第8話 明かしたくない秘密
前回までのあらすじ
トロルのなますとか……臭そう……
「なぁリリィ。そろそろお前のことを訊いてもいいか?」
乾杯が終わってしばらく経った頃に突然クラウスが切り出した。視線の先にはもりもりと一心不乱に食事を平らげるリリィがいる。
背が低く痩せたリリィは、その見た目から食は細く見えるのだが、実のところ誰よりもよく食べていた。
誰に遠慮するでもなく、大皿から自身の皿に料理を取り分けて次々と口へ放り込んでいく。
まさに痩せの大食い。リリィが口に串焼きを咥えたままクラウスを見た。
「なに?」
「そうだな……訊きたいことはたくさんあるが、まずはこれだな。――お前は一体何者だ?」
それはあまりに直球すぎる質問だった。同時に一番知りたかったことでもある。恐らく訊かれると思っていたのだろう。その問いに淀みなくリリィが答えた。
「前にも言った。私はただの新米冒険者」
「そんなことはわかっている。そうじゃない、俺はお前の正体を訊いているんだ」
「私は私。それ以上でもそれ以下でもない」
初めこそ笑み交じりだったものの、次第にクラウスの目つきが鋭くなる。ともすれば、のらりくらりとはぐらかそうとするかに見えるリリィに向けて、詰問するように椅子から身を乗り出した。
「誤魔化すな。俺も馬鹿じゃない。魔術師といえば『魔力持ち』の中でもエリート中のエリートなのは知っている。そんな奴がこんな場末のギルドに理由もなくいるはずがないだろう。――お前はどこの魔術師だ? 目的はなんだ? なぜここにいる?」
「……はっきり言う。私は魔術師じゃない。確かに魔法は使えるけれど、免状を持っていないのだからそう名乗ることはできない」
「詭弁だな。免状なんてものは、国や組織が作ったルールに過ぎん。魔法が使える者を魔術師と呼ぶのなら、お前だってそうなのだろう。違うか?」
「……」
肯定か否定か、それとも言葉に詰まっただけなのか。いずれにしてもその問いにリリィは答えなかった。
ギギの長いうさぎ耳を弄びながら、薄い唇を真一文字に結んで無言を貫く。なおもクラウスが追求しようとしていると、横からエリクが口を挟んできた。
「なぁクラウス。リリィが何者かなんて、この際どうだっていいじゃないか。どうせ冒険者なんて脛に傷のある者ばかりなんだし。そもそもあんただって自分の過去を話してくれたことなんてないだろう?」
その言葉にクラウスが渋い顔をする。
エリクの言うとおり、冒険者の中には破落戸とそう変わらない者も多い。一昔前であればギルド員というだけでもある程度の信用を得られたものだが、いつからそうなったのか、いまでは逆に眉を顰められることも珍しくなくなった。
それを思い出し、渋々ながらクラウスが椅子に座り直す。
「あぁ……確かにな。それもそうだ。自分が何者かなんて、誰だって言いたくないし、訊かれたくないもんだ。――すまん、リリィ。少し飲みすぎたようだ、忘れてくれ。」
「……いい、気にしてない」
リリィが短く答える。するとエリクが再び告げた。
「クラウス、生意気言ってすまない。許してくれ。――それでリリィ。お前のことは話さなくていいけど、その代わり一つだけ教えてほしい。もっとも、これも嫌なら無理に言わなくていいけどな」
「なに?」
「森の中に現れた大きな女神……あれだよ。あれがなんなのか教えてほしい。ずっと気になってしょうがないんだ、このままだと夜も眠れない」
「女神……? ブリュンヒルデのこと?」
「そう、それ、そいつだ。――あいつは一体なんなんだ? どこから現れた?」
訝しげなエリクの眼差し。
もっともそれは無理もない。どう見ても人外としか思えない、神々しいまでに美しい真紅の戦乙女。
トロルにも劣らない、2メートル半ばの体躯だけでも人にあらずとわかるものの、その正体が何者なのかは未だに謎だった。
エリクの問いに他の者たちまで興味を掻き立てられる。ブリュンヒルデの正体には誰もが興味津々だったのだ。
果たして何と答えるのか。皆の視線が集まる中、リリィが抑揚のない声で答えた。
「彼女は私の護衛。ギギと同じ。あのときもそう説明したはず。――それだけでは不十分?」
「確かにそう説明されたけど……あれほどの存在を、ただの護衛で片付けられるわけがないだろう。なぁリリィ、教えてくれ。あれは一体何者だ?」
「……言いたくないと言ったら?」
「もちろん無理にとは言わない。だけどお前はもう仲間みたいなものだろう。俺たちの流儀では、戦いに関することで仲間に実力を隠したりはしない。なぜなら、それが仲間の生死に直接繋がるからだ」
「そう。なら言っておく。私はあなたのパーティメンバーじゃない。行きがかり上、一緒に行動しただけ。だからこの質問にも答える必要はない。――これで満足?」
変わらず淡々とリリィが答える。それを聞いた途端、エリクが困り顔になった。
「なぁリリィ、頼むからそんなこと言わないでくれよ。正直に言うけどさ、俺はお前に仲間になってほしいと思っているんだ」
「……」
「お前は否定するけれど、俺はお前を立派な魔術師だと思っている。免状なんかなくても魔法は使えるんだろう? それで十分。それなら俺たちと一緒にやらないか? これもなにかの縁だ、ぜひ俺たちのパーティに入ってほしい」
思いつめた表情でエリクが必死に懇願する。それを見つめる仲間たちも決して彼を止めようとしなかった。
場に満ちる重苦しい空気。するとリリィが珍しく表情を浮かべたのだが、それはどこか苦しそうに見えるものだった。
「それは無理……」
「どうしてだ? それだけの力を持っているなら、単独で薬草採集を続ける意味なんてないだろう? お前の魔法と俺たちの力が合わされば、もっと上を目指せるはずだ」
「……」
「それとも、もっとたくさん報酬を貰える方がいいか? こんな地味なパーティじゃなく、派手なSランク級じゃないと嫌か? ……ひょっとして、俺のことが気に食わないとか?」
「違う。好きとか嫌いとかじゃない。私は人を探して旅をしている。だから一か所に留まることができないだけ。でも……」
前のめりのエリクに対し、リリィが身体を引いて視線を逸らす。
これまでずっと無表情だったにもかかわらず、今や顔には辛そうな表情が浮かんでいた。それを見ていると、いつもの仏頂面の下には様々な感情が隠されていることがわかる。
とは言え、リリィが挙げた理由は至極真っ当なものだった。
もとより彼女は路銀を稼ぐために薬草採集をしていたと語っているのだから、それは決して嘘ではないだろう。
けれどエリクの申し出も満更ではないらしい。事情さえ許せば仲間になってくれるかもしれない。
もうひと押し。いや、ふた押しすれば……
淡くもエリクの中に浮かんでくる、そこはかとない希望。しかしそれは次の言葉で脆くも崩れ去った。
「ごめん、やっぱり無理。幸いにも路銀が手に入ったから、私はすぐにここを発たなければならない。そして次の町へ行く」
「どうしても無理なのか? そんなに急ぐ旅なのか?」
「そう。あなたの言葉はありがたいけれど、やっぱり私は……」
リリィが言い淀む。言葉が詰まってなかなか次が出てこない。
森で出会って言葉を交わし、一緒に戦い、ともに生還を祝った。仲間と呼ぶにはあまりに短かすぎる時間だったけれど、少なくともそれは彼女を迷わせる程度のものではあったらしい。
俯いたきりリリィが口を閉ざしてしまう。
するとエリクがダメ押しの一言を発した。
「そうか、わかった。お前がどうしてもここに留まれないというなら、俺に代案がある。――聞いてくれるか?」
「……」
「それじゃあ、俺がお前についていくよ。一緒に旅をしよう、リリィ」