9−7 あわ
「笑ってんじゃねえよこの野郎がよぉ!!」
それと同時にこちらに指をさします。
いつの間にか、彼女の瞳は菱形を描いていて、ピンと伸ばした先端からぽわっと直径二センチほどのシャボン玉が姿を表したのです。
それだけでも「え?」と私は驚いて、危機的状況に表れたきれいな球体に唖然としてしまいました。
雰囲気に似合わず、ぽわぽわと浮かんだそれは一直線にもる子さんをめがけて跳ぶとミシンに当たって弾けます。
「え?」
何が起きたか、もる子さんのお膝元にあったミシンが消えるように、スッと色が薄くなったと思うと、元々無かったかのようにそこから姿を消しました。
「ぜっっっっっってえ許さん!!!!」
あわさんは立ち上がって、窓側を背後にしてまたもやこちらに指をさしました。
「配信の邪魔をするなら誰だろうと消えてもらうからな!!」
「ちょ、ちょっと待って...!」
私の制止もままならないで、あわさんは頭をかきむしりました。
「もぉおおおおおお!!!」
指先からぽわっと浮かんだシャボン玉に、あわさんは息を呑み吹きかけます。
速度がついたシャボン玉はもる子さんに一直線。
直感的に危険だと思った彼女は既のところで避けました。
積み重なった荷物にぶつかったシャボン玉が弾けると、それと一緒に霧散します。
「まって!まってあわちゃん!ごめんなさい!ほんとごめんなさい!」
「知るかボケェ!」
薙ぎ払うように振られた手からフワフワと無数のシャボン玉が湧き出ました。
手を降った勢いそのままに、ほぼ等速直線運動するそれはまたもやこちらに向かってきます。
唖然とする私の襟をもる子さんが引っ掴み、なんとか避けきりました。
「江戸鮭ちゃん。これかなりやばいよね!?ね!?」
「ヤバいですよ!もの消えてますよどうするんですか!?」
なんて言っていたところ、フワリと軌道を変えたひとつがもる子さんのカーディガンにぶつかって弾けました。
「あ」
「あ」
私は急いでもる子さんに忠告します。
「脱いで!もる子さん脱いで早く!」
「あわわわ!!」
ぽいと脱ぎ捨てられたカーディガンはゆっくりと色味を失い消えていきました。
「うわぁ...江戸鮭ちゃん、どうしよ...」
「...今までと格が違いますよ...」
「逃げる...?」
「逃げるっていっても...どうやってですか...?」
あわさんは既に場所を変えて、教室唯一の扉の前を陣取っていました。
「どうしよっか...」
ふっ
私たちの会話など許さないというように、あわさんはまたもや息を呑み吹きかけます。
すぅっと飛ぶシャボン玉の狙う先はもちろん私たち。
もる子さんに引っ張られながら距離を取ったのは良いものの、まるで導かれるようにシャボン玉の軌道もこちらに逸れてきます。
躱すアテはないと思ったもる子さんは、釣られたカーテンを掴み取り、私もろとも包みます。
ですがそれも一時しのぎ。
色味を失ったカーテンは私たちとあわさんの視線を遮ることはなくなりました。
あわさんはドアの前から動きません。
教室半個分の距離があっては、流石のもる子さんも迂闊に手が出せないようです。
その上触れたものを消すシャボン玉があっては尚更です。
そうはいっても距離を詰めないにはどうにもならない訳でして、
「むむむ...これは一発で決めるしかないね...!」
「でも...」
「大丈夫!シャボン玉に当たらなければ良いんだもん!」
もる子さんはクラウチングスタートをするように、足に力をためます。
あわさんの罵声と同時にシャボン玉がひとつ宙に浮かびました。
もる子さんがスタートを切ったのはそれと同時。
直線コースを避けて迂回するようにあわさんの真横に回り込みました。
そして毎朝行われている一撃に忖度ない威力の拳を叩き込む...と思ったのもつかの間、右腕を軽く振ったあわさんの指先からは、いくつかのシャボン玉が生成されていた訳でして。
「あ」
ぱちん、と音を立てると同時に、もる子さんはセーラー服を脱ぎ捨てました。
そして半透明になりつつあるそれを、目隠しになるようにあわさんの顔面へと投げつけて一閃、セーラー服越しに鋭い下段突きがお腹のあたりに刺さりました。
しかしながらあわさんは微動だにしません。
宙を舞っていたセーラー服が脆くも消え去ると、もる子さんの手の先が顕になります。
ですが、その拳はあわさんの左手に受け止められていたのでした。
もる子さんもそれには想定外と思ったのか、後退りして距離をおきます。
あわさんの左手からはフワフワとまたひとつシャボン玉が浮かび上がりましたが、それは誰かを狙うわけでもなく少しばかり浮遊すると、ぱちんと消えてしまいました。
「そのレベルで勝てると思ってんの?あわに」
つづきはすぐ