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群青と赤紅色のリリィ  作者: 黒井ちくわ
旅の始まり
18/33

第18話 のっぴきならない事情

前回までのあらすじ


ラッキースケベかと思ったら、とんだ地雷が……

「待て待て待て、ちょっと待て! リリィ、お前一体なに言ってんだ!?」


 全く意味がわからない。なぜこの状況でリリィが妻にならねばならぬのか。

 確かに裸を見たのは間違いないが、体面がすべての貴族令嬢でもあるまいし、それだけで結婚を迫るなどあまりに極論すぎる。


 ――ん? 待てよ。

 詮索するのもどうかと思い、これまで尋ねたことはなかったけれど、そもそもリリィは何者なのか。

 わかっているのは魔術師見習いであることと、この国の人間ではないことだけ。出身も身分も門地も全て不明なうえに、リリィという名が本名かどうかすら怪しい。


 とは言え、彼女が女であるのは事実だ。とても慎ましやかではあったけれど、あれは間違いなく胸――って、俺は一体なにを思い出しているのか。

 いかんいかん、とにかくここはリリィの真意を確かめるべきだろう。


 などと心の内でのたまいながら、平静を装ってエリクが言う。


「い、いいかリリィ。まずは落ち着け。落ち着いて話をしようじゃないか」


「これが落ち着いていられると思う? 私はあなたの妻にならなければいけないのに」


 頬を染め、じっとりとした半眼とともにリリィが告げる。

 顔には見慣れた仏頂面が浮かんでいるのだが、それは動揺を隠すためにわざとそうしているようにしか見えなかった。

 そんなリリィを、エリクが手振り身振りで落ち着かせようとする。


「いいから落ち着けって。確かに俺はお前の裸を見た。それは本当に申し訳なかったし、すまないとも思っている。しかしそれがどうしてそんな話になるんだ? あまりに飛躍しすぎて、さっぱり意味がわからないんだが」


「どうしてって……男の人に肌を(さら)したら、赤ちゃんができるからに決まってる」


「はぁ?」


「間違いない。いずれこのお腹は大きくなる。どう責任を取るつもり?」


「……」


 意味がわからない。

 そう思ったのは何度目だろうか。

 しかしこれでわかった。どうやらリリィは思い違いをしているらしい。というよりも、到底信じられないことだが、彼女は子供の作り方を知らないのかもしれない。

 

 蝶よ花よと育てられ、世俗から遠ざけられてきた箱入り娘ならいざ知らず、とっくに成人した15歳の大人がそれを知らないなどあり得ない。

 或いはふざけているのかと思ってみても、あの真剣な表情を見る限りおよそ冗談を言っているようには思えなかった。

 なのでエリクは滔々と諭してみることにした。


 

「なぁリリィ。一応言っておくけど、あれだけじゃ妊娠なんてしないぞ。だから安心していい」


「えっ? だって、そう教えられたし」


「そんな馬鹿な話があるかよ。――あのさ、念のために訊くけど、誰からそんな話を聞いたんだ?」


母様(かあさま)とピエール」


「ピエール? ピエールって誰?」


「執事。年は取っているけど、とっても物知りで色々と教えてくれた」


「し、執事って……なぁ……もしかしてお前って……どこかのお嬢様だったりする?」


「あっ……」


 うっかり口を滑らせたのか、「しまった!」とばかりにリリィが両手で口を塞ぐ。彼女にしては珍しく、顔には焦ったような表情が浮かんでいた。

 それを見ていると、どうやらリリィはどこかのやんごとなき家の出なのは間違いなさそうだ。

 

 そう思って見てみれば、確かに彼女の所作は無駄に洗練されている気がする。

 愛想もないしぶっきら棒ではあるものの、言葉遣いは丁寧だし、礼儀作法も手馴れたもの。加えて食事のマナーも完璧だった。


 対して生活能力は高くない。

 ずっと一人旅だったにもかかわらず、全く料理ができないうえに狩りも苦手。買い物では値切り方を知らずに言い値で買わされるし、騙されても気付かない。

 片付け方を知らないのか、脱いだ服はいつも丸められているし、背嚢(はいのう)の中はぐちゃぐちゃ。かろうじて体面は保っているものの、髪だって寝ぐせがついていることが多かった。


 それらを見ていると、金持ちの令嬢が冒険者に身を(やつ)したと言われても全く違和感がなかった。事実リリィの様子からも、それも遠からずといったところなのだろう。

 と言いながら、今はそんなことなどどうでもいい。とにかく今はリリィの無茶振りをなんとかしなければならないのだ。

 なのでエリクは、次に淡々と諭してみることにした。



「とにかく話が飛躍しすぎだ。どう教えられたか知らないけど、男に裸を見られたくらいで妊娠なんてしないって」


「本当に? 誤魔化そうとしてもだめ。男は皆そう言う」


「なんだよ人聞きが悪いな、誤魔化してなんかいないよ。そもそも子供を作るには、もっと複雑な工程を経てだな……って、なに言わせんだよ」


「言わせてない。あなたが勝手に言っただけ。――それはそうと、本当に妊娠してない?」


「だからしてないってば。ただ裸を見ただけなんだから」


「……裸、裸って何度も言わないで。あなたにはデリカシーというものがないの?」


「た、確かにそうだな。ごめん、もう言わないようにするよ。あれは事故だ。犬に噛まれたと思ってお互いに忘れようぜ」


「……そんな簡単に忘れられるはずがない。これからもあなたは、事あるごとに私の裸を思い出すはず。それを思うと居た堪れなくて死にたくなる」


 恥ずかしそうにしながらも、同時にリリィは絶望的な顔もする。そんな彼女を見ていると、エリクはとても居心地が悪くなった。


 言うまでもなく、あれは事故だ。決して意図したわけではない。

 確かに彼女の言うとおり、これからも時々思い出すだろうが、それだって望んでそうするわけではなかった。

 そもそもあんな薄い胸など……いかんいかん、言った(そば)から思い出してしまった。あぁ、もしやこれは一生忘れられないかもしれないな……


 などと思ったみたところで、なんの解決にもならない。

 なのでエリクは、次にリリィを慰めてみることにした。



「ま、まぁあれだ。見られて減るもんじゃないし、とにかく気にしないことだな」


「……減る。間違いなく減る。これ以上減ったら全部なくなってしまう。どうしてくれる?」


「ど、どうって……」


「あなたには取るに足らない事なのだろうけど、私にとっては切実。結婚もしていないのに殿方へ肌を晒すだなんて、あまりに破廉恥(はれんち)すぎる。忘れろと言われても絶対に無理」

 

「い、いやまぁ、そりゃそうだが……」


「あなたにとっては数いる女の一人なのかもしれない。けれど私にとっては初めての男。――どう責任取るつもり?」  


「言い方ぁぁぁぁ!」


 咄嗟にエリクがリリィの口を塞ごうとする。見れば周りの席の者たちが何気に聞き耳を立てているのがわかった。

 これは誤解されているに違いない。事情を知らない者から見れば、二人のやり取りは痴話喧嘩以外のなにものでもないだろうし、交わされる言葉にも「妊娠した」とか「忘れろ」だとか「初めての男」などと、のっぴきならないワードがてんこ盛りである。


 周りを見渡してみる。すると周囲の者たちは即座に視線を外して知らないふりをした。表面上は我関せずである。

 ご存じのようにリリィはとっくに成人を迎えた大人の女性であるけれど、その小柄な体躯と幼気(いたいけ)な童顔は、人によっては13歳程度に見えるらしい。

 

 ファンケッセル連邦国は立憲主義国家ではあるが、細かな法整備が行き届いていないこの時代、未成年と性交渉を行っても法的には罰せられない。

 しかしそれはあくまで法律上の話であって、道義的にはまた別だ。

 連邦聖教会教典によれば、少なくとも未成年者との婚姻は禁じているし、婚前の性交渉も認められていない。


 つまりエリクは、婚姻可能年齢に達していない未成年者と関係を持ち、妊娠までさせたうえに「忘れろ」と言い放ったわけである。

 言語道断。なんという鬼畜。さすがにこれは食堂中の客が眉を顰めるのもわかるというもの。


 その事実に気付いたエリクは、全身から力が抜けるのを感じた。そしてもはや言い訳する気すら失せてしまい、がっくりと椅子に座り込んでしまうのだった。

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