第12話 美味しい顔
前回までのあらすじ
痩せの大食い。リリィは本当によく食べる。気持ちいいくらいに。
「美味しい……」
リリィの口から感嘆が漏れる。それは聞き取れないほど小さなものだったが、代わりに表情が雄弁に語っていた。
見慣れた無表情に不機嫌が加わって、今日は朝から三割増しの仏頂面だったにもかかわらず、今や顔には恍惚とした表情が浮かぶ。
顔半分を覆う黒縁の眼鏡と長く伸びた前髪。それらのせいで表情は読みにくいものの、今の彼女が輝くような笑みを浮かべているのがエリクにはわかった。
普段は一向に感情を表わさないくせに、食事のときだけ笑みを見せる。その無邪気で隙だらけの顔を見ていると、食事という行為がこの娘にとってはつくづく特別なものなのだと感心させられる。
実年齢よりも幼く見える童顔に、透き通るような満面の笑み。それはまるで無垢な子供のように一点の曇りもなかった。
思わずエリクが見惚れそうになる。しかしそれも一瞬、すぐに気を取り直した。
「どうだ、美味いか? そのハーブはポリーナ特製なんだけど、別れ際に餞別代りだとくれたんだ。うさぎの肉は癖がないから塩だけでも十分美味いが、このハーブを使うと格段に味が広がるよな」
「うん……同意」
「だろう? 本当にポリーナ様様だな。彼女に感謝しないと。――ところでリリィ。お前は普段なにを食べているんだ? 旅の途中は自炊しているのか?」
それは雑談に見せかけた情報収集だった。
こうして旅をともにしているのにもかかわらず、エリクとリリィは互いのことをなにも知らない。知っているのは精々名前くらいのものだ。
いや、それすらも怪しいかもしれない。そもそも冒険者などというものが脛に傷を持つ者ばかりである以上、その一人であるリリィも敢えて本名を名乗るとは思えなかった。
そうは言っても、今日は朝からずっとご機嫌斜めのリリィである。そんな質問を彼女にできるわけもなく、ただひたすらに機嫌が直るのを待つしかない。
そこへきてこれだ。美味しい料理に気が緩み、すっかり曲げていたへそももとに戻った。関係修復を図るなら今しかないだろう。
ここぞとばかりの質問に、リリィがもぐもぐと口を動かしながら答えた。
「私は料理が得意じゃない。だから野営のときは行動食ばかり食べていた。みんな嫌うけれど、私は特に気にしない。お腹が膨れるだけで満足」
「そ、そうか行動食か。まぁ、確かに日持ちするし手軽だから、いざというときは助かるよな。少々硬すぎるのがアレだけど、俺も嫌いじゃないよ」
「それには同意。硬すぎて顎が疲れる。でも、繰り返し噛むことで満腹感が得られるからお得とも言える」
「ま、まぁ、そういう考え方もあるか……」
やっとリリィから会話を引き出すことができた。結果に満足しつつ、その後もエリクは当たり障りのない会話を続けた。
そうして頃合いを見計らいながら、これまで気になっていたことを訊いてみた。
「――ところでリリィ。お前は人を探しているって言っていたけれど、一体誰を探しているんだ?」
「え? それは……」
突如言い淀むリリィ。エリクの思惑は外れてしまった。徐々に無表情に戻りつつある彼女を見て、慌ててエリクが言葉を続けた。
「突然すまない。だけど、せっかくこうして二人で旅をしているんだから、俺にも人探しを手伝わせてほしいんだ。それに一人よりも二人で探した方が効率がいいと思わないか?」
「……」
「だからさ、せめて相手の名前と年齢、そして特徴くらいは教えてほしい。そうすれば俺にも訊いて回るくらいはできるから」
「……」
リリィがじっと見つめてくる。
訝しむような半眼はエリクの真意を探るようにじっとりしていたが、変わらず口は忙しなく咀嚼していた。
考えること数秒、彼女が答えた。
「わかった、教える。――名前はリタ。年齢は20歳くらい。私より少しだけ背は高いけれど、それほど変わらない」
「そうか、リタか。――それで、なにか特徴はないのか? 一目見てわかるような」
「ある。プラチナブロンドの髪と灰色の瞳、思わず二度見するほどの美しい顔。あと……胸がとても大きい」
「へぇ、そうか。髪と瞳はお前と同じ色なんだな。そのうえ凄い美人で胸も大きいと……」
言いながらエリクが、確かめるようにリリィの髪、瞳、顔、そして胸を順に見た。
今さら言うことでもないが、ローブの上からでもわかるほどにリリィは細い。良く言えば「スレンダー」、悪く言えば「ぺったんこの痩せっぽち」なのだが、その胸の部分でエリクの視線が止まる。
女性とは男性の視線に敏感な生き物である。
それはリリィも同じだ。気付いて瞳をすぅーっと細めた。
「……なに?」
返答如何によっては報復も辞さない。明らかにそう書いてある視線にエリクがたじろぐ。
「あ……い、いや、すまん、なんでもない。ところで、そのリタってのは何者なんだ? 髪も瞳もお前と同じ色って……姉かなにかか?」
「違う、姉じゃない。えぇと……そう、私の知り合いだと思ってくれればいい」
「そうか、知り合いか。――それで、なぜ探している? 行方不明なのか?」
その質問にリリィは迷う素振りを見せる。しかし隠しても仕方がないと思ったのか、諦めたように答えた。
「ふらりと旅に出たきり、ずっと帰って来ない。だから探そうと思った」
「そうか、いなくなったのか。で、そのリタなんだが、いつ頃姿を消したんだ?」
「私が5歳のときだから、大体10年前」
「……」
何気なく語られたリリィの言葉。それからエリクは確信を得た。
ギルド員の登録を受けられているのだから当然といえば当然なのだろうが、思っていた通りリリィは15歳だった。
そうは見えないほどの童顔であるうえに、出るべきところも出ていない身体つきなので、正直に言えば13歳くらいなのかもしれない思ったこともある。
しかしここに言質を得た。彼女は間違いなく成人を迎えた大人であると。
だからなんだという話でもないのだが、その事実にエリクはなんとなくホッとした。しかし次の瞬間、ふと疑問が生じた。
「ちょっと待て。10年前といえば、そのリタってのも10歳くらいだったんじゃないのか? それなのに一人で旅に出たのか?」
「……彼女は見た目通りの年齢じゃない。一見20歳くらいのようだけど、実年齢はとっくに100歳を超えている」
「はぁ、100歳!? ……って、なんだよそのロリババア。一体何者なんだ?」
「女魔術師――魔女と言った方がわかりやすい? そして私の師匠でもある……って、私が勝手に言っているだけだけど。5歳の時に別れて以来、会っていないから」
「そ、そうか……」
旅を続ける理由。思っていた以上にリリィは素直に教えてくれた。
その直後、エリクの中に理解が広がる。
魔法や魔術師というものにとんと疎いエリクではあるが、それでもリリィの年齢であれだけの魔法を駆使できるのが特別なことであるのはわかる。
5歳といえば所詮は幼気な幼女である。言葉は拙いし、文字の読み書きだって満足にできない。そんな幼女がどこまで魔法を習得できるのかは不明だが、間違いなくリリィには優れた師匠がいたのだ。
それを思えばリリィの存在に不思議なところはなく、彼女が旅を続ける理由もストンと腑に落ちた。
これまでなんとなく頭の中を覆っていたモヤモヤとした疑念のようなもの。それが晴れたエリクが思わず感謝の言葉を口にする。
「リリィ、教えてくれてありがとう。助かったよ」
「えっ……?」
思いがけない言葉に不思議そうな顔をするリリィ。変わらずその口はもっちゃもっちゃと肉を噛みしめていた。