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4 月夜のウォレス領





 屋敷に戻ったヨハン達を待っていたのは、これでもかと言わんばかりにテーブルに広げられた料理の数々であった。

 最初こそ食事を拒絶していたアウメリアだったが、目の前の豪華絢爛な見た目と鼻腔をくすぐる濃厚な香りの前に、ついには観念し、静かにフォークを手に取った。

 そして、アウメリアは最初の一口を食べる。


「お、美味しい……」


 味にうるさい彼女であったが、思わず、驚嘆の言葉を漏らしていた。


「ありがとうございます、アウメリア様」


「凄いでしょ? ダンゴくんの料理。食後の紅茶も絶品だから、楽しみにしていてくださいね」


 それから、落ち着いた時間が流れた。

 会話こそなかったが、最初の緊張も少しばかり解れ、アウメリアの表情からも鋭さが目立たなくなっていた。

 食後、これまた絶品たる紅茶にため息をこぼしていた最中、ダンゴは気になっていたことを言葉にする。


「時にアウメリア様、お荷物がまだ届いていないようですが、いつ頃に?」


「…………ッ」


 アウメリアのティーカップがわずかに揺れた。


「ダンゴくん」


 ヨハンの静かな声に、ダンゴはハッと気付く。


「こ、これは大変失礼致しました! ワタクシとしたことが、迂闊なことを……」


「いいのよ。どうせ事実なんだし」


 アウメリアはカップを置く。


「お察しのとおり、私の荷物なんて一つもないわ。私財の所持は一切認められず、文字通り着の身着のまま僻地へ送られる……それが、追放処分。常識よね」


「…………」


 しばし、沈黙が流れる。


「……聞かないの? どうして追放されたのかって」


「聞いて欲しいのならいくらでも聞きます。でも、言いたくないことを無理に聞き出す趣味はありませんよ」


 やや投げやりなアウメリアの問いに、ヨハンは紅茶を啜りながら言葉を返した。


「そう……」


 その小さな呟きに僅かな安堵が含まれていることを、ヨハンは見抜いていた。

 ややばつが悪かったのかもしれない。

 アウメリアは話題を変えるように、少し大袈裟に部屋の中を見渡した。


「それにしても、この屋敷はどうしてこんな荒野にあるの? ここに来るまでの道中も街を見かけなかったし、物品の仕入れだって大変でしょ?」


「街なんかありませんよ」


 ヨハンはさも当然のように答えた。


「…………は?」


「だから街なんてないんですよ、ウォレス領には」

 

 衝撃のカミングアウトに、アウメリアは思わず机を叩きながら立ち上がる。


「街がない!? なんで!? どうして!?」


「そりゃだって……ねぇ? ダンゴくん?」


「こんなところに街なんて作ったら、凶悪な魔物達がホイホイ寄ってきて三日と持たずに壊滅することでしょうなぁ」


「そもそも建設中の段階でぶっ壊されるよね。始まる前に終わっちゃう感じ」


 ヨハンとダンゴは「HAHAHA!」と声を揃えて笑う。

 だが、まるで笑えない者がいた。

 アウメリアである。


「待ちなさいよ! だったら領民は!? どこでどうやって生活してるのよ!」


「領民? そんなものいませんよ」


 二度目のカミングアウトに、アウメリアは驚愕を超えて目を丸くさせた。


「は? 領民が……いない?」


「ええ、いません。こんな最果ての荒野ですよ? 人なんて住むようなところじゃありませんし、そもそもこの地区を知る者なら近付きもしませんよ」


 ダンゴは補足する。


「もっとも、近付いたところで魔物の餌になるだけでしょうがね」


「そりゃそうだ。とにかく、街も民も、なんなら森も湖すらもありません。それがここ、ウォレス領です」


「そんなの……そんなのって……」


 一体どこが領地なのだろうと、アウメリアは立ち尽くしたまま顔を青くさせる。

 通常領地の統治というものは、領民を募り、特産物などを作らせ、貿易をし、税金を取り立てて運営している。それが常識である。

 しかし、ヨハンは街はおろか領民すらもいないと言い切った。

 それは、アウメリアの中の常識では全く想像もつかないものであった。

 しかしヨハンは紅茶を飲みながら、まるで危機感もなく続けた。


「ぶっちゃけ領の統治というより、最果ての監視員みたいなものですね。でもおかげで面倒な行政手続きなんてしなくて済みますし、そもそも領民なんていたらダンゴくんを屋敷で雇ったり出来ませんよ」


「そりゃそうですね。他の人間がいたんじゃ、ワタクシなんて即討伐対象でしょうからね」


 ヨハンとダンゴは、やはり「HAHAHA!」と明るく笑う。

 だがそんな二人の様子は、どこまでもアウメリアにとっては異常に見えた。


(なんなのここは……どういうところなの!?)


 彼女の常識が、音を立てて崩れ始めていた。

 



 ◆




 その日の夜、アウメリアは用意されていた部屋にいた。

 そこは客間として使用されていた部屋であり、屋敷の中でも一際広く、大きなベッドに赤い絨毯と、少しでもアウメリアが過ごしやすく出来るようにと配慮されていた。

 用意されていた薄桃色のネグリジェに着替え、どかりとベッドに横になるアウメリア。

 傷はヨハンが癒してくれた。しかし疲労感までは消えない。軽い頭痛がするのは、そのせいなのかもしれない。

 疲れているはずなのに、まるで眠気は来てくれない。

 アウメリアは、しばし天井を眺めていた。

 眠るのが怖いと感じる自分が、確かにそこにいた。

 目が覚めた時、きっとそこに、見慣れたシャンデリアはない。クローゼットもない。モーニングを運んでくる使用人もいない。

 それが、無性に怖かった。

 ふと、窓の外から光が差し込んでいることに気付く。

 立ち上がり外を見てみれば、空には、大きな月が出ていた。街明かりがないせいか、月も星も、やけに鮮やかに見える。

 しかしアウメリアには、それがどこか嫌味のように思えた。

 

「……こうして月を見るなんて、いつぶりかしら」


 もはや覚えてすらいない。自分の絶対さを作る上で、夜空なんて必要なかった。

 久しぶりに浴びた月明かりはやけに優しく、胸に染み込むようである。

 クラシックも、使用人達の足音も、ひそひそ話も聞こえない。

 時が止まったかのような時間が流れ、アウメリアは、改めて自らの立ち位置を考える。

 どこで間違えたのか。そもそも、自分は何を間違えたのか。アウメリアはそれすらも覚束ない。

 これまで全てを完璧にこなしてきた。しかし、ジェフリー達の件があってから、普通ではいられなかった。

 ただの道具として見ていたジェフリーが自分から離れる感覚は、思い返しても、未だアウメリアの心を締め付けていた。

 月は尚も優しく、美しい。

 満ちていようとも、欠けていようとも、その美しさに変わりはなく、それがやけに羨ましく、そして、酷く惨めに思えた。

 自然と涙が溢れ出る。


「あ、あれ? どうして……?」


 拭っても拭っても、ぼろぼろと大粒の涙は目から溢れ落ち、頬を伝って手元を濡らす。

 感情が込み上げてくる。呼吸も上手くできない。

 胸の内を掠めるのは、かつての栄光。今の惨めさ。そして、未来への不安。

 もはやアウメリアには、どうしようもなかった。


「うっ……うぐっ……ううぅ……」


 涙は諦めた。

 右手を強く噛み、必死に泣き声を押し殺す。

 認めたくない。負けたくない。諦めたくない。絶望してなるものか。

 咎人アウメリアの、最後の抵抗であった。

 そしてその部屋の前では、彼女の嗚咽を静かに聞く者達がいた。

 ヨハンと、ダンゴである。

 二人は扉の横の壁に寄りかかり立っていた。部屋の扉を閉めたまま、中に入ろうともせず、声をかけることもなく、ただ彼女の涙を聞いていた。


「ヨハン様、これからどうするおつもりですか?」


 ダンゴは尋ねる。

 ヨハンは一度だけ部屋の扉を見つめ、顔を上に向ける。


「……さぁね。それはたぶん、アウメリアさんが考えるべきことなんだよ。きっと」


 ダンゴはそれ以上何も聞かなかった。

 月明かりの綺麗な夜に、アウメリアは頬を濡らす。

 姿見せぬヨハンは、彼女が泣き疲れて眠るまで、ただただ、扉越しに彼女を見守るのだった。







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