ep6.階層都市バベル2
■後神暦 1325年 / 秋の月 / 黄昏の日 am 05:00
――バベル 下層街 春ノ月兎亭
「……むぐっ」
昨晩は早く寝たことと、息苦しさからまだ薄暗い時間に目が覚めてしまった。
目を擦り、頭が回り始めると息苦しさの正体が分かった。
オーリの脚が首に絡みついて僕に絞め技をかけるような格好になっている。
「ふふ、どんな寝相なんだろうね、よい……っしょ」
子供たちを起こさないようにゆっくりと脚を退けて、オーリの身体を直し布団をかける。
二人とは別のベッドで寝ていても、こうして起きたら潜り込まれていることは茶飯事だ。
何気なく窓から通りを眺めていると、物陰に隠れ、辺りを見回している猫人族の女性が目に入った。
不審者かと思ったけれど、その考えはすぐに消えた。
可能な限り身を屈める姿は何かに怯えているようにしか見えない。
ゆるく巻かれた淡緑の髪に胸元がざっくりと開いた服、偏見かもしれないけど、歓楽街のどこかの店で働いている人ではないか?
そうだとすれば、客か同業とのトラブルで逃げてる可能性が高そうだ。
「うーん……ダメだ、やっぱり見ちゃったら放っておけない……」
ラミアセプスに呆れられそうだけど、助けたとしても警戒は怠らないさ。
そもそもアイツの評価を気にしてどうするんだよ、バカか僕は……
宿の前でトラブルが起きて巻き込まれるのを未然に防ぐだけだ。
そう自己擁護をしながら階段を降り、宿を出てすぐに隠密のスキルを使って隠れている女性の背後に回った。
「あの~、大丈夫ですか……?」
「ひっ……!」
両手を口に当て、悲鳴を殺した女性がゆっくりとこちらに振り返る。
窓からでは身を屈めていたので分からなかったが、目鼻立ちがはっきりとした彫刻のような美人だ。
「え? 女の子……?」
「ごめんなさい、僕、そこの宿に泊まっているんですけど、窓から見えて気になっちゃって……誰かに追われてるんですか?」
「え、えぇ、客から逃げててね」
「匿いましょうか?」
「本当!? お願いするわ!」
僕は彫刻のお姉さんを連れて春ノ月兎亭へ戻り、まだそわそわとしている彼女をイスに座らせ、ベッドに腰をかけた。少しすると落ち着いたようで、強張った顔も幾分か穏やかになった。
「助かったわ、ありがとう。私はピエタよ、よろしくね」
「メルミーツェです。さっきお客さんとのトラブルって言ってましたけど、大丈夫なんですか?」
「えぇ大丈夫よ、出禁の客だったから外ではちょっと油断しちゃったけど」
「出禁って、相当厄介な人だったんで……―」
僕たちが話していると階下から男の喚き散らす声が響く。
それは2階の部屋にまではっきりと聴こえるほどだった。
声の主が誰かはピエタさんの顔を見ればすぐに解った、正に今話している客だ。
まだ彼女を信用して良いか分からないが、厄介客にお帰り頂かないと話が進まない。
僕はティスを起こして簡単に事情を説明し、屋内用の武器を持って1階の酒場へ降りた。
「ここにピエタが来てるだろ!? 俺の女だ!」
「朝っぱらからなんだお前? ピエタ? 誰だそれ? 客の迷惑になるからとっとと出て行け!」
朝食の仕込みをしていたであろうご主人と、熊人族……だとは思うけど、髪と耳の配色から熊猫としか思えない男が言い争っている。
ピエタさんの名前を出していたので厄介客で間違いない。
「ピエタさんなら裏口からもう出て行きましたよ?」
「嘘を吐くな! お前がピエタと一緒にここに入ったあと、裏口も見える場所にいたが誰も出てこなかったぞ!!」
おぉう……取り合えず嘘で乗り切ろうとしたけど失敗だ。
そんなことより、宿の出入りを見てたのか……怖いな。
『俺の女』とか喚いていたし、コイツが異常者でピエタさんの話を信じても良さそうだ。
「どうでもいいよ。とにかく帰んなよ、ここ宿屋だよ? まだ寝てる人いるのに迷惑とか考えないの?」
「うるさい、さっさとピエタを出せ。さもないと」
「さもないと、何さ?」
僕は熊猫男にスタンバトンを突きつけ、なるべく派手に放電させて見せた。
バチバチと鉄芯を走る電気は、魔法世界でも分かり易く脅威だと認識できるだろう。
このハッタリでダメだったら銃を使う、コイツの実力が分からない今は近づくことは絶対にしない。
「どうするの? 宿の迷惑にならないように1発でお前を気絶させて、裸で街に放り出してやろうか? 僕にはそれが出来るぞ?」
「……くそが! 覚えていろ!」
安い捨て台詞を吐いて熊猫男は宿から出て行った。
完全に男の気配が消えてから、スタンバトンの放電を止め、僕は近くのイスに座り込む。
啖呵を切るのは得意ではないけれど、我ながら頑張った方じゃないだろうか?
「お嬢ちゃんやるねぇ、アンタ、商会の会長さんなんだろ? 良い啖呵だったぜ、若ぇのに商会を纏めてんのも納得だ」
「あはは、半分ハッタリですけどね。引っかかってくれて良かったです」
宿のご主人と少しだけ談笑し部屋に戻り、ピエタさんに熊猫男が出て行ったことを伝える。割と騒がしかったのに子供たちはまだぐっすりだ。
しかし、今はその方が都合が良い、恐らくこれから話すことはこの子たちには聞かせたくない。
「つきまといの男は追い返しましたよ。それで聞きたいんですけど、ピエタさんのお仕事って……」
「娼婦よ」
「ですよねぇ」
そこからピエタさんは今回のつきまといに至る事情を話してくれた。
まず、あの厄介客の熊猫男はソシオと言う名前だそうだ。
界隈では悪い意味で有名人で、店の決めたルールを破る、気に入った娼婦につきまとうなど、迷惑行為で出禁になっている店が多いらしい。
過去には袖にされた娼婦の嘘の悪評を書き殴った紙を量産して、店の近くにばら撒く異常行動もしていたみたいで、出禁になるのも然もありなんといった感じだ。
「それで、今度はピエタさんが狙われたってことですか?」
「そう、初めは優しいフリしてるけど、実際は自分よがりで乱暴だし、禁止されてるのに***――」
「あー!! それは言わなくていいです!!」
思った通り、子供たちに聞かせれられない内容だった。
文字通り”お花から産まれてくる”ティスはきょとんとしちゃってるよ、僕だけ焦って何だか恥ずかしい……くそっ、全部ソシオのせいだ。
「さっきソシオを追い払ってくれてる間にティスちゃんから聞いたんだけど、ミーツェちゃんは……あ、ミーツェちゃんって呼んで良い? 商会の会長なのよね?」
「はい、ミーツェで大丈夫です。小さい商会ですが一応代表です」
「ねぇ、もし良かったら今夜私と一緒にお店に来てくれない?」
「は? いやいやいや、僕娼館では働けませんよ」
「んはっ! 違う違う。私、フェーリンってお店で働いてるんだけど、そこでママに会って欲しいのよ。あとお店に行くまでのボディーガードもお願いできないかしら? 報酬は払うからさ」
ママって娼館を仕切ってる人のことだよね。
あんまり乗り気はしないけど、乗りかかった船だしなぁ……
「えっと……乗船している船の船長さんと相談してからで良いですか?」
「分かったわ、じゃあ私は今日はここ宿に泊ることにするから、夜にまたね~」
緊張も解けて安心したのか、ピエタさんは欠伸をしながら手をひらひらとさせ、空き部屋がないか確認しに出て行った。娼館フェーリン、行くにしても僕とalmAだけだ、情報は集めておいた方が良い。
メイグロウさんならその辺りに詳しいだろう。
あまり煌びやかなところは得意じゃないんだよねalmA。
僕は浮かぶ多面体ではなく我が子の頬をぷにぷにと突いた。