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群青と赤紅色のリリィ  作者: 黒井ちくわ
旅の始まり
15/33

第15話 不義の子

前回までのあらすじ


銅貨1枚は日本円で100円程度。500円でパンとスープが食べられるのだからお得。ちなみに宿代は素泊まり一人3000円。

 ファンケッセル連邦国の西隣には、立憲君主制国家のハサール王国がある。

 その歴史は古く、建国からすでに523年を数える由緒正しき大国であるうえに、ここ100年ほどは魔法先進国として諸国に名を轟かせてきた。


 しかしそれも今は昔。大国である事実は変わらずとも、最近ではその権威もすっかり右肩下がりだ。

 なぜそのようなことになっているかと言えば、お家芸とも言われてきた魔法研究において、この10年で他国に後れを取るようになってきたからだ。

 

 先代の宮廷魔術師であったロレンツォ・フィオレッティが、人類史上初めて無詠唱魔術の応用理論を打ち立てたのが今から100年と少し前。

 以来ハサールは魔法研究の最前線としてその名を馳せてきたのだが、彼が亡くなってからは徐々に衰退が目立ち始めた。


 一国の宮廷魔術師を務めるほどなのだから、もちろんロレンツォには幾人もの弟子がいた。しかしその誰もが、師匠が提唱する難解な魔法理論の深淵を覗き見るだけの才能に恵まれていなかった。

 いや、実を言えば一人だけいたのだ。師匠以上の才能とまで言われて、次期宮廷魔術師として期待されていた者が。


 しかし彼女はそれを蹴った。

 自身がその座に相応しいのは誰よりもわかっていたが、敢えてそれを辞退して田舎に引きこもってしまったのだ。

 己の才は国を栄えさせるためのものにあらず。そう言い放つ彼女には、国王さえも逆らうことを躊躇した。


 不敬を不敬とも思わぬ傲岸不遜な人物。

 秘術によって寿命を延ばし、とっくに100歳を超えているにもかかわらず、いつまでも容姿が20歳(はたち)のままの永遠の乙女。


 そう、その人物こそが「ムルシアの魔女」――リタ・ムルシアであった。


 ハサール王国の西の守り、西部辺境候にして武家貴族筆頭でもあるムルシア侯爵家。その三代前の曾祖母であり、ムルシア一族中興の祖とも言われるリタ・ムルシア。

 その彼女が忽然と姿を消したのが今から10年前。以来、ハサール王国の魔術界は衰退の一途を辿っていたのだった。

 

 

 ◆◆◆◆



 ここはハサール王国西部、ムルシア侯爵領の領都カラモルテ。その中心に居を構えるムルシア侯爵家の本家屋敷。

 建国とともに家を興し、国とともに歩んできた523年。その長い歴史を感じさせる重厚な一室に男たちの声が響いていた。


「のぉ、ヴァレリーよ。あれからすでに三ヶ月が経つが、未だ彼奴(あやつ)は見つからぬのか? 一体いつになったら朗報を聞かせてもらえるのか」


「申し訳ございません。只今足跡を辿っているところでございますれば、今少しお時間を頂きたく――」


「ふん、その台詞(せりふ)は聞き飽きたわ。先日も同じことを言っていたではないか。これだけの時間と人員を使いながら、潜伏先すら掴めぬとは……まったく無能な奴め」


 薄くなりかけた頭髪を未練がましく丁寧に撫でつけた、見るからに仕立ての良い豪奢なスーツを身に纏う60歳前後の男。

 口を()く言葉と同じく顔にも傲岸さが溢れるその男は、来客用の優美なソファの上に我が物顔でふんぞり返っていた。

 

 同様にその向かいにも60歳前後の男が座る。対して髪は豊富で、ロマンスグレーの似合うなかなかの老紳士である。若い頃はさぞ美男だったであろう片鱗が垣間見えるその男が、(うやうや)しくも平身低頭、謝罪の言葉を口にした。


「ムルシア候、まったく言い訳のしようもございません。何卒(なにとぞ)いま暫くご辛抱いただけますと幸いでございます。可及的速やかに()の者を探し出しますゆえ――」


「レネ伯爵よ。随分と他人行儀な物言いだが、その『()」の者』とやらが一体誰であるのか、よもや忘れたわけではあるまいな?」


「もちろんでございます。片時も忘れたことはございません」


 この会話からもわかる通り、二人のうち偉そうな方が現ムルシア侯爵家当主エクトル・ムルシア、腰の低い老紳士が、ムルシア家から一代前に分家したレネ伯爵家当主ヴァレリー・レネだ。

 二人はともに「ムルシアの魔女」リタ・ムルシアを祖に持つ親戚同士なのだが、直系のムルシア家と傍系のレネ家では、爵位はおろか、所領の大きさから経済力に至るまでその全てに比べものにならないほどの差があった。


 もっともそれは無理もない。

 ムルシア侯爵家と言えば、ハサール王国を代表する大貴族であるうえに、国防の要である武家貴族家筆頭である。

 保有する軍隊の規模は国軍の四割を占めるほどで、その動向にはハサール王室でさえ気を遣わざるを得ないほどだった。


 対してレネ伯爵家は、山間部にある猫の額ほどの広さの所領しか分与されなかったうえに、これといった特産品もない。

 税収は少なく常に家計は火の車。本家とは違い、もちろん軍隊などは持っていない。挙句に8人もの子沢山で、財産の分配すら儘ならない始末である。


 そんなヴァレリー・レネ伯爵に向かって、エクトル・ムルシア侯爵が不機嫌そうに言う。


「それにしても伯爵よ、まさかこんなことになっていたとは思わなんだぞ。長年にわたり行方知れずになっていた大婆――リタの手記を、お前の娘が後生大事に持っていたのだからな!」


「それにつきましても、全く申し開きのしようもございません。よもや私も、そのようなことになっているとは露にも知らず」


「まったく呑気な奴だ。そもそも此度(こたび)の件は、お前の娘が仕出かしたことなのだぞ。お前も親として、そして監督者としての責任から逃れられぬと知れ。それはわかっているのか?」


「もちろんでございます。子の不始末は親の不始末。お咎めは甘んじてお受けする所存にございますが、娘の所在がわかるまでは今暫くの猶予を頂きたく」


 謝罪の言葉を告げつつも、全く悪びれた様子を見せないヴァレリー。その様に鼻を鳴らしながらエクトルが話を続けた。


「ふんっ、もういい。お前の謝罪は聞き飽きた。そもそもその態度、本当に反省しているのかもわからん」


「ははっ。大変恐縮にございます」


「もうよいわ! ――くそっ、あの大婆め。あのような不老の術を己に施しておきながら、その方法を誰にも教えぬとは。自分ばかりが若い容姿を保ち、子や孫が年老いていくのを平気な顔で眺めていたのだ。稀代の魔女などと散々謳われてきたが、とんだ食わせ者だな!」


「はい、おっしゃる通りかと」


「しかも己の全てを書き記した手記……不老の秘術について書かれたそれを、よりによって分家の分家、傍系の末娘に託すなど思いもよらなかったわ! おまけにその娘も行方知れずときたものだ。――ヴァレリーよ、お前は娘に一体どういう教育をしてきたのだ?」


 言いながらギロリと睨みつけるエクトル。

 しかしヴァレリーはその問いに答えられなかった。なぜなら、彼には末娘との思い出がほとんどなかったからだ。


 ヴァレリーには8人の子がいる。近々家督を譲る予定の38歳の嫡男を筆頭に、その他にも4人の息子と3人の娘がおり、皆それぞれに独立したり嫁に出たりしていた。

 そんな者たちの中で、唯一残っていたのが15歳の末娘である。


 とはいうものの、彼女の生い立ちには(いささ)か複雑な事情があった。それは彼女だけ母親が違うという事実だ。

 末娘の母親は屋敷付きのメイドだった女性であるが、出身は傘下の下級貴族である男爵家。ある日酒に酔ったヴァレリーがベッドへ連れ込み、勢い余って孕ませてしまった。


 相手が平民であれば金で口を塞ぐこともできただろう。しかし下級といえども相手は貴族家である。さすがになかったことにもできず、結局ヴァレリーは認知させられることになる。

 けれどそれは一夜の過ち。もとよりそこに愛などあるわけもなく、しかも子を孕んだなどと臆面もなく面倒事を持ち込んできた女であれば、尚のこと鬱陶しく思うのも無理はなかった。

 

 加えて怒り心頭の妻からは、屋敷には絶対に母子を住まわせないと言われる始末。結果ヴァレリーは、まるで隔離するかのように山の中の別荘へ母子を閉じ込めたのだった。

 もちろんある程度の金は渡していたし使用人も派遣していたので、母子が生活に困ることはなかったが、かと言ってヴァレリーが積極的に会いにいくこともないまま数年が過ぎた。



 その時だった。実は末娘が「魔力持ち」であると発覚したのは。

 子が「魔力持ち」であるとわかると、国の専門機関に召し上げられるのが普通だ。なぜなら、「魔力持ち」を育てるには高度な教育と膨大な金が必要になるからだ。


 それが市井の平民であれば()もありなん。いくら嫌であろうが、自前で教育を施せなければ国へ子を差し出すしかない。

 けれど貴族であれば事情は異なる。そんなことをせずとも、財力にものを言わせて優秀な家庭教師を雇うことができるからだ。そうして自宅にいながら「魔力持ち」として育成できる。


 しかしヴァレリーはすべてにおいて消極的だった。

 確かに子が「魔力持ち」である事実は名誉であるし自慢にもなる。けれど貴族の体面を慮れば、幾ら金がなかろうと子を国へ差し出すなどありえない。

 もしもそんなことをしたならば、レネ家には金が無いのだと公言するようなものだからである。


 かと言って妻の手前、高額な費用を負担してまで不義の子のために家庭教師を雇うこともできない。

 結局ヴァレリーは、適当な家庭教師を適当な金額で雇って適当に教育することにしたのだが、そんなときに本家の大婆――リタ・ムルシアがぶらりと姿を現したのだ。そして末娘の教育を引き受けると自ら申し出てきた。


 もちろんヴァレリーに是非はない。リタと言えば国から次期宮廷魔術師として請われるほどに優秀な人物であるうえに、「ムルシアの魔女」と謳われるほどの高度な魔術師でもあるのだから。 

 さらに自身の祖母でもあるので、そこに高額な謝礼は不要だった。


 しかしそんなリタも、末娘の育成半ばにして突然姿をくらましてしまう。たった一言「旅に出る」と言い残して。

 それ以来ヴァレリーの末娘は別荘に引きこもるようになり、滅多に人前へ姿を現さなくなった。人づてに話に聞けば、日がな一日部屋の中で本ばかり読んでいるらしい。


 そんな末娘を思い出しながら、ポツリとヴァレリーが呟いた。


「母も母なら子も子であるな。まったく面倒事ばかり持ち込みおって。――許さんぞ、リリアーヌよ!」

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