まだ、ここにいる
ここは、変わらない場所。
私は、ずっとここにいる。
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最初にこの校庭に植えられたのは、もう何十年も前。
私の幹は細く、背丈も低く、どこか頼りない風だった。
けれど、その頃の子どもたちは、そんな私をよく見ていた。
「これが桜の木?」「花、咲くの?」「いつ咲くの?」
春になるたび、彼らは私の根元に集まって、
つぼみを探したり、落ち葉を拾ったりしていた。
あの頃の笑い声、まだ覚えている。
「今日ね、九九全部言えたんだよ!」
「オレ、転校したくない!」
「卒業したらアイドルになるから見ててね!」
どれも、風と一緒に聞こえてきた言葉たち。
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それから、私は少しずつ伸びていった。
幹は太く、枝も広がり、毎年の春には
たくさんの花を咲かせるようになった。
入学式の日には、ピンク色の花びらが風に舞う。
新しい制服、緊張した顔、ぎゅっと握られた手。
どの年も、同じようで、少しずつ違った。
卒業式では、こっそり泣いている子もいた。
桜の下で告白して、うまくいった子も、いかなかった子もいた。
私は、何も言えないけれど、全部見てきた。
ただ、ずっと、そこにいた。
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でも、今はもう、花が咲かない。
何年も前から、つぼみがつかなくなった。
幹にはひび割れがあり、雨の日には少し痛む。
去年、校長先生たちが私のそばで話していた。
「今年が最後の春かもしれませんね……」
「桜は命が短いって言いますし……」
その声は、小さくてもはっきり届いた。
でも、私は怖くなかった。
私の役目は、もう終わりかけてるんだろうと、知っていたから。
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今日、卒業式だった。
にぎやかな音楽、拍手、先生の声。
一瞬だけ、私の下にも人が集まった。
写真を撮って、笑って、すぐに戻っていった。
でも、夕方になって――
ひとりの女の子が、私の前に現れた。
制服の裾が風に揺れ、手には花束。
目は、赤くなっていた。
「……また来ちゃった」
彼女は、私の根元にしゃがみこんで、少し笑った。
「中学も、高校も、あんまりうまくいかなかったけど……
この木の下に来ると、なんか落ち着くんだよね」
彼女は昔、ここで転んで泣いてた子。
小さな膝に絆創膏を貼って、また走っていったあの子だ。
卒業しても、季節が変わっても、
ちゃんと、私を覚えていてくれた。
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「……いろいろあったけど、やっぱりこの学校、好きだったな」
「私が最初に『友達』って呼べた子も、この木の下だった」
彼女は、ゆっくり立ち上がって、私の幹をそっとなでた。
手は冷たかったけど、やさしいぬくもりがあった。
「また来るね。今度は、友達と」
「今度こそ、ちゃんと笑って話せるようになりたいな」
そう言って、少し泣きながら、笑った。
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そのとき、風が吹いた。
春の風。
あたたかくて、やわらかくて、少しだけ甘いにおいがした。
どこか遠くの桜が、咲いている気配がする。
私は――
枝を、ほんの少しだけ揺らす。
幹の内側で、わずかに音を立てる。
花は、もう咲かない。
でも、
私は、
まだ――ここにいる。
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