7 腹黒王の勅命
王都を出て三日。
エリスを乗せた馬車は、間もなくヨハンの屋敷へとたどり着く。
馬車はやや大きく、広々としていた。屋敷に着けばヨハンと二人で乗り込み、モルス大森林近くにある集落まで向かう手筈となっている。
エリスは、改めてキャビン内を見渡す。
(後からヨハンと乗るからだろうが……それにしても、少し大き過ぎる気もする)
二人が乗ったとしても、それでもまだまだ十分に余裕がある。
手違いか、何かの事情かは定かではない。しかしそのおかげで、彼女は悠々とした馬車の旅をすることとなった。
とはいえ、やはりウォレス領は遠かった。
数日間、荒れた大地と淀んだ空ばかりを見続けたせいで、エリスは体のどこかが重く感じ、疲れが溜まっているのがわかった。
「やっとか……。まったく、なんという僻地に住んでいるんだ、ヨハンの奴は」
そんな愚痴をこぼしつつ、エリスは、物思いに耽る。
彼女が追憶するのは、王との謁見の光景であった。
エリスが跪き、ヨハンを討伐部隊に編成したいと進言した直後のことである――。
◆
王は足を組みながら玉座に座り、即答した。
「よかろう。すぐに勅命を出してやる」
「……え?」
進言した側にも関わらず、エリスは王を見上げ、ぽかんと開けた口から声をこぼした。
「どうした? 勅命を出すと言っている」
王の呼びかけにより、エリスは我に返り、再び頭を下げる。
「し、失礼致しました! 勅命の件、まことにありがとうございます!」
慌てる彼女を見た王は、ニヤニヤと笑っていた。
「おかしな奴だ。貴様の要望に応えたというのに何を慌てるのやら」
「お、恐れながら、想像していたよりも早くご決断されたことに、少々驚きまして……」
「騎士団の技量の高さは俺が一番知っている。そんな貴様達が助力を求めると言うのなら、反対する理由などない」
「過分なる御言葉、恐縮至極でございます……」
跪いたまま更に頭を下げつつも、エリスは王の言葉を額面通りに受け取ってなどいなかった。
(嬉々として送り出すかのような口ぶりだな……)
悟られぬよう、ちらりと王の表情を見る。
王はいつもと変わらない。尊大に、不敵に笑んでいた。しかし、その笑みが余計に白々しく思えた。
王は姿勢を維持しつつも、視線は明後日の方向を向く。
(正体不明の特殊個体か。よりにもよってモルス大森林に出現するとはな。これ以上事態が悪化すれば厄介にしかならんか……)
モルス大森林から取れる資材の価値を知る王にとって、それは許しがたい事態だった。
王は足を組み替え、頬杖をついた。
(ヨハンを荒野から離すとなれば、多分にリスクが生じるが……)
人知れず、王はニヤリと口角を吊り上げる。
(……色々と、頃合いかもしれんな)
そして勅命は発付され、エリスが届けることとなったのである。
◆
エリスは改めて、羊皮紙の勅命を見つめる。綺麗に丸まり、綴紐には王家の封蝋が施されていた。
(陛下の顔には「何か裏がある」と書いてあったが……いったい何をお考えなのやら)
一抹の不安を抱きつつも、馬車はついに、ヨハンの屋敷へとたどり着いた。
降車したエリスは、改めて屋敷を見上げる。
「ここに、ヨハンが……」
士官学校を卒業して以来の再会である。
あの日々のことは未だ鮮明に覚えている。しかし、お互いの立場や環境は、あの頃とはまるで違う。だからこそ、少しだけ心臓の音が強くなっていた。
「……よしッ」
わざとらしく声を出し、自らに喝を入れる。
彼女が屋敷に近付くと、足元で魔法陣に光が灯る。すると屋敷の中から、ゴーンゴーンという鐘の音が響き始めた。
「これは……来訪者を知らせる結界か?」
エリスには、その魔術に見覚えがあった。
ヨハンである。
(相変わらず、才能を無駄に垂れ流すものだ)
その懐かしい感覚に頬は緩む。
そして大きな扉をノックしようとした時、扉の内側から、その騒がしいやり取りが聞こえ始めた。
「なんで私が来訪者の対応しなきゃいけないのよ! それこそダンゴの仕事でしょ!?」
「まぁまぁ。今後アウメリア様がお一人の時にお客人が来ないとも限りませんですし、その練習だと思って」
「何事も経験だよアウメリアさん。頑張ってアウメリアさん」
「そう言いながら、二人して私を使用人に仕立て上げようとしてるんじゃないの?」
「…………」
「何とか言いなさいよ! ねぇちょっと! どこに行くのよヨハン! ダンゴ! ねえったら! ……あの二人、いつか見てなさいよ?」
実に騒がしかった。
「……いったいどういう生活をしているんだ、ヨハンは。それに……女性の、声?」
エリスが首を傾げていると、扉はゆっくりと開かれた。そして中からアウメリアが姿を見せると、エリスは少しばかり驚いた。
その女性は不自然な程に美しく、絶界とも言える最果ての荒野に不相応なほど、気品と風格を兼ね備えていた。
「……誰? この屋敷に何か用?」
「あ、ああ……。実はこの屋敷の主に用事が……――」
苦笑するエリスの顔を見た瞬間、アウメリアの記憶をかすめるものが走った。
「あら? 髪の色に、その背丈……あなたもしかして、クロムハーツ伯爵家の御息女じゃない?」
「…………ッ」
屋敷から出てきた女性は、おそらく初対面であるはず。にも関わらず、家名を当てられたことにエリスは面を食らってしまった。
「……なぜ、私の家を?」
アウメリアは一瞬だけ視線を横に流した。
「前にクロムハーツ家の息女が若くして騎士になったって聞いたの。伯爵令嬢がわざわざ騎士になるだなんて変わってるじゃない? だからパーティーの時、顔を見たのよ。確か名前は……そう、エリス。エリス・クロムハーツ。聖剣だなんて、仰々しい異名もあったわよね」
「…………」
これにはさすがのエリスも驚いた。
そしてエリスもまた、目の前の女性が誰なのか、凡その見当が付く。
「そうか……。あなたは、ルクスクレイド候爵家の御息女、アウメリア・フォン・ルクスクレイド嬢か。少し前に王都を追放されたと聞いたが……そうか、追放先は、ウォレス領だったのか」
ピクリと、アウメリアの眉間は狭くなる。
「……何か言いたいことでも?」
露骨に不機嫌になるアウメリアを見て、エリスは「失言だったか」と省みた。
「いや、他意はない。不快に感じたのなら詫びよう」
「別にいいわよ。……それで? 用件はなに? その格好を見る限り、騎士としてここに来たのよね?」
「その通りだ。ヨハンに、王からの勅命を届けに来たのだが……」
すると、アウメリアの背後からヨハンの声が聞こえた。
「うん? この声は、もしかして……」
カツカツという足音に続き、扉の影から、ひょっこりとヨハンが顔を出す。
彼はエリスの顔を見るなり、顔をパァーッと明るくさせた。
「おおお! エリスじゃないか!」
「――――ッ!!」
エリスは唐突な彼の登場にビクリと体を震わせた。
その反応を見たアウメリアは、ヨハンに尋ねる。
「……ヨハン、あなたの知り合い?」
「ええ。士官学校時代の友人なんですよ」
「士官学校? あなた、士官学校にいたの?」
「もう数年前ですけどね。それにしても、本当に久しぶり。正直見違えたよ。騎士団の副団長なんだっけ?」
「あ、ああ……。私には過ぎた肩書だがな」
エリスは微笑みながらも、やや顔を赤くさせる。よく見れば、足が小刻みに震えていた。
しかしヨハンはまるで気にする様子もなく、ごく普通に話しかける。
「今日はどうしたの? 任務?」
「そうだ。王からの勅命を届けに来たんだ」
「勅命! それってよほど信頼されてないと任されない任務だよね! やっぱりエリスは凄いなぁ」
「ふふ、世辞はよせ。ただの配達だ」
「お世辞じゃないって。エリスは凄いよ、本当に。さっきは見違えただなんて言ったけど、やっぱりエリスはエリスだね。安心した」
「…………ッ」
エリスは更に顔を赤くさせ、俯いてしまった。
「……そういうヨハンも変わらないな。驚く程、昔のまままだ。私の方こそ……その、安心した」
いつしか、エリスの震えは収まっていた。
仲睦まじく会話をするヨハンとエリスを傍から見ていたアウメリアは、二人の間に流れる空気に、どこか蚊帳の外になった気がしていた。
彼女の心は少し騒がしくなり、無意識に、手をギュッと握る。
(なんなの、この感じ……)
疎外感なのか、孤独感なのか。
どちらにしても、アウメリアは、曰く言い難い不快感を感じていた。
「……ねえ、あなたはヨハンと話すために来たわけ?」
「いや、そうではないが……ああ、確かにまずは任務だな。ヨハン、王からの勅命だ」
エリスはようやく、件の勅命をヨハンに渡した。
ヨハンは蝋封を解き中を見る。
直後、煮詰めきったコーヒーを飲んだかのように顔をしかめた。
「……エリス、これ、中見た?」
「いや、見ていないが……」
「そう……」
この言い方をされれば、誰であっても気になるのが人の性というもの。
アウメリアはスススーっとヨハンの後ろに回り込み、条文を読み上げる。
「……次の者、王国騎士団による討伐部隊に編入し、モルス大森林に出現せし特殊個体の魔物の調査、討伐に当たるべし。ヨハン・ウォレス……及び、アウメリア・フォン・ルクスクレイド?」
「え?」
エリスは、素の声を上げた。
三人で改めて勅命を見直す。やはり、間違いない。
そして、ヨハンはため息混じりに吐き捨てた。
「やりやがったな、あんの腹黒王……」
本来不敬に相当する言葉であったが、その時ばかりは、エリスもアウメリアも、ヨハンを嗜めることはなかったのだった。