10−6 私にできること
10−1から読んでいただければ幸いです
私は鳩が豆鉄砲をくらったように目を丸くしました。
全くもってそんな自覚はないわけですから当然と言えば当然です。
「えと...いつでしょうか?」
「いつ、というか...そうだね、多分最低五回は」
「そ、え?ゴ、五回も!?」
祈さんは腕を組んでコクリと頷きました。
それから目頭を押さえて、ポケットから眼鏡を取り出しました。
「最初に鰐噛稀くんが時を戻したのは窓際。彼女がスタートを告げたとき。もる子くんは一度彼女を捕まえている」
「え、ええ?」
「次は二階から見下されたとき。もる子くんは二階へ飛び移ったはずだったがまた瞬時に一階に戻っていた」
「戻っていたって...」
「そして今さっき。ブチギレたもる子くんはドアを開けて鰐噛稀くんの顔をぎゅっと掴んでいた。けれど次の瞬間になったら君たちは何事もなかったかのように元の位置に戻っていて同じことが繰り返された。また扉を開けたときには鰐噛稀くんは遥か彼方。それでももる子くんは捕まえた。そう思ったもつかの間、また同じ位置に戻っていて、そこからはご覧のとおりだよ」
「...。」
私は祈さんの言っていることに覚えもなければ納得もできませんでした。
鰐噛稀さんを捕まえた記憶なんてありませんし、わざわざ逃がしてからもう一度繰り返したなんてことだってあり得ません。
ですがそれは私目線の主観的出来事であって、祈さんという第三者視点からみれば私たちは不自然な繰り返しをしていたようでした。
「君たちはすでに攻撃を食らっていたわけだね。でもわからないことがある」
「な、なんでしょうか...」
「考えてみて。こうも簡単に時間を戻せるのなら、なんでわざわざ鬼ごっこなんてことをしたのか」
「ま、まあそれは...」
「鰐噛稀の能力の詳細は分からない。あたしが鑑定したものじゃないからね。でもわざわざ回りくどいことをするってことはなにかあるんだと思わないかね?」
「なにかある...?」
「そうしないといけない、とかね」
祈さんは顎に手をあてて、私に顔を近づけました。
「『易読仮名』」
「え...?」
「些細の持ってる能力だよ。知ってるだろ?彼女の能力ってどんなのだい?」
私は最初に些細さんに出会ったときの事を思い出しました。
持さんから説明を受けたそれをなんとか引っ張り出します。
「些細さんの...えっと、言った言葉を実現するみたいな...」
「自分に付与するって感じかな。速くなれって言えば速くなる。強くなれっていえば強くなる。簡単でそこそこ強い能力だね。でも、何でもかんでも付与できるわけじゃない」
私はまたもや記憶を引っ張り出します。
もる子さんと些細さんがやり合った時、質候さんと些細さんがやり合った時、彼女は何をしていたか。
「四文字でいった言葉限定...」
「その通り。口にしたらだいたい何でも叶えられる。しかし四文字という制約がある。持の能力、花盛も似たようなもんだ。エフェクトを出してる間は両手が塞がる。いや、両腕を前に突き出せば花盛が発動する。蛍日和先輩だってそうだろう?」
「...。」
「わかるかい?あたしが何を言いたいか」
些細さんは何でも叶えられるけれども四文字という制限があって、持さんは手が塞がって...。
私は二人以外にも能力を使った方々を思い出します。
『自愛召物』でもる子さんの服を変質させ、メジャーを意のままに操った叙城ヶ崎先生。
『後刻舞』といって銃のハンドサインをした、おちむしゃ部の鷹目隼織戠さん。
シャボン玉に当たったもを希釈するバーチャル部の何故あわさん。
蛍日和さんは分かりませんが、全員の能力には何の共通点もないように思えました。
しかしながら能力という点は重要でなかったのです。
ハッとした私は告げました。
「条件、がある...?」
「正解」
そうです。
能力を使う方々には全員何かしらが課されていたのです。
条件というには微妙なものもありますが、些細さんだったら能力を発動するときに『四文字で何かを発すること』。
持さんなら『両腕を前に突き出すこと』。
叙城ヶ崎先生なら『変質させるための服の材料が近くにあること』。
鷹目隼さんは...多分、『ハンドサインで銃をつくること』
あわさんの場合は『シャボン玉を当てること』
「で、では...鰐噛稀さんは...?」
「それがわからない。彼女が捕まることが条件かとも思ったが、二階にもる子くんが上がれた時間軸では掴む直前には発動していた」
「...。」
私は祈さんの言った「時が戻ったときのこと」を思い返します。
私の記憶では、もる子さんは窓辺で鰐噛稀さんを撮り逃し、その後に転倒して逃げ切られた。
二階へのジャンプも失敗して些細さんにドロップキック。
扉越しに煽り倒した鰐噛稀さんは遥か彼方まで走っていて、もる子さんは転びながらも二階へかけていった。
ですが祈さんが言うには、窓辺で一度、鰐噛稀さんを捕まえるも何故かパッと移動していた私たちから逃げおおせた。
二階へ飛び移ったもる子さんが捕まえる直前にまたもや無かったことになり窓へドロップキック。
些細さんを犬神家送りにした後に、扉越しでキレたもる子さんに頬を掴まれるも元通り。
繰り返して扉を開けたら鰐噛稀さんは逃げていて、追いかけたもる子さんが捕まえたかと思えばまた元通り。
そして今。追いかけっこが再開されて、転んだもる子さんが階段を登って追いかけていった。
確かに『捕まえられた時』には能力が発動しています。
しかし、二階へ行った時にはもる子さんの手は届いていなかった。
そうなれば次に考えられるのは『捕まえられそうになったとき』に能力が発動しているわけで...。
...ですが確証はありません。
もしも条件が違えばまたもや元通りとなって鰐噛稀さんを捕まえることはできないでしょう。
今はほんの数秒時を戻しているだけですが、もしかすると彼女の言う通りに私ともる子さんが出会う前まで遡られてしまうことがあるかもしれません。
そう思うと私は今すぐにでももる子さんの後を追いたくなりました。
残り時間はあと僅か。
ですが、私の足は動こうとしません。
きっと私が追いかけたとしても、もる子さんの足手まといになるのではないかという不安と、何もできないまま本当にずっと前まで時間が戻ってしまったらという恐怖が纏わりついているのです。
転校初日に質候さんに絡まれたときも、第一軽音部の皆さんにあったときも、叙城ヶ崎先生に着せ替えられたときも、おちむしゃ部に行ったときも、それにこの前のあわさんのことも...。
結局私はもる子さんに頼って守ってもらってばかりでした。
自分に何ができるのか、それが私には分かりません。
でも、もる子さんと第二軽音部の皆さんと、おちむしゃ部の方も先生も、質候さんも、もちろん祈さんだって私にはとても大切な人たちで、今が決してきらら系な日常には程遠い生活だったとしても、とても大切な思い出で、友達で、忘れたくはないのです。
私はその場にへたりこみました。
「いいか江戸鮭くんや」
祈さんは優しく言って、私の頭を撫でました。
「君もあたしももる子くんのように走ったり飛んだりは出来ない。だが考えることはできる。相手が何をしたか、しようとしているか、どういう条件をクリアしたかを見逃しちゃいけないんだ。わかるね」
「...。」
「君は少しだけでも考えた。だったらそれを実践するのは当然だろう?ずっとウジウジしたまま行動に移さないやつが、きらら系を名乗れると思うかい?」
少しだけ力のこもった掌が、私の頭の上で何度か跳ねました。
「君には君の、できることを」
できること。
そうです。
私になかったのは何かを実践するという勇気でした。
それを見えないふりをして、都合がいいように楽に楽にと自分を曲げて。
もる子さんのように誰かに声をかけることも、購買で周りを伺ってばかりでメロンパンを買うことも、部活を作ることも、質候さんと言い合うことも、前の学園が合わないと転校してきたことも...。
全て何かをやってやろうという気持ちが無かったからでした。
いくら暴力的だろうが、口が悪かろうが、
風紀風紀と煩かろうが、卵焼きに何かを混入させようが、お山の大将だろうが、格好がダサかろうが、自分を貫いて行動をおこして、好きなことをやっていたみんなのほうが私の何倍も、何十倍もきらら系だったのです。
私は何になりたいのか。
どうなりたいのか。
何をしたいのか。
自分の気持ちに素直になって、できるかもしれないことを、できるに変えて。
私はゆっくりと脚に力を込めて立ち上がりました。
「祈さん。ありがとうございます。私、追います」
「うむ。そうだな。追おうか。...だがな江戸鮭くんや」
祈さんが言い終わる前に私は踵を返します。
占い部の真横にある階段を目指して、できる限りの力をだして全力で。
祈さんの声はもう、聞こえなくなっていました。
つづきはすぐ




