第9話 唐突な申し出
前回までのあらすじ
エリクよ、なぜそうなる……
「それじゃあ、俺がお前についていくよ。一緒に旅をしよう、リリィ」
それはあまりに唐突だった。
唐突すぎて誰も言葉の意味を理解できないほどだ。
どうやら仲間たちには、事前に根回しも相談もしていなかったらしい。そうでなければ、クラウスたちが揃ってアホのような顔をする理由が説明できなかった。
それはリリィも同じだ。
これまでどんなことがあろうとほとんど無表情を崩さなかった彼女であるのに、今度ばかりは目を見開き、ぽかんと口を開ける。
まさに仏頂面としか言いようのなかったその顔には、今や立派な感情が現れていた。
「突然……なに?」
やっとの思いでそれだけ言うと、再びリリィが言葉に詰まる。続けてなにを言おうか必死に考えてみても、思うように言葉が出てこない。
まるで陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクさせていると、代弁するようにポリーナが口を挟んでくる。
「エリク……あなた正気? 自分がなにを言っているかわかってるの?」
「もちろん俺は正気だ。リリィが仲間になれないなら、代わりに俺がついていく。――なにかおかしいか?」
「いやいやいや、ちょっと待って! なんでそうなるの? いくらなんでも話が飛躍しすぎでしょ!?」
今度はルチアまで慌てだした。
5歳年上のルチアは、エリクが新米ギルド員だった頃からずっと面倒を見てくれた姉のような存在だ。少々がさつなところはあるものの、密偵の腕はなかなかのもの。彼女は冒険者としての一般的な知識とルールを叩き込んでくれた。
クラウスもそうだ。右も左もわからない新人のエリクをパーティに招き入れ、冒険者として育て上げた。彼は主に剣技や戦い方を指導してきたが、おかげでエリクは何度も死線をくぐり抜けることができた。
もちろんポリーナもだ。
8歳も年が離れているのであまりプライベートでの付き合いはなかったが、それでも仕事は親身になって教えてくれた。
担当は狩りや食料調達。おかげでエリクはどんな環境でも糧を得る術を身に付けられた。
そんな恩人である仲間たちを捨てて、素性もわからぬ出会ったばかりの少女についていくという。
あまりといえばあまりに突拍子もないエリクの申し出に、誰もが言葉を失ってしまう。果たしてなにから言えばいいのかわからず皆が押し黙っていると、続けてエリクが言った。
「俺が冒険者になった理由……それは世界を見て回りたかったからだ。産まれ育った国を出て、いろんな場所を歩いてみたい。知っての通り、市井の者たちは国境を超えることを許されていない。だけど冒険者は別だ。ギルドの身分証さえあればどこへだって行ける。だから俺は国を出て冒険者になったんだよ」
突如滔々とエリクが語り出す。それにクラウスが返事を返した。
「それは昔に聞いた。お前が新人だった頃にな。当時は随分と青臭いヤツだと思ったものだが、まさか未だに夢見ているとは思わなかった」
「あぁ。自分でもガキ臭い夢なのはわかってる。だけど、どうしても諦め切れないんだ。こうして一箇所に根を張って、ギルドの依頼をこなしていれば生きていける。確かに生活は安定しているし食いっぱぐれもないけれど、ただそれだけだ。――そもそも冒険者ってのは、冒険をする者のことを言うんじゃないのか? このままじゃあ、いつまで経っても夢を叶えられない」
「まぁな。俺ももう28だ。年々自分が守りに入っているのは感じているし、今さら旅なんてしたいとも思わない。だがお前は未だ20歳にすらなっていないガキだからな。無茶をするなら今のうちかもしれん。たとえ躓いたとしても、やり直しはきく。――とまぁ、お前の言いたいことは理解したが……それとリリィがどう関係あるんだ?」
いま一つ合点がいかずに続けてクラウスが問う。するとエリクがリリィに視線を向けながら答えた。
「リリィは強い。俺は魔法というものを見たことがなかったから、初めは単純にその強さに興味を持ったんだ。こいつの力なら他のパーティからも引く手数多に違いない。けれど、俺は誰にも取られたくなかった。だからリリィを慌てて仲間に誘ったんだよ」
そこまで言うと、エリクがリリィへ向き直る。それから透き通る灰色の瞳を覗き込むように見つめた。
「だけどお前は断った。旅の途中だからここに留まれないと言ったんだ。そのときやっと俺は気付いたよ。お前こそがずっと待ち続けていた奴だったってな」
「……言ってる意味がわからない。支離滅裂すぎる」
「あぁすまない。リリィ、俺はな、代わり映えのない毎日に燻りながら、ずっと一緒に旅をする仲間を探していたんだと思う。もちろんクラウスたちとの生活に不満があるわけじゃない。俺をここまで育ててくれたことには感謝もしている。でもな、心の奥底でずっと待っていたに違いないんだ。俺をここから連れ出してくれる奴が現れるのを」
「……それが私だとでも? 買いかぶりもいいところ」
「買いかぶってなんかいないさ。でも自分勝手だとは思う。だけど、そう思っちまったんだから仕方がない、俺はお前を待っていたんだよ。――だから一緒に旅に出ようぜ」
「ちょっと待って。あなたはなにも知らない、私の目的も行き先も。なのに一緒に旅をするなんてあまりに短絡的すぎる」
「まぁな。たしかに俺はお前のことをなぁーんにも知らねぇ。知っているのは名前くらいのもんだ。それだって本当の名かどうかすら怪しいもんだ」
「……」
「お前は人を探していると言っていたな。ってことは、目的地が決まっているわけじゃないんだろ? この町にいたのだって、たまたま路銀を稼ぐためだったんだよな?」
「……」
エリクの問いにリリィは答えようとしない。顔には困ったような、途方に暮れたような複雑な表情が浮かぶ。
出会ってからずっと無表情を貫いてきたリリィだが、ここにきてやっと心情を垣間見せ始めた。それを見ていると決して彼女は無感情なのではなく、感情を表に出すのが極端に苦手なだけなのだと思わされる。
やっと表情は生まれたものの、変わらず無言のままのリリィ。対してエリクが興奮気味に話を続けた。
「町から町へ渡り歩き、路銀が尽きればギルドで適当な仕事を請け負う。そしてまた当てのない旅を続ける。――いいじゃないか! それこそが俺の夢見ていたものなんだよ! まさに『旅』って感じがしないか!? そうして世界中を見て回りたいんだよ、俺は!」
「……」
「だけど、そんな旅を一人でするのは危険すぎる。特に若い女のお前なら、それこそ命が幾つあっても足りないだろう。お前には魔法もあるしギギや戦女神もいるけれど、だからといって女の一人旅を俺は見過ごせない。――だから一緒に行ってやるよ。お前は護衛が手に入るし俺は旅ができる。まさにウィンウィンじゃないか!」
「……断る。護衛なら間に合ってる。そもそも私はこれまで一人旅を危険だと思ったことはない。確かに何度か危ない目に遭ったけれど、全員返り討ちにしてやった。だからあなたも必要ない」
なに言ってんだコイツ。
明らかにそんな口調でリリィが答える。
目を合わせようともせずにギギの耳をもてあそぶ姿は、けんもほろろ、全くつれないものだった。
もっともそれは無理もない。確かにエリクが言うことは理解できるし、そうだと思うものの、もとよりリリィは一人旅を危険だとか不便だとか思ったことはなかった。精々が話し相手に難儀する程度だが、もとより無口な彼女はそれすらも気にしたことがない。
見た目と話し振りからもわかる通り、コミュ障気味の彼女はなにより一人でいることを好む。丸一日、いや、数日間にわたって誰とも口をきかなくても全く気にならないし、寂しいとも思わなかった。
唯一の同行者であるギギは、有事の際以外はただのぬいぐるみに過ぎないし、ブリュンヒルデに至ってはこちらから呼び出さない限り姿を現すこともない。
その状況はリリィにとってとても好ましいものだった。誰も気にしなくていいし気兼ねもいらない。好きな時に寝て好きな時に食べる。気が向けば次の町へ発ち、気が乗らなければ宿屋で寝て過ごしてもかまわなかった。
にもかかわらず、旅の同行を求められたのだ。しかも若い男に。
彼女にしてみればまさに青天の霹靂と言えよう。そのくらいエリクの申し出は迷惑以外のなにものでもなかった。
けれどエリクは、そんな想いを知ってか知らずか、むしろ能天気にすら見える態度で話を続けようとする。
「そんなことを言うなよ。旅は道連れ世は情けってな。一人よりも二人の方が色々と捗るってもんだ。なぁリリィ?」
「……」
もはやこの男はなにを言っても聞かないだろう。そう思わざるを得ないほどエリクの瞳は輝いていた。
その期待と希望に満ちた瞳にたじろいだリリィが、助けを求めるようにクラウスを見る。すると彼はゆっくりと口を開いたのだった。