5−1 茶、桃、銀、金。それと
「江戸鮭さしみ!今日こそはお縄についてもらう!例え天が許そうとも、風紀委員会副委員長の質候がゆるさばぁっ!」
「七並べちゃん。今日三回目だよ〜」
さて。
もる子さんの言う通り、本日三度目の質候さんの襲撃を躱した私たちは現在、放課後を迎えたところです。
既に耳になじみつつある「覚えておけ!」をバックにもる子さんはひとつ伸びをしました。
「ふぁあ。やっと放課後だね〜」
「やっとって...もる子さん今日も寝てばっかりだったじゃないですか...」
「う〜ん?そうだっけ?」
「...今日、何の授業やったか覚えてます?」
「家庭科」
「それ昨日ですけど...」
「あれ〜?惜しいな〜」
「惜しくないです」
「まあいいじゃん!あ、そだ!江戸鮭ちゃん。今日暇?」
「ええ、まあ...。特にこれと言った用はないですけど」
「じゃあさ!スーパー行こ!」
「今日も焼き鳥屋さんですか...?」
「ちっちっち、江戸鮭ちゃん。あまり私を甘く見ちゃ駄目だよ。今日は晩御飯の具材を買いに行こうかな〜って!」
「ああ、そうなんですね...。私もちょうど買い物しようかなって思ってたんで、良いですよ」
「やったあ!じゃあ早速!」
もる子さんが意気揚々と立ち上がったところで、カラカラと教室のドアが開く音がしました。
「瀧笑薬さん。まだいますか?」
やってきたのは私たちの担任、叙城ヶ崎先生でした。
「は〜い!」
「よかった。まだ帰ってませんでしたね。少しお時間、いいですか?」
「どうしたんですか先生?」
「江戸鮭さんも一緒ですし、ちょうど良かった。お二人に少しだけお話があったんですよ先生」
「わ、私もですか...?」
先生は笑顔でコクリと頷きました。
私はこういうときに、なぜだかとても胸がドキドキとしてしまいます。
何も悪いことはしていないはずなのに、どこか怒られるのではないかと疑ってしまうのです。
授業態度が悪かったのではないかとか、課題の提出を忘れてしまっていたとか、はたまた制服姿でないことを咎められるのではないのかとか...。
いつもそんな考えが私の頭の中をくるくると駆け巡ります。しかしながら結果としてはそれは杞憂に終わることが多いのですが。
「そんなに固くならないでいいですよ江戸鮭さん。二人ともそろそろ学園には慣れたかなって聞きたくなっただけですから」
私は今回の思い違いにも、ほっと胸を撫で下ろしました。
「もう慣れました!バッチリですよ!」
「うふふ、それは良かったです。瀧笑薬さんは毎日元気そうで先生も安心ですよ。それに江戸鮭さん」
「は、はい...!」
「江戸鮭さんも真面目に授業を受けてるって、先生方からも好評なんです。これからも頑張ってくださいね」
「あ、ありがとうございます...!」
「うんうん。あ、そうだ。お二人とも部活動とか委員会とか、そういった活動に入る予定はありますか?」
「部活か〜。江戸鮭ちゃん、どう?」
「そ、そうですね...今のところ特には...」
「うふふ、焦らなくってもいいですからね。お二人ともまだまだ新入生ですから。もしも部活や委員会に入りたいとか、新しく何かを始めたいって思ったら、遠慮なく先生に相談してくださいね」
「ありがとうございま〜す!」
先生はまたしても優しく微笑みました。
もる子さんの笑顔も相まってか、ここ数週間で一番穏やかな時間に思えました。
「と、お二人についてはここまでなんですが、瀧笑薬さんにはもうひとつ」
「?なんですか」
穏やかだった先生の表情がクワッと顰めた眉で引き締まります。
「瀧笑薬さん。色々な先生から聞くんですが、授業開始からほとんど寝てばかりだというのは本当ですか?」
「あはは...たまに寝ちゃってるかもです。ごめんなさい」
「ダメですよ。授業は真面目に受けてくださいね」
「は〜い」
反省しているのかしていないのか、もる子さんはいつもの調子で答えました。
「ちなみになんですが瀧笑薬さん。今日の一時間目の授業ってなんでしたか?」
「え〜と...現代文?」
「二時間目はなんでした?」
「古典だっけ?」
「三時間目は?」
「家庭...いや、化学!」
「その後はなんでした?」
「えっと〜、英語やって、お昼ごはん...それから五、六時間目が数学です!」
先生は腕を組んでにこやかに頷きました。
それから私に向かって問を続けます。
「江戸鮭さん。今日の時間割はなんでしたか?」
「え、え〜...い、一、二時間目が数学...。それから化学、現代文...。お昼休みのあとに英語と古典...です」
「うっそだ〜!?江戸鮭ちゃん、嘘でしょ!?ほんとにそれ!?ほんとに家庭科ないの!?」
もる子さんは私の肩に掴みかかるようにしてブンブンと体を揺さぶりました。
身長差は一目瞭然なのにどこにそんな力があるのか、一方的にガクリガクリとよろめきます。
私に向かって「ほんとに!?ほんとに!?」と言いながら、体幹が全くブレないもる子さんの頭がガシリと鷲づかみにされました。
そしてまるで古いブリキのオモチャのネジを巻くようにギリギリと後を向くことを強制された彼女が見たものは、笑顔ながらも青筋をたてた担任の姿。
「瀧笑薬さん。今日は反省文書いてから帰りましょうね〜」
「そんな〜!」というもる子さんの哀叫に耳を傾けることなく、叙城ヶ崎先生は嫌がる彼女をズルズルと引きずって行きました。
「江戸鮭ちゃん!すぐ終わらせるから!すぐ終わらせるから!待っててね!帰んないでね!待っててぇ〜!」
病院を嫌がるワンコのように、抵抗虚しく引っ張られていったもる子さんの叫びもつかの間、教室のドアがピシャリと閉まりました。
しんとした教室に私だけが取り残されます。
クラスメイトはもう既に、各々クラブ活動や放課後のティータイムを嗜んでいる頃でしょう。
吹奏楽部の奏でる楽器の音が薄っすらと、夏を帯びた空に響きました。
続きは本日投稿いたします。




