第一部 地下アイドル
当方2作目になります。多摩地方の架空の警察署、武蔵大和署が主体となった事件です。
女性ルポライター妙高も同じ事件を追っていきます。
全部で4部構成になっておりますが、警察ものとしては長めになっておりますが、自分が面白いと思う話にしております。読者の方も気に入ってもらえれば幸いです。
正義の味方を語る人物が多摩地方で悪事を繰り返す半グレグループと起こす事件になります。
果たして正義の味方とは何者なのか、そして彼の行動は何を目的としていたのか、武蔵大和署の新任女性刑事冷泉三有が真相に迫ります。
第一部
地下アイドル
池袋駅西口、駅から数分のスターバックス、午後5時30分。
窓際の席に座った妙高ちとせはそこで人を待っていた。妙高は30歳ぐらいで、髪はセミロングで長身、170㎝はある。ぱっと見はモデルのようでもあるが、じっくり見るとそれほどでもない。
店の自動ドアが開いて、あわてて男が入って来た。そして妙高を見つけると駆け寄ってくる。
「ああ、すいません。待ちました」
「まあね。何か注文したら」
「はい」
男はコーヒーを注文し、彼女の前の席に腰掛ける。アイスコーヒーを飲みながら、
「6時からでしたか?」
「うん、ここからだとすぐだから、10分もあれば行けると思う」
「本当にそんなことが起きるんですかね」
「十中八九ガセだと思うけど、もしも起きたら、特ダネだからね」
「まあ、そうですね。話は変わりますけど、ちょっと前に掲載された記事は先輩の書いたものでしょう」
「わかった?そうなんだ。つまんないネタだったんだけどさ。編集部から依頼されて家の前をはってたんだよ」
「若手イケメン俳優の薬物使用でしたよね」
「合成麻薬だったらしいけど、編集部が前から掴んでたネタらしくって、時間の問題だったらしいよ。でも1週間もマンション前で張り込まされてたんだよ。フリーランスは辛いよ」
妙高ちとせはフリーランスの記者で、写真週刊誌で記事を書いている。
男は彼女の大学の後輩若月昇、一流製薬会社に勤める普通のサラリーマンだが、カメラ撮影の経験があり、ちょくちょく妙高のカメラマンをやらされている。
「若月は仕事抜けられたんだ」
「無理やりですよ。まあ、営業なんで外回りにかこつけましたけど」
若月は妙高の2年後輩で、二人は大学時代の学園祭実行委員をやった仲である。
妙高は大学時代、新聞部に所属していた。一方の若月は写真部だったが学園祭で接点を持った。歳は2歳違うが妙に馬が合う。ただ男女の仲ではないが、お互い頼りにする仲ではある。卒業してからもたびたび会っている。若月は金のない妙高にとっては低賃金でこき使えるカメラマンとして重宝されている。フリーランスの妙高が編集部のカメラマンを使えない場合は今回の様に担ぎ出される。
「池袋のライブハウスですよね」
「そう、池袋スターハウスっていうなんか多目的ビルみたいなところでさ、一階がライブやれるみたい」
「事件が起こるかもって、ネットの情報なんでしょ」
「まあね。殺害予告までいかないんで、警察も動いてないんだけどさ」
「先輩のカンですか?」
「そうだね。地下アイドルのところに殺害を匂わせる投稿があったらしくってさ、どうもインスタをブロックしたら逆恨みされたみたいでさ」
「それで殺してやるですか、よくある話ですね」
「殺害予告ったって今に見てろ、ぐらいのものなんだよ。それじゃあ警察は動けないよね」
「そうですね。それぐらいで動いてたらきりがないですもんね。今やおかしな奴は山ほどいる世界です。じゃあ、ダメもとで特ダネが撮れればいいなって感じですね。でも先輩が怪しいと思う理由は何です?」
「脅迫相手の文章かな、それとその地下アイドルの画像を見たけど、そういった被害に合いそうな雰囲気っていうのかな、そういったものを感じたんだ」
「なるほど、まあ先輩はそういった野生の勘だけで渡ってきましたからね」
「まあ、そんなところだ」
「俺のバイト代はライブ後の飲み代おごりですか?」
「記事に出来たら、もう少しは払えると思うけど、今のところはそんなもんかな」妙高はにやりとする。
「はい、このカメラも使わないと腐るんでいいですけどね」
妙高は腕時計で時間を確認して、
「じゃあ、そろそろ行くか」
「了解です」
二人は店を出てライブハウスに向かう。池袋駅から徒歩で20分ぐらいの場所に3階建ての建物があり、1階がライブハウスにも使えるといった多目的ビルである。
入り口に看板が出ていて、アイドル武道館とある。いつかは武道館に出るとでもいうのかな。何組かの地下アイドルが出演するみたいで数グループの名前がある。
妙高達は切符を買って中に入る。当日券は3000円もする。一応、ドリンク券付きだが、妙高の好きなお酒の提供はない。未成年対策だろうか。
会場は小さい。教室ぐらいの広さでステージはあるが本格的なライブハウスではない。すでに何組かは出演済みのようで、会場には50名ぐらいはいるみたいだ。
「なんか、学園祭の雰囲気ですね。照明もしょぼいし、客も閑散としてますね」
「そうだね。私はこういうの初めて来るんだけど、地下アイドルのライブってこんな感じなのかな?」
「いやあ、俺もよくは知らないですけど、こんなもんなんですかね」
ステージ上には3人組の女性グループが踊りながら歌っている。コスプレなのか、元々の衣装なのかも良く分からない。
「カメラは平気なんですね」
「地下アイドルだからむしろ宣伝してほしいんじゃないのかな。みんなスマホで撮影してるな」
確かに客は勝手にスマホで撮影している。まあ、いまや普通のライブ会場でも平気で録画している時代ではあるが。
「じゃあ。俺も適当に撮ってますね」
「ああ、お目当てのアイドルはあと二組あとだから適当に腕慣らししといてくれ」
「はい。なんて名前なんですか?」
「えーっと、ビジューだったかな」
「なんすか、それ?」
「知らない。何か意味があるのかな」
ライブ会場は収容150名とあるが、実際は100人も入るとすし詰め状態だろう。50名でちょうどいいくらいだ。お客は中高生だけかと思ったら、意外と高齢の人もいて、ちょっと引くぐらいだ。前の方には押しのファンがいて、いっしょに掛け声や踊りに合わせてなんかやっている。
しかし、何が楽しくてこんなことしてるのか・・・ライブ後には撮影会なんかもやるみたいだ。3人組の地下アイドルは終了して、次は一人の女の子が今時と言った感じで、ギターを抱えて、古そうなフォークソングを歌っている。
こういった需要もあるのかね。だから中年オヤジも来てるのか。妙高はライブハウスの後ろ側、入り口付近に腕組しながら仁王立ちで立っている。周りから見るとアイドルのマネージャーみたいに見えるかもしれない。ライブハウスに入ってからは客の様子を観察している。怪しい人物はいないが、一人不思議な男を見つけた。妙高と同じく、後ろ側のステージから離れた地点にいて、サングラスをかけ、マスクと大きめのキャップをかぶっている。服装も黒色でキャップも黒、ジーパンをはいている。ちょうど妙高の反対側にいる。
なぜ、その男があやしいかというと、妙高と同じでステージではないところを見ているからだ。観客を観察している感じである。ひょっとして商売敵か?いや、まさかな。
若月君は結構ノリノリでステージを撮りまくっている。あいつ、ひょっとしてアイドル好きなのか、あとで締め上げるか。
昭和フォークソングの女の子が終了して、いよいよ目的のアイドルである。一応、このライブのトリのようだ。ファンもけっこういるみたいで、観客が前の方で盛り上がっている。
妙高は回りを注視する。
照明がひときわ、華やかになりビジューが登場した。3人組なんだ。若月が妙高の近くに来る。
「先輩、どれが被害者候補なんですか?」
「うん、真ん中の娘だな。美保って名前だったはず」
「了解。じゃあ、また撮影してきます」
3人組は勢いよくステージに立ち、あいさつする。
「みんな、来てくれてありがとう、私達、ビジューでーーす」
おおーーーっとひときわ大きな歓声があがる。こういった地下アイドルでもそれなりのカリスマ性があるみたいだ。確かに今までの娘たちとは少し違う気がする。妙高にも緊張感が増してきた。周囲を注意深く見るが、観客の中にあやしげな動きはない。
反対側の要注意人物にも緊張感が出てきているようで、同じく周りを注視している。何回か妙高と視線が合うが、そのたびに目を外している。ひょっとして警察関係なのかもしれない。
ライブは淡々と進んでいく。歌ってる曲がオリジナルなのかカバー曲なのか、妙高にはよくわからない。それでも観客は何でもかんでも曲に合わせて楽しそうに掛け声や踊りを合わせている。
3曲目が終わったあたりで、メンバー紹介が始まった。
「みなさん、ここでメンバー紹介しまーーーす。左から、元気いっぱい凛子です」
凛子と言われたちょっと小太りの女の子が話す。
「元気がトリエのりんりんりんこでーーす。よろしくね。続いて向かって右側、いつも冷静な律です」
ロングヘアでうつむき加減の長身の女の子が話す。
「律です。グループの引き立て役です」
そんなことないよっと観客から声がかかる。
「続いてわれらがリーダー、がんばりやの美保です」
「はい、美保です。みんな今日はありがとう。ビジューも結成から1年を迎えました。もっともっとがんばってメジャーになります。でもみんなはいつまでも大事な仲間だよ」
おおーーーとひときわ大きな歓声があがる。
突然、妙高の後ろ側の入り口が開いた。びくっとして振り返る。入り口にはあやしげな中年男性がいた。若月がその男にカメラを向ける。妙高もスマホを動画モードにする。
その男は中を見て何か戸惑った動きをする。
「あれ?間違えた」
そのまま扉を閉めて出て行ってしまった。なんだよ、まったく、と思った瞬間、あっと言ってしまった。なんと、反対側にいたはずの例の黒づくめの不審者が妙高の隣にいた。
えっなんで、しかし、男はそのまま元の位置に戻って行く。瞬間移動でもしたのかといった早さである。まあ,気のせいだろう。
結局、ライブはそのまま終了し、妙高の目論見は脆くも崩れてしまった。
会場の照明が通常の灯になり、ライブハウスからまさに教室のようになった。これから撮影会が始まるようだ。若月が話す。
「先輩、残念でしたね」
「ああ、まあそこまで期待してなかったけどな」
「飲みに行きますか?」
「うん、ちょっと待って、被害者候補に挨拶してくる。チェキ券もあるしな」
「なんすか?チェキ券って」
「知らないけど、なんかチェキ使って一緒に撮影できるんじゃないの」
妙高は先ほどの不審者を見ようとするが、すでにそこにはいなかった。逃げるのも早いな。
本日、登場したアイドルたちは舞台側を背にし、並んでいる。推しの観客がその前に列を作る。司会者?もしくは会場責任者が一人1分まででむやみに触らないようにと注意が入るが、見てると触らないどころか、チェキを撮る際にけっこうタッチしている輩もいる。地下アイドルも大変だな。妙高はビジューの列に並び順番を待つ。10名以上は待っていたみたいで、時間も1分どころじゃないやつも知る。ようやく妙高の番になる。
妙高を見て、美保が驚く。
「ええ、かっこいいお姉さん。美保推しなんですか?」
「ええ、まあね。今日はよかったね」
「はい、ありがとうございます」
言いながら美保の表情は曇りがちだ。やはり、脅迫のせいかもしれない。
「ビジューの次のライブはいつなの?」
「来てくれるの?」
「うん、時間があれば行きたいな」
「今度は14日の立川になります。いつものところ」
いつものところがどこかは分からないが、話を合わせる。
「わかった。ぜひ、行きたいな」
「うん、来て!」
「ところで、美保ちゃん今日は変な奴はいなかったの?」
美保がびっくりした顔をする。返答に困るようでだまる。隣の凛子がフォローする。
「なんのこと?ビジューのファンに変な人はいないよ」
妙高は自分の身分を明かすことにする。
「実は私、週刊誌の記者なんだ。何かあったらここに連絡して」
妙高は美保に名刺を渡す。美保は戸惑っている。後ろに待ってる客もいるので妙高はここまでとする。
「じゃあね。また」
美保は妙高と話をしたいようでもあるが、妙高は列から離れ、若月の所に戻る。
「若月、飲みに行こうか」
「はい」
池袋の居酒屋。みるからに低価格を売りにしている店のようだ。店もけっこう狭い。さらに狭い二人席に二人が座る。
「若月、悪いな。赤ちょうちんで」
「期待通りですよ。ふふ、2時間飲み放題付きですね」
「吐くほど飲んでくれ」
「またあ、明日仕事ですって」
まずは生ビールで乾杯する。
「今日は先輩のカンもはずれたといったところですか?」
「まあね。そんなにうまく特ダネは取れないってところだよ。でも、なんとなく今回は臭い気がしたんだけどな」
「最近、この手の事件が多いですからね。でも、このネタはどこから仕入れたんですか?」
「所轄の刑事にちょっとした知り合いがいてさ、奴が気になるって話をしてたんだよ」
「それじゃあ、さっきの女の子は警察に相談したってことですよね」
「うん、そうなんだ。ネタを確認するためにネットも漁ってみたんだけど、確かに少し粘着質な奴だった。もう痕跡はなくなったんだけどさ。おそらく別アカで活動してるんだろうけど」
「そいつは何にこだわってるんですか?」
「典型的な被害妄想としか思えないんだけど、そいつの主張だと、美保がそいつのことを好きだったんだけど、周りのやつらが邪魔をして、嫌いにさせたと考えてるみたいだ。普通はストーカーになるんだけど、そこまでの行動は起こしていない」
「なんなんですかね」
「完全に自分の世界に入り込んでるんだろうな」
「じゃあ、美保は誰が犯人かわかってるのかな」
「それが、本人はわからないらしい。それで警察も動けないって話なんだ」
「へえ、でも先輩は引っかかったんだ」
「そうだね。なんか、犯人の考えかたに異常性を感じたんだ。言葉ではうまく言えないんだけど、文面を見てると普通じゃないって感じだよ」
「今、見れるんですか?」
「ああ、家のパソコンなんで、後で送るよ。そういえばさ、ライブ会場に変な奴がいたろ」
「変な奴って俺からすると全員、変な奴ですけど」
「いや、オタクじゃなく、異質な感じでさ、私と同じように会場の後ろのほうにいた」
「ちょっと待ってください。一応、会場内も撮ったんで」
若月はデジカメを再生してみる。何枚か見ながら、
「ああ、こいつかな?」
デジカメ画像を妙高に見せる。そこには例の黒づくめの不審者が映っていた。ただし、微妙に顔を隠してるようだ。
「そうそう、こいつ、サングラスでマスクしてキャップまでしてるだろ、なんか全身不審者だよね」
「よく見ると、この人、高齢者じゃないですか?」
「どうしてそう思う?」
「キャップからはみ出してる髪が白いですよ」
「そうかな。今時は髪の色じゃわからんだろ。脱色してるかもしれないし、そうそう、ライブの途中に入ってきたやつがいただろ」
「はいはい、ついに来たかって、ド緊張しましたよ」
「その時にさ、その不審者がありえない動きをしたんだ」
「ありえないって?」
「どう考えても瞬間移動したんだよ。さっきまで隅の方にいたはずなのにいきなり私の隣にいたんだ」
「まさか、気のせいでしょ。先輩が気が付かなかっただけでしょ」
「まあ、ずっと見てた訳じゃないけどさ。気配もなく隣にいて、けっこうびっくりした」
「ふーん。爺さんみたいなのにな」
再び、画面の人物を見る。確かに見た感じは普通のじいさんに見える気もする。
「話は変わりますけど、先輩は実家に戻らないんですか?確か実家は長野でしたよね」
「最近、帰れコールが凄くってさ、困ってるんだ。私も30歳過ぎてまでこんな仕事をし続けるなんて思ってなかったからな」
「はあ」
「地元にも仕事はなくはないけどさ。やっぱりジャーナリストとしての仕事は東京じゃないとな。ジャーナリストってゴシップ記事ばっかりだけどな」妙高は笑う。
「夢はピューリッツァー賞ですか」
「どうかな。なんかそういった夢は描けなくなってるかもな。親が言う以上に限界は感じてるんだ。そろそろ潮時かもってさ」
「国に帰って永久就職ですか?」
「お前、それセクハラだからな」妙高が指さす。
「何言ってるんですか、先輩が俺にしてきたことに比べれば全然ノーハラです」
「ハハ、まあ、そうか」
「大学時代は面白かったですね」
「そうだな。学祭に命かけてたやつって私ぐらいかも」
「たまに後輩に会いますけど、先輩が実行委員長やった学園祭って今や伝説みたいですよ」
「若月も含めてみんなのおかげだよ」
「女性で実行委員長って先輩が初めてだし、それ以降もいないみたいだし、それであの伝説ですから」
「あれで間違ったかもしれないな。無敵だと思ったから、就職も出版社受けまくって、落ちまくったもんな。挙句の果てにフリーランスのルポライターじゃあな」
「でも出版社付きですよね」
「肩書はそうだけど、実際は単なるバイトだよ。緊急要員、時給1200円だぞ。コンビニバイトでももっと出すって」
「記事によって収入は変わるんですよね」
「まあな。そこは交渉術だな。伝説の実行委員長の腕の見せ所かな」
「正社員の道はないんですか?」
「さあな、今、出版業界も不況でさ、ネットに押されてるんだ。活字文化は廃れてきてるな。出版業界もネットに移行しつつある」
「なんでもスマホですんじゃいますもんね」
「若月はうまくやったよね。一流製薬メーカーだもんな」
「営業ですけどね」
「給料なんか同年代と比較しても多い方だろう?」
「一応、医薬業界では最大手ですから。ただ、海外の医薬のほうが圧倒的に強いんですよ。いつ外資に吸収合併されるか、冷や冷やもんですよ」
「最大手でもそうなんだ。色々あるな。そういえば、彼女はどうなった?」
「続いてますよ。腐れ縁かな」
「そろそろ身を固める時期じゃないの?」
「ええ、まあ。そういう先輩はどうなんですか、イケメンと付き合ってたでしょ」
「いつの話だ?今はいないぞ」
「もう,別れたんですか?早いな」
「だいたい、3カ月以上続いたことはないな」
「先輩は基本、男なんですよ」
「その言い方もセクハラだからな」
「最近、セクハラだのパワハラだの多すぎますね。これじゃあ何にも話せないですね」
「そう思うだろ、私も同感だよ。編集部からもそういった指摘ばっかりある。今や弱者のほうが強者になってる世界なんだよ。少しでも強く自分の意見を言おうものなら、全員が突いてくる。弱者の着ぐるみをきてさ」
「マスコミも何を相手にしてるんですかね」
「まあな、これからどういった世の中になっていくのか、増々息苦しい世界になる気がするね」
「・・・」
「ところで若月、今度の14日空いてるよな」
「え、またですか?」
「ビジューが立川でライブやるんだってさ、もう一回だけチャレンジさせてくれよ」
「次回こそこんな便所臭くない店で祝杯をあげさせてくださいね」
「うん、ありがとね」
妙高は若月と別れ、武蔵境の自分のアパートに戻った。駅から徒歩10分、学生時代から実に10年もここで過ごしている。出版社に中央線で行けるのと、そこそこ都心に出るのも不自由しないのでここに住み続けている。本当はもっと都心に行きたいのだが、早い話が金がない。引っ越しするのも金がかかる。
木造モルタルの築30年近い建物で鉄製のギシギシ音のする階段を上がる。2階奥が妙高の部屋だ。部屋の電気を点け、ノートパソコンを立ち上げる。メール等はスマホ中心だが、原稿や編集作業などはパソコンでおこなっている。
忘れないうちに若月に情報を送らないと、該当ホルダを開ける。美保のインスタグラムで展開された内容をまとめてある。
該当のアカウントは『ビジューを心から応援するもの』とある。今は削除されている。
当初はビジューのリーダー美保を応援するメッセージが多かったが、徐々に指摘事項が増えてくる。いわゆる、ダメだしやこうしなきゃだめだといったような指示が増えてくる。美保も最初はコメントを返していたが、指摘されることが増えると返信も減ってくる。それでそれに対するクレームも増えてくる。挙句の果てには取り巻きのファンやスタッフについての暴言やありもしない指摘が増えてきた。美保がたまりかねてフォローを外すと、そのあとのDMが攻撃的内容に変わる。
『このままだと美保は、ビジューはだめになる。僕がなんとかします』
これ以降、美保はインスタをブロックした。それ以降、ネット外でどういったやり取りがあったのかはよく分からないが、美保が警察に相談した内容はもう少し危機感のあるものだったらしい。刑事からはそれ以上は個人情報もあるとのことで情報入手できなかった。
典型的な被害妄想のようだが、妙高が気になるのはこいつが完全な自分の世界で生きている点である。思い込みだけで実行に移さなければ何の問題もないが、逆にそうならない保証もない。あとは妙高のカンがやばいと告げていることが最大の根拠だ。
14日のライブで何もなければこの案件は終了にするか。そう思いながら、ライブの日程と場所、待ち合わせ場所を付けて資料を若月に送った。