企み
昼食後は、調査の報告会だった。
居間には一上家の三人、坂井、父の故郷からやってきた男性の二人。そして、妖怪のミワ。計七人がこの場にいた。
里から調査に来た二人は、両人とも成人男性で康一よりずっと年上だ。一人は父と変わらない年の頃で、明るく気さくな性格。康一たちに会った途端に話しかけてきた程である。もう一人の方は連れより少し若いものの、ずっと黙ったままで近づき難いタイプだった。
報告会が始まり、この周辺には雑魚を含めて身元不明の妖怪の気配は無いと、調査員に断言された。もう突然襲われることはないと分かり、康一はやっと不安が無くなる。
明るい男性は父と同級生らしく、仕事が終わった後、父と昔話で花を咲かせていた。父が友人を家に連れて来るのは滅多に無く、その珍しい様子を康一はその場にいて黙って眺めていた。そんな時、ふと視線を感じたので振り向くと、すぐ傍にミワの姿があった。
康一の左横に彼女は離れて座っていたのに、徐々に自分に近づいていたのだ。
ミワと目が合うと、彼女はにっこりと満面の笑みを浮かべる。美人の微笑みにつられて笑みを返せば、また二人の距離が縮まっていた。
気付けばミワは康一の真横にいてピタリと密接している。康一が動揺して相手の顔を見れば、満面の笑みを浮かべる彼女。そして、ゆっくりと康一の腕へ伸びてくる手。康一があたふたしている間に勝手に絡まっていた。
康一の腕にミワの身体が触れて、その柔らかな感触に心臓が飛び跳ねる。
「ミ、ミワ!?」
ミワの大胆な行動に康一はたじろぐ。そんな康一にお構いなしに、ミワはにこにこ微笑んで密着させたままだ。
「ご、ごめん。離れてくれないかな……」
康一が遠慮がちに伝えると、「なんでだ?」と鈴のように透き通った声で、ミワに不思議そうに返される。康一は彼女の姿だけでなく、声も聞こえるようになっていた。初めて聞いた時は驚いたものだ。父の説明通り、彼女の治療によって、元の能力が戻りつつあるのだろう。
「なんでって、言われても……」
康一がミワの対応に困っていると、旧友と話していた父が康一たちの方を向く。
「ミワ」
食卓の向こう側から飛んできた鋭い父の声。その眼光は厳しく、珍しく眉間に皺が寄っている。それを見たミワは、慌てて康一の腕を離した。
「相手が嫌がっているのに、無理強いはいけませんよ」
口調は丁寧だが、低い声で脅すようにミワへ話す。こんなに機嫌の悪い父を康一が見るのは初めてである。助けられたとはいえ、父の威圧感に康一まで恐縮してしまう。隣にいるミワも同じように気まずそうな表情を浮かべていて、落ち込んでいるようである。
そして気付けば、みんな無言となっていて、場の空気が凍りついてしまっていた。
「ええと、ごめんね。その、まだ妖怪に慣れてないから……」
居心地の悪さを感じて康一が思わず謝罪を口にすると、ミワの顔がすぐに笑顔に変わる。
「康一は優しいなぁ」
そう言いながらミワは、康一の手を握り締めてきた。手の甲を撫でる彼女の指の動きに緊張が走る。彼女の挙動に、康一は揺さぶられっぱなしである。
妖怪が自分に好意的なのは体質のせい。そう理解しているが、ミワの振る舞いは人間の女性と同じで、その接触に戸惑いと動揺を感じずにはいられない。
まだミワに対して警戒している康一は、彼女の企みを探るまでは、気を許すわけにはいかなかった。
午後も屋敷の片付けを行い、今日一日はその作業で終わってしまった。頑張ったお陰か、玄関前はほとんど元通りになった。庭の方はというと、康一が覗いてみると、驚く事に倒された樹は元に戻っていた。
「すごいね、あっという間に直しちゃうなんて」
康一の家の縁側には、龍二と坂井とミワがいて、座りながら休憩していた。その傍で康一が立ちながら感心していると、龍二が自慢げに口を開く。
「ミワがね、ほとんど直してくれたんだよ。木の妖怪だから、植物を操れるんだ!」
「へー、僕の体調を治すだけでなく、そういうこともできるんだ」
康一の称賛にミワは照れくさそうに笑っていた。
「彼女はね、色々と家でもよく働いているんだよ」
坂井も目を細めてミワの働きを認めていた。
「いや、でも、散らかった部屋を綺麗に片づけられたのは逆に困ったかな?」
坂井の続けた言葉に康一は首を傾げる。
「いきなり綺麗になったら、康一君に不審がられると思って。だから、最近ご飯に誘えなかったんだよ。すまなかったね、康一君」
坂井は康一を見上げながら、申し訳なさそうに眉を下げていた。
「そうだったんだ……。おじさん気にしないで」
そのことで康一は少し拗ねていたけれど、坂井の弁解を聞いたお蔭で、康一は胸の中にあったもやもやした気持ちをすっかり霧散することができた。
「そういえば、最近ミワも料理に挑戦していて、これが結構うまいんだよ!」
思い出したように龍二が言うと、ミワはますます嬉しそうに笑う。
「ようやくガスコンロというものに慣れてきたからな」
「良かったら、康一君も食べおいで」
坂井は面白そうに康一を誘ってくれた。
「うん」
妖怪のミワが作る料理がどんなものなんだろう。康一は好奇心が膨らみ、その機会が楽しみになった。
こうしてミワと触れ合ってみれば、彼女はとても友好的な妖怪である。そのため、康一はもっと彼女のことを知りたいと感じるようになった。
「そういえばさ、ミワって普段はどういう生活をしているの?」
「えー? ひなたぼっこばかりだよ? 彼女って植物の妖怪だからさ、肥料と大量の水さえあれば生きていけるんだ」
康一の質問に答えてくれたのは、龍二だ。
「え、じゃあ、人間を食べたりはしないの?」
康一が恐る恐る尋ねると、龍二は笑いながら「ない、ない」と手を振って断言していた。
それを聞いてやっと康一は自分の誤解に気付いた。どうやら、以前聞いた「味わいたい」という台詞はミワではなかったらしい。
康一は自分の勘違いを申し訳なく思った。
客たちは用が済んだ後すぐに帰り、ミワは完全に暗くなる前に坂井の住む離れ屋に戻った。
いつも通りの我が家の雰囲気に康一の心が落ち着く。自身を悩ませていた問題が片付き、ようやく戻ってきた平穏な日常に感慨深いものを感じる。
もう何も苦しまなくていい――。この現状はまさに望んでいたものだった。
ところが、次の日の朝、事件は起きる。
早朝、康一は目が覚めると、布団の中にミワがいたのだ。
「ええ!?」
驚いて康一が声を上げると、さらに驚愕の事実に気付く。隣に寝転んでいる彼女の姿は裸だった。
言葉を失った康一と目が合うや否や、ミワは康一の顔に素早く手を伸ばしてきて強引に口付けをしてきた。止めさせようとしても、ミワの力に全く康一は敵わない。
「ああ、やっと二人きりになれた」
長い口付けの後に漏れたミワの台詞。今度は躊躇なく服の中に手を入れられる。逃げようにも強固な腕が康一の身体にしがみついて離れない。下着を脱がされかけた段階で、康一はやっと逃げ出した。しかし、すぐに回り込まれて捕獲される。
「助けて!」
康一がなりふり構わず助けを求めると、何事かと様子を見に来てくれた龍二が現れた。しかしながら、戸を開けて康一たちを目撃すると、「お邪魔しました!」と慌てて戸を閉めてしまう。
「ちょ、ちょっと龍二! 見捨てないでよ!」
「いや、だって、ミワに邪魔しないって約束しちゃったし!」
「そんな! ひどいよ!」
無情にも龍二の気配が遠ざかっていく。
――まさか、あの時、何しても構わないって、こういう意味だったの!?
手遅れの中、やっと龍二の台詞の意味を理解した康一である。
「さあ、邪魔者は消えたし、いざ契ろうぞ」
「ひぃ!」
そして、嬉々としてミワによって下着が脱がされていく。
その後、康一はミワに喰われた――訳ではなかった。惨事があったので仕事を休んで家にいた父が、息子の危機を察したのか、ギリギリのところで助けに来てくれたのだ。
場所は居間に移り、康一の目の前には服を着たミワと龍二の姿がある。二人は父に正座をさせられて説教されていた。今回ばかりは被害者である康一は、彼らを庇う気には到底なれない。
「全く! 早く問題を解決したいからと、妖怪と碌でもない約束をするなんて!」
父の言葉に龍二の身体は小さくなる。
「あとですね。里では、人間と暮らす妖怪にも法律の遵守は求められています。青少年保護育成条例というものがありまして、十八歳未満へ淫らな行為をすることは禁じられているんですよ!」
「いいじゃないか! 減るもんじゃないし! それに昔は康一くらいの年齢なら所帯を持っていても当然だったぞ」
不満そうにミワは父に言い返すが、それは父の機嫌を損ねるだけだった。父の表情から一切の穏やかさが無くなり、凍りつくような険しさだけが残った。
「減りますよ、倫理観が。それに愛情抜きの快楽なんて、思春期の人格形成に悪影響を与えかねません。それに、昔の常識は、今では通用しませんから」
父の言葉の一つ一つが重く二人に圧し掛かっているのか、二人は徐々に頭を下げていった。
「私は親として息子たちを守る義務があります。もし、今後こういったことを続けるなら、康一の治療が済んだら里へ強制送還しますよ」
ミワは父の言葉に反応して頭をすぐに上げ、怯えたように肩を竦ませた。
「嫌だ、康一の側にいたい。だから言い付けは守る」
ミワの生真面目な返答に父は満足したように頷いた。
「こういうのは愛情の確かめ合いですよ。康一だけでなく龍二にも今後こういった誘惑はあると思いますが、責任を取る覚悟が無いのに、簡単に手を出してはいけません。私だって、結婚後に佳子さんと深い関係になったんですから」
父の話を神妙な心持で聞き入る。少し恥ずかしい話題だが、父の真面目な性格と過去に触れたことは、とても興味深かった。
それから二人は殊勝な顔つきになり、深く反省したようだった。その表情に怒りが治まったのか、父の説教は無事に終わった。しかし、その直後に「腹減ったー」と暢気に龍二が呟くので、父の顔が渋面に変わるのを康一は目撃した。




