10−8 分からせられないザコ娘
「あれぇっ?」
階段を下ろうとするおかっぱ頭。
鰐噛稀兎籠。
私から見て左側、廊下が伸びる方向からはとんでもない足音とともにもる子さんの声も聞こえてきました。
「やっばぁ〜、兎籠ちゃん追い込まれちゃったかなぁ」
二階へ続く階段には私。
伸びる廊下の奥にはもる子さん。
屋上に続く階段は使われてない机などが置いてあって登れません。
ここで、今ここで勝負が決まります。
ひたひたと鰐噛稀さんはあとずさり、背後の教室のドアを後ろ手にチェックしましたがロック済み。
余裕そうな顔からドッと汗が流れ出たのが目に見えました。
「江戸鮭ちゃん!ナイス!」
到着したもる子さんも彼女の逃げ道を塞ぎます。
「ピンチぃって感じぃ」
焦る彼女に私は追い打ちをかけるべく、頭の中を巡っていた予想を吐露しました。
「鰐噛稀さん。あなたの能力、もう分かりました」
「うん?わかるも何もぉ、いったじゃぁん最初にぃ。時間を戻すってぇ」
「いえ、あなたは時間を戻していません。戻したように見せかけていただけです。記憶を消して、場所を移動させているだけ」
「...ふぅん。びっくり。よくわかったねぇ〜」
「それに、条件もわかってます」
「えぇ?ほんとぉ?」
「はい。あなたの能力は捕まると思ったときに発動するんです。窓際でも、二階でも、ドアの近くでもそうでしたから。だから私たちは捕まえません。タイムリミットまで待って戦いは終わりです」
「江戸鮭ちゃん──」
「もる子さん。いいですか。絶対に捕まえないで下さい。捕まえようとしたら私たちの負けです」
「う、うん!わかった!」
私ともる子さんは一歩も動かずに、ただ彼女降参するのを待ちました。
するとドアに寄りかかった体を持ち上げて、ユラリユラリと鰐噛稀さんが移動を始めました。
私たちのどちらかにわざと捕まりに来るのか、と思いましたがどうやらそうではないようで、壁沿いに、もる子さんと対峙するようにして廊下の突き当りを背にしました。
「あ〜ぁ、そこまでバレちゃったらしょうがないかなぁ...。あたしの負け...」
彼女のセリフに私はホッと胸を撫で下ろします。
「なんてね」
「...え?」
「惜しかったねぇ、江戸鮭ちゃん。合ってた、合ってたけどぉ、足りなかったなぁ〜」
鰐噛稀さんはもる子さんに向けて手のひらが見えるように左腕を突き出しました。
「残念だったなぁ。あと一歩って感じぃ、あたしの能力の条件はぁ、ちょっと違うかなぁ」
小指から一本ずつ指を曲げていき、最後に右を向いた親指だけが残りました。
「この能力の発動条件はぁ...、」
私は廊下を蹴りました。
もる子さんも廊下を蹴りますが、一足では届きません。
「兎籠ちゃんが追い込まれてぇ、最っっっっっっっ高に興奮することぉ♡」
踏み出した足は先程転んで痛めたせいか、言うことを聞きません。
もる子さんも同じようで、何度も転んだのでしょうかひねった足は言うことを聞かずに地に伏しました。
鰐噛稀さんは伸ばしていた親指をゆっくりと曲げると、やっと、やっと彼女の瞳がキラリと光を放ったのです。
「芥への決別《ばいちゃ☆だすと》」
「キャオラァッッ!!」
絶対的な絶望のなか、私の頭を飛び越えた誰かの飛び蹴りが鰐噛稀さんの脇腹を捉えました。
それは靭やかで、それでいて鋭くて、夕日に輝きながらも銀色を保っていました。
「おいザコ女とバカ後輩ぃ!ウチに蹴り入れといて逃げてんじゃねえよこのクサレ脳ミソがァッ!!」
「些細ちゃん!?まって!あれは誤解だから!」
「誤解もなにもねえんだよバカ後輩がぁ!今日という今日こそ絞め殺す!!」
「ひえ〜!」
もる子さんも疲れ切っていたのか、些細さんへの抵抗はせずに襟元を引っ掴まれて引きずられていきました。
「やあ江戸鮭くんや。無事間に合ってよかったよ」
「祈さん...」
私の背後から表れた彼女はまたもや私の頭を撫でました。
「すごいね。頑張ったよ。自分にできることをやりきった。でもね」
撫でる手をそっとどけると、二本指でぺしりと私のおデコを叩きました。
「自分にできないことは他人に頼れ。できないことは恥じゃない、賢い選択っていうのだよ。わかるかい」
「...は、はい」
薄緑の彼女の髪の毛が少しだけオレンジに染まって、なんだかいつもの祈さんには見えませんでした。もっと大人で、それでいて。
「よしよし。でも驚いたよ」
「な、なにがでしょうか...」
「些細、後輩がピンチだといったら喜んできてくれたんだよ。仲いいんだな君たちは」
「え、あ、そ、そうですか...。そう、そうですか」
「うん。...ただ」
「ただ...?」
引きずられていくもる子さんの声と、些細さんの罵声が木霊します。
祈さんはそれ以上は何も言いませんでした。
鰐噛稀さんはよっぽど痛かったのかぐったり寝転ぶばかりです。
多分、今日という日を私は忘れないでしょう。
祈さんは私にとって、なくてはならないことをたくさん教えてくれました。
足が速くなくっても、力がなくってもできることはある。
私にはもる子さんがいて、些細さんもいて、もちろん蛍日和さんも、持さんも、おちむしゃ部の方々だって、叙城ヶ崎先生だって。
それに祈さんもいて...。
皆に近づくために、一歩でもなりたかった自分になるために、私は今日から別の私になるんだって。
私には、私のできることを。
「ひえ〜!おにごっこはもう懲り懲りだよお!」
──────
「どうだったかしら?」
「ごめんなさぁい!失敗しちゃった!大敗、惨敗、大黒星!」
「負けたのにいさぎ良いわねアンタ...。まあいいわ。次の手を打つから」
「はーい!」
「ホント元気ね...。次も力を借りるかもしれないから、お願いね」
「うん!ばっちり!完璧、無欠、準備万端!」
「じゃあ、よろしく」
「はーい!」
「...きらら部、いえ江戸鮭さしみ...。なかなかできるようね」
11−1は本日