私はただの影の薄い高校生
深夜一時。
私はレインコートとゴーグル、さらに医療用の紙マスクという完全装備で街を徘徊していた。
普段はマスクまではしない、これは単純に花粉症対策だ、夜のうちには花粉は飛んでいなさそうだが、していた方がいいだろうと思って。
歩いているのは私の家から歩いて一時間半といった距離にある道路だ、途中走ったから詳しい距離は分からない。
今みたいに気温がそんなに高くなかったり、寒かったりする時はたまに走る、梅雨と夏には暑さでバテるからしないけど。
今夜は途中まで歩いて、近所の公園の桜を見て、それからは走って、そして今は歩いている。
車なんて滅多に通らない車道のど真ん中を歩く。
風はやや強く、それが心地よい。
今日は半月、真っ二つに割れた月が時折雲の向こうに隠れる。
私の少し前の方に一人の男が歩いている。
千鳥足で、どうやら酔っているようだ。
こちらには気付いてない、気付かせていない。
あの男―――運が悪いな。
よりによって私の視界に入るなんて。
恨みも何もないけど、犠牲者になってもらおう。
大丈夫、殺しはしないから。
月が雲に隠れて周囲が暗くなる。
―――犯行開始。
私は音も立てずに男との距離を一気に詰める、その過程でレインコートの袖からナイフを取り出すことも忘れない。
そしてそのナイフで男の背を斜めに切り裂いた。
その日の学校は大変な騒ぎになっていた。
朝っぱらから新聞部が号外を出し、それには昨日の出来事が詳細に書かれていた。
それによって転校生曇井と晴山が付き合うという事は瞬く間に学校中に広がった。
実は私は昨日の時点では詳しい事を知らなかった、5時間目始業のチャイムが鳴っている最中に教室に走りこんだから、その頃には話はほとんど終わっていた。
取り敢えず付き合うことになったらしいというが、クラスの連中が盛り上がってそう言う事になったというか。
もう本人達の意志はそっちのけで大盛り上がりになっていたらしい。
うちのクラスの連中はノリがいい、というか変なテンションの奴が多いらしい。
号外新聞を出したのはうちのクラスにいる新聞部次期エースである事はほぼ間違いないだろうし。
他にも押しが強いというか灰汁の強い奴が多いなとは新学期が始まった頃から思っていた。
だから本人達が付き合うことを決めたというより、周囲がこの二人は絶対に付き合うという事前提で話を押し進め、本人達は付き合うなんて一言も言っていないのに、そう言う事になったらしい。
集団って言うものは怖いなぁという感想だ。
が、私は詳しい事を知る前に放課後になると速攻で家に帰った。
煽った手前、あの二人にこれ以上関わりたくなかったので。
で、登校してみたら号外がどどーんと張り出されていた。
………正直唖然。
何だって昨日の今日で学内新聞に載ってるんだよ、凄いな新聞部、行動早すぎだろう。
騒ぎにはなるだろうなとは思っていたが、まさか朝一で号外が張り出されるとは思ってなかった。
今日私はかなり早くに登校した、始業50分前の7時40分にはもう着いていた。
それなのにもう張り出されていたのである、いったい何時から張り出されていたんだ。
かなり早いと言っても、それは部活に所属していない朝練のない私にとってで、部活で朝練している奴等はとっくに登校している時間帯だから、その頃にはそれなりの人数の生徒が新聞をすでに読んでいたはずだ。
そのせいか普段よりも練習に身が入らないで、ほとんど部活になっていなかったそうだ。
8時15分ごろには私の教室に何人かの生徒が登校してきた、このクラスの連中は大体昨日の事を知っているが、それでもかなり盛り上がっていた。
私はその時寝ていたが、それでも一度いつもよりも五月蠅いなと思って目を覚ました。
そして8時30分、ギリギリの時間に登校してきた曇井を見るなりクラスメイト共は大盛り上がりになった。
その歓声で完全に覚醒した私は何事だと思ったが状況を見てすぐに納得した。
転校初日で時の人となった曇井は結構疲れた顔をしていた。
そんな状況になるよう煽った本人は周囲が五月蠅いとはいえ普段よりも平和な日々を送ることが出来た。
今のところは目立った嫌がらせは無い。
今後、煽ったのが私だという事を知ったファンクラブの奴らとかには逆恨みされるかもしれないが、多分それは一過性のもので、そのうち落ち着くはずだと思う。
そして、うまくいけばそのまま私への嫌がらせは無くなるかもしれないと思う。
そうなるといいんだが。
まあ、そうなるためには本格的に晴山と曇井をくっつけて、あの二人が今後一切私に関わらないくらい互いに夢中になるようにしなけりゃなんないけど。
あの二人が、というか晴山が私に関わって来なけりゃ、ファンの奴等も私に嫉妬なんかしなくなるし、私は別に無駄に悪人面しなくて済むし、だから余計に嫌われなくて済むし。
恋のキューピッドなんて全然私のキャラじゃないが、魚が陸上で生活するくらい、悪魔が演劇で天使役やってるくらい不自然極まりなくておかしな状況だが、今後平和な学校生活を送るために、努力してみるか。
そんな決心をしたが、具体的に何をどうすればいいのかが全然分からない。
………周囲に任せよう。
多分私が口を突っ込んでも話が変な方向に行くだけな気がしてならない。
だから、私はあの二人には積極的に関わらない方針で行くことにした。
関わったら思い切り文句言われそうだし、そうなると面倒だし。
口も利かないようにしよう、あとなるべく奴等の視界に入らないようにしよう。
徹底的に避け続けよう。
………いや、今までもそうしてたんだけどさ、そこまで本気出してなかっただけで。
少しだけ本気を出すことにしようか、若干高校生の域を出ても構わないから。
今日の授業は一部を除く生徒全員、全然身に入ってなかった。
ちなみに一部の生徒というのは私を含んでいる、多分日野もそうだと思う。
よ―するに、周囲に無頓着でマイペースな奴等。
それ以外は皆上の空。
そんな調子で午前の授業終了。
そして私は鞄を持って音も無く教室を抜け出した。
誰も私が教室を出た事には気付いていないようだった、黒板の真ん前をまっすぐ突っ切ったにもかかわらず。
これは私の特技というかなんというか。
特技というほどのものでもないんだが。
私は気配を消す事が出来る。
誰かの目の前を通っても気付かれないレベルまで。
気付かれないというか、意識されなくなるというか。
俗にいう、影の薄い人になれる。
この特技があるからこそ、夜中徘徊しようが何をしようが、私が今まで捕まった事が無いのだと思っている。
そう言えばこの特技のせいで幼稚園の頃、兄貴とその友人数人でかくれんぼをした時に捜索願が出されかけた事があった。
当時から人付き合いは悪かったが、その時は何故かその遊びに参加していた、 確か兄貴に半ば無理矢理連れてこられたような気がする。
近所にある公園の中ではそこそこ広い公園でかくれんぼをしていた、確か兄が鬼だった気がする。
私は当たり障りのない、ちょっと探せばすぐに見つかるような場所に隠れていた。
しかし、すぐに見つかるのはなんだかつまらないと思って息を潜めて隠れていた。
そしたら全然見つからなかった。
私以外の全ての奴等が見つかってから、そいつら全員で、確か6人くらいで探していたらしいが全く見つかることが無かった。
ずっと探しても見つからず、日が暮れかけても見つからず、大人が駆り出されても見つからなかった。
この時私は周囲の声は聞こえていたもの、そんなに必死になられているとは考えていなかったし、逆にずっと声がしていたからまだかくれんぼは続いているんだなと思って出てこなかった。
それで完全に日が暮れて捜索願が出されそうになってたらしいが、流石に暗くなってきたなと考えた私が隠れていたところからひょいと顔を出した為、事はすんだ。
ものすごく簡単な場所から出てきた私を見て全員がぎょっとした顔をしたのを覚えている。
と、こんな感じに私は昔から存在感を消すのが上手かったが、それを自覚したのは実は最近だったりする。
具体的に言うと通り魔になってから。
気付かれないのだ、深夜にこんな小娘が出歩いているにもかかわらず、誰にも咎められない、とはいっても最初の方はむらがあって、酔っ払いとかに絡まれたりしたが。
自覚して気配を消すようになったのはしばらくしてからだった。
そんな風に気配を消せるんなら今までだってそうすりゃいいじゃないかと思ったりもするが、高校生である時の私が、通り魔である時の私の特技を使いすぎるのは止めておいた方がいいかと思っていたのだ。
そうしないと通り魔としての私と高校生としての私の境界がぶれる。
それはよくない状況だと思った。
もし二つの私が同一のものになってしまったら、私自身何をするか正直分からなかったのだ。
例えば、高校生として授業に出ている時に、人を斬るなんて事になってもおかしくは無いと思う。
通り魔と高校生の境界は多少曖昧なものではあるものの線引きはされていて、多少の色移りはあっても、混ざらないようにはしているから。
夜で歩く時にレインコートを着込んでゴーグルをするのも、実はその線引きの一つだったりする。
最初はただ単純に顔を隠すだけのものだったんだがな。
何かを始める時にまず形から入る人がいるが私もそれと同じようなものだ。
格好や持ち物や状況で、スイッチを切り替える。
昼学校にいて制服を着た私は高校生で、夜町を徘徊してレインコートを着込んだ私は通り魔で。
二つの間を行ったり来たり。
どちらかというと、私の本質に近いのは通り魔の方なんだろうけど。
それは置いといて。
そう言う理由で私は今まで昼のうちに気配を消しすぎないようにしていたのだが、今回は仕方ないだろう。
影の薄い人間は高校生にだって結構いるし、そう言う事にしておこう。
そう、私はただの存在感のない高校生。
気配を消して人に襲いかかる通り魔じゃなく、ただの高校生だ。
そう言う事にしておこう。
どうせ境界線は曖昧なんだから。
決定的なミスを犯さなければ、大丈夫。
というわけで、気配を消したまま廊下を歩く、途中晴山とすれ違ったが、距離が開いていたこともあって全く気付かれなかった。
階段を下り、一階まで行く。
一階の階段の横に少しスペースがある。
そのくらいスペースで立ったまま鞄から本日の昼食であるメロンパンを取り出して食べる。
食べている途中何度か人が通ったが、私に気づいた様子は無かった。
元々食べるのは早いのですぐに食べ終わって暗いスペースから出る。
やはり誰にも気づかれない、というか意識されていない。
意識されてない事なんて、いつもの事だけど。
その後、階段を上がって三階へ。
階段から向かって右に進んだ所にある図書室に向かい、そこで気配を消すのを止めた。
ふう………
図書館に入るといつもよりも人が少なかった。
私は書棚の間をウロウロとしてから適当に面白そうな本を手にとって読みだした。
私が立っているのは書棚が立ち並んでいるその奥で、ドアの方やカウンターからは死角になっている場所だった。
此処なら探しに来られても簡単には見つからないだろう。
とはいっても此処までは探しに来ないと思うが。
私が昼休みになる度に図書館に逃げ込んでいるのは単純な話で、晴山が図書館という場所が苦手であるためだった。
馬鹿だからという理由かどうかは知らないが、晴山は本というものが苦手だった、漫画であっても同じらしい。
そうゆう理由で本が大量に置いてある図書館や本屋には一切近付かない、生理的にこういう場所を受け付けられないらしい。
それに図書室は静寂であるべき場所だ、だからあまり騒ぎが起きない。
だから、嫌がらせを受ける事も此処では滅多に無い。
だから図書室はずっと前から私にとって避難場所だった。
そのため私は本を読むようになった、選ぶジャンルは毎回適当だけど。
推理小説だったり、料理に関する本だったり、写真集だったり。
毎回適当に選んでいるから、続きが気になったりした時は借りるが、基本その時に読む本はそれっきり読まない事が多い。
今日選んだのは催眠術に関する書物だった、適当に読み流す。
基本、いつもこんな感じに昼休みを過ごしている。
そして予鈴が鳴った。
本を書棚に戻し、私はゆっくりと図書館を出た。
そのまま特に急がないで階段を上がり、本鈴が鳴る寸前に教室に戻る。
教室に入ってちょうどのタイミングでチャイムが鳴る。
その頃になるとだいたいの生徒が座っている。
私の席は誰にも使われていなかった為、そのまま座って鞄から教材を取り出し授業の準備をした。
次は数学。
数学の担当教師は何時もチャイムが鳴ってから3分ほど遅れてくる。
その空き時間のうちに携帯電話をチェックした。
メール無し、不在着信無し。
今日もいつもと変わらず、誰からも連絡の無い携帯電話だ。
確認し終えた携帯をポケットに仕舞う。
そのタイミングで教師が教室に入ってきた。
やっぱりクラスメイトの連中はあんまり集中できていない、ちょっとザワザワしている。
私はいつも通り、黙って普通に授業を受けた。
それなりに集中して授業を受け、今日の授業は終了。
ホームルームも終わり、とっとと帰る。
気配を消すのは忘れずに、しかし本気過ぎずに。
ヘッドホンで音楽を聴きながらいつも通りに帰る、ただし気配は消したまま。
誰も私に話しかけては来ない、ヘッドホンで音が遮られているから、本当は声を掛けられているのかもしれないけれど、聞こえない。
それもいつも通り。
声を掛けられたとしても無視するような状況なのはいつも通り。
やってる事は違えど結果は変わらず、どうせいつもと同じ事になるのなら、気配を消しても大した違いは無い。
そう言う事にしておく。
さてと、帰ったら何をしようか?