1 悪役令嬢と辺境領主
空は曇天。周囲を剥き出しの岩場に囲まれたその館の前に、その場とはまるで相応しくない豪華絢爛の馬車が一つ。
そして馬車の前にて、礼服の兵士は、王からの命状を声高らかに読み上げた。
「ユーシス・フォン・ルクスクレイド侯爵が嫡女、アウメリア・フォン・ルクスクレイド! 王家侮辱などの咎にて王都追放処分とし、ウォレス領への移住を命ずる! 以上!」
「いや、以上ではなくてですね……」
館の前に立つ黒髪の青年――ヨハン・ウォレスは、口角を引き攣らせていた。
「ここ、一応は僕の領地なんですけど? それを流刑地のように扱われるのはさすがに心外なんですけど」
「これは王命である! 拒否すれば、貴殿を国家反逆罪として――!」
「はいはい。とりあえず黙って頷いとけってことですね。もう好きにしてください……」
ヨハンは諦めるように溜息を吐き出した。
「アウメリア・フォン・ルクスクレイド! 今後、王都への立ち入りの一切を禁じる! 降車!」
号令と共にキャビンの扉は開かれる。
そして、彼女が姿を現した。
「――――」
ヨハンは一瞬で目を奪われる。
彼女は、どこまでも美しかった。輝く金髪は、一本一本が毛先まで光を帯び柔らかく揺れる。しなやかに伸びる四肢は傷跡一つなく、そのスタイルは彫刻のようだった。何よりも、表情。芸術的なまでに整った顔立ちは自信に溢れ、切れ長の目に浮かぶ赤い瞳は妖艶。
紅のドレスを靡かせながら、彼女はその領地に足を踏み入れた。
「…………」
追放されたというのに、その自尊心は微塵も欠けることないようだ。アウメリアは冷淡な顔付きのまま、屋敷を睨みつけていた。
「ヨハン・ウォレス!」
「は、はい!? はい!」
突如名を呼ばれヨハンは、ビクリと体を震わせる。
「アウメリア嬢の処遇は、あなたに一任された! 映えある王国領主として、務めを果たされよ!」
「えー……丸投げですか」
「ヨハン・ウォレス!」
「あーはいはい。分かりましたよ。いちいち怒鳴らなくてもいいですって」
鼻息荒いまま、兵士はカツカツと勇ましく軍靴を鳴らせながらキャビンに乗り込む。そして馬車は、荒野を走らせ立ち去った。
「…………」
ぽつんと残されたヨハンとアウメリア。
あまりにも唐突な邂逅に、二人は視線すら合わせない。その様子は全く違う。冷や汗を流すヨハンと、無愛想極まりなく腕を組むアウメリア。僅かな時間ですら永遠のように感じるほど、空気は重い。
しかし、いつまでもこのままというわけにもいかない。
ヨハンは止むなしと腹をくくる。
アウメリアに顔を向け、下手に笑い、声をかけた。
「と、とりあえず中に入りましょうか。その……ア、アウメリア……さん?」
「…………」
彼女の返事はない。
相変わらず視線も合わない。
「ええと……」
困り果てるヨハンだったが、その時、アウメリアはようやく口を開く。
「二つ、あなたに言っておくわ」
「は、はい!」
「一つ、たかが僻地の領主風情が気安く話しかけないで。耳障りよ。二つ、絶対に私に触らないで。指一本でも触れれば、その時は、あなたを殺して私も死ぬから」
「ええと……二つ目についてですけど、アウメリアさんが転びそうになった時は?」
「そのまま転ばせなさい」
「通路の角でぶつかりそうになった時は?」
「全力で躱しなさい」
「お菓子を取ろうとして、指先が触れそうに――」
「あなた、馬鹿にしてるの?」
ギロリと、ここに来てようやくアウメリアはヨハンを見る。
「滅相もないです! 全力で触りません!」
「結構。……それにしても、ここは本当に領主の屋敷なの? 使用人はどこ? 出迎えはどうしたのよ」
「使用人? あー、使用人ですね。……ダンゴくん! ダンゴくん!」
ヨハンが屋敷に声をかけると、中から「はーい」という返事が一つ。そして扉は開かれ、コロコロと茶色の球体が転がって来た。
「えええ!? な、なんなの!?」
謎の物体の登場に、アウメリアは後ずさる。
そんな彼女の前で、球体はぐりんと体を伸ばし、到底人ではない生物へと変貌した。人の腰ほどの大きさで、見た目はダンゴムシに似ているが脚は六本。決して嫌悪感を抱くことのないフォルムであり、くりっとした黒い二つ目は愛嬌すらあった。
「ヨハン様、お呼びですか?」
「うん。この方が件のアウメリア嬢だよ。ご挨拶して」
ダンゴと呼ばれる奇々怪々な生物は「かしこまりました」と答え、アウメリアに丁寧に頭を下げた。
「ワタクシ、ウォレス家の世話係をしております、ルシフェリア・ヴォーヴァル・ドラゴニス・ジャン・バトラと申します。以後、お見知り置きを」
「…………」
アウメリアは固まってしまった。
「ええと……確かに最初は驚くとは思いますが、ダンゴくんはこう見えて家事のエキスパートですので。洗濯に料理、なんでもござれって感じです。魔物ですけど」
「し、使用人が……魔物……?」
アウメリアは愕然とする。
あり得ないからである。
魔物とは、本来人を襲い、喰らい、忌み嫌われる存在。それが人と共存し、あまつさえ使用人として仕えるなど、世界の常識から余りにも逸脱していた。
しかしヨハンは何一つ気にせず、へらりと笑う。
「名前、さすがに覚えにくいでしょ? ダンゴくんでいいですよ」
その言葉に、ダンゴことルシフェリア・ヴォーヴァル・ドラゴニス・ジャン・バトラは、ギラリとヨハンを睨んだ。
「ヨハン様! 何度も言っているでしょ! ワタクシの名前はルシフェリア・ヴォーヴァル・ドラゴニス・ジャン・バトラです! それをダンゴだなんて! 略してもダンゴにはなりませんでしょ! いったいどこから取ってるんですか!」
「見た目」
「見た目だけで呼び名を決めるなど言語道断ですぞ! そもそも、ワタクシは虫などではなくて由緒正しき……!」
言い合う二人の様子に、アウメリアはようやく我に返った。
「ふ、ふざけないでッ!!」
凄まじい怒声に、ヨハンとダンゴは動きを止める。
「使用人が魔物!? 冗談じゃないわ! なぜこの私が薄汚い魔物と生活しなければならないの!?」
ヨハンとダンゴは顔を見合わる。
そしてヨハンは優しく、アウメリアに語りかけた。
「……言いたいことはわかります。突然の環境の変化に不安なのもあるでしょう。ですが、ダンゴくんは僕にとって大切な家族……」
「偉そうに口答えしないで!!」
アウメリアは聞く耳すら持たない。
一先ず、ヨハンは彼女の主張を聞くことにした。
「魔物が家事!? そんな大きいだけの虫に服を触られるなんて汚らわしい! おまけに料理ですって!? 魔物が作った料理なんて食べられるわけない!」
「…………」
「ヨハン・ウォレス! あなたは、私を誰だと思っているの!?」
「――あなたが誰か、ですか?」
ヨハンは、声を低くさせる。
「逆にお聞きします。あなたは、誰なんですか?」
「はぁ!? 今更なに!? 知らないなんて言わせないわよ! 私は王国貴族、ユーシス・フォン・ルクスクレイド侯爵の嫡女で――!!」
「違いますよ、アウメリア嬢。あなたは、何者でもない」
「……は?」
アウメリアは呆気に取られる。
「王都の騒動からこの屋敷に来るまでの時間は、相当にあったはずです。その間、あなたは省みるべきでした。これまでのことと、これからのことを。けれど、どうやらあなたは、未だ勘違いをしているようですね。まだ、アウメリア・フォン・ルクスクレイドのままでいられると思っている」
ヨハンの言葉には、圧があった。
そしてその言葉は、アウメリアの心臓を強く脈動させる。
触れてはいけないと、触れたくはないと、アウメリアが無意識に蓋をしていた心の奥の扉をこじ開ける言霊となった。
しかし最後の抵抗として、アウメリアは尚も強がるしかなかった。
「な、なにを……なにを、言ってるの……?」
「はっきりと言いましょうか。今のあなたは、アウメリア・フォン・ルクスクレイド嬢ではありません。侯爵家の娘ではない。ましてや、王子の許嫁でもない。今のあなたは、ただの咎人です」
「――――ッッッ!!!」
ヨハンは、彼女の全てを斬って伏せた。
顔を青くさせ、血が滲む程に両拳を握り締める彼女に、ヨハンは更に言い捨てる。
「そんなにもここがお気に召さないのであれば、好きにすればいいでしょう。この屋敷を出ていっても構いません。ですが、ここは王国最果ての不毛の荒野。一番近くの人里ですら、馬車で数日かかるほどの僻地です。凶悪な魔物だって多い。その中をたった一人で、何の準備もせずに歩くなんて到底不可能――」
「――……いくわよ」
ぼそりと、アウメリアの声が聞こえた。
「はい?」
アウメリアは勢いよく顔を上げる。
その刹那、大粒になるまで溜まっていた涙は雨のように飛び散った。
「喜んで出ていくわよ! こんなところ!!」
「え、えええ!?」
アウメリアはドレスの裾を上げ、踵を返し、足音を立てて歩き始めた。
「ちょ、ちょっとアウメリアさん!? 人の話聞いてましたか!? 歩いて街に行くなんてとても無理だと――!」
「あなたが好きにしていいと言ったんでしょ!? だったら好きにするわよ!」
「いやですから、僕が言いたかったのは、まずはしっかりとこれまでのことを反省をしてですね……」
「うるさい! あなたの説教なんて聞きたくない! もう話しかけないで!」
無茶なのは百も承知だった。しかしアウメリアは後に引けず、怒り心頭のまま歩き続ける。
やがて彼女の背中は小さくなり、辛うじて見える程度になってしまった。
豆粒のような彼女を見ながら、ダンゴはヨハンに尋ねた。
「……ヨハン様、これ、どうするんです?」
「いやいや、まさか本当に出ていくとは思わなくてさ。ははは、まいったねこりゃ。……それにしても、聞いてた通りの人みたいだね、悪役令嬢さんは」
「ワタクシ的には、聞いてた以上のお方に見えますが。ついでに言うと、別にほっといてもいいのでは? このまま野垂れ死にしようが魔物に食い殺されようが、そこはもう自己責任でしょう」
ダンゴは淡々と、ズケズケと告げた。
「……ダンゴくん、怒ってるでしょ」
「初対面であそこまで言われて怒らないと思います? ワタクシ、世話係であって聖人ではございませんし」
「まぁ、そりゃそうだよね。……ただ、このまま死なれるとさすがに目覚めが悪いかな。一応、彼女のことを頼まれた立場ではあるし」
「難儀なものですね、ヨハン様も」
彼女の姿が陽炎に隠れ見えなくなったところで、ようやくヨハンは歩き始める。
ダンゴは深く一礼をした後、彼の背中に声をかけた。
「……お戻りは夕方頃で?」
「うん、そんくらいになると思う。とびきり美味しい晩御飯、よろしくね」