魔女と聖女の王宮事件簿
この世界に魔女なんていない。
魔法を使える人間なんて、おとぎ話の中の存在──だというのに、わたし、エリザベスは魔女と呼ばれている。
理由は……気持ち悪いから。
「ここに、舞踏会の開催を宣言する」
国王様の開会式のお言葉が終わり、会場から拍手が巻き起こった。
ここはルミナ王国。王宮の大広間にて開催された、国王様主催の舞踏会だが、その実態は王子様のパートナー探しの場。
王子様だけではなく、公爵家や伯爵家のご子息ご令嬢も同様だ。
伯爵令嬢であるわたしも、例に漏れずに参加したものの……。
「魔女と呼ばれるわたしと踊ってくれる方なんて、いませんよね……」
手袋をキュ、とはめ直す。大きなため息が出てしまう。
両親からは、絶対に良家の嫁ぎ先を見つけてこいと強く言われているが……。
魔女と呼ばれ、嫌われているわたしから声をかけるなんて……。
「迷惑、ですわよね」
自分で言って、自分で傷つく。
そんなわたしの前に、綺麗な手が差し伸べられた。
「僕と、踊っていただけますか?」
第一王子のナヴァロ様だった。
緩やかなウェーブが特徴的な金髪が、シャンデリアの光を受けて輝いている。丸い瞳は、快晴の空のようなアクアブルーを秘めている。格好いいというより、可愛らしいという形容詞が似合うお方だが、身長は決して低くない。女性の平均身長と言われたわたしの頭一個分上だ。
数多の令嬢達が嫉妬するほどの透明感を持ったナヴァロ様は、柔らかな微笑みを浮かべてわたしを見つめていた。
そうだった。舞踏会の中で、ダンスは二回行われる。一回目のダンスは、王子様が令嬢全員と踊るのだ。
「喜んで」
わたしはドレスのスカートを持ち上げて、礼をする。
ナヴァロ様の手を取ろうとした時──
「君は……魔女のエリザベスだよね」
ナヴァロ様の言葉に、身体が固まる。
まさか、王子様の耳にまでわたしの噂が届いているなんて。
「潔癖だから手袋を嵌めていると聞いたが、それは僕が汚いという意味か?」
可愛らしいお顔が不愉快そうに歪む。
……機嫌を損ねてしまった。
「いいえ。とんでもありませんわ」
わたしは笑顔を崩さないように意識しながら、手袋を外した。
……手袋を嵌めているのは、潔癖だからではないのだけれど。そういうことにしておいた方が、何かと都合がいいからだ。
ナヴァロ様はわたしが手袋を外したのを見て、満足したかのように優しい笑みに戻った。
「それじゃあ、行こうか」
ナヴァロ様の手を取る。
「……!」
わたしの脳裏に、見たことのない光景が浮かび上がった。
王宮内の大広間、つまり今、わたし達が踊っているここで、首を抑えて苦しんでいるナヴァロ様──
そこでシーンは途切れた。
「な、ナヴァロ様……大変申し上げにくいのですが……」
踊りながら、わたしは口を開く。
本当は言わないほうがいい。また気持ち悪がられるだけなんだから。
でも、もし王子様の命が危ないのだとしたら──
「? なんだい、言ってごらん」
わたしは意を決めて、目を合わせる。
「この舞踏会中、身の危険に気をつけた方がよろしいかと……」
「…………」
ナヴァロ様はわたしの言葉を聞いて、しばらく無言だったが、
「……それが魔女の魔法?」
と皮肉めいた声で言った。
「……申し訳ありません」
「お母様には花嫁候補の令嬢を探してこいと言われていたけれど、君は“ナシ”だね」
ナヴァロ様とのダンスが終わった。別の令嬢の手を取りに向かうナヴァロ様の後ろ姿を見送ってから、わたしは壁際に移動する。
……またやってしまった。
どうしてわたしは、こうも抑えられないのだろう。
良かれと思った行動は、全部わたしに悪いように返ってくる。
もうすぐ立食の時間なのか、コック達が食事の準備を始めていた。
こういう気分の時は、甘いものを食べるのに限る。手袋を嵌め直しながら、わたしはどんどん並べられていく料理に近寄って行った。
「ねぇ、あれが魔女?」
「また変なこと言ったのかしら? ダンスを途中で終わらされてしまうなんて」
「惨めね、フフ」
近くにいた令嬢達がわたしを見て、嘲笑っているのが聞こえた。
何も言い返せない。
……その通りなのだから。
わたしはクッキーを一枚取って頬張る。
美味しい。ほんのりナッツの風味がした。お菓子だけがわたしを慰めてくれる。
「あら、聖女様ではないかしら?」
「さすが、美しいわね」
目をやると、どの令嬢よりも煌びやかなドレスを身に纏った女性が入室するところだった。
あの方が……聖女様。
なんて美しいんだろう。傾国の美女とは、こういう方を指す言葉だと思い知らされる。
聖女は数年前にできた王宮内の役職。聖女は特殊な治癒能力を持っているとされ、主に医務に携わっているのだとか。
特殊な治癒能力が“アリ”なら、わたしだってこんなに忌み嫌われる必要もないだろうに。
「……わたしも、魔女なんかじゃなくて、聖女がよかったなぁ」
まぁ、人の不幸が予見できるなんて、聖女らしくはないか。
独りごちていると、聖女様と不意に目が合った。
「…………」
ずんずんとこちらに歩み寄ってくる。なんだか、アルコールの匂いがする。
まさか、立食が始まる前だというのに。もう酔っ払ってらっしゃるのかしら?
「あんた、聖女になりたいの?」
「え?」
「なりたきゃ、譲るわよ」
「え? え?」
譲る? 聖女を? どういうこと?
「マリア〜!」
ナヴァロ様が手を振りながら、聖女様を呼んでいる。
またあんな嫌そうな目を向けられるのはごめんだ。
「わ、わたしはこれで失礼しますわ」
「あ、ちょっと!」
聖女様──マリア様に引き留められながらも、わたしは大広間を後にした。
***
夜の中庭は月明かりに照らされて、とても幻想的だった。
草木の匂いが心地いい。
「さっきのはなんだったんだろう……」
聖女を譲るだとか、なんとか。そもそも聖女って譲れるものなのかしら?
譲りたいってことは、彼女は聖女を辞めたいのかもしれない。それも不思議だ。聖女はとても名誉な役職だと聞いている。地位も高く、王宮内での待遇もいい。
でも、もし……もし、本当に譲ってもらえたなら、お父様とお母様もわたしへの評価を改めてくれるかもしれない。
『人の不幸の未来が見える? 何を言っているの? 気持ち悪い!』
『お前は魔女だ! 魔女は早く嫁いでいなくなってくれ!』
『お相手を見つけられなかったら、また折檻するわよ!』
両親に吐かれた数々の暴言。定規で叩かれた腕の痛み。
わたしは早くいなくならないと家のためにならない。
それが聖女になったら?
……きっと、みんな喜んでくれるに違いない。
「わたし、聖女になろう……!」
手袋に包まれた拳を星空に突き上げる。
なんだか、力が湧いてきた。
そうと決まれば、早速聖女様にお話を伺いに行かなくちゃ。
「やめておけ」
大広間へ向かおうと踵を返したわたしの背中に、男性の声が降り注いだ。
振り返ると、第二王子のルカ様が柱に寄りかかったまま、わたしを見つめていた。
「る、ルカ様?」
ルカ様はナヴァロ様の弟君でいらっしゃるけれど、腹違いの兄弟。ナヴァロ様は透き通るような金髪だが、ルカ様は深い海のような藍色の髪だ。国王様も王妃様も金髪だから、きっとルカ様のお母様が藍色の髪を持ってるのだろう。
「どうしてこちらに? まだ立食のお時間では……」
「ああいうのは好きじゃないんだ。それより、お前は聖女に夢を見ているのか? 悪いことは言わないからやめておけ」
「ど、どうしてですの? 魔女と呼ばれる今より、よっぽどマシですわ」
「魔女?」
ぴくり、とルカ様の眉毛が歪む。
失敗した。ナヴァロ様と違って、ルカ様はわたしの噂など知らなかったんだ。余計な自己紹介をしてしまった。
「なんで魔女と呼ばれてるんだ?」
「それは……わたしが気持ち悪いからですわ」
ルカ様はわたしの頭からつま先まで視線を動かしてから、ため息をついた。
「……見た目の話じゃなさそうだな」
「…………」
「詳しく教えてくれ」
ルカ様に両肩を掴まれ、顔を覗き込まれる。
エメラルドグリーンの瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
「この世界に魔法なんてない。聖女の力も魔法のような扱いをされているが、あれは嘘なんだ。魔法があるとするなら、俺はそれが知りたい」
聖女の力が嘘……?
どういうことだろう。
その真剣な表情と言葉に、逃れられない思いになる。誤魔化したとて通用しないような、そんな気持ち。
「わたしは……触れた人の未来の不幸が見えるんです」
「不幸が、見える……?」
ナヴァロ様同様、眉をひそめるルカ様に、わたしはいたたまれない。
やっぱり……。
これまでそうやって話を聞こうとした人たちと一緒。どうせ、実際には信じられないのだ。
「……信じてもらえませんよね、こんな話。そろそろ立食のお時間が終わる頃かもしれません、わたしはこれで……」
礼をしてその場を去ろうとしたが、手首を掴まれてしまった。
「いや、信じる。俺に触って、未来を見てくれ」
「なんで……そこまで……」
わたしのほうがまだルカ様に不信感を抱いていると、強い力で引き寄せられる。
耳元にルカ様の口が寄せられ、小声で囁かれた。
「俺は命を狙われている」
「……!」
思わず体を引いて、ルカ様を見る。嘘を言ってるようも、からかってるようにも見えない。
「……失礼します」
わたしは手袋を外して、ルカ様の手を握った。
脳裏を駆ける景色──場所は王宮。ルカ様と、ルカ様と同じ色の髪を持った女性。ルカ様が女性を庇うように立っているが、その腹部からは血が流れている。
ルカ様が庇っている女性は、ルカ様のお母様……? でもこの方、どこかで……?
そこでシーンは終わった。
「……どうだ」
なんとも申し上げにくい。お母様を庇って刺されるなんて。
「ルカ様と同じ色の髪を持った女性がいました……ルカ様は、その、お腹を刺されていて……」
「……っ!」
血の気が引いたようなルカ様。
「……わたし、この女性どこかでお会いしたことがあるような気がするのです」
「会っただと!? どこで……!」
ルカ様に促されて、記憶を探ろうとした時──
「きゃあああああああ!!!」
絹を裂くような悲鳴が大広間のほうから響き渡った。
***
ルカ様と大広間に到着すると──その場にいた全員がわたしを嫌悪の目で睨みつけていた。
「あいつが……」
「魔女はやっぱり邪悪なのだわ……」
わたしは外にいて何もしていないというのに、周りから魔女への憎しみが向けられている。
一体何が……?
「エリザベス!!」
怒鳴り声がわたしの名前を呼ぶ。
ナヴァロ様が怒りの形相でわたしを指さしていた。その顔や手──衣装に覆われていない肌には赤い斑点が散らばっている。きっと、服の下も。
「ナヴァロ様!? その肌、どうなさったのですか!?」
「どうなさったのですかぁ? お前の仕業だろ、この醜い魔女め!!」
大広間に入り口近くに控えていた二人の騎士が、剣を抜いてわたしを囲い込んだ。
「お前がこのクッキーに毒を仕込んだんだろう!」
ナヴァロ様はテーブルに置かれているクッキーを示した。
そのクッキーは、わたしが退室する前に食べたものだった。
「誤解ですわ! わたしも先ほど同じものを頂きましたが何も──」
「嘘をつけ! 僕がこうなることを予言していたじゃないか! そんなことができるのは、毒を仕込んだ犯人だけだ!」
「そんな……!」
弁明しようと前に一歩出ようとしたが、騎士に制止されてしまう。
「チッ」
後ろから舌打ちが聞こえたと思ったら、ルカ様が口を開いていた。
「兄様、彼女は……」
しかし、ナヴァロ様の表情が面倒臭そうなものに変わった。
「ルカぁ? 魔女を庇うのか? これだから愛人の子供はダメなんだ。お前もまとめてお母様に報告してもいいんだぞ?」
「……っ」
ルカ様は何も言えずに俯いてしまう。
二人とも国王様の血を引いているのは違いないというのに、こんなにも上下関係ができてしまうのか。
「おい、魔女を牢へ連れて行け」
「はっ!」
ナヴァロ様の命令に騎士たちが返事をする。脅すように剣を動かされたら、わたしは従うほかない。
どうしよう。
お父様とお母様に良家のお婿さんを捕まえてこいと言われていたのに、嫁入りどころか、命がなくなってしまう。
でも……これでいいのかもしれない。
変な力を持つわたしなんて、魔女と呼ばれた人生なんて、きっと、こんなふうに散るのが相応しい。
こんなもんなんだ、わたしの人生。
……もう疲れた。
誤解を解くのも、誰かを守るために進言するのも。
やらなくていいんだ。
「……ふっ、涙も出ないなんて」
泣いて泣いて泣いてきて、枯れちゃったのかな。
「毒じゃないわよ」
すんとした声だった。
大きな声量ではないのに、大広間に響き渡る、そんな声。
声の主──聖女マリア様は、ボリボリと件のクッキーを食べていた。
「マリア何をしてるんだ!? それは毒が入っているんだ!」
「だから、毒なんて入ってないわよ」
マリア様はごくん、と咀嚼していたクッキーを飲み込んだ。
「そもそも、立食で誰が食べるかも分からないクッキーに毒を混ぜたとて、ナヴァロ様を狙い撃ちするのは無理でしょ」
「それは、彼女が魔女だから……!」
カツカツとヒールを鳴らしながら、マリア様がナヴァロ様に近づく。
「魔女? そんなもの存在しないわよ……聖女もね」
「……っ」
吐き捨てるようなマリア様に、一瞬、ナヴァロ様が気圧されたように見えた。
「でも実際にいるじゃないか! じゃあ、僕のこの症状はどう説明するんだ! 少し食べただけで済んだから、死なないでいるものの……!」
「ナヴァロ様、ナッツアレルギーでしょ」
アレルギー……?
生まれつき、特定の食べ物を口にすると体調不良になる、アレ……?
「このクッキーだけナッツが入ってる。他の食べ物には入ってなかった」
立食には様々な種類の料理が並んでいる。
これらを全部食べたの……!?
「王宮のコック達はナッツを入れないように情報共有されているはずなのに、どうしてだろうね?」
「……!」
マリア様の視線を受け、最初に動いたのはルカ様だった。
「おい、クッキーの調理を担当したコックを連れてこい!」
「はっ!」
ルカ様の指示で、わたしを囲んでいた騎士達が駆け足で退室していく。
よかった……。とりあえず、命だけは助かりそう……。
「原因がわかってるなら、とっとと僕を治せよ!」
ナヴァロ様が、今度はマリア様に吠える。
怒鳴られても、冷ややかな雰囲気は変わらない。
「アレルギー反応って言っても軽度だよ。痒みもなさそうだし、放っておけば大丈夫でしょ。ナヴァロ様だって、ピンピンしてるじゃない」
「うっ……」
「それより、この魔女の疑いをかけられたご令嬢に、言うべきことがあるでしょ」
マリア様がわたしに笑いかける。
「こいつが魔女と呼ばれているのは事実だ」
「毒を盛ったのは無実だった」
「魔女だから僕のアレルギーを予知できた」
「本当に魔法があると信じてるんですか?」
ナヴァロ様はマリア様に言い負かされ、悔しそうにわたしの目の前まで歩いてきた。
「……悪かった」
わずかに腰を曲げて、頭を下げるナヴァロ様。
まさか、王子様に謝罪される日が来るなんて……。
「ルカ様!」
わたしがナヴァロ様に返事をする直前、ドアが乱暴に開け放たれた。
「クッキーの調理を担当したコックが見つかりました! しかし……!」
先ほどルカ様の命令で退室した騎士の一人が、息を切らして戻ってきたのだ。
「しかし……?」
「毒を煽って、自死しました……!」
自死……?
「こりゃあ、命を狙われていますね、ナヴァロ様」
マリア様が他人事のように笑う。
どういうこと……?
命を狙われていると言っていたのは、ルカ様のほうではなくて……?
「王宮のコックがナヴァロ様を暗殺したとて、メリットがあるとは思えない。裏に指示をした人物がいる。その人物に辿らせないために、コックは自死をしたと考えるのが自然でしょう」
マリア様の説明に、ナヴァロ様は舌打ちをした。
「お母様に報告してくる……!」
そう言って、大広間を後にしてしまった。
毒を盛られた場に、国王様と王妃様は迂闊に足を運べなかったのだろう。自身の息子の命が危ないというのに、難儀な立場だ。
***
ルカ様がお開きを宣言すると、来賓達はそそくさと帰ってしまい、呆然とするわたしが最後に残ってしまった。
誰もいない静かな大広間で、ルカ様がやってくる。
「大丈夫か。災難だったな」
「ルカ様……」
水を入ったコップを手渡してくれる。
わたしはありがたくそれを受け取って、こくりと飲んだ。
色々あって混乱していたが、少しだけ気持ちが落ち着いてきた。
「さっきの話の続きだが……お前は俺の母に会ったことがあるのだな?」
「はい……定かではありませんが」
「それで、母を庇って俺が刺される、と……場所は分かるか?」
「王宮の、どこかでした。この広い王宮を把握しているわけではありませんので、正確な場所までは……」
「なるほど……」
ルカ様は腕を組んで考え込んでしまった。
何かお力になれたかしら……。
「お前、エリザベスと言ったか。その、相手は決まっているのか?」
「相手?」
「……嫁入り先だ」
わたしは首を横に振る。
「…………お恥ずかしながら。今回の舞踏会で探して来いと言われたのですが……これではまた、折檻を受けてしまいます」
「折檻?」
ルカ様が驚いたように、組んでいた腕を解く。信じられないものを見るような目をしていた。
「あ、いえ」
口が滑ってしまった。なんとか笑って誤魔化せただろうか。
「…………」
ルカ様はしばらく何かを思案してから、
「なぁ、俺じゃダメか?」
と、わたしを見つめてきた。
何かの打診をされているかは分かるが、何の打診をされているかが分からない。
「ダメ、と申しますと……?」
「俺と、結婚しないか」
「え……」
結婚?
ルカ様と?
それは……こちらとしては願ったり叶ったりだが、ルカ様はどうしてそう思ったのだろう?
「……母を探しているんだ」
わたしが尋ねる前に、ルカ様の方から口を開いた。
「お前の見た不幸な未来が確かなら、俺はそれを回避して、母を守りたい……協力してくれないか?」
つまり、契約結婚ということ……。
ルカ様は心からわたしを愛しているというわけではないけれど、これでようやく両親に良い報告ができそうだ。
「喜んで協力いたしますわ。わたしも、ルカ様のお母様に会ってみたいですもの」
「よかった、ありがとう」
心底ホッとしたように笑うルカ様に、思わず釣られてしまう。
「ふふ、わたしも、今日はお母様に叩かれなくてすみそうですわ」
「その件なんだが……」
柔らかな笑顔だったルカ様の表情に、一瞬にして影が入ってしまった。
「今日からエリザベスは王宮に住んでもらう。もう実家には帰らなくていい」
「え……?」
帰らなくていい……?
いつも社交の場から帰ったら、すぐに折檻部屋に入れられていたのに。
「第二王子だが、俺も王子だ。お前はこの国の姫になるんだ。不満か?」
いたずらっ子みたいな笑みに、わたしはブンブンと首を横に振る。
「準備をしてくる。少し待っていろ」
ヘアセットを崩さない程度に、頭をポンと撫でてからルカ様は行ってしまった。
その手の温もりが、いつまでも頭に残っているみたい。
「魔女ちゃん、やっほ〜。聞いちゃった、ここに住むんだって? 一緒だね」
ルカ様と入れ替わりで大広間に入ってきたのは、マリア様だった。
そうだ、確か聖女様も王宮に住み込みだったはずだ。
「エリザベスちゃん、だっけ? じゃあエリちゃんて呼ぶね」
「は、はい……」
喋りながらヒールを鳴らして近づいてくるマリア様。右手にワインボトル、左手にワイングラスを持っていた。酔っ払っているみたいだ。
「エリちゃんはさ〜、なんで魔女って呼ばれてるの?」
魔法はない、と断言していたマリア様に信じてもらえるかは分からないが、わたしは自身の能力について説明した。彼女の前で誤魔化したり嘘をついたりしようとも思えない。
「なるほどね〜、私のことも触れてみてよ」
手を差し出されて、わたしは手袋を外してその手を握る。
脳裏に浮かび上がる光景は──ルカ様の時と同じ時間、同じ場所のようだった。マリア様は、ルカ様とルカ様のお母様の横で、口から血を流して倒れている。
そのまま伝えると、マリア様は顎をつまんで考え込んでしまった。
「なるほどね……」
わたしは手持ち無沙汰になり、持っていた水を飲み切った。
「ねぇ、聖女って何か知ってる?」
唐突に尋ねられ、わたしは頭を巡らせた。
「特別な治癒能力を持っている……」
「そう言われているけどね、私はそんなもの持ってないの。ただの街医者よ」
ま、街医者……!?
聖女様って、魔法みたいな力で人々を治癒するんじゃないの……!?
「自然豊かな街で医者をしていたら、突然王宮に連れて行かれて、聖女にされたの。なんでも治す、聖女のような医者がいるってね。それからずっと王宮お抱えの、聖女という名の医者……街には私の婚約者もいたのに」
「て、手紙とかは……」
わたしの言葉に、マリア様は静かに首を振った。
「禁止されているわ。だから私は聖女を辞めて、婚約者を迎えに街へ戻りたいの。わかる?」
ずいっと、マリア様の綺麗なお顔が至近距離に迫ってきた。
「聖女になりたいって言ってたわよね?」
「い、言いました……」
「あなたを聖女にしてあげる」
ニンマリ。マリア様の口角が半月を描く。
「医療の知識を叩き込めば、エリちゃんも今日から聖女様よ。その予知能力を活かして、人を救いたいとは思わない?」
「わたしの力で……人を救う……?」
誰かに気味悪がられるだけだったこの力が、誰かのために使えるというの……?
思ってもみない提案についていけないわたしに、さらにマリア様は付け加える。
「もうひとつ、良いことを教えてあげる……私のお師匠様は、藍色の髪の女性よ」
「えっ……」
それって、ルカ様のお母様……!?
「これ以上知りたかったら、私の弟子になって、私の代わりに聖女になること。……どう? 悪くないんじゃない?」
「…………」
マリア様は空になったわたしのコップに、持ってきたワインボトルからワインを注ぐ。彼女のワイングラスにも注がれた。
ワインにわたしが映る。
ずっと魔女と呼ばれ、蔑まれてきた能力。
一度は終わったと思った人生。
それが、ルカ様に求められ、マリア様に活かし方を教えてもらうチャンスを得た。
両親から要らないと言われたわたしも、誰かの役に立てる。
「……やります。聖女、やらせてください!」
「よく言った!」
マリア様と乾杯をして、ワインを一気に飲み干す。
──これは、魔女と呼ばれたわたしが聖女になって、国を救う物語だ。
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