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群青と赤紅色のリリィ  作者: 黒井ちくわ
旅の始まり
16/33

第16話 過ぎし日の夢

前回までのあらすじ


ヴァレリーはレネ家へ婿に入った身なので、嫁に頭が上がらない。

「ほれリリアーヌよ、手を出すのじゃ。突然で悪いが、しばらくこれを預かってほしい。ええかの?」


 輝くプラチナブロンドの髪に透き通る灰色の瞳。白く小さな顔と滅多に見ない整った面立ち。まるで妖精と見紛うような可憐な姿は、誰もが見惚れるほどに愛くるしい。

 そんな5歳の幼女――リリアーヌに向けて、一人の女がなにかを手渡そうとしていた。


 見たところ年齢は20歳(はたち)前後だろうか。それにしては妙に年寄りくさい口調が気になるが、いずれにしても彼女が妙齢の女性であることに変わりはない。

 リリアーヌと同色の髪と瞳を持つその女は、一見して母親か姉のようにも思える。事実、顔の造作の一端には間違いようのない血の繋がりが見て取れたのだが、会話の内容から決してそうではないことがわかる。


 気が強そうにキュッと吊り上がった特徴的な眉と垂れ目がちの瞳。痩せた小柄な体躯にアンバランスなほどの大きな胸。

 背はあまり高くない。いや、むしろ成人女性としてはかなり小柄な方だろう。

 その女が、可愛らしく小首をかしげるリリアーヌに向けて言った。


「そろそろわしは旅に出ねばならぬでな。遠い昔にそう約束したからの」


「旅? 旅ってなぁに? 約束って誰と?」


「うむ、わしには古い友人がおってな。其奴(そやつ)はとても遠いところに住んでおるのじゃが、そこまで何日も何十日もかけて会いに行かねばならぬ。人はそれを『旅』と呼ぶのじゃよ」


「へぇ、そうなんだ。大婆さまはお友達に会いにいくんだね。それじゃあお約束は守らないといけないね。――でもいいなぁ、大婆さまにはお友達がいて。わたしには一人もいないから」


 一切の疑問を挟まない穢れなき瞳。不意に湧き上がる寂しそうな表情。それを見た女は思いがけず顔を歪めた。


「すまぬのぉ、リリアーヌよ。どうしても其奴(そやつ)との約束は果たさねばならぬでな。できることならこのままお前と過ごしてやりたいが、今やそれも叶わぬ。許してくれるか?」


「うん。本当は嫌だけど仕方ないよね。――それで、いつ帰ってくるの?」


 その質問に女が答えを言い淀む。しかしそれも一瞬、迷いを振り払うように告げた。


「ふむ。ひと月後か1年後か、はたまた10年後か……そればかりは、わしにもわからぬ」


「えぇ、そんなにかかるの!? 10年っていったら……わたしは15歳かな。もしかしたら誰かのお嫁さんになってるかも」


「ふふふ、そうか、お嫁さんか。それは楽しみじゃのぉ。リリアーヌや、わしもお前の花嫁姿を見るのが楽しみじゃぞ」


「うん……でも、間に合うように帰って来られる?」


「もちろんじゃよ。可愛いお前のためならば、どんなことがあろうと帰ってくると約束しよう。――なにせお前はわしの夢、希望じゃからな。長年探し求めた、わしの全てを託せる者。それが実の曾孫(ひまご)じゃったとはなんとも皮肉なことではあるが、これもまた運命(さだめ)というものなのじゃろうのぉ」


 しみじみと語る女。意味がわからずリリアーヌが不思議そうな顔をしていると、その頭をぐしゃぐしゃとかき回しながら女が笑った。


「ふふふ……意味がわからぬか? まぁ、今はまだわからずともよい。そのまま聞き流せばよかろう。――見よ、これを。わしはな、この本を託せられる者を探していたのじゃ。じゃがなかなか見つからんでなぁ、おかげで100年以上もかかってしもうた。じゃがついに見つけたのじゃ。リリアーヌよ、他ならぬお前をな。お前ならば必ずやこの本を読み解けるはず」


 言いながら女が分厚い本を押し付けてくる。

 それは本というにはあまりに厚すぎ、そして重すぎた。まるで鈍器のような分厚い紙の塊。それを渡されたリリアーヌが思わず落としそうになる。


挿絵(By みてみん)


 意味がわからない。

 リリアーヌの顔にはそう書いてあった。しかしそんなことには一切かまわず女が話を続ける。


「よいか、この本にはわしの全てが書き記してある。それを読み解きさえすれば、わしのようになれるやもしれぬ。――リリアーヌよ、お前にはその才がある。わしはそう信じておるからの」


「う、うん……」


「ただな、これだけは言うておくが、決してこれを人に見せてはならぬ。この本をお前が持っていると知られてはならぬのじゃ。絶対に、絶対にじゃ。わかるか?」


「……」


「はっきり言うが、この本は決して余人には理解できぬ。手に入れるだけ無駄じゃ。しかし人の欲望とは際限がないものでな、必ずや己のものにしようとする者が現れるはず。もしそうなれば無理をせずともよい。お前とお前の母親に危害が及ぶくらいなら、こんなものなど、さっさとくれてやってかまわぬ」


「……」


 恐怖だろうか。女の言葉にリリアーヌの顔が歪む。今にも泣きそうな顔で俯いてしまうと、その身体を女が優しく抱きしめた。


「すまんすまん。怖がらせるつもりはなかったんじゃがのぉ。まぁ、この本のことは、そのくらい頑張って秘密にしてほしいという意味じゃ。今はそれをわかってくれればええ」


「うん……わかった。誰にも言わない……母さまにも秘密」


「おぉおぉ、そうかそうか、それはありがとうな。――それではお前にひとつ宿題を出そう。わしが帰って来るまでにこの本を読み解いてくれるか。さすれば勉強の続きも捗るはずじゃ」


「うん。全部憶えるまで何回も何回も読んでおくね。だからお願い、わたしがお嫁さんになるまでに必ず帰ってきて」


 懇願するような幼女の眼差し。

 抱きしめる女の腕により一層力がこもる。愛おしくて仕方がないとばかりに相好を崩し、金糸のように柔らかい髪を優しく撫でた。


「うむうむ。お前の花嫁姿を見るのはわしも楽しみじゃからな、それまでには帰ると約束しよう。だからええか? 何度も言うが、必ずやこれを読破しておくのじゃぞ。――今はまだわからぬかもしれぬ。しかしいずれわかる時がくる。リリアーヌや、お前こそがわしの後継、そして夢なのじゃから」


 とても100歳越えの老人とは思えない若々しくも艶めかしい姿と、少々甲高く耳に優しいその声は、いつまでもリリアーヌの心の中に残り続けるのだった。



 ◆◆◆◆



「おいリリィ。起きろ、朝だぞ」


 遠慮がちにかけられる男の声。なにやら遠くから聞こえてくるその声は、今ではすでに聞き馴染んだものだった。

 夢の中から呼び戻された彼女は、小さく呟きながら目を開けた。


「……夢?」


 未だ夢現(ゆめうつつ)なのか、どこかぼんやりとした顔でリリィが問う。それをエリクが覗き込んだ。


「おはよう、リリィ。――そうか、夢を見ていたのか。どうりで時々寝言を言っていると思ったよ。それでどんな夢だったんだ?」


「……大婆様の夢。久しぶりに見た」


「大婆様? あぁ、お前の婆ちゃんか」

 

「そう、私の曾祖母(そうそぼ)。今でもはっきり憶えている、本当に綺麗な人だった」

 

「そうか、それは悪いことしたな。せっかく再会できたのに途中で起こしてしまって」


「ううん、大丈夫。気にしないで」


 両手で軽く頬を叩き、頭をはっきりさせながらリリィがベッドから身を起こす。

 窓の外を見る。どうやら今日はあまり天気が良くないらしい。空にはどんよりとした雲が垂れ下がり、今にも雨が降ってきそうだ。


 これから日々寒くなっていく。夏場と違い、冬の旅は本当に難儀だ。天候然り、寒さ然り、食糧然り。

 野宿などできなくなるし、突然の吹雪で身動きがとれなくなることもある。飢えた動物に襲われるかもしれないし、凍死とは常に隣り合わせだ。


 だけどあの人は、そんな旅をたった一人で乗り切った。そして今もどこかで生きている。

 いつになったら会えるのだろうか。果たして本を返す機会は訪れるのだろうか。


 そんな漠然とした不安に襲われながら、今日もリリィは細い身体に鞭を打って歩き出すのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] これがリタ…。 「華奢(しかし巨乳)」とおっしゃるのは、大きさだけを示して逆説を用いているのは分かるのですが、私にとっては、いえ、おそらく作者様にとっても華奢というのは美徳であり、巨乳も…
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