第7話 冥界の戦乙女
前回までのあらすじ
トロルに魔法は効かないしエリクたちも役に立たない。それならどうするか。リリィが拳で殴る。
それは「真紅の戦乙女」だった。
八頭身と見紛うような均整の取れた肢体を、美しい紅色の鎧で覆い隠した20歳前後の妙齢の女性。
まさに神の造形としか言いようのない顔は、切れ長の瞳も、筋の通った鼻も、形の良い口も全てが完ぺきだった。ヘルムに隠されているものの、頬にかかる透き通るような金色の髪は、まるで金糸のように光り輝いていた。
そんな絶世の美女が突如目の前に現れたのだが、それは一目で人にあらずとわかるものだった。
なぜなら、その身の丈は軽く2メートルを超えていたからだ。身体の幅こそトロルに遠く及ばないものの、背の高さだけなら全く劣らない。いや、むしろ頭に被ったヘルムの飾りのせいで、トロルよりも上背があるようにすら見える。
まさに巨人としか言いようのない美しい戦乙女が、トロルが振り下ろした棍棒を既の所で受け止めていた。
もしも彼女がいなければ、今頃クラウスは肉塊に成り果てていたに違いない。
驚きと畏れ、そして訝しさの入り混じった複雑な表情でクラウスが見上げると、戦乙女が美しくも少女のような笑みを投げかけた。
しかしそれも一瞬。凄まじい膂力でグイっとばかりにトロルの棍棒を押し返すと、その神懸った姿をクラウスたちの前に割り込ませた。
暫し呆然としてしまう冒険者たち。その背に声がかけられる。
「紹介する、彼女はブリュンヒルデ。『冥界の戦乙女』の二つ名で有名」
「ブ、ブリュンヒルデ……? リリィ……こいつは一体……?」
「安心して。ギギと同じく私の護衛だから。あとは彼女に任せればいい」
「護衛……? お前の?」
「そう、私の。呼べばいつでも来てくれる。――そういう契約になっているから」
「契約……? そ、そうか……」
突っ込みどころは満載だし、聞きたいことも山ほどある。けれど今はそんなことを気にしている場合ではない。なぜなら、話をしている間にトロルと戦乙女の戦闘が始まっていたからだ。
とは言え、それはあまりに一方的過ぎた。
鈍重そうな見た目に反して意外な素早さを見せつけたトロルではあるが、ブリュンヒルデの前では児戯に等しい。振り上げた腕は下ろす間もなく切断されて、返す刀でそのまま二度三度と斬り刻まれていく。
一撃で首は落とされ、両腕は切断され、両脚も切り離される。為す術もなく滅多切りにされていったトロルは、いつしかなますのようになっていた。
周囲に充満する吐き気を催すほどの血の匂い。真紅の鎧をさらに真っ赤に染めた戦乙女が満面の笑みとともに振り返れば、そこには直前までトロルだった挽肉が散乱するばかりだった。
それを前にして誰も動くことができない。それどころか口を開くことさえ儘ならなかった。
そこにリリィの声が轟く。
「さぁ、火を点けて。トロルはこの状態からでも復活できる。そうなる前に燃やし尽くさないといけない」
「えっ……」
「だからしっかりして。これから皆で手分けして薪を集める、いい?」
一人冷静なリリィの声。我に返ったクラウスが皆に命令を下した。
「わ、わかった……おい、みんなしっかりしろ! リリィの言うとおりだ! さっさと動け、いいな!?」
「お、おぅ……」
「了解……」
「はいよ……」
号令とともにノロノロ動き出すエリクたち。そして各々が薪を求めて散っていったのだった。
急転直下とはこのことか。直前まで死を覚悟していたにもかかわらず、気付けばゴブリンは死に絶え、ホブゴブリンは燃え尽き、トロルは挽肉と化していた。
突如現れた真紅の戦女神はいつの間にか姿を消し、そこには灰となったトロルの残骸と四人のギルド員、そしてリリィのみが残る。
音もなく緩々と煙が昇るトロルの消し炭。
地面に座り込み、呆けたように眺めるクラウスたちの横で、リリィは魔力切れで動かなくなったギギを大切そうに抱き締めていたのだった。
◆◆◆◆
ギルド事務所に戻ったクラウスたちは、早速事の顛末を報告した。しかし窓口担当者による決まり文句が繰り返されるばかりで一向にギルド幹部は顔を出そうとしなかった。
そもそもあの森に凶暴な亜人がいると聞かされていたなら、依頼自体を受けなかったはずだ。にもかかわらず窓口担当者による簡単な謝罪だけで終わらせて、報酬も約束通りの額しか払おうとしなかった。
とは言うものの、どうやらギルドも亜人どもの存在は知らなかったらしい。だからそれは過失なのだと、最後まで自己弁護に終始する始末だ。
その対応には怒り心頭のクラウスだったが、所詮は一介のギルド員に過ぎない彼にそれ以上の追求はできない。せめて迷惑料代わりにと報酬の上乗せを迫ってみても、証拠としてトロルの死体を持ってこいの一点張りで全く返事はつれなかった。
そんなわけで、苦労のわりに実入りの少ない結果となったゴブリン討伐の依頼は終わった。もとより多くはない報酬を皆で分けると、残ったのは銀貨が三枚だけ。
いまはそれを元手に、ギルドに隣接する食堂で祝勝会を開いているところだ。
一通り料理が運ばれてきたところで、なみなみと注がれたエールを片手にクラウスが音頭をとった。
「みんな、お疲れ様だったな。さすがに今回はヤバかった。しかしこうして無事に生きて帰って来れたんだ、まずはそれを祝おう」
「お疲れ! 今回はマジで死ぬかと思ったぜ! なにはともあれ、生きて帰って来られて良かったよ!」
「えぇ本当に。もしもわたしたちだけだったら、一体どうなっていたか。全てはリリィのおかげね」
「ふふん! そのリリィを拾ってきたのはあたし! このあたしなの! ゆえに皆の者、あたしに感謝せよ! そしてひれ伏すのだ!」
「なんだよルチア、そんなのただの偶然じゃねぇか! 全てはリリィのおかげだろ!? てめぇの力でもなんでもねぇだろが!」
「あんだってぇ! 運も実力のうちって言うじゃん、このクソガキが!」
「うるせぇババァ! てめぇはすっこんでろ!」
「はぁ!? 22の乙女に向かってババァとはなによ、ババァとは! これでも言い寄ってくる男に不自由したことないんだからね! あんたみたいな童貞に言われたくねぇっちゅうの!」
「ど、ど、ど、童貞じゃねぇよ! ふ、ふざけんな!!」
「ねぇ、エリク。22歳がババァだとしたら、25のわたしはどうなるの? ねぇ?」
「うっ……」
当のリリィを差し置いて、エリクとルチアが喧嘩を始める。それにポリーナも加わった。けれどクラウスが一向に止めようとしないところを見ると、どうやらそれはいつものことらしい。
喧しくも賑やかな食堂でのひと時。森の中での出来事が遠い昔のように思えてしまうその中で、人知れずリリィの顔に微笑が浮かんだ。
それに目敏く気付いたクラウスが話しかけてくる。
「リリィ。ともあれ、今回は本当に助けられた。もしもお前がいなければ、生きて戻れなかっただろう。お前には感謝してもしきれん。だからこれを受け取ってくれ」
「……これは?」
「少なくて悪いが、これは報酬だ。そして謝礼でもある。決して多くはないが、それでもお前が失敗した薬草採集よりはマシなはずだ。――受け取ってくれ」
「受け取れない。確かに私は手を貸したけれど、そもそもあの依頼はあなたたちのもの。それに私は迷子のところを助けられたのだから、これでおあいこ。貸し借りはなし」
「いや、しかし……」
いくらクラウスが金を渡そうしても、頑としてリリィは受け取ろうとしない。視線を外し、顔を俯かせ、横に置かれたギギの頭を無表情に撫で続ける。
その彼女に向けて、エリクが身を乗り出した。
「頼むよリリィ、受け取ってくれ。これは皆の気持ちなんだ。命の恩人に渡すには少なすぎる金額だけど、俺たちの精一杯の気持ちをどうか受け取ってほしい」
「そうよ、お願いだから受け取って」
「あたしたちの想いを貰ってくれると嬉しいな。――もう仲間なんだから、遠慮なんてしないでよ」
笑みを浮かべ、口々に謝意を伝えるエリクたち。
その心からの想いを汲んだリリィがおずおずと手を差し出した。
「わかった、受け取る。――ありがとう、大切に使わせてもらう」
「よぉし、それじゃあ乾杯だ! 今夜は大いに食って飲んでくれ!」
「おぉ!」
「はいよ!」
「任せて!」
「……」
クラウスの音頭とともにエールの入ったジョッキを持ち上げる。それを勢いよくぶつけ合い、皆が勢いよく飲み干していく。
一人だけ酒を飲まないリリィは、大皿の料理を次々に口の中へと放り込む。いつも表情の薄いその顔には、食事するときにだけ見せる特徴的な笑みが広がっていた。
こうして冒険者たちの夜は、心地よい喧騒とともにゆっくりと更けていったのだった。