5 仕える者
「嫌よ! なんで私がそんなことをしなくちゃいけないのよ!」
朝早々、屋敷の中ではアウメリアのヒステリックな怒鳴り声が響いていた。
おろしたてのドレスで着飾った彼女は、仁王立ちし、腕を組み、目の前に立つダンゴを見下しながら睨んでいた。
困ったのはダンゴの方である。
「そう言われましても、さすがに女性の部屋にはワタクシは入れませんので、はい」
「当然よ! 女の使用人を雇えばいいでしょ!?」
「そんなもの募集しても集まりませんし、よしんば希望者がいたとて、誰一人としてこの屋敷までたどり着けませんよ」
最果ての荒野であるウォレス領とは、かくも過酷な地なのである。
「とにかく、私は嫌だから!」
「ふーむ、困りましたな……」
騒ぎを聞き付けて、ヨハンがやってきた。
「どうしたのダンゴくん。何か問題?」
「問題と言えば問題なのですが……」
ちらりと、ダンゴはアウメリアに視線を向けて目配せをする。色々と察したヨハンは「あー、なるほど」と呟くのだった。
それからヨハンはダンゴから詳細な事情を聞くことに。
「……つまりこういうこと? 部屋の掃除については自分でするように言ったら、アウメリアさんが断固拒否した、と」
「はい。まったくもってその通りです」
まさに傍若無人。
昨晩の弱々しさは月夜が見せた夢幻なのではないかと、ヨハンはため息をつく。
「アウメリアさん、さすがに部屋に僕やダンゴくんが入るのは無理ですよ」
「だからぁ! 女の使用人を雇えばいいって!」
ヨハンは軽快に「アハハ!」と笑う。
「そりゃ無理ですよ。この屋敷まで来られないとか、地獄で仕事する物好きはいないとかいう問題はさて置き、根本的な問題があるんで」
「根本的な問題……?」
アウメリアはやや身構える。
そしてヨハンは、フッとほくそ笑んだ。
「そもそも、雇う金がない」
「あなたって本当に領主なの?」
閑話休題。
「とにかく、現状だと部屋の掃除はアウメリアさんがやるしかないってことですよ」
ダンゴは何とか説得を試みる。
「別に屋敷全てを掃除しろとは言っておりませぬ。他の家事はワタクシがやりますので、自分の部屋の掃除だけでもという話ですよ」
「嫌ったら嫌よ! 私は絶対に掃除なんてしないから!」
「困りましたなぁ……」
と、話は振り出しへと戻っていた。
しかしヨハンは、意外にも呆気らかんとする。
「掃除したくないのなら、別にしなくてもいいんじゃないかなぁ」
これにはダンゴどころか、アウメリアでさえも少し驚いた。
「いやしかし、ヨハン様」
「だって自分の部屋なんだし、掃除するしないくらい自分で決めていいさ。掃除をしなくても、小汚い部屋で過ごすのは僕らじゃなくてアウメリアさんなわけだし」
「うっ……」
アウメリアは痛いところを突かれたと怯む。
「そりゃそうですな。ならばほっときますか」
「うんうん。この問題は無事解決だね!」
ヨハンとダンゴがいつものように「HAHAHA!」と笑っていると、アウメリアは悔しさに顔を反らした。
「……わからないのよ、手順が。今までは掃除なんて使用人がしていたし……」
少しばかり、アウメリアの本心が露呈する。
さすがに意地悪が過ぎたお、ヨハンは表情を柔らかくさせ、ゆっくりと諭すように言葉をかけた。
「だからこそ、ダンゴくんがいるんです。少しずつでいいんですよ。少しずつ、自分に出来る範囲でやってみてください。大丈夫。アウメリアさんなら、すぐにコツを掴みますよ」
「うぅっ……」
アウメリアは、どうにもヨハンのその表情が苦手だった。不快感ではない。冬の終わりに差し込む柔らかな日差しのように、暖かく、すぅっと視界に入り込むその表情は、むしろ心地良い。しかしそれは、これまで彼女があまり向けられて来なかったものでもある。だから、苦手なのだった。
彼女の戸惑い顔を見たヨハンは、改めてダンゴに依頼する。
「ダンゴくん。僕は仕事に行ってくるから、アウメリアさんを上手くサポートしてやってね」
「かしこまりました。……可能な限り、ですが」
ヨハンが去った後の屋敷は、不思議と静かだった。少しばかり心細く、外からの風の音がやけに耳をついていた。
そして始まる、アウメリアによる初めての家事。苦虫を噛みつぶしたような顔で箒を受け取った彼女は、部屋へと入っていく。
ダンゴは扉を開けて部屋の前に立っていたが、決して中には入らず、手伝わず、口出しすらしなかった。
アウメリアは驚くほど箒の使い方が覚束なかった。せっかくゴミを集めたかと思えば強く掃いてしまい飛散させたり、箒ばかりに気を取られ花瓶を落としてしまったりと散々なものだった。
「まったく……どうして私がこんなことを……」
ブツブツと愚痴を呟くアウメリアだったが、掃除をやめる気配はない。
彼女の姿を見ていたダンゴは、なるほど……と、腑に落ちるところがあった。
アウメリアは、正真正銘の令嬢なのだと。生まれてこの方、身の回りのことは全て誰かがやってくれていたのだろうと。それが当然だと思っており、疑問すら感じることはなかった。同時に、感謝する機会も教えられなかったのだろうと。
だからこそ、聞かずにはいられなかった。
「アウメリア様、掃除の感想は如何ですか?」
「最悪。埃臭くなるし、めんどくさい」
「左様。掃除とはそういうものなのです。これまで部屋が綺麗だったのは、何も、ゴミが自ら部屋を出ていったわけではありません。他の誰かが、アウメリア様のために掃除してくれていたからです。それを、ゆめ忘れぬように」
そしてダンゴは、一歩踏み出した。
「よろしければ、ワタクシもお手伝いしましょうか?」
箒を動かしながら、顔を向けることなく、アウメリアは小さく返事をする
「……お願い」
「かしこまりました」
ザッザッ、と。
一人の元令嬢と一匹の魔物は、屋敷の部屋の中にて手早く掃除を進めていく。プロの使用人たるダンゴがいたこともあり、終わるまでに、早々時間はかからなかった。
「まぁ、この辺でいいでしょう。ご苦労様でした、アウメリア様」
「…………」
アウメリアは何も言葉を返さない。
しかしダンゴには、彼女が言葉を探しているように見えた。催促することなく、ただ黙ってその時を待つ。
そして……。
「……ダンゴ。そ、その……あ、ありがと……」
「はい。お安い御用です」
ダンゴは、小さく頷くのだった。
すると今度は、アウメリアがダンゴに尋ねた。
「ねえ、ダンゴはどうして、ここで使用人なんてしているの? 魔物なのに」
「それは……色々と、あったのですよ」
ダンゴは小さな瞳を更に細めさせ遠くを見た。
「一つ言えることは、ワタクシは生涯、ヨハン様にお仕えしたいということです。この地に追いやられ、誰の目にも止まらず、知られることもなく、ただただ自らの使命を果たそうとする……。あの方は、実に不憫だ。このようなことを使用人たるワタクシが口にするなど、本来不躾なのでしょう。ですが、そう思わずにはいられないのです」
(追いやられる?)
その言葉が、アウメリアには強く残った。
「ですが、あの方は優しい。優しすぎる。どのような扱いを受けようとも、決して国を離反することはないでしょう」
そう語るダンゴは、どこか雰囲気が重い。
そして小さく、しかし確かに、その一言がダンゴの口から漏れ出る。
「……まことかの王族は、つくづく、忌々しい」
奇しくも、アウメリアには聞こえていた。
普段のダンゴにある穏やかで理知的な響きは消え失せており、アウメリアの背中に、一筋の冷たい汗が流れた。
(ヨハン・ウォレス……いったい、何者なのよ)
彼女の中で、ヨハンという男の謎が深まるばかりであった。