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仲直り

 昼食が出来たと父に呼ばれて、康一たちは作業を一旦止めて玄関に向かう。その時、背後から何かが近づく気配がした。

 康一が振り返れば、そこには猫と狐の二匹の動物がいた。黒い猫と、茶色の毛をした狐だ。この二匹は近づいてきて、康一の足に顔を摺り寄せてくる。

「お前たち、本当に人懐っこいなぁ」

 康一は二匹の友好的な態度に驚く。

 康一がその場にしゃがんで、二匹の頭を撫でると、動物たちは嬉しそうに目を瞑る。猫からはゴロゴロと喉を鳴らす音まで聞こえてきた。

「ごめんね、これからご飯だから、あんまり構ってあげられないんだ」

 この言葉を理解できたのか、二匹は切なそうな瞳を康一に向ける。

「ソウエン、タマ。片付けが終わるまでの我慢だよ」

 龍二が話し掛けると、二匹は目つきが変わって弟に対して冷たい反応をする。ツンケンとした態度は「お前なんか知らねーよ」と言わんばかりだ。

「あれ? 龍二。この二匹に何か嫌われることでもしたの?」

「違うよ。兄貴の前だから、こいつらの態度が全然違うんだよ」

「え、そうなの?」

 康一が訊き返すと、龍二は「タマ~」と猫なで声で呼びながら猫の頭に手を伸ばす。ところが、手が猫に触れる直前に、猫パンチが龍二の手に向かって飛んできた。

 龍二はタマの攻撃を予測していたのか、ひょいっと難なく避ける。

「ほら、俺だと触らせてもくれないんだよ。前に頬に怪我していたでしょ? こいつに引っかかれたせいなんだよ~」

 龍二は自分の頬を指差しながら教えてくれた。

「そ、そうなんだ……」

 康一は妖怪に好かれるという母譲りの体質を持っているらしいが、龍二はそれを引き継いでいないように見えた。

「龍二は妖怪に好かれないの?」

「え、違うよ。それは兄貴だけ」

 念のために確認してみると、龍二の口からはっきりと事実が告げられた。同じ両親から生まれても、兄弟に同じ能力が遺伝するとは限らないようだ。

 康一たちが話している間、二匹は庭の方へ走り去って行った。

「あの二匹は、五月の伯父さんのところで飼われていて、ミワの監視の為にうちに来たんだ」

「そうだったんだ」

 言われてみれば確かに、二匹が康一の前に現れたのは、伯父が遊びに来た直後だった。

 龍二が家に向かって再び歩き出したので、その背中を見て康一は焦る。「あ、あのさっ!」と思わず呼び止めると、「何?」と返事をして龍二は振り返った。

 ずっと康一は龍二に謝る機会を探っていた。そして、ちょうど今、都合の良い事に二人きり。この機会を逃しては、弟への謝罪が先延ばしになってしまう気がして自分を急きたてた。

「あのさ、昨日は酷い事を言ってごめん。ちゃんと話を聞かなかったくせに、龍二のことを逆恨みしてしまったんだ」

 謝りながら康一は頭を下げた。すると、龍二からも「俺こそ謝らないといけないんだよ」と謝罪の言葉が降ってきた。

「兄貴の今までの体調不良は、全部俺のせいなんだ」

 その言葉に驚いて康一が顔を上げると、龍二は苦渋の表情を浮かべて俯いていた。

「どういうこと?」

「兄貴が妖怪の類を視えなくなったのは、小さい頃、木から飛び降りた俺を庇って大けがをしたせいだから」

 康一は龍二の話を聞いて驚いた。

 あの時の龍二はまだ小さな幼児だったので、大怪我をした本人である康一は弟を恨んだりしてはいない。それなのに、あのことで龍二が負い目を感じていたとは考えもしなかった。

「でも、あれは龍二のせいじゃないよ。あれは事故だったんだよ」

 それでも龍二の表情は晴れない。

「……もしかして、この事で誰かに責められたりしたの?」

 康一の質問に龍二は首を横に振る。

「直接言われた訳じゃないけど、部分的に話を聞いて繋ぎ合わせたら、状況を理解したっていうか」

「でも……」

「お父さんからミワの話を聞いたよね? 俺はあれを聞いた時、やっぱりって感じだったんだ。兄貴の体調不良は、もしかしたら怪我のせいかもって、ずっと考えていたから」

 龍二の告白は康一に衝撃を与える。龍二の苦悩の深さ。そして、それを全く知らずにいた自分自身。こんな重い気持ちを長年抱え続けてきたなんて。

「ずっと、そんな風に思っていたの……?」

 その問いに龍二は頷いて口を開く。

「だから、ミワから兄貴を治せるって聞いて、もう罪悪感に悩まなくて済むと思ったんだ。兄貴のことが面倒だった訳じゃないんだよ。昨日、誤解させるような会話していて、俺こそごめん」

「龍二……」

 龍二の苦しみを知って、ようやくあの時の言葉の真意を理解できた。

 ――だから、あんなにミワを急かしていたのか。

 ストンと胸の中の閊えが落ちたようだった。家族に大事にされてきたのに、康一は多くの勘違いをしてしまっていた。不要な自責の念、不安を多く抱えてきた。

 ここまで辿り着くには、とても遠回りした気がする。けれども、間違えたからこそ、相手を深く理解できることができたのだ。自分の弱さを自覚したからこそ、家族のことを許すことができた。

「そのことは、もういいよ。龍二が僕のことを許してくれるなら」

 康一の言葉に龍二は頷いた。その表情から陰りが消えて、少しだけ明るさが戻っていた。それを見て、康一は安堵する。

「じゃあ、家の中に戻ろうか」

 玄関の戸を開ければ、美味しそうなカレーの匂いが漂ってきた。

「美味そうだなぁ」

 そう呟いた龍二の態度は既にいつも通りで、気付けば靴を脱いで家の中に真っ先に上がっていた。その気の持ち直しの早さに、康一は思わず感心する。そして、靴を脱ごうとした時だ。

「そうだ、兄貴、ありがとう」

 龍二から突然お礼を言われたのは。何の事かと、前の廊下にいた龍二を見つめると、弟は決まりが悪そうな顔をしていた。

「昨日、つい怒鳴りつけちゃったけど、ほ、本当は助けに来てくれて嬉しかった!」

 挙動不審に龍二は言い終えるや否や、そそくさと居間の中へ行ってしまう。

 きっと恐らく、照れ臭かったのだろう。そんな弟が可愛く思えて、康一の口許に笑みが浮かぶ。そして、自然と寛容な気分になっていた。

 ――水に流してあげてもいいか。昨日自分に向かって蜘蛛を蹴り飛ばされたことは!

 弟と仲直りできた康一の足取りは、とても軽やかだ。雲の中にあった答えに手が届き、康一の中で降り続いた雨はようやく止むことができた。



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