ep12.奇跡の特効薬2
■後神暦 1325年 / 秋の月 / 海の日 am 11:00
――バベル下層街 作業場
ペニシリンの生産を始めて2日、自然に任せていると菌の培地だけでも1週間はかかるものを僕たちは驚異的な速度で短縮していった。
ザックがペニシリンの元になる青カビと検証用の菌の培養。
その間に僕が設備を整えて空いた時間は単離作業、有難いことに子供たちやティスも手伝ってくれている。
マスクをして、油を入れた液体をかき混ぜている子供たちは大変に可愛らしい。
デレデレとしながら機器を並べていると、作業場の扉が勢いよく開けられた。
「邪魔するゾ!」
「こんにちは、作業場や材料の手配を頂きありがとうございます。でも柘榴鼠のトップが出歩いて大丈夫なんですか?」
「哈ッ! 問題ない、ジズもいるしナ。それにワレだって弱くはナイ」
そう言って印象的な尖った歯を見せて不敵に笑うイーリエンさん。
煌びやかなチャイナドレスにファーを纏い、下層街では間違いなく浮いてしまうだろう。
数日前に薬を作り始めたと聞いてすぐにトップが様子を見に来るとは、作業場の手配といい、柘榴鼠のフットワークの軽さには驚かされる。
昨日も来ていたジズさんを見つけると子供たちはすぐに駆け寄っていく、やはり逞しい人が好みなのだろうか。彼女へ恨めしそうに視線を送る僕を見て、察したようにイーリエンさんがフォローをくれた。
「ジズは地下貧民街出身だからナ、チビたちの扱いは年期が違ウ。白猫が敵わなくても仕方ないゾ」
「”バイマオ”って僕のことですか?」
「哦、髪も肌も白いし猫人族だしナ、良い愛称だろウ?」
まぁ、変に二つ名が付くより全然良い。
それに愛称で呼ばれるってことは信頼を得られたってことで喜ぶべきなのかもしれないね。
「それデ、どうダ?」
この『どうだ』はきっと薬のことだろう。
下手に誇張も謙遜もせずに在りのまま伝えるべきだ。
「まだ、分かりません。ただし、一定の成果はありました。後は梅毒……楊梅瘡の人に効くかを試さないといけません」
「そうカ! ならその者をすぐに連れてこよウ!」
「いえ、先ずは効果検証させて頂けませんか? 身体に直接薬を入れるので、慎重に事を運ばせて欲しいんです。たぶん、重篤な方って傷が膿んでませんか? その膿が必要です」
「そ、そうダナ、分かっタ。ジズ! 来てクレ!」
イーリエンさんに呼ばれたジズさんは抱きかかえていた双子を降ろし、指示を聞くや一礼し走り去っていった。そして彼女を見送ったイーリエンさんの次の話題は、僕からも話そうと思っていたものだった。
「白猫、お前はもう数日で商船でこの街を去るのだロウ? それまデに薬は完成するノカ?」
「僕もそのことを相談したかったです。ですが、一つお約束頂けませんか? これからする話は秘密にして欲しいんです。場合によっては僕の急所になり得ることなので……」
「……分かっタ。お前が楊梅瘡の治療に力を尽くしてくれるなラ、ワレもそれに応えヨウ。秘密はラオ家の名に誓って守ることを約束スル」
「ありがとうございます。では実際に見て頂いた方が早いです」
僕は扉をイーリエンさんの目の前に出した。
突然現れた鉄製の扉に目を白黒とさせる彼女に説明を続けた。
「これは僕の能力……魔法だと思って頂いて結構です。
この扉は条件を満たした場所へ距離や時間を無視して移動できる力があります。僕が多くの商品を用意できたのはこの力のお陰です。そして、バベルから離れても扉があればいつでも戻ってこれます」
「聞いたことのない魔法ダナ……だが納得ダ。
な、ナぁ、もしかしてこの扉を通ればおばあ様に会いに行けたりするノカ?」
「え? はい、アルコヴァンにも繋げられるので行けますね」
「好ッ!! 白猫、頼ム!! 楊梅瘡の件が落ち着いたラ、ワレをおばあ様のことろへ連れていってクレ!!」
テンションの上がり方がおかしいって……まるで誕生日に欲しい玩具を貰い狂喜乱舞する子供のようだよ?
まぁ、それほどラオばあちゃんに憧れがあるってことは理解するけどさ。
元々ペニシリンでどうにも出来ない患者がいた場合、アレクシアにも助けを求めるつもりだった。
だからイーリエンさんをリム=パステルへ連れて行くことは何の問題もない。
しかし、薬を作り始めてから、ふと疑問に思ったことがある。
僕はそれを手足をバタつかせ踊り狂う齢40過ぎのマフィアのボスへ質問した。
「あの、聞いてもいいですか? 例えば病気を治す魔法を使える方とかっていないんですか?」
「嗯? あぁ、恐らくいるゾ。ただ、そういった者は上層街が独占しているンダ。頼れないこともないガ、下層街に蔓延る病ヲ一掃するなんてことはしないだろウナ、ワレらもそこまでの金はナイ」
なるほど、技術の独占と支配階級の既得権益みたいなものなのかな。
あまり気持ちのいい話じゃないね、余計に梅毒を根絶させてやりたくなってきたよ。
「理解しました。絶対に薬を作って皆を治しましょうね!」
「もちろんダ、よろしく頼むゾ、白猫!! それとワレのことはリェンと呼べ、親しい者はソウ呼ぶ」
「分かりました、よろしくお願いします、リェンさん」
決意を新たに、がっちりと握手をした僕たちだったが、勢いよく作業場の扉が開かれた、本日二回目だ。
まったく……開けるにしても、もう少しゆっくり開けられないものだろうか。
「ジズか、随分早かっ……」
「たのも~~」
僕もリェンさんもジズさんが戻って来たのだと思ったが違った。
そこに立っていたのは、ピエタさんのような淡緑の髪に眠そうに目をした魔人族の子供……?
しかし、どことなく魔人族とは違う気がする。
それにその子を見た瞬間、リェンさんの表情が酷く険しいものに変わった。
ともすれば殺気とも取れる張り詰めた空気を放ち、来訪者を睨みつけている、決して子供に向けるような視線ではない。
「……何故、上層街子飼いの霊鉱精が下層街に居ル? 殺されたいノカ?」
「は? 霊鉱精?」
また新しい、それも有名な種族が出て来たね、でもザックが妙に警戒してる……?
もしかして霊鉱精って古代種なの?
普段ならワクワクする展開だけど、一触即発だよ……どうしようalmA。
僕は一先ず浮かぶ多面体に子供たちを守る指示を出した。