10−4 つかまらないうさぎ
唐突に開始の合図をして姿を消した鰐噛稀さん。
私が「あ...」という間もなく窓辺からサッと走り去っていきました。
ですがそこはもる子さん。
備え持った圧倒的機動力に物を言わせ、すぐさま窓枠を飛び越えました。
私が祈さんに一足遅れて窓引っ付いた時にはすでに鰐噛稀さんは彼女の手中に収まっているかと思われたのですが、どういうわけかすでに鰐噛稀さんは遠くまで走り去っていたのです。
決して速いとは言えない走りなのに、もる子さんは追いつけずにいたのです。
それどころか、もる子さんにして珍しく何もないところで足を取られたようでつまずく始末。
私は下品にも窓枠を乗り越えて駆け寄りました。
「もる子さん!大丈夫ですか!?」
「いたた〜、なんかつまずいちゃったよ〜...いつもはこんなことないんだけどなあ...。でも言ってる場合じゃないね!追わなきゃ!」
「そ、そうですね!」
「なあ君たちや」
祈さんも心配だったのか、窓を乗り越えてやってきました。
そして立ち上がったもる子さんと私とを交互に眺めて、なにやら訝しげな顔をしました。
彼女が何やら言いたげなのは明白でしたが、そんな思考を吹き飛ばすように、頭上からバカにしたような笑い声が木霊します。
「ぷぷぷぅ!ホントに転んじゃってるぅ、カワイそぉ〜」
校舎二階のベランダから身を乗り出すのは鰐噛稀さん。この短時間ですでにあんなところにまで行っていたようです。
「これじゃああたしの勝ちは明白ぅっていうかぁ?もう勝ち確ぅ?余裕すぎって感じぃ?このままじゃ負けちゃうよぉ?いいのふたりともぉ?負けちゃっていいのぉ?ねえ、どんな気持ち?いまどんな気持ちぃ?負け確決まっちゃってどんな気持ちか教えてよぉ〜。兎籠ちゃんわかんなぁ〜い」
「くっそ〜!鰐噛稀ちゃんめえ!」
悔しそうに唇を噛んだもる子さんは姿勢を低くすると、一一階の壁に向かって一気に駆け出します。
「ぶつかる...!」と思った直後に、もる子さんは体を捻るとそのまま窓を蹴り飛ばしました。
反動で宙に浮いた彼女はそのまま、突き出た二階のベランダの下部を握りしめ、そこを軸にクルリと回ると鰐噛稀さんのすぐ横へと着地しました。
まるでパルクールでも見ているようで、私も祈さんも何も言えませんでした。
「ふっふ〜ん!どうだ鰐噛稀ちゃん!ばっちり追いついちゃったもんね〜!」
「へ、へぇ、中々やるじゃぁん」
鰐噛稀さんは腕組なんかして余裕ぶっていますが、下から見上げている私にすらわかるほど汗をかいていました。
「どう?降参する?」
「ぷぷ、あたしが降参?そんなことありえないから!」
踵を返してベランダを疾走する鰐噛稀さんでしたが、直線上で短距離とあらばもる子さんの敵ではありません。
あっという間に追いついたもる子さんは、鰐噛稀さんが羽織ったパーカーのフードを掴み取ろうと
カチ
───
「くっそ〜!鰐噛稀ちゃんめえ!」
悔しそうに唇を噛んだもる子さんは姿勢を低くすると、一気に一階の壁に向かって駆け出します。
「ぶつかる...!」と思った直後にもる子さんは体を捻ると、そのまま窓を蹴り飛ばしてさらなる跳躍を!
...と思われましたが、直後、カラカラと呑気な音を立てて窓が開きました。
「掃除とかだりぃなあ...」
といって顔を見せたのは銀髪口悪軽音部の些細さん。
不幸にも茶髪の女子高生と正面衝突した彼女は次の言葉を紡ぐ間もなく、着地を待ち望んだもる子さんの全力全開のドロップキックとともにすっ飛んでいきました。
無事着地も大失敗したようで、二人揃って教室内で某犬神家の一族ように大股を広げて逆さまになっていました。
「いっっっった〜!!!些細ちゃんタイミング悪すぎ!今はだめだよ!?何やってんの!?」
「もる子さん、聞こえてないと思いますけど...それに何やってんのは多分、些細さんのセリフでは...?」
駆け寄った私は頑丈すぎる栗色よりも、ピクピクと微細をやめない銀色頭を気にかけながら言いました。
「くっそ〜!絶対行けると思ったのに!」
「急ぐのは分かりますけど...流石に二階まで跳ぶのは無謀ですよ...」
「いけるって〜!絶対行けた!絶対に些細ちゃんのせいだもん!」
「あの君たちさ」
そう言って祈さんが私の隣で窓枠によりかかりました。
その顔はどこか不安そうというか不穏そうというか、眉をひそめて不満そうでした。
「祈ちゃん!大丈夫!絶対とっ捕まえるから!」
「それは良いんだけど」
「鰐噛稀ちゃんどっちに走っていった?」
「鰐噛稀くんよりこっちが気になっていたからわからないけど...もう姿はないだろうよ」
「うぐぐ〜、最初っからやりなおしじゃんよ〜!」
「やり直しというより、どこにいるかもわからなくなってますからね...」
「くっそ〜!」
もる子さんの慟哭に呼応するように、教室の外、廊下側から「ぷぷぷ」という笑い声が聞こえます。
かららと、ほんの十センチほど開けられたドアのスキマから、すでに見慣れ始めているこちらを見下すような黒い瞳が覗きました。
「ぷぷぷぅ、あぁあ愚かぁ。ぜんっぜんあたしに追いつきそうもないじゃぁん。そんなのに勝負に乗っちゃったんだぁ?まさかだけどぉ、もる子ちゃんってウワサだけぇ?」
「鰐噛稀ちゃん!そんな狭いとこにいやがって!」
「いや、狭いわけではないと思うんですけど...」
私のツッコミも虚しく、鰐噛稀さんの煽りは続きます。
「もしかしてぇ、いままで風紀委員に勝ったってのはぜぇんぶマグレもマグレぇ?たまたま運が良かっただけって感じぃっ?」
つずきはすぐ