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正義の味方  作者: 春原 恵志
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プラチナシード

プラチナシード


如月の病状は悪化の一途をたどる。本人も自分の残り時間を把握できるほどになって来ていた。母子の生末をどう見守ればいいのか、それが如月の最大の関心事になっていた。

芸能事務所プラチナシードの柳沢とは画廊紹介以降も交流があり、それなりに信頼関係も築けてきていた。如月は藁にでもすがる思いで彼女に相談を持ち掛けることにした。

社長業が忙しい中、なんとか会うことができるとのことで都内の彼女の事務所で面会することとなった。

如月は久々に渋谷に出向いて、道玄坂付近の彼女の事務所を探す。やはり渋谷は若者が多く、活気にあふれている。如月のような老人にとってはものおじするほどである。

通りを歩いていると妙に騒がしい。年配の男性が若者に絡まれている。どうも男性が路上喫煙を注意したようだ。若者は二人組で、男性は如月と同年代のように見える。周囲の人間は構おうとはしない。

「おっさん、わび入れろよ」

茶髪の若者が男性の胸ぐらをつかんで持ち上げている。

「き、君たちが悪いんだろう、路上喫煙は禁止だ」

やはり、殴られる。男が倒れる。

「うるせえな。どこで吸おうと俺たちの勝手だろ」

さらにもう一人が蹴り上げる。男がうずくまっている。見るに見かねて如月が言う。

「警察を呼んだぞ。いい加減にしないか」

二人は如月をにらむ。それでも警察と言う言葉には弱いのか、地面に唾を吐いてそのまま立ち去る。

如月は倒れている男に近寄る。

「大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫です」

男はむっくりと起き上がる。くちびるが切れて血がにじんでいる。

「ただ、喫煙を注意しただけなのにいきなり殴りかかって来たんですよ」

「そうですか、あんまり関わり合いにならないほうがいいですよ」

こういった光景はよくあるのかもしれない。いわゆる正論は力に屈してしまう。如月も腹立ちはするが、これまでも我関せずといった姿勢で生きて来ていた。

これが今の世の中なのかもしれない。


プラチナシードは高層ビルの10階にあり、そこのワンフロアーを占めている。さすが売上高50億円とも噂される優良企業である。待ち合わせ時間は夜の9時で、如月にとってはさすがに遅い時間だった。忙しい業界なのでそれでも早い時間なのかもしれない。

受付には電話機があり、それで連絡をするようだった。中に入るように言われる。中はワンフロアーが見渡せるようになっており、いわゆるオープンスペースとでもいうのだろうか、パーティションで区切ってはあるが、事務所のような形態ではなく、机や椅子が所々に散らばっている感じだ。以前会ったことのある西城氏が如月を待っていた。西城が如月に気が付く。

「お疲れ様です。社長がお待ちです」

そうして奥にある社長室に通される。社長室は別途あるようだ。西城氏がドアをノックする。

「社長、如月さんがお越しです」

室内からどうぞおはいりくださいと声がする。如月が室内に入り、西城は自席に戻る。

「失礼します」

「どうぞ、わざわざ遠くまですみませんね」

柳沢社長は仕事中なのか、少しだけ顔を上げて挨拶をするも、再び机上のファイル類を確認している。社長室は10畳ぐらいはありそうな広さで奥に大きな机とパソコン類もあり、その後ろには額に入った油絵が飾ってある。高そうな絵だ。机の前には豪華なソファセットとローテーブルがある。表に面した部分は全面ガラス張りになっており、東京の夜景がきれいに見えている。

「こちらこそ、急な面会に対応して頂きましてありがとうございます」

「そちらのソファーにおかけください」

少しだけ顔を上げて社長室にあるソファーを勧められる。ソファーは対面にあり、その中にガラス製のローテーブルがある。

「今、仕事は終わりますので、えーと、如月さんはお酒は飲めるのかしら?」

「お酒ですか?いや、最近はほとんどいただいてないです」

「そうなの、実は昔、事務所にいて今は辞めて地元の酒蔵で働いてる方から、お酒が送られてきたのよ。一緒にどうかしら?」

「そうですか、じゃあ、少しだけいただきます」

「うん、そうして、私ももう仕事はしないから、本当はどこかのお店でもと思ったんだけどね」

「いえ、事務所の方がよかったです」

これからの話は人に聞かれない方がいいことなので、如月には助かる話だった。

仕事を終えて、柳沢社長は日本酒をデカンターに入れて、クリスタルグラスを二つ持ってくる。

「けっこう、日本酒好きには人気のある銘柄のようよ、なんかプレミアもついてるらしいわ。つまみは乾きものでいいかな」

「けっこうです」

お酒を互いのグラスにそそいで乾杯する。確かに口当たりがいい。今時の日本酒はこんなフルーティな味がするのか。

「柳沢さん、あまりに大きな事務所なんでびっくりしました」

「そうですか、うちは芸能事務所としては、まだまだ中堅といったところなんですよ」

「渋谷の一等地に事務所があるんですから、凄いです」

「まあ、テレビ局も近いし仕事上は便利なのよね。それと渋谷って若者のエネルギーを感じる街だと思うのよ。時代を映しているっていうか、今が見えるっていうのかしらね。そんなところが気に入ってるのよ」

社長はいける口のようで、もうお酒が空いている。如月は社長に酒を注ぐ。

「そうですね、私も若いころはよく来ていました。今はなんか、肩身が狭い気がします」

「そうですか」

自然な笑顔を作る人だ。他人に嫌な気持ちを与えない生来の人柄なのか。

如月はうまい話が出来る方ではない。とにかく早速本題を話す。

「柳沢さん、今日は勝手なお願いをします。こちらの都合のみを話します。まずは話を聞いて下さい」

「なるほど、わかりました。お話を伺いましょう。」真剣な顔で柳沢が答える。

まずは順序立てて話す必要がある。

「少し長い話になります。私は医薬品製造会社の研究所に在籍していました。大学も理系で根っからの研究バカといったところで、研究所でも仕事が趣味のような人間で35歳を過ぎても浮いた話もなかった。そんな時に見かねて友人が女性を紹介してくれました」

「それが奥さんね」

「そうです。恥ずかしい話ですが、私にとってはそれが初恋でした。まあ、それ以前、何の経験もないままだったので、初恋もくそも無いですが。妻にしてみればこんな自分をほってはおけないといったボランティア精神だったと思います」

柳沢が再び笑う。グラスが空いたので注ごうとしたら、手で止めて手酌でいこうと言われた。それだけのんべえなんだろう。

「妻は良妻賢母を絵に描いたような人間で、なんとか子供を早く授かりたいと思っていました。ところが、いっこうにその気配がありません。妻は私とは5歳違いで若くもないので、あまりのんびりとはしていられません。私の仕事が忙しすぎたのもその要因かもしれません。それで不妊治療を始めました」

「最近は不妊で悩まれている方も多いそうね。そういった話をよく聞きます」

「そのようです。うちもそれほどの問題はないと思っていたのですが、けっこう課題も多く、最終的には体外受精まで行きました。それでなんとか子宝に恵まれました」

「それはよかったですね」

「はい、出産までもけっこう大変だったんですが、無事生まれてくれた時は涙が止まりませんでした。子供は女の子で美幸と言う名前を付けました」

「美幸ちゃんね」

「ただ、残念ながら子供は少し身体が弱いところがありました。幼い時はよく病気をして、この子が無事、大きくなれるのか不安でした」

柳沢さんも心配そうにうなずく。

「それでも、小学校に上がった頃には徐々に健康になり、これは一安心と夫婦で喜んだものでした」如月がお酒を少し飲む。

「ただ、美幸が10歳の時でした。学校で倒れたとの連絡があり、病院で検査したところ癌でした。小児がんです。まさか自分の子供に限ってそんなことが起きるとは思っても見ませんでした」

「小児がん・・・」

「今でこそ、小児がんは色々な治療法もあり生存率も高い癌です。ただ、当時はまだそこまでの治療法も確立しておらず、残念ながら治療の甲斐なくまもなく亡くなってしまいました」

「そうでしたか・・・」

如月は今でも娘の死ぬ間際の事を思い出すと、胸が張り裂けるようだった。

「特に妻の焦燥感は大きく、見るのも哀れで何も出来ない自分がもどかしかったです」

「病気は残酷ですね」

「はい、結局、二人とも娘の死を受け入れることは出来なかったと思います。今も娘の部屋はそのままになっています。それからの人生は、私は仕事に埋没すればよかったですが、妻にはよりどころが無かったかもしれません。それでも夫婦二人きりなので、これまでなんとか生活してきました。ところが、そんな妻も昨年、やはり癌で亡くなってしまいました」

「ああ、それはお気の毒に」

「二人とも癌で失うことになってしまいました。妻は膵臓がんでした。気が付いた時には手遅れでした。それなりに検査はしていたのですが、すい臓がんは進行が早く。わかった時には手の施しようがない状態でした。これで私にとっての生きがいがすべて無くなってしまいました。それで60歳も過ぎていましたし、仕事への張り合いもなくなり退職しました」

「今、63歳でしたか?」

「はい、年金はまだ出ないんですが、それなりに貯えもありますので後の人生はなんとかなると思いました」

「そうですか」

「はい、それでここからが本題になります。先日、柳沢さんとお会いした日展で私が購入させていただいた絵の作者がらみの話になります」

「娘さんの絵を描いてた方でしたね」

「そうです。松浦さんとおっしゃる方なのですが、実はその娘さんが私の娘と瓜二つなんです」

柳沢さんがびっくりした顔をする。「うりふたつ?」

「そうなんです。不思議な経験でした。もちろん何の血縁関係もないんです。ただ、よく似ていました。娘が亡くなったのは10歳で彼女も同じ歳ぐらいです。余計にそう思えたのかもしれませんが」柳沢がうなずく。「実は数日前に公園で私は不覚にも倒れてしまったんです」

「まあ、それは私と会う前かしら?」

「はい、少し前です」

「そうですか」

「それをその娘さんが救ってくれました。意識がもうろうとしていたのもあってその女の子を見たときに美幸が生き返ったのかとも思いました。でもうちの美幸は10年以上も前に亡くなっているんですが・・・そしてさらにその女の子の名前がみゆきという同じ名前だったんです」

「そんなことがあるのかしらね」

「ええ、何か運命的な出会いを感じました。そして日展であの絵を見たときの衝撃は今もって忘れられません」

「なるほど、それもあってあの絵に魅かれたのね」

「はい、それもあると思います。ただ、それだけでなく、本当にあの画家の絵にも魅力を感じました。私としてはなんとかあの画家を支援したい。そしてあの家族に幸せになってもらいたい」

「なるほど・・・それで私に何をして欲しいのかしら?」

「はい、実はもうひとつお伝えしないといけないことがあります」如月はここで息を整える。「私自身も癌に侵されています」

柳沢氏の顔が曇る。

「末期がんです。あと半年持てばいいほうだと言われています」

「そうなの?」

「先日の美術展でも大変お世話になったように体調はあまりよくありません。自分の死がどのくらいで来るのかもよくわかりませんが、長く無いことは分かります。これでも製薬会社に勤務していましたのでそれなりに医学的な知識もあり、医者の言うことよりも自分の知識が勝ることもあります」

「やっかいな仕事ですね」

「あの親子、特に母親は根っからの芸術家です。世間にはうとく、実際、今回も高利貸しに騙されて借金をさせられていました。それはなんとか処理したのですが、今後が心配です」

「なるほどね」

「実は私の在籍していた会社は特許料の従業員報奨制度というものがありました。研究過程で取得した特許の使用料に換算した金額の一定割合を授業員に支払うといったものです」

「へー、そういったものがあるの?」

「ええ、青色レーザでノーベル賞を取得された中村教授の訴訟騒ぎから企業側も従業員の特許に対して一定の考慮をしてくれるようになったんです。そうして、私自身も特許数が多く、さらに製品化された薬剤も多くあったことから、報奨金が莫大なものになっています」

「すごいのね」

「正確に算出したものではありませんが、その他もろもろを合計しても私の資産は10億円は下回らないと思います」

柳沢さんが目を丸くする。

「このまま私が死んだ場合これが相当数、国庫に行くものと思います。一応、遺言状を残せば親子にいくらかは渡せるとは思います」

「あなた、他にご家族はおられないのね?」

「遠縁にはおりますが、近い親戚はおりません。そこで相談です。私の資産を柳沢さんに有効活用してもらいたいのです」

「それはどういう意味でしょうか?」

「はい、私が亡くなったあと、あの家族を支援していただきたいのです。私の家などは家族のものにしたいと思っています。そして私の資産は柳沢さんのほうで運用していただいて、その中で家族が画家として生活できるようにしてほしいのです。ただ、絵を描いて生きていける状態にはしていただきたいと思っています」

柳沢氏はここで静かに考えをめぐらす。おもむろに立ち上がり、グラスを持ったまま渋谷の街頭を窓越しに見渡している。遠くに高層ビルも見える。夜景は絵のようだ。

「言い換えれば家族が生活できれば、それは資産は私に一任するという意味かしら?」

「そうです。ぶしつけなお願いだとは思いますが、こういったことをお願いできる人が他に見当たらないのです」

「いや、10億円もあれば遺産相続をしても半分ぐらいは家族にいくでしょう?それでもいいんじゃないのですか?」

「はい、そうです。ただ、それでは画家としての今後が見えません。私には彼女の画家としての才能と今後の希望を見せてあげたいのです」

「なるほど、そういうことね。少し時間をいただけますか?」

「はい、けっこうです」

「実は私も現在の美術界については思うところはあります。今の日本に芸術家が才能を発揮して生きていける環境が整っているのかは、甚だ疑問です。海外の有名な画家の展示があれば、あれほどの人が集まります。それだけの需要もあるはずです。一般家庭でも家に絵を飾りたいと思っている方も多いと思います。そういった美術に対する一般の関心もあるのに、画家側を提供する地盤が弱い。もっとプロモートできる分野はあると思っていますよ。実は私の会社も芸能事務所から、次のステップを考えています。それとうまく合致できれば、貴方の望みも叶うやもしれませんね」

「はい、わかります。ぜひ、ご検討ください」

「如月さんの今後もあるので、なるべく早く返事できるようにしますね。なにかしらの青写真は作成しないとだめだと思いますのでね」

「はい、ありがとうございます」

やはり、この人に相談して良かった。如月の期待以上の答えが出てきそうだ。

「如月さん、先日、少しお話したかもしれませんが私は人との出会いや縁というものを大事にして生きてきました。何かあの展示会でお会いしたのもこういう定めだったかもしれませんね」

「はい、実は私もそんな風に感じていました。これで私が生きてきた意味もあったのかもしれません」

「期待に応えられればいいのだけれど。如月さんのお身体も心配ね」

「ありがとうございます。なんとかがんばります」

如月は思う。事の成果を見届けるまではなんとか生き延びなければならない。

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