人でないにしても危なすぎる。
トシはプロレス好きの大学生らしいが、挙げるのはメジャーな選手ばかりというのは怪しいといえば怪しい。
アキオmk2は社会人だって言ってたっけ? こいつと知りあったのはいつだっけかな……。
リアルで知らないヤツはどいつもこいつも怪しく思えてくる。
オレは表面上、これまでと変わらないふりをしながら、慎重に言葉を選んでチャットするようにした。いつどこでちぇりに見られるか分からない、というよりも、いつもちぇりに見られている気がしていた。
最初に「最近、彼女とどう?」って聞かれた時には心臓が止まるかと思った。「別れた」はセーフなのか? それとも「つきあってる」じゃなきゃダメなのか? 悩んだ末「いろいろあってさ」と答えたところ何にもなかった。
くそっ、オレは被害者だってんのに、何だってこんな思いをしなきゃなんないんだ。
とはいえ誰かにぼやくわけにもいかない。オレはそんな数日を過ごした。
> ルーム13 聡みぃ さんがログインしました
そんなオレに愚痴るチャンスがやってきた。マルチハンドラーの事を教えてくれた聡実なら大丈夫だろう。リアルで知りあい、というか同じクラスだし。
たくじー> 聡実ぃ、オレもやられたぜ
聡みぃ> 何にぃ?
たくじー> 例のマルチハンドラーってヤツ
オレはちぇりとの一件を書き込んだ。
たくじー> ったくよー、あーゆー性悪女、法律で罰せられねーのかな?
聡みぃ> 無理じゃない?
たくじー> っくそ、今思い出しても腹が立つ あのブス!
聡みぃ> まったく、しょうがないなぁ、たっくんは
たくじー> そういうなよ、ぜってー見抜けねーって、あんなの
聡みぃ> うんん、そっちじゃなくて
聡みぃ> あたし言ったよね?
え? それは……
聡みぃ> あたしの陰口たたいたりしたら、ぜんぶ晒すって
風海南都先生の作品『2次元彼女(裏口)』への感想でうっかりした事を書いたところ、「書いてみたら?」と返されてしまい、書きました。いつもより、さらに短くなっています。