第17話 唐突な肌色
前回までのあらすじ
リリアーヌの曾祖母は凄い美人。だけどロリババア。
それから10日が経った。
秋の長雨と言われるように、ここ数日はずっと雨が止むことはなかった。加えて気温が下がり始めたせいで、明け方の街道沿いは身震いするほど寒さが身に染みる。
雪が降り始める前に冬支度を済ませなければならない。防寒用の外套や手袋、防水性のブーツから厚手の下着に至るまで、準備するものはそれなりに多かった。
そのためエリクとリリィは、国境沿いの町オルデンにしばらく留まり、冒険者ギルドで簡単な依頼をこなしつつ支度金と当面の路銀を稼ぐつもりだ。
宿屋の部屋は、今では当然のように一部屋しか取らなくなった。
エリクとの相部屋に初めこそ難色を示したリリィではあるが、思いのほか紳士的なエリクの振る舞いに安心したらしく、それ以来特になにも言ってこない。
もっともそれは「宿代を節約して、その分を食事に回したらどうか」というエリクの提案に賛同したからなのだが、いくら安全とは言え、やはり異性であるエリクとの相部屋には彼女なりに色々と思うところがあるらしかった。
偵察も兼ねてギルドの依頼を漁りにいったエリクが、意気揚々と宿屋の部屋に戻ってくる。どうやら手頃な依頼が見つかったらしく、その足取りはいつにも増して軽かった。
部屋の中ではリリィが休んでいるはず。もしくは夕食までの束の間に本でも読んでいるかもしれない。そういえばあの分厚い本は一体なんなのだろう。今度訊いてみようか。
などとぼんやり考えながらエリクが部屋のドアを開けると、その視界に思いもよらぬ光景が飛び込んでくる。
そこには――半裸のリリィがいた。
上半身になにも着けず、真っ白な肌を晒して湯気の立つ手桶の前に屈み込み、雫の落ちる小さな布を握りしめる。
腰から下にはかろうじて着衣が見られるものの、それもほとんど下着姿と言ってもいい格好でしかない。その状態のまま、突然開け放たれたドアの方へ顔だけを向けていた。
訊かなくてもわかる。それは身体を清めている最中だった。
貴族の屋敷くらいにしか風呂などがないこの時代、庶民たちが身を清めるには水浴びをするか湯で身体を拭くしかない。
公衆浴場が普及している国もないことはないが、少なくともここファンケッセル連邦国では聞いたことがなかった。
とは言え、まさかこの寒さで水浴びはできないし、かと言ってエリクの前で肌を晒すわけにもいかない。
だからリリィは部屋で留守番している間に身体を拭いておこうと思ったのだろう。けれど予想に反してすぐにエリクが戻ってきたうえに、ノックもせずにドアを開けられてしまった。
瞬間止まる時間。理解を超えた光景に身動ぎすらできず、ただただ見つめ合う二人。
しかし次第にエリクの視線が動き始める。
湯で洗った後らしく、プラチナブロンドの髪はペタリと顔に張り付き、透き通る灰色の瞳は大きく見開かれる。薄く血色の良い唇は、今も叫び出しそうに半開きのままだ。
普段は灰色のローブに隠されている首から鎖骨にかけてのラインはまるで雪のように真っ白で、その下には膨らみと呼ぶにはあまりに慎ましやかな曲線があった。
そしてその先端には――
「ζ§φдЩФ∈чμτθ!!!!!!」
全く意味を成さない、もはや言葉にすらなっていない叫び声。それがリリィの口から放たれると、両腕で自身の身体を包み隠してその場にしゃがみ込む。
ぎゅっと瞳を閉じ、顔を真っ赤に染めて、ぷるぷると小刻みに震える幼気な少女。
それでもエリクは目を逸らすことができない。男の本能に訴えかける魅惑的な光景。食い入るように見つめていると、突如それは聞こえてきた。
「ギギギギ……」
建て付けの悪いドアを無理に開けたときのような、生理的嫌悪感を呼び覚ます音。いや、正確にいうなら、それは声だろうか。見れば薄気味の悪いうさぎの人形が立ち上がっていた。
直後にエリクが動き出す。くるりとその場で反転すると、凄まじい勢いで扉を閉めて全速力で逃げ去っていったのだった。
「やべぇ……気まずすぎるだろ、どうすんだよこれ……」
宿屋の1階。食堂の片隅でエリクが頭を抱えていた。時折頭を振りながら、見てしまった記憶を振り払おうと必死になる。
けれどそうすればそうするほど頭の中を埋め尽くすのは肌色ばかり。加えて少々の桜色。
努力に反して決して消えることのないその記憶にエリクが身悶えしていると、不意に見慣れた姿が視界に入ってくる。
もちろんそれはリリィだ。
先ほどとは打って変わって、全く隙がないほど厳重に衣服を纏い、肌が見えているのは顔と手だけ。それはいつもの彼女であるが、あんな姿を見てしまったエリクは妙に落ち着かなくなってしまう。
気まずさに視線を上げることさえ儘ならず、顔を俯かせたままのエリクの前へゆっくりリリィが近づいてくる。
なんと声をかければよいものか。必死に考えてもわからなかったエリクは、とりあえず謝ってみることにした。
「あ、あの……さっきはごめん……まさか……その……お前が……」
言いたいことはたくさんあるのに、どうしても言葉が出てこない。そんな己の不甲斐なさに泣きそうになりながらエリクが顔を上げると、そこにリリィがいた。
明らかに赤みを帯びた小さな顔。怒っているような、困ったような、それでいて仏頂面のような複雑な表情。
その姿にエリクが戸惑っていると、不意にリリィが口を開いた。
「ここ……座っていい?」
「え? あぁ……い、いいよ。どうぞ」
「……」
自分から問いかけておきながら無言になるリリィ。見上げてみれば、胸にギギを抱き締めたままいつもの三割増しの仏頂面を浮かべていた。その彼女へ再びエリクが声をかける。
「い、いいから、とりあえず座れよ。茶でも飲みながら少し話をしよう」
「……うん」
言いながらリリィがノロノロと椅子に座る。それを見届けてから再びエリクが口を開いた。
「そ、それでリリィ……あのさ、もう一度謝るよ。――ごめん」
「……」
「まさか裸だとは思わなかったから……ノックもせずにすまなかった」
「……あれは私のミス。エリクじゃなくても、誰かがドアを開けていたかもしれない。それを思えば鍵を掛けなかった私が悪い」
「そ、そんなに自分を責めるなよ。俺はさ、まったく気にしてないから」
「あなたが気にしなくても私が気にする。だって……見たんでしょう?」
その真意がエリクには判別できなかった。言っている意味はわかる。けれどその対象が特定できない。彼女は一体なにを見たかと訊いているのか。
などと思ってみたところで、それはアレに違いない。なのでエリクは正直に答えてみた。
「み、見た」
「……」
再びリリィは無言になると、まるで熟れた林檎のように真っ赤に顔を染めていく。その姿を眺めながら、エリクは知り合いの女たちを思い出していた。
恥も外聞も捨てねばなれない冒険者だからだろうか。ルチアとポリーナはエリクの前でも平気で肌を晒すことができた。
もちろんそれは互いに背中を預けられるほどに信頼しているからに他ならないが、いずれにしろそこに恥じらいがあったかと問われれば些か疑問だ。
いつぞやは一緒に水浴びすることになり、生理的事情により立ち上がれなくなったのを大笑いされたこともある。
けれどリリィには、そんな彼女たちとは違う人種であるような違和感を覚えてしまう。
確かにリリィも冒険者には違いないが、彼女には少なからず冒険者が持つ擦れた様子が見られない。敢えて表現するなら、住む世界が違うとでも言うべきか。
言葉では言い表せられない微妙な感覚。エリクが戸惑っていると顔を俯かせたままのリリィが告げた。
「やっぱり見たんだ……見られた以上は、私も心を決めなければならない」
「えっ? 心を決める……って、お前なに言ってんだ?」
「なにって……それを私から言わせるつもり?」
「ちょ、ちょっと待て、さっぱり意味がわからんぞ」
「本気で言ってるの? ……酷い人」
「ひ、酷いって……な、なにが?」
「なにがって……そんなの決まってる。私は――」
「……」
「あなたの妻にならなければいけない」
「……」
「……」
「はぁぁぁぁぁ!?」
どうしてそうなる!?
思わずそう叫びたくなる状況に戸惑いながら、エリクは目の前の少女に掛けるべき言葉を必死に探し続けた。