2.柏倉尭也
柏倉尭也。
29歳、独身。
祖父から数えて三代目のそれなりに老舗貿易会社の副社長。
祖母、母を亡くし、現在祖父、父、弟2人の5人家族。
母が亡くなってから少々おかしくなった父がここにきてとんでもないことを言った。
隣でお茶をこぼした晴也がギャーギャー騒いでいるが、構うことなく父を凝視する。
副社長に就任してからはなるべく動揺しないようにと努めてきた。が、父の一言は自分にとって予想を超えていた。
───道理で昼間は飲まない二人が飲むわけだ。
親たちの飲酒が祝杯の意味を持つことを理解する。
少しでも気を落ち着かせるためにゆっくりとグラスをテーブルへ戻す。
使えない弟達は置いておいて、やはり自分が聞くしかないだろう。
「……花嫁ですか?まず見合いでは?」
「会っても断るだろうが」
「…っ」
父はとうの昔に自分から視線を外し、しれっとワインを飲んでいる。
ぐうの音も出ないが、それは自分だけだ。
弟達にとってはこれが初めての見合いだ。
それで結婚とは些かどころかかなり性急過ぎる。
「会ってもない内から結婚せよと?」
「そうだ」
「しかし、絢たちは初めてですよ」
「どうせ悪い兄を見習って断るだろうな」
「…っっ」
「俺があやめと暮らして幸せだったのを一番知ってるお前達が結婚を嫌がるわけはどこにもない」
空いたグラスを揺らし、クセのある笑みを投げてよこす。
確かに父の言う通り、自分達はこの父が最愛の妻である母との暮らしを最上だと思っていたのを身をもって知っている。
父だけではない。
祖父も祖母を大事にしていて夫婦仲はいつも円満だった。
しかしそれと今この縁談話とではわけが違う。
自分はまだ今の役職に就いたばかりで、父を手伝う傍ら覚えることがたくさんある。
これまでも見合いは何度かしてきたが特に気に入る相手に会うことなく、彼女もいるにはいたが仕事の忙しさと柏倉の名に変貌した女性に嫌気がさしてそれ以来恋愛はご無沙汰だ。
「いずれ結婚はします」
「誰と?」
「誰であろうと」
「話にならん」
これまで父との会話に入ることなく黙って食事をしていた祖父が入って来た。
会長職に就いてから普段から着物姿となったが、剣道を長くやっているせいで年寄りとはいえ引き締まった体躯は姿勢も良く隠居を感じさせない祖父だ。
「真面目に向き合ったこともないくせに選ぶ立場でいるつもりか?女性を軽んじるな」
「でも俺、まだ無職だけど」
晴也も入ってくる。
「そんなお前でも相手に選んで貰えるよう努力せい」
「結婚したい相手じゃないのに努力するの?」
「しないなら勘当じゃな」
「そんな~」
情けない声を上げた晴也だが、気持ちは大いに分かる。
どんな相手かも分からないのに、結婚する為に努力せよとは断っても駄目、断わられても駄目なら後がないではないか。
「勘当とは大げさな」
「大げさかどうかはお前達次第じゃな。わしらはお前達が路頭に迷っても一向に構わん。黙っておるが絢也はどうだ?」
「……会う」
「「?!!」」
祖父から聞かれた絢也がまさかの返答を返したので、くしくも晴也と同時に絢也を見る。
「何で!?まさか絢兄、一目惚れ!?見せて!」
晴也は信じられないと言わんばかりに絢也のそばに置かれた彼用のファイルを奪うように取る。
ファイルの中身も気になるが、弟の発言のが優先だ。
「絢、結婚するつもりか?」
「…するかどうかより会えばいいんでしょ」
なるほど。
自分の落ち度で断られるのではなく、相手からうまく断られるならこの話は白紙に戻るだろう。
弟の言葉で単純なことに気が付く。
が、祖父と父から小馬鹿にしたような笑いが聞こえた。
「甘いね~」
「小賢しい。だいたい見合いの場など儲けておらん。自分達で相手の娘と接触して惚れさせてみい。相手を尊重して頭を下げて結婚して貰うんじゃ」
「それはいくらなんでも無謀ではないですか?お見合いじゃないじゃないですか」
「だから始めからお見合いなんて言ってないよ~」
「だったら!」
言い募ってはみるが父には笑顔でかわされていく。
「相手の子は何も知らされていない。家にだけは話が通ってるだけだ。尭也~年貢は納める為にあるんだよ」
なんということだ。
この結婚話の決定事項は父だけではない。
祖父も本気なのだ。
改めて後退する場所が自分達には全く残されていないことを自覚した。
お読み頂きありがとうございます。
また次回もお会いできるのを楽しみにしております。