ふしぎもの屋
カラカラ…
閉店間際に軽い音を立てて扉があき、遠慮がちに若い女性が顔をのぞかせる。
「いらっしゃいませ」
にこやかな笑顔で店主が迎えると、
「こちらで思い出を買い取ってくれると聞いたので、それで…」
売りに来たと、少し疑わげに不安げに店主にそう告げる。
「お売りいただけるのなら、歓迎しますよ!」
店の応接間に女性を案内して座り心地のよさそうなソファーに彼女を誘い、店主はお茶を入れにキッチンに入っていく。
程なくして急須とシンプルな湯呑をお盆に乗せて戻ってきた店主は女性の前に湯呑を置き、向かい斜めの位置に腰かけた。
こんないかがわしい店は客の素性を聞かない。
名前すら聞かないのが暗黙のルールとなっている。
「お客様の、お売りいただける思い出は全部ですか?一部ですか?」
店主が尋ねると、
「楽しかった思い出の殆どを。
だけど一部だけ、私の手元に残したいのです」
女性の話を聞くと店主は何段もある書類ケースの引き出しの一つから書類を一式出してペンとともに彼女に渡す。
しばらく応接室の中には、女性が紙を走るペンの音だけが流れる。
「これで大丈夫でしょうか?」
書き終わった女性は渡した。
「楽しい思い出の殆どをこちらにと。
ああ、辛い思い出も買い取りますよ?」
確認をしているのか、時折頷くものの紙面から顔をあげずに店主は言う。
「そうなんですか?
でも、辛い記憶をわざわざ買う人はいないのではないでしょうか?」
女性が不思議そうに首をかしげて聞くと、
「いやいや、どんな思い出も需要があるんですよ」
ふふっと意味ありげに笑う店主。
「そういう物なんですね。でも、やはり私は他の人にも楽しくなって欲しいから売るのは楽しい思い出だけでいいです」
「楽しい思い出を売る人が少ないので、当店にはものすごく助かりますよ。支払いは書面にお書きになった通りに致します。後日、思い出を受け取りに当店の者を伺わせますのでよろしくお願いします」
こちら控えになります。
と、写しを丁寧に畳み封筒に入れると女性にわたす。
女性は封筒を受け取るとバッグにしまい立ち上がる。
「本日はお越しいただきまして誠にありがとうございました」
店主はそう締めくくると応接室のドアを開け、女性を店の出口まで見送る。
※※※数か月後※※※
「おや?」
事務作業をしている机の上のペン立てがガタガタ音を立てると、1本のペンが飛び出て机の上を転がった。
そのペンは瞬く間に薄っすらと白く透明な鳥になり、店主が窓を開けると音もなく飛び去って行く。
大きな病院の一室、死の影を濃くにじみ出している女性が横たわっていた。
顔はやつれて、店に来た時と容貌も変わっているが彼女だった。
本来であれば苦痛の強い病であるはずのに全く苦痛を見せないことに、医者は何度もカルテを見ては首をかしげていた。
その彼女の足元にどこからともなく飛んできた鳥がたたずむ。
誰も気づくことない、透明に近い鳥。
鳥は、彼女の顔をじっと見つめ…そして、彼女が薄く微笑んだのと同時に飛び上がりどこぞに消えて行った。
その瞬間、彼女の魂は体から離れて行った。
「おかえり」
帰ってきた鳥は、店主の差し出した試験管の様な容器の中に崩れて入る。
全て入りきる前に
『私は彼との楽しい思い出だけがあればいいの』
そんな声が微かに店主の耳に届いた気がした・・・。