第11話 不機嫌な連れ合い
前回までのあらすじ
肥溜めに足を落したリリィ。これがほんとの「うんの尽き」……
生きとし生けるもの、全ての命にとって母なる大地であるモンタネル大陸。その南西部には大小合わせて幾つもの国がある。
北を見れば立憲君主国家であるハサール王国。中央部には専制君主国家のアストゥリア帝国。そして南には、ハサールと同じ立憲君主国家のブルゴー王国が広がる。
西に目を向ければ、かつてはカルデイア大公国と呼ばれていた地域があるが、過去に起こった戦乱によって滅び去り、今ではブルゴー王国が管理する「カルデイア自治領」となっていた。
東にはファンケッセル連邦国にアルバトフ連合国、そしてサルデニ王国などの国々が犇めく。
もっともそれら東部の国々は、群雄割拠する大陸南西部の政治事情からは一線を引いており、これまであまり積極的に関わってこようとしてこなかった。
現ブルゴー国王の曾祖父にして、「魔王殺し」の二つ名を世界に轟かせた最強の剣士――勇者ケビンが、魔族の国、通称「魔国」の侵攻を食い止めてから130と余年。以来長らく平和な治世が続いていたが、ここ最近はきな臭い噂が絶えることがなかった。
勇者ケビンとその妻であり第18代ブルゴー王国女王でもあったエルミニアは、ともに公明正大、誠実かつ高潔な人物で有名だった。
そしてその嫡子であるクリスティアンも同様だったが、どこでどう間違ったのか、現国王のコルネリウスは暗愚としてその名を馳せるばかりである。
歴史と地政学的理由によりこれまでずっと国交のなかったブルゴーとハサール両王国は、およそ100年前に同盟を結んだ。以来、活発な交流が図られてきたが、それもここ最近は停滞気味となり、それどころか今では互いに罵り合う始末。
ハサールとだけは事を構えてはならない。そう言い続けてきたケビンが亡くなってから半世紀、今やその言葉を憶えている者さえいなかった。
約100年前。ハサール王国へ攻め込んでおきながら手痛い反撃を受けたアストゥリア帝国は、以来国力を下げるばかりで今や過去の名声は欠片も見られない。かつては多くの属国を従えていた一大帝国だったにもかかわらず、いまでは倒壊寸前の襤褸小屋のような有様である。
このように、燻るような政情不安を抱える現在のモンタネル大陸南西部ではあるが、なんとか小康を保っている状態だった。
そんな地域の片隅を一組の男女が歩いていた。
場所はファンケッセル連邦国の南西部。鬱蒼と茂る森の中を貫く細い街道。
一人は中肉中背、見るからに冒険者とわかる風体の若い男で、中々に整った美男とさえ言える顔には未だ少年の面影を残している。
もう一人は背が低く、痩せた小柄な少女。ざっくりとした灰色のローブを身に纏い、身体に似合わぬ大きな背嚢を背負う。
目を引くのは腰に括り付けられたぬいぐるみだ。長い耳を見る限り恐らくうさぎをモチーフにしているのだろうが、そうは思えないほどの不気味な外観をしている。
そうした二人が細い街道を前後に連なって歩いていた。
少女が前を歩き、男が後ろを追いかける。恐らく旅の連れ合いなのだろうが、それにしては妙な違和感を感じさせた。
同行者にもかかわらず敢えて横に並ばず前後を歩き、その間隔も微妙に空いている。それもギリギリ声が届く程度の距離感で、思わず絶賛喧嘩中なのかと勘繰りそうになるほどだ。
もちろんそれはエリクとリリィだった。
今朝方早くに仲間たちに別れを告げてから、ずっと二人は歩き続けていた。リリィ曰く、目的地は西へ一日歩いたところにある町――ヘルセトらしいのだが、向かう理由を尋ねてみても一向に言おうとしない。
それどころか、なにを話し掛けても「うん」か「いいえ」しか答えず、まるで会話が成り立たなかった。変わらず顔は無表情のままだが、どうやらリリィはご機嫌斜めらしい。
とは言え、それも仕方がない。
漏らした失言に言質を取られ、半ば強引に旅の同行を認めさせられたのだから。挙句の果てに肥溜めへ片足を突っ込んで、散々な旅立ちとなった。これで不機嫌になるなというのが無理な話だ。
数多の事情からへそを曲げ、意地になって一人黙々と歩き続けるリリィ。宿屋を出てからすでに6時間、やっと歩みを止めて振り返る。
「……お腹が空いた。なにか食べたい」
訴えるようにじっと見つめてくる。透き通るような灰色の瞳に意図せずエリクが狼狽えそうになる。
今朝方早くに宿屋を出てから、ずっと彼女は無言だった。5回に1回はエリクの話に相槌を打ってくれたものの、むっつりと口をへの字に曲げたままで彼女から話しかけてくることは終ぞなかった。
もっともその理由がわかっているエリクはひたすらリリィの頭が冷えるのを待つしかなかったわけだが、気付けば彼女の方から話しかけてきた。
空を見上げる。
いつしか太陽は中天に差し掛かり、そろそろ昼食の時間となっていた。そのときやっと思い出したのだ、エリクも空腹であることを。
今朝からずっと会話が成り立たなかった。だからこの状況で彼女の方から話しかけてきたのはまさに僥倖と言うほかなく、これを逃しては関係修復の機会は遠退いてしまう。意気込んでエリクが答えた。
「そうだな、俺も腹が減った。ここらで飯にしようか」
「……うん」
エリクの提案に、意外なほど素直にリリィが同意した。
手近な木陰を見つけて腰を下ろす。
初秋に差し掛かり、そろそろ日中も肌寒い季節になりつつあるけれど、今日は朝から心地よい陽気だ。日を浴びた外套はポカポカと温まり額には薄っすらと汗が滲む。
歩き疲れたらしく、地面に腰を下ろすと妙に身体が重いことに気付く。しかしエリクはここぞとばかりに気合を入れた。
「さっき捕まえたうさぎの肉があるから、それで昼飯を作ってやるよ。リリィはそこで休んでいてくれ」
返事を待つ間もなく、早速エリクが調理の準備を始める。
焚き木を拾って簡単な炉を作り、あらかじめ切り分けておいたうさぎの肉を木の枝に突き刺す。その上から塩と胡椒、その他に数種のハーブを振りかけて炙り焼きにしようという魂胆だ。
焚き木に火を点けようと火打石を取り出していると、それをリリィが遮った。
「私が火を点ける。その方が早い」
そう呟いてリリィが焚き木に手を翳す。するとそこから炎の塊が飛び出して、見る見るうちに大きな炎と化した。
それを見たエリクが歓声を上げる。
「へぇ、凄いな! こんな簡単に火が点くなんて! 魔法といえば戦闘に使うものだとばかり思っていたけど、こんな使い方もあるんだな!」
「……」
「便利なもんだ。お前って凄い奴だな!」
大げさにはしゃぎながらエリクが無邪気な笑顔を振り撒く。まるで子供のように邪気のない表情からは、口先だけでなく心の底から感心しているのがわかった。
リリィの顔が僅かに緩む。それは注視していなければわからない程度だったが、間違いなく照れたような表情が浮かんでいた。
誤魔化すようにリリィが言う。
「……煽てても無駄。なにも出ない」
「なに言ってんだ、煽ててなんかいないよ。俺は剣を振り回すしか脳がないから、魔法が使えるお前のことを尊敬してるんだ。――照れんなって」
「て、照れてない」
「まぁいいや。それじゃあ腹も減ったことだしさっさと焼いちまおう! もう少しだけ待っててくれよな!」
それから15分後。見るからに美味しそうなうさぎ肉の炙り焼きが出来上がる。
香ばしい油が表面を伝い、食欲を誘うハーブの香りが漂ってくる。
これは絶対美味いやつ。
見つめるリリィの瞳が爛々と輝きだす。決して口には出さないが、早く食べたくて仕方がないようだ。小さくて薄い唇の端には、乙女にあるまじき涎が見え隠れする。
肉をガン見するリリィ。彼女に向けてエリクが宣言した。
「さぁ焼けた。こういうのは焼き立てが一番美味いからな。冷めないうちに食べようぜ!」
火傷しないように注意しながら、焼けた肉を切り分けてリリィへ手渡す。
それにおずおずと手を伸ばすと、ふぅふぅと息を吹きかけながらリリィが口へ運んだ。
直後にリリィの瞳が驚きに見開かれる。その顔にはかつて見せたことがないほどの笑みが広がっていた。