第19話 人形遣い
前回までのあらすじ
清々しいまでになにも知らないリリィ。これは教育し甲斐がありそう。
幼気な少女を弄び、妊娠させた挙句に突き放す。
勝手な勘違いとは言え、痴話喧嘩と呼ぶにはあまりに酷すぎる内容に周囲の者たちを敵に回したエリクは、さすがに居た堪れなくなって逃げ出すようにその場を後にした。
ぐいぐいと力強くリリィの手を引きながら、当てもなく目抜き通りを抜けて屋台街へ辿り着く。そこでやっと一息ついて足を止めた。
しばらく無言のまま手を引かれるに任せていたリリィは、やっとそこで声を上げる。
「エリク、痛い。乱暴にしないで」
恨めしそうな少女の眼差し。けれどじっとりとした半眼で不満を訴えながらも、決して自ら手を振り払おうとしない。気付いたエリクが慌てて手を放した。
「ご、ごめん。痛かったよな。気付かなくて悪かった」
「大丈夫、もう放してくれた」
「すまない」
「いい。だけど、あの食堂を飛び出したのは正解。私も居心地が悪かったから。あの状況で美味しくご飯は食べられない」
「確かにな。皆に勘違いされて、まるで女の敵のように見られてしまったし。とは言っても仕方ないよ、自業自得だからさ。それでさっきの話だけど――」
「その話はもうやめて。まだ少しモヤモヤするけれど、早く忘れてしまいたいから」
「そ、そうだな、そうしよう。――それでリリィ、腹減っただろう? この先に幾つか屋台があるから、今日の晩飯はそこで済ませていいか? たまに食う屋台飯もなかなかいいもんだぞ?」
言いながらエリクが立ち上がる。無意識に手を差し伸べようとしたものの、慌てて手を引っ込めた。
それを見たリリィは、変わらず無表情な顔に僅かに笑みを浮かべたのだった。
「それでギルドの依頼なんだけどさ、まず討伐系は無理だな。報酬額を考えると惹かれるものはあるけど、お前のランクはEだし俺もまだDだから。受付に断られてしまうんだ」
暮れなずむ夕日を背に受けながら、屋台で買った串焼きを頬張る二人。宿屋へ向かってゆっくり歩きながら、ギルドの依頼についてエリクが話し始めた。
それを聞きながら、食事の時だけに見せる特徴的な笑みをリリィが浮かべる。滅多に見られないその顔にエリクが惹き込まれそうになっていると、気付かず彼女が返事を返した。
「……前にエリクはゴブリンを討伐していた。なぜそのときは良くて今回は無理?」
「あの時はクラウスたちがいたからな。彼のランクはBだし、ルチアもポリーナもあぁ見えてCだから、Dの俺が混ざっていても問題なかった。しかし今回はだめだ。DとEのペアでは討伐系の依頼は受けさせてもらえない」
「それじゃあどうするの? やっぱり薬草採集でもする?」
「薬草採集なぁ。確かに楽だし危険は少ないけど、とにかく報酬が安すぎる。日銭を稼ぐためなら構わないが、資金作りを目的にするならもっと短期に稼げるものを選ばなきゃ」
「同意」
「そこで見つけたのが護衛の依頼だ。俺たちはいま西――アストゥリア帝国の方へ向かっているよな。ちょうど良く今回それと同じ方向へ向かう隊商の護衛任務を見つけたんだ。もっとも他のパーティとの合同受託だから、一人当たりの取り分は相応だけどな」
「危険はない?」
「絶対にないとは言い切れないが、正直に言って大したことはないと思う。隊商が国境を越えるには規定の数の護衛を伴う必要があるから、今回はその頭数を揃える意味合いが強いらしい」
「ふぅん……」
あまり興味がないのだろうか。乗り気で話すエリクに対してリリィが気のない返事を返した。
実を言うと彼女は決して興味がないわけではなく、「合同依頼」という言葉に引っ掛かりを憶えていたのだ。
ご存じのように陰キャでぼっちのリリィは、初対面の相手と打ち解けるのが極端に苦手である。だから他のパーティと合同だと聞いた途端に気が重くなってしまったらしい。
しかしそんなことに思い至らないエリクは、無表情ながらも何気に暗い顔をしつつあるリリィにかまわず話し続けた。
「それはそうとリリィ、お前はギルドにどの職種で申告してるんだ? まさか馬鹿正直に魔術師だなんて届け出てないよな?」
「当たり前。そんなこと言えるわけない。だから私は『人形遣い』だと申告している」
そう言うとリリィは、くったりと力なく垂れ下がるギギをエリクに向けて見せつける。
魔力の消費を抑えているのだろうか、有事の際にはあれだけ動き回るというのに、今のギギは身動ぎ一つしようとしない。こうしているとただのキモいぬいぐるみにしか見えなかった。
移動中は背嚢に括り付けられ、休憩中は胸に抱かれて、夜間は枕代わりにされる。誇張なしに四六時中リリィとともにいるギギは、最強の護衛であると同時に彼女の友人、そして家族のようなものだった。
それにしては薄汚れた外観が気になるが、概して子供のお気に入りのぬいぐるみがぼろぼろであることを鑑みればそれも止む無しといったところだろう。
そのギギを操る「人形遣い」としてリリィはギルドに職種を申請したらしい。とは言え、そんな職種などエリクは聞いたことがなかった。知っているとすれば、精々が剣士や戦士、弓使い、密偵程度である。
中には剣聖などと大仰な職種を名乗る者もいたりするが、それらは売名を目的にしている場合がほとんどだ。
もっとも職種などというものはギルド員の自己申告に過ぎず、特に厳格な決まりがあるわけでもない。だからリリィが申告した際にも、ギルドの受付が「あぁ、そうですか」と軽く流したのは想像に難くなかった。
そんなわけでリリィは、恐らく他にいないであろう珍しい職種「人形遣い」と相成ったわけである。しかし彼女の実力を知っているエリクは、その言い草に笑ってしまう。
「ははは、そうか、人形遣いか。そりゃあいい。それはお前のキャラによく合っていると思うぞ。まさに『言い得て妙』ってやつだな」
「……それってどういう意味?」
じっとりとしたリリィの眼差し。それに笑みを返しながらエリクが答える。
「そんなの決まってる。『人形遣い』とか言いながら、お前自身が小さくて人形みたいだからさ」
「……それって褒め言葉? それとも馬鹿にしてる?」
「馬鹿にしてなんかいないよ。むしろ褒めてるんだ。そのくらいお前が可愛らしいって意味だからさ」
その言葉にリリィの頬が瞬時に染まる。それからギギに向かって話しかけた。
「……ギギ、起きて」
「ギギギギ……」
「殺って」
その言葉を合図にして、ゆっくり動き始める薄気味悪いぬいぐるみ。それをリリィが地面に下ろそうとしていると慌ててエリクが叫んだ。
「う、嘘、嘘、嘘、冗談だってば! だからそいつをけしかけるのだけはやめてくれ!」
それから暫し屋台飯を堪能した二人は、人目を避けるようにコソコソと宿屋の部屋へ戻っていく。
ドアを開けると同時にエリクの脳裏にある景色が蘇ってくる。思わず振り返るエリク。するとそこには変わらず無表情のリリィがいた。
記憶に残る肌色と少々の桜色。その光景と目の前の少女をエリクが重ねていると、不意にリリィが胡乱な表情を浮かべた。
「なに?」
「あ……いや、なんでもない。明日も早いからもう休もう」
そう告げて部屋の中へ入ったものの、その後もエリクは悶々とすることになる。
これまであまり意識することのなかった異性としてのリリィ。偶然にもそれを見てしまった彼は、行きどころのない感情を押さえつけているうちに、気づけば一睡もできないまま朝を迎えていたのだった。