10−3 スタートの合図
誰?と呆気にとられる私達にをよそに、もる子さんはもう一度挨拶をしました。
「こんにちは!」
「どもぉ、こんにちわぁ」
「どちら様?占い部に用があるの?」
「ちょっともる子くん、勝手に話を進めないでくれるかね?占い部に用なら私が代表。祈だよ」
我が物顔で話を進めるもる子さんを押しのけるように前へ出た祈さん。
ですが窓辺の訪問者は黒いおかっぱ頭をサラサラと動かして、ニンマリした三白眼ぎみの大きなお目々で私たちの顔を舐めるように見回すばかり。
どこか満足げというか、人を見下すような笑みでしばらくそうしてから、窓辺の彼女は鼻にかかった声で言いました。
「ん〜、御用は御用だけどぉ〜、この鰐噛稀 兎籠ちゃんが用があるのは、そっちの二人って感じぃ?」
「私と江戸鮭ちゃんに?何のよう?」
もる子さんの返答というか質問に、鰐噛稀と名乗るおかっぱさんは興味がないといったようで、まるで気ままな猫のよう。
今度は腕時計なんかを見ていますし、用があると言っておきながら、そんな彼女の態度は無礼なのではと思いました。
「ねえねえ?何の用なのかな?」
もる子さんと私に用があると言って、碌な用事があった試しはありません。
九割九分が質候さんの刺客で、あとの一分が先生からの呼び出しと言ったところですから。
私はまた面倒くさそうなことに巻き込まれるのかと、密かに肩を落としました。
ですが、この小さな来訪者は予想よりも何倍も何倍も厄介だったのです。
「お〜ん、ちょうどいい時間かもぉ」
時計はちょうど四時半を指しました。
もる子さんの何?何?口撃をひたすら無視して躱した鰐噛稀さん。
彼女は満足げな表情で、一方的に話を続けます。
「もる子ちゃん、江戸鮭ちゃん。私と勝負しよっかぁ」
「勝負?勝負ってことは刺客の人かな?よ〜しやっちゃうもんねえ!」
腕をブンブン回しながら、もる子さんはすでに準備万端といった様子。
「何で勝負する?格闘技?」
どういうわけかこの学園ではもる子さんに近接戦闘を挑む方が跡を絶ちません。
しかし鰐噛稀さんは意外な言葉をねっとりとした口調で口にしました。
「ぷぷぷ、それもいいけどぉ、あたしが提案するのはぁ〜、おにごっこ」
「おにごっこ?」
もる子さんはハテナを浮かべて首を傾げました。
それは私も一緒でしたが、子供っぽく大人をバカにしたように笑う彼女のイメージからはなんとなく納得できてしまうような気もしました。
「ル〜ルはかんたぁん、制限時間内にあたしを捕まえたら二人の勝ちぃ」
「いいよ!走るのは得意だから!制限時間はどのくらい?」
「今から三十分かなぁ。あたしが勝ったら、素直に話お縄につくことぉ」
「よ〜し、絶対負けないよ!」
「それで、もしあたしが勝ったらぁ」
伸脚を始めたもる子さんに向かって、またもや舐めてかかるような表情を浮かべて、鰐噛稀さんは言いました。
「出会わなかったことにしてあげる」
紅潮した表情と少し荒くなった呼吸を整える素振りもなく、彼女はぺろりと舌を出しました。
「うん?どういうこと?」
「ぷぷぷぅ!わかるように説明してあげるとぉ、二人が学園でぜ〜んぜん面識がない状態に戻してあげるって言ってるのぉ」
「なにそれ?だって江戸鮭ちゃんは私の友達だし、忘れることなんてないよ?」
「だぁかぁらぁ、そういう記憶も思い出も、全部全部なかったことにしてあげるぅって言ってるのぉ」
「???鰐噛稀ちゃんが何言ってるのか分かんないよ!」
もる子さんは声を荒げます。
ですがそれでも鰐噛稀さんは余裕の表情で、またもやぺろりと下唇を舐めました。
「あたしの能力なんだけどぉ、なんと時間を戻せちゃうんだぁ。スゴイでしょ?何時間戻すかも何日戻すかも自由自在って感じぃ。もしもそんな力使われちゃったらぁ、お友達だったことも忘れちゃうんじゃないかなあ?」
彼女の言葉に冷や汗が流れ出ました。
時間を戻す、なんてあまりにも荒唐無稽なセリフ。そんなまさかと疑うことしか出来ません。
ですが鰐噛稀さんの表情は、どこか自信に溢れているようにも見えて、私は半歩ほど後退りしてしまいました。
「それは困るよ!全部全部大切な思い出だもん!」
「でしょ?でしょぉ?もる子ちゃん、忘れたくないでしょ?大切な思い出ぇ?無くしたくなかったら、あたしのこと捕まえてみてねぇ?あたしの能力が効いちゃう前にぃ」
「うん!絶対捕まえる!負けない!」
もる子さんはその場で何度も足踏みをしました。
全くもってこちら側に得のない勝負ですが、降りるというわけには行きません。
約一ヶ月の色々をまるまるなかったことにされるなんて、想像がつきませんし余りにも悲しすぎますから。
ですが私も彼女の言葉に心底絶望に染まっているというわけではなくて、きっと大丈夫だろうという謎の安心感がありました。
「ぷぷぷ、じゃあスタートぉってことでぇ、ばいちゃ☆」
唐突に開始の合図をして姿を消した鰐噛稀さん。
私が「あ...」という間もなく窓辺からサッと走り去っていきました。
ですがそこはもる子さん。
備え持った圧倒的機動力に物を言わせ、すぐさま窓枠を飛び越えました。
私と祈さんが、窓引っ付いた時にはすでに鰐噛さんは彼女の手中に収まっていました。
謎の安心感の正体、それはまさにもる子さん自身なわけで、多分彼女だったらいつもの感じですぐさま問題解決に至るだろうと思っていたのです。
カチ
───
つづきはすぐ




