第2話 うさぎのぬいぐるみ
前回までのあらすじ
リリィの身長は149センチ 痩せ型の美少女
それは人形だった。
いや、正確に言うなら「ぬいぐるみ」だろうか。大きさは人間の膝に届く程度。二本の長い耳らしきものが生えているところを見ると、どうやらそれはうさぎらしい。
にもかかわらず、なぜか二本の脚で直立歩行する姿は、俗に言う「うさぎのぬいぐるみ」には程遠かった。
ぞんざいに縫い付けられた目と思しき二つのボタンと、糸で縁取られた大きな口。作られてから相当経っているらしく、ところどころ糸はほつれ、布は擦り切れ、無数に当てられた継ぎ布はその不気味さをより際立たせていた。
控えめに言って奇怪なぬいぐるみ。有り体に言って呪いの人形。そんな少女が「ギギ」と呼ぶものに皆の視線が集まった。
「なっ!?」
「うわっ、なんだこいつ!?」
「な、なにこれ!?」
クラウスたちの顔に得も言われぬ表情が浮かぶ。
人は己の理解を超えたものを拒絶する生き物である。だからクラウスたちの反応は至極真っ当なものではあったのだが、それを見たリリィが僅かに眉を顰めた。
「……平気。この子は私と仲良しだから。怖がらなくても大丈夫」
変わらず平坦にリリィが言う。けれど顔にはいささか憮然とした表情が浮かんでいるようにも見える。皆の態度に気分を害したらしく、もとより無表情な顔をさらに能面のようにしていた。
とは言え、クラウスたちの反応は無理もなかった。どう見ても生き物とは思えない奇怪な人形が歩き回っているのだ。それも耳に残るような不気味な声を上げながら。
もしも暗い夜道で出会ったならば、思わず悲鳴を上げてしまいそうになるほど薄気味が悪かった。
二の句を継げずに皆が固まっていると、リリィがむっつりと口を閉ざしてしまう。場に流れる微妙な空気。それを払拭しようとなんとかエリクが言葉を発した。
「あ、あぁ……すまない。少し驚いただけだ。なにもそいつに思うところがあるわけじゃないから気にするな」
「……謝らなくていい。見た目が少し怖いのは私も認める。だけど安心してほしい、ギギは本当に良い子だから」
言いながらリリィがぬいぐるみの頭に手を置く。それから手触りを楽しむように撫で回していると、再びギギが不気味な声を漏らした。
「ギギギ……」
まるで飼い猫を愛でるような優しい所作。それを見ていると、人形に対するリリィの想いが伝わってくる。
それをしばらく眺めた後に、気を取り直してクラウスが告げた。
「色々と事情がありそうだが、それを聞いている暇はない。とにかく今は任務を優先しなければならないからな。――それで、リリィと言ったか? 本来ならばお前を町まで送り届けるべきなのだろうが、残念ながら無理だ。帰り道を教えるからこのまま一人で帰るか、我々と行動をともにするかどちらか選べ。もっとも、夜中に一人で帰れるほどこの森は優しくないがな」
「……なら一緒にいる。私は方向音痴だから、一人では帰れる気がしない」
淡々と、けれどどこか自信なさげなリリィの答えに、思わずエリクがツッコミを入れる。
「おいおい、ちょっと待てよ。確認するけど、お前単独なんだよな? 出先でいちいち迷子になっていたら、仕事にならなくないか?」
「街道から外れなければ問題ない。今回はうっかり森の奥まで入り込んでしまっただけ」
「そうか……まぁいい。――それじゃあルチア、お前が面倒を見てやれ。こいつはEランクの駆け出しだそうだから、先輩として色々と教えてやれよ」
クラウスがルチアに顎をしゃくる。瞬時にルチアの表情が変わった。
「えぇー、あたしがぁ!? なんで!? 子供の面倒ならポリーナの方が適任でしょ!?」
「ちょっと待ちなさい、なんでわたしなの!? 押し付けないでちょうだい!」
「そうだ、ルチア。お前が拾ってきたのだから、お前が面倒見るのが当然だろう。それともなにか? 嫌なのか?」
「べ、べつに嫌ってわけじゃないけどさ……はいはいわかりました、あたしが面倒見ますよ!」
「なら決まりだな。このあと俺たちは戦闘に入る。密偵のお前は前面に出るわけじゃないから、代わりにこいつを守ってやれ。いいな?」
「わかったって……それじゃあリリィ、こっちへいらっしゃい」
諦めにも似た表情とともにルチアが手招きする。それを無表情のまま見つめていたリリィは、無言のままギギとともについていったのだった。
「――というわけで、ルチアによれば敵はゴブリンが12体。この先の洞穴に巣食っているそうだ。状況から見て、それが俺たちの討伐対象なのは間違いない。このままここで仮眠を取った後に夜明けとともに襲撃をかける。いいな?」
30分後。ルチアの報告を受けたクラウスたちは車座になって作戦会議を開いていた。
真剣な面持ちで話し合う彼らを尻目に、一人だけ夜食をパクつくリリィ。森の脱出に手間取り過ぎて夕食を摂り損ねたらしく、とっくに日を跨いだ真夜中にもかかわらず旺盛な食欲を見せていた。
身長150センチ足らずの小柄で痩せたリリィは、決して食が太いようには見えない。けれど見た目に似合わぬ豪快さで次々と食事を口に放る様は、一体それがどこに入るのかと不思議に思うほどだった。
彼女が頬張っているのは、手のひらサイズに焼き固めたクッキーのようなもの。それはギルド員の行動食としてはわりとポピュラーなものだが、好んで食べる者などそうはいない。
栄養価が高く日持ちする反面、水なしでは食べられないほど硬いうえに味も決して良いとは言えず、少なくともクラウスたちはそれを喜んで食べる者など見たことがなかった。
これまでずっと無表情だったにもかかわらず、食事を始めた途端リリィの顔に笑みが浮かんだ。その落差を見ていると、普段の食事がどれほど貧しいのだろうかと心配になってしまうほどだが、敢えて誰も触れようとはしなかった。
気付けば雨が止んでいた。
雨具を脱いで晒されたリリィの顔が、緩々燃える焚火の炎に照らされる。濃い陰影とともに闇に浮かび上がる少女の風姿。
それを見たエリクの顔が突然呆けたようになる。
リリィは美しかった。
いや、正確には可愛らしいというべきか。ギルド員なのだからとっくに成人年齢――15歳を過ぎているのだろうが、未だ顔には幼さが残る。
輝くプラチナブロンドの髪と透き通る灰色の瞳。八等身と見紛うような小さな顔と神憑り的に整った目鼻立ち。それはまさに美少女と呼ぶに相応しかった。
全く化粧気はないものの、むしろそれはこの年代の少女のみが持つ不思議な透明感を醸している。
敢えて難点を挙げるなら、顔半分を覆う大きな黒縁の眼鏡だろうか。お洒落とは言い難い実用一点張りのデザインは、持って生まれたリリィの容姿を大幅にスポイルしていた。
もっともその「野暮ったさ」が、むしろ彼女のイメージに合っていると言えなくもない。元来地味で無口で無表情のリリィには、不思議とその眼鏡がよく似合っていたのだから。
予期せぬリリィの美少女ぶりに、思わずエリクが固まってしまう。作戦会議など何処吹く風、クラウスの言葉を右から左へと聞き流しながら、ひたすらリリィを凝視し続ける。
その彼をクラウスが一喝した。
「おい、エリク。なにをぼーっとしてる! いくら相手が格下のゴブリンだからといって、舐めてかかると殺されるぞ。しっかり話を聞け!」
「えっ? ……あ、あぁ、すまない。ちょっと考え事をしていた」
「まったく、頼むぞ。――それでリリィ、ギルドに所属している以上、お前もある程度は戦えるはずだな? 率先して前に出る必要はないが、場合によっては手を貸してもらうことになるかもしれん。その辺は大丈夫か?」
じろじろと無遠慮に眺めつつクラウスが質問する。それにポリーナが便乗した。
「そうそう、そういえばあなたのことをまだ何も訊いてなかったわね。――それでリリィ、出身は? 年齢は? 若い身空でどうしてギルド員なんてやっているの? ちなみに私は弓使い。あなたは?」
「……」
「まさかとは思うけれど、あなた魔術師じゃないわよね? その服装……わたしには魔術師用のローブにしか見えないんだけれど」
矢継ぎ早に質問したかと思えば、突然冗談めかしてポリーナが問う。
もっともそれは無理もなかった。襟首からフードがぶら下がり、幅広のベルトで腰の部分を結わえた地面に着くほどの長い裾。まさにざっくりとしたその服装は、どこから見ても絵に描いたような魔術師のローブにしか見えなかったのだから。
けれど瞬時に否定してしまう。
魔術師と言えば、滅多にいない「魔力持ち」の中でも最高峰に位置するエリート中のエリートだ。そんな者がこんな場末の冒険者ギルドにいるはずがない。
稀にいたとしても、何かやらかして逃げ出してきた見習い魔術師だったり、精々が三級魔術師崩れといった手合いがほとんどだ。
そもそもこれほど若い――いや、むしろ幼いと言ったほうが適切であろう少女が、晩成型職種の代表格と言われる魔術師であるはずがなかった。
皆の視線が集まる中、無言のままリリィが顔を背ける。どうやら素性を明かしたくない理由があるらしく、むっつりとその口を閉ざしてしまうのだった。