茉莉華の過去
茉莉華の過去
神保町のとある出版社、週刊ジャーナル編集部は締め切りに追われ、てんてこ舞いである。
週刊誌は鮮度が命である。特に世間を騒がす事件などは、いち早く載せないと部数はあがらない。まして締め切りもあり、締め切り間際が特に忙しくなる。記事の差し替え、修正、予定していた原稿が仕上がらない、または記事には出来ないなどといった事例がたびたび起きる。
フリーランスの妙高ちとせも締め切り間際は編集要員として担ぎ出される。それもバイト料金でである。校正作業やら追加記事のでっちあげなど、実にこき使われる。
本日もなんとか作業が終了し、無事、印刷所にデータを送ることができた。ほっと一息の瞬間である。
編集長も一段落で自席でコーヒーを飲んでいる。妙高が話しかける。
「編集長、お疲れ様でした」
「おお、妙高ちゃんいつも悪いな。助かるよ」
「そう思われるんでしたら、バイト料の値上げを・・・」
編集長は何か他から呼ばれたような顔をしてはぐらかそうとする。ただ、妙高が返事を待っている雰囲気を感じて、
「はいはい、考えとくね」また、これか、いつまで考えるんだか。
「ところで妙高ちゃん、今はどんなネタ追っかけてるの?」
「ああ、例の正義の味方を追っかけてるのと、半グレ集団ヘチ絡みですかね」
「そう、面白そうな記事になったら、載せるからよろしくね」
「はい、ああ、それで編集長、別件なんですが、ひとつ気になるネタがあってですね」
「何々?」ネタと言う話に食いついてくる。
「茉莉華って知ってますよね」
「えーと、うちのファッション誌でモデルやってた娘だよね。知ってるよ。それがどうかしたの?」
「その茉莉華が刑事になってたんですよ」
「へー、なんでまた」
「そうでしょ。それが不思議で色々調べを始めてるんですが、実に彼女に謎が多いんですよ」
「そういや、モデル時代も色々、正体が分からない部分が多かったって聞くな」
「そうなんですよ。あれだけの有名人でありながら個人情報がまるでわかっていない」
「そうそう、たしかどっかいい大学にいたんじゃなかったかな」
「一流国立大学ですよ。それも法学部」
「それで刑事か、キャリアだな」
「いえ、それがどうもノンキャリアらしいんです」
「そうなの?なんか無駄に大学行ってないか」
「そうでしょ、就職先も謎だし、私生活も謎、とにかく謎だらけなんですよ」
「面白そうだな。ああ、そういやその当時ファッション誌の編集長をやってた本橋さん、今は営業部長だよ。あのファッション誌が4年で売上5倍になったんだよな。あれも茉莉華効果って噂もあったな。出世街道まっしぐらだよ。俺の2年後輩なんだぜ。差が付いたよな・・・」それは編集長のせいじゃないかと妙高は思う。
「本橋さんなら茉莉華について知ってますかね」
「そりゃ編集長だったからな。知ってると思うよ」
「話、聞けますかね」
「でも茉莉華って今は素人さんなんだろ、記事にできるか?」
「可能性はありますよ。なんか出れば、やれませんかね」
「まあ、いいか、ダメもとだ。本橋に聞いてみよう」
ネタが拾えそうなら何でも食いつく。さすが編集長。本橋部長と話はついた。
営業部は2階フロアーである。妙高は2階のフロアーに立って、奥に座る本橋部長席に向かう。部長は40歳ぐらいでいかにも切れそうな女性管理職である。銀縁眼鏡でロングヘアーを後ろに束ねている。週刊ジャーナルの中年太り編集長とは別格の雰囲気である。
さすが出世頭。
「本橋部長ですか?私、妙高ちとせです」
「ほい、太田から話は聞いた。そこ座って」
書類を見ながら、横の椅子を示す。
「はい、どうも」
「で、何?」眼光も鋭い。さすが敏腕営業部長だ。並みの編集員なら縮み上がりそうな雰囲気である。
「はい、実は茉莉華の件で教えて頂きたいことがあってですね」
「茉莉華ね。彼女でまだ、記事になるの?」
「最近、彼女と知り合いまして」
「ほー、何してるのあの娘」茉莉華の話に食いついてくる。
「武蔵大和署で刑事やってます」
「まじ!なんでまた」
「でしょ。それもノンキャリアの刑事です」
「嘘だろ、だって国立だぞ、それもなんかいい成績だったはずだよ」
「そうなんですか?」
「モデルやりながら、どうやって勉強してたんだろってマネージャーが話をしてたぐらいだからな」
「それで、当時の話を聞きたいんですよ」
「ああ、それがさ、私も個人の話はよく知らないんだよ。事務所側もガードが固くってさ。大学名も世間から漏れたんだよな。あの頃から個人情報もうるさくなってさ、こっちも深くは聞けなかった。彼女も話さなかったからね」
「そうなんですか、ますます謎が深まりますね」
「でも、いい娘だったよ。プロ意識が高い子でさ、こっちの要求には120%で答えてくれたな。当時の雑誌の売れ行きは彼女の力といっても過言じゃないよ」
「結局、大学時代の4年間しか、モデル業をやらなかったんですよね」
「そうそう、それは最初から言ってたな。大学で辞めるってその意志は固かったよ。こっちも茉莉華で儲かってたから、なんとか続けてくれって何度もアタックしたんだけど、頑として断られた」
「契約金も積んだんですよね」
「そりゃそうだよ。こっちも死活問題だからね。相当粘ったよ。でも事務所との最初の契約条件が大学までということだったみたいだ」
「それで、就職先が刑事ですか。何なんですかね」
「私が聞きたいよ。ちょっと調べてくれない。興味あるな」
「本橋さんが覚えてることって他に何かありませんか?」
「私が覚えてるのは、当時の雑誌の専属モデルが不祥事で使えなくなってね。さてどうしようという時に彼女が出てきたんだ。当時、けっこうオーディションもやったんだけど、いい娘がいなくてさ。そんな時に茉莉華がぽっと出て来た。彼女、駆け出しでこれから仕事を始めるって時だったんだ。一目ぼれだな。いまだにあの感覚を覚えてるよ。なんていうのかな、オーラだよ。オーラ。あれは持って生まれたもんだな。それも編集部全員が同じ思いだったよ。即、採用で、その結果があれだよ」
「でもモデル経験は浅かったんでしょ」
「そうだよ。でもね、覚えが良いって言うか、勘がいいのか、すぐ物にするんだよ。それもこっちの期待を越える」
「まさに理想的ですね」
「頭も良かったね。勉強の頭もそうだけど、賢いっていうのかな、こっちの気持ちを分かってくれる。それも10代でさ。なんか懐かしいな」
「そうですか。彼女の私生活の話題はないですか?男関係とか?」
「いやあ、それもよくわからない。言い寄る手合いは結構いたと思うけど、実際、付き合ってたとかは聞かないな。仕事と勉強を両立させてたからな。そういう意味では付き合いはよくなかったな。打ち上げとかもあまり参加しなかった」
「そうですか、当時の茉莉華を知ってる方って他におられますか?」
「うん、今、ファッション誌の編集長をやってる生方が当時の茉莉華番だったよ。生方は知ってるよな」
「ええ、何度かお話したことはあります。紹介してもらえますか?」
本橋部長が電話をしてくれた。ちょうど先方は席にいるようでこれから会えるそうだ。
「妙高さん、何かわかったら私にも教えてくれよ」
「わかりました。ありがとうございます」
妙高はそのまま、3階にあがる。この一角がファッション誌の編集部だ。ここも週刊ジャーナルフロアとは別次元の趣だ。わさわさしていない。女子高の雰囲気がある。
奥に生方編集長がいて、こっちを見て手を振ってくれた。生方は妙高よりも少し年上だが、だいたい、同年代ともいえなくもない。たまに話をしたこともある。黒縁メガネでいかにも女子力が高そうなキャリアウーマンである。
「生方さん忙しい中すみません」
「いいよ。週刊誌ネタだろ。協力しないとな」
「ネタにできるかはわかりませんけど、ははは」
「茉莉華に会ったんだって?」
「そうなんですよ。今、彼女、刑事をやってるんです」
「うん、なんかそういわれて、そうかもしれないとは思ったよ」
「え、そうなんですか?」
「彼女、正義感が強くてさ、不正というか犯罪を憎む思いが強かったからね」
「何か具体的な事例があったんでしょうか?」
「いや、具体的に何かあったわけじゃないんだ。言葉の端々にそういった考え方がにじみ出ていたな。それと確か法学部だったよね。だから弁護士とか検事にでもなるのかと思ってたよ」
「彼女とは4年間一緒に仕事をされたんですよね」
「そう、私は茉莉華番だったよ。茉莉華は高校生時代から少しずつは仕事をしていたみたいだけど、うちに来たときは、まだ、ほぼ素人だったからね。担当にするなら、私ぐらいの中堅が良かったんだ。でも彼女はすぐに一流になったな」
「親しかったんでしょ?」
「そうでもない。茉莉華は誰とも仲良くはなかったよ。社交的な対応はするんだけど、それ以上にはならない、いやなれないって感じだな。ガードが高い感じだよ」
「誰とでもそんな感じだったんですね」
「そうそう、ああ、でも所属事務所の社長とは信頼関係があったよ。多分、社長は茉莉華の内情を知っていたはずだよ。社長のガードがきつかったからね」
「茉莉華の事務所はどこだったんですか?」
「プラチナシードだよ。茉莉華がはいって急速に大きくなった。茉莉華の宣伝効果も絶大だったよね。茉莉華は社長がスカウトしたらしいよ」
「その辺のいきさつはどうだったんですか?」
「普通はデビュー時にそういった話を売りにするんだけど、茉莉華はそういった売り方をしなかったね。本人の意向もあったんだけど、とにかく謎が多くてほとんどの項目が非公開だったよ。今時、珍しいよね。でもかえってそれが彼女のイメージをふくまらせた。
ここからは噂だよ。真意はわからない。茉莉華は学費を稼ぐためにモデルをやっていたらしいんだ。モデルって売れれば時間単価がけた違いに高くなる。拘束時間もそれほどでもないから、稼ぎが良くなる。CMなんかやるとギャラは数千万になるだろ、事務所の取り分もあるけど、ある程度はタレント側にも入るから、コンビニバイトとは比較にならない。茉莉華がモデルをやった理由の一つだよ」
「つまりはモデルに興味はなかった。バイト感覚だったということですね」
「そうだね。芸能界に興味はなかったんだよ。でも仕事ぶりはプロだったよ。そこいらのタレンとは一線を画していたね。あれほど、編集側も楽しかった仕事はなかったな。何でも要求にこたえるし、こっちの意図を越えた結果を用意してくれる。カメラマンが要求するだろ、それに驚くような表情を見せる。さらにむこうから提案もしてくれる。この企画だったら、こういう案もありますね、といった感じだよ。それがまたキャッチーなんだよ。おかげで雑誌が売れに売れた。おかげで私も編集長になれたからな」
「下世話な話ですけど、4年間で相当稼いだんですよね」
「そうだね。少なくとも数十億は稼いだはずだな。ああ、これも噂だけど彼女それでマンションを買ったはずだよ」
「確か、今、立川に住んでるって言ってましたよ」
「そうなの?立川の億ションかな。これも不確定だけど確か母子家庭だったと思ったな」
「当時の事務所の社長さんに話を聞けますかね?」
「プラチナシードの?多分無理だな。私も茉莉華がやめた後、彼女の話を聞こうとしたけど、知らぬ存ぜぬって感じで何も話してくれなかった。おそらく茉莉華は今も社長とは交流があるはずだよ。芸能界のママって立場だと思う」
「そうですか、でも一応、当たってみます」
「妙高ちゃんは彼女に直接会ってるんだったら、インタビューしなかったの?」
「飲み会の帰りにそれとなく聞いたんですけど、お断りしますってはっきり言われました。あそこまで拒絶されるとかえって気持ちがいいぐらいです」
「そうか、聞かれたくない過去があるのかもね。ところでプラチナシードの社長の連絡先は知ってるの?妙高が今の茉莉華を知ってるんなら、少し話が出来るかもしれない」
「大丈夫です。同業者ですから」
「生方さんが他に茉莉華について知ってる話はありますか?男関係とかそういった話はどうですか?」
「うーん、ないな。こういったらなんか変だけど、彼女は求道者みたいなところがあったよな。何を目指していたのか分からないけど、わき目もふらずに自分の意志を貫いていくみたいな」
「そうですか、この前、飲んだ時はそこまでの印象は無かったですよ」
「そうなんだ、落ち着いたのかな」
「まだ、地を出してなかったのかも」
「でも、オーラはあるだろ」
「そうですね。一般人とは違いました。本人はオーラを消してるって言ってましたけど、にじみ出ちゃうんですかね」
「モデル時代はオーラ全開だったからね。凄かったよ。いまだにあそこまで強烈なタレントはいないね」
「惜しいですね」
「そうだよ。辞める時も複数の事務所が争奪戦をやろうとしたけど、例の社長がガードしてたよ。本人の誓約書を出してさ、二度と芸能活動はやりませんって」
「そういえば、そうでしたね。辞める時も色々、噂が出ましたけど、結局、そのままやめていった」
「でも、いまだにファンがいるんだよな。絶大なカリスマ性だよ。もちろん今は茉莉華の画像は使えないんだけどね」
「わかりました。色々、ありがとうございました」
「うん、ああ、話は変わるけど、妙高ちゃんはこれからどうするの?」
「茉莉華ネタですか?」
「いや、貴方本人の身の振り方だよ。ずっとフリーランスでやるのかい?」
「そうですね。そろそろ考えないといけない歳なんで、いつまでも夢を追っかけてる歳でもないし」
「そうだね。ジャーナルで社員になればいいんじゃないの?」
「どうなんでしょう?今はバイト代で済んでるけど、正社員となると人件費の問題もあるでしょ?」
「大丈夫だよ。出版不況っていうけど、うちはそこまでじゃないから、そういえば、正義の味方の特ダネは妙高ちゃんだったんだろ」
「はい、おかげで臨時収入が入りました」
「すごいね。ああいうネタを拾い続けるとフリーでもやって行けそうだけどね」
「はい、色々ありがとうございます。それじゃあ、また」
「うん、またね。何かわかったら教えてちょうだい」
「はい、失礼します」
編集長との話で妙高はますます、茉莉華に興味を持つ。絶対、彼女に何かある。妙高はそのまま帰途につく。当然、地下鉄には乗らずに御茶ノ水駅まで歩く。健康維持というより金銭対策である。