《幼女舐めるな、です》
「ぎゃふっ!」
変な声を上げて、イブキは地面へと着地した。……いや、叩きつけられた。
両腕を縛られたままで、ぶつけた頭を擦ることすらできない。うめきながら起き上がると、息を飲んだ。
まるで教会のような場所に、いつのまにかいたのだ。
天井は高く、緑色の炎がぽつぽつと宙を舞っている。これも魔法なのだろう。壁には竜を描いたステンドグラスが張り巡らされ、光が差し込んでいる。
そして、イブキがいる場所から一段上がった場所に、7つの石椅子が設けられていた。その席は威厳のある人たちで埋まっており、全員がじっとイブキを見下ろしていた。まるで、見せ物にでもなったかのようだ。
「ええっとぉ……?」
幼い顔に焦燥の色を浮かべ、イブキはたじたじとしている。その横で、いつの間にか立っていたペペローナが、声を上げた。
「ご覧ください。この少女が、《災禍の魔女》です! 見た目はか弱い少女ですが、間違いありません」
応えたのは、正面に座っていた白髪の老人男性だった。
「ふむ。たしかに紫髪、首元のタトゥー、一致しておる。ご苦労であった、ペペローナ。お主にリムル様のお告げを伝えて正解だったよ」
「はっ、ありがとうございます。では……」
「わかっておる。お主の故郷の疫病についてじゃろう。すぐに医師団を派遣するとしよう」
「あ、ありがとうございます!」
そうしてペペローナが一礼すると、彼の姿がふっと消えた。また転移魔法とやらで元の場所へと戻ったのだろう。
「さて」
白髪の老人は続け、整えたヒゲをいじりながら、イブキを見下ろした。冷たい目だ。
「《災禍の魔女》、名をなんという?」
イブキは、鼻で笑い飛ばす。幼女の姿に似合わない態度だ。
「なんで教えなきゃならないわけ? あいつも、わたしを売るような真似してさぁ。わたし、なにもしてないよね?」
「ああ、そうじゃな。今はまだ、なにもしておらんな。ほれ、はよう名を述べよ。《災禍の魔女》は呼びにくいのでな」
「やだ。ちゃんと説明しなさいよ」
頑なに答えずにいると、イブキから見て左側の椅子に座っていた女性が、ふふっと色っぽく笑った。水色の髪をした、綺麗の女性だ。胸元が空いた服を着ていて、年齢は20~30の間だろう。
「お嬢ちゃん、答えなさい。あたしが無理やり聞き出してもいいんだけどぉ、ちょっとだけ痛いわよ?」
女性がにっこりと微笑む。……マジの顔だ。
イブキは気圧され、ようやく名前を告げた。
「……イブキよ」
「そうか、イブキか」
と白髪の老人。続けて、
「では、イブキ。我ら《魔法七星》はなにも、お主を取って食おうなどとは思っとらん。ただ半年の間、北の監獄島で過ごしてほしいだけなのじゃよ」
イブキは頬を引きつらせた。
「監獄って、さらっとやばいこと言ってるよね……? なんで、なにもしていないわたしがそんなことしないといけないのよ」
「いったじゃろう。今はまだ、なにもしていないと。リムル神のお告げによれば、半年後、お主はこの世界をすべて破壊し尽くす」
イブキは苦笑した。そんなこと、できるわけがない。
「無理よ。わたし、魔法すら使えないんだから」
その言葉に、一同がどよめいた。みんな、イブキの言葉の真偽を確かめようとしている。
さっきの綺麗な女性が、イブキの横顔をじっと見つめている。
「魔女は、加護無しで魔法を使えるはず。けれど、この子、嘘はついてなさそうよ」
「エロティックお姉さん……! 信じてくれるのね!?」
「え、エロテ……?」
イブキはきらきらと瞳を輝かせて女性を見上げる。まるでテストの点数を褒められた子供みたいだ。
《魔法七星》のメンバーの誰もが、その女性の言葉に賛同した。「あいつが言うなら間違いない」とか「彼女を信じよう」とか。
けれど一人だけ、違った。
「俺は信じない」
背後の椅子に座っていた男性は、そう言い放つとイブキがいる場所まで飛び降りてきた。
男にしては長めの黒髪で、丁寧にセットしてある。年はさっきの女性と同じくらいか。白と青の制服に身を包んで、獣のような瞳でイブキを睨みつけている。
「……なによ、あなた」
辺りに冷気が満ち、床と壁に霜が走る。ここ一帯の温度が急激に低下し、イブキの吐く息が白くなった。
見れば、男の頭上に、何本もの氷の槍が生成されているではないか。浮かぶそれの矛先は、全てイブキへ向いている。
その現象の中心には、あの男がいる。男は、両腕を組んで、迷いのない声で言い放つ。
「氷花騎士団団長、ノクタ=グレスレア。《災禍の魔女》、俺が直接お前を裁いてやる」
「ちょっ――」
イブキや他の人たちの抑止も虚しく、男の頭上にあった氷槍が放たれた。
神速の疾さで放たれた氷槍は、青の軌跡を残してイブキへ一直線だ。その一瞬の間に、イブキの思考は加速した。
(これで終わる。多分。なんか知らんけど、こいつに殺される!)
けれどここで死んでも、元の世界へ戻れる保証はない。なんとしても、元の世界へ戻る方法を探さなければならない。
元の世界へ戻りたい理由。イブキにしかわからない、簡単な理由だ。
――散々こき使ってきたあのブラック企業に、まだ退職届を叩きつけていないから。
その瞬間、イブキは強い意思の籠もった瞳で、向かってきている氷槍を睨みつけた。この間、わずか1秒だ。両腕はロープで縛られたままで、動かせやしない。
(わたしが本当に《災禍の魔女》なら。なんでもいい。わたしを、助けろ)
その思いに呼応するように、イブキの首元に刻まれたタトゥーが、真っ赤に輝く――。
直後。
向かってきていたはずの氷槍が、突然粉々に砕け、氷晶を撒き散らしイブキへ降り掛かった。イブキが立っていた床に亀裂が入り、天井付近を漂っていた緑の炎までかき消される。竜を描いた壁のステンドグラスも、破砕音を響かせて砕けた。
いったい、なにが起こったのか。目の前の幼女がなにかをしたのには変わりない。けれど、なにをしたのか。あれは魔法の粋を超えていた――。
この場の誰もが息を飲んで見守る。正面にいた男――ノクタは、イブキの様子を恐怖の混じった目で眺め、小さく呟いた。
「災禍の……魔女……」
あたりはしんと静まり返っている。他の魔法七星メンバーも、あっけに取られ声を出せずにいた。
ただ一人、イブキだけは、困惑しつつも違った。
毅然と胸を張り、舌足らずだが可愛らしい声音で、こう吐き捨てる。中指を立てるオマケ付きで。
「――幼女舐めるな、です!」