第九話 進歩の時
初めての訓練当日。
翔太は朝日に照らされながら、風間道場の門の前にたどり着いていた。
指定された時間よりも少し早く到着したが、門をくぐって道場の中に入ると、中庭に居る風間みどりの姿を認めることができた。
彼女は静かに、決まった動きを繰り返している。
その動きには無駄がなく、まるで美しい舞のようだった。
「おはようございます」
翔太が声をかけると、みどりは動きを止めて振り向いた。
髪を後ろで束ね、白を基調とした探索者用スーツに身を包んでいる。
その姿からは、現役時代の面影が垣間見えた。
「よく来てくれました。まずはこれを」
そう言って、みどりは翔太に一式の装備を手渡した。
黒を基調とした探索者用スーツ、膝と肘を守るプロテクター、そして腰に装着する小型の機器。
全て新品で、サイズも翔太に合わせて用意されているようだった。
「向こうに部屋を用意したので、着替えはそこで。装備の付け方が分からなければ、声をかけてください」
更衣室で装備を確認する翔太。
スーツは伸縮性のある素材で作られており、動きを妨げない設計になっていた。
プロテクターは軽量だが、十分な強度がありそうだ。
腰の機器は、先日向かったダンジョン見学の時にも見せてもらった魔力濃度を計測する機器らしい。
装備を身につけると、何故だかしっくりくる感覚がある。
鏡に映る自分の姿は、まるで生まれ変わったかのようだ。
それから中庭に戻ると、みどりが腕を組んで待っていた。
「よく似合っていますよ。準備ができたようでしたら、まずは基本的な心構えからお話しします」
みどりの声には、長年の経験から来る自信が感じられた。
「ダンジョン探索において最も重要なのは、自分の命を守ることです。それは、単に自己防衛のためだけではありません。仲間の命と心を守ることにも繋がります」
みどりは翔太の目をまっすぐに見つめながら続けた。
「男性のダンジョン探索者は希少な存在です。だからこそ、十分な準備と適切な判断力が求められます。あなたが築いていく前例が、きっと後に続く人たちの道標となるはずですから」
その言葉には、単なる励ましを超えた確かな信念が感じられた。
風間みどりも、かつてはトップダンジョン配信者として、多くの人々の道しるべとなってきたのだろう。
彼女の姿勢からは、この業界を牽引してきた誇りと責任感が伝わってきた。
「では、次はその装備に慣れて、探索者として基本的な動きを身につけるところから訓練を始めましょう」
みどりの指導は、予想以上に実践的なものから始まった。
低い姿勢での移動、素早い方向転換、そして緊急時の避け方。
全ての動作が、実際のダンジョン探索を想定したものだった。
「腰を低く。そう、その調子です」
みどりの声には、時折優しい温もりが混じる。
それは純粋な指導者としての温かさであり、翔太はその中に微かな親愛のようなものを感じていた。
「装備の具合はどうですか?」
休憩時間に入り、みどりは翔太にお茶を差し出しながら尋ねた。
「はい、想像以上に動きやすいです」
翔太は装備を確認しながら答える。
最初は違和感があった素材も、訓練を重ねるうちに体に馴染んでいった。
特に腕や脚の可動域を妨げない設計には感心させられる。
「この装備は、私が現役時代に使っていたものと同じメーカーのものです。性能の方は信頼してもらって大丈夫ですよ」
みどりは懐かしそうな表情を浮かべながら、説明を続けた。
「午後からはギフトの扱い方を教えていきます。その前に、装備の細かな調整をしておきましょうか」
みどりは翔太の装備を丁寧にチェックしていく。
プロテクターの位置を微調整し、魔力測定器の設定を確認する。
「あなたの"解析"のギフトと似たギフトを持っていた子を、以前指導していたことがあります。ダンジョンの構造や仕掛けを理解する能力は、探索においてとても役立っていました」
その言葉に、翔太は思わず身を乗り出した。
「以前指導された方は、今どうされているんですか?」
「彼女は……今は活動を休止しています。色々と事情があって」
みどりの表情が、一瞬だけ曇る。
それ以上の詳細は語られなかったが、そこには何か重い事情が隠されているように感じられた。
午後の訓練は、道場の奥にある特別な部屋で行われた。
部屋の中には、ダンジョンで実際に使用される装備や、魔力を計測する機器が並んでいる。
「まずは、ギフトを意識的に発動させる練習からです」
みどりは部屋の中央に、水晶のような透明な球体と台座を設置した。
球体の表面には銀色の装飾が刻まれ、内部では青白い魔力が淡く渦を巻いている。
直径は両手で抱えられるほどの大きさだ。
「これは訓練用の模擬装置です。本物のダンジョンにも存在する仕掛けを模して作られています。腰の魔力測定器の反応を見ながら、あなたのギフトで仕組みを理解してみてください」
翔太は装置に向き合い、目を凝らしてギフト適性診断の時のような感覚を思い出そうとする。
しかし、中々うまくいかない。
そんな中で、みどりの優しい声が耳に届く。
「焦らないでください、ギフトはあなたの一部です。無理に引き出そうとせず、自然と身体の一部のように扱えば応えてくれます」
その言葉に従い、翔太はゆっくりと深い息を吐いた。
すると、視界が少しずつ変化していく。
装置が発する微かな魔力の流れが、不思議な模様となって見えてきた。
腰の測定器が、かすかな反応音を鳴らし始める。
「見えました。この装置は……」
翔太は目の前に広がる情報を、必死で言葉にしようとする。
「落ち着いて。一つずつ、順番に説明してみてください」
みどりの声に導かれ、翔太は見えている情報を整理していく。
するとそれは、次第に不思議な模様から文字の羅列へと変化していき、徐々に理解できるようになっていった。
「表面に刻まれた銀色の装飾から、外部の魔力を吸収していますね。そして、集められた魔力は球体の中心に向かって螺旋状に流れ込んでいる……そうか、これは外部の魔力を溜め込む装置なんですね」
「ええ、その通りです」
みどりはそう言って、満足げに頷く。
「ギフトの使い方は人それぞれです。あなたも自分に合ったギフトの使い方を見つけられれば、"解析"の能力を使いこなせるようになるでしょう」
その言葉に、翔太は気づきを得た。
確かに、目の前の現象は不思議なものだ。
しかし、それを理解する方法までもが不思議である必要はない。
自分なりの視点で捉えることで、よりギフトを使いこなせるようになるのではないだろうか。
そう考えた翔太は、意識を変えて検索エンジンを使うような感覚でギフトを使う。
すると、今度はより詳細な情報が見えてくるようになった。
そのことを伝えると、みどりは驚きと喜びが混じった表情を浮かべて口を開く。
「上達が早いですね……良い兆候です。ですが、これは始まりに過ぎません。実際のダンジョンは、こんな単純な仕掛けばかりではありません。明日からは、より複雑な装置で訓練していきましょうか」
翔太は強く頷く。
彼は今日一日の訓練で、自分がまだいかに未熟か、そして同時に、どれほどの可能性を秘めているのかを実感していた。
その後、訓練を終えて帰り支度をする頃には、既に日が傾きかけていた。
「お疲れさまでした。来週もまた同じ時間に」
「はい。ありがとうございました」
道場を後にする翔太の背中に、夕陽が長い影を落としていた。
確かな進歩に満足感を感じながら、彼は帰路につくのだった。