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欠片

作者: 藤堂壽太
掲載日:2026/06/14

葬儀から一年が経っていた。


それでも真理子は、父のことを考えない日がなかった。



駅前を歩けば思い出す。


テレビを見ても思い出す。


夕飯の味付けひとつでも思い出す。


そして、そのたびに苦しくなった。



父はもういない。


どこにもいない。


それだけが事実だった。



ある休日、真理子は古本市へ出掛けた。


父が好きだった場所だ。


生前はよく連れ回された。


正直、当時は退屈だった。



会場を歩いていると、一人の男が目に留まった。


本を手に取る。


表紙を見る。


裏表紙を見る。


そしてページを開く前に、そっと紙の匂いを嗅いだ。


真理子は思わず立ち止まった。


父と同じだった。



男は視線に気付き、少し照れたように笑った。


「変な癖ですよね。」


「いえ。」


真理子は首を振った。


「父も同じことをしていました。」



男は本を閉じた。


「それは嬉しいですね。」


真理子は眉をひそめた。


「嬉しい?」


「ええ。」


男は頷いた。


「そのお父さん、本が好きだったんでしょう?」


「大好きでした。」


「なら、嬉しいです。」


真理子には意味が分からなかった。



近くの喫茶店で話をすることになった。


男は古本屋を営んでいるらしかった。


そして男の祖父もまた、本が好きな人だったという。


「祖父は二十年以上前に亡くなりました。」


男はコーヒーカップを眺めながら言った。



「でも、たまに思うんです。」


そう言って笑う。


「死んだはずなのに、まだ残ってるなって。」



真理子は黙って聞いていた。



「本を開く前に匂いを嗅ぐのもそうです。」


「雨の日に読書したくなるのも。」


「面白い本を見つけると誰かに薦めたくなるのも。」


「全部、祖父から貰ったものなんですよ。」



窓の外を見ながら男は続けた。



「人って不思議ですよね。」


「死んだら終わりのはずなのに。」


「案外、自分の欠片をあちこちに置いていく。」



欠片。


その言葉だけが妙に耳に残った。



帰宅した真理子は、自分でも理由が分からないまま観葉植物の前に立った。


父が大事にしていた鉢植えだった。



毎週日曜日になると、父は葉を一枚ずつ丁寧に拭いていた。


子供の頃は変な人だと思っていた。


真理子は雑巾を手に取った。


葉を一枚拭く。


また一枚拭く。


その手が自然に動くことに驚いた。



そういえば。


落ち込んだ時に散歩する癖も父譲りだった。



料理の味付けも。


車を停める位置も。


考え込む時に顎を触る癖も。


数え始めると、次々に出てきた。



真理子は鏡の前に立った。


無意識に顎へ手をやる。



そして、ふっと笑った。



父と同じだった。


父はもういない。


それは変わらない。


会うこともできない。


話すこともできない。


けれど。


完全にいなくなったわけではなかった。



父は、自分の欠片をたくさん置いていったのだ。



鏡の向こうで笑う自分を見ながら、


真理子は小さく呟いた。



「まだいるじゃん。」


返事はない。


それでも、少しだけ寂しくなくなった。

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