第一話 僕らは星の王子様!①
______私たちの活動限界まで、残された時間は僅か______
すでに日が暮れ始めた住宅街の路上を、慧は履きなれないブカブカのスニーカーを引きずるように
スーパーの買い物袋を片手にトボトボと歩く。
「___アルバイト……。今日も見つからなかった……」
駅から徒歩15分ほどに奥まった一画に彼ら彼らが共同生活を送る一軒家があった。
老家主の好意で奇跡的に借りることができた築年数が相当経っていそうな木造二階建て。
慧はキイーッとさび付いた門を押し、砂利の敷かれた小さな庭を通り抜けて古臭いガラスの引き戸をガラガラと開いた。
「ただいま」
力無く帰宅を告げる慧は、ふと足を止めて玄関のたたきを見下ろした。
慧以外の4人分のスニーカーやブーツ、草履が乱雑にバラバラと散らばっている。
慧は無言で屈み込むと片手に買い物袋を抱えた不自由な格好のままで履物をひとつひとつ綺麗に揃え直す。
その脇に自分のスニーカーも綺麗に脱ぎ並べ、几帳面に足拭きマットで靴下の裏を拭ってから家に上がる。
「……!」
再び慧の足が止まった。古めの住宅らしいやや薄暗い廊下に散らばる駄菓子の包装紙や空のペットボトル、
崩れた漫画雑誌の山、半端に折りたたまれて雑に重なるamazonの段ボール箱、誰が頼んだのか宅配ピザの空き箱。
慧は無言で、据えた目線で廊下の奥、居間の襖襖を睨みつける______。
「決まったぜ……」
ソファの前に置かれた小さな折り畳み式ちゃぶ台の上には整髪料や化粧水、スキンケアクリーム等の
メンズ化粧品が並び、その真ん中に置かれた鏡に映る長く艶めく髪の毛はそれに似合う細い指に
チョイチョイと最後の仕上げに摘ままれる。
赤いローソファにスラリとした身体を横たえるようにもたれながら玲桜は甘くため息をつきながら、セットを終えた髪をふわりと撫で上げた。
「どう?この流線形、盛れ過ぎじゃね?
こーゆーのにこの銀河の女の子は夢中になるわけよ」
悦に入って鏡を眺める玲桜を無視する様に、部屋の片隅では半紙の上をたっぷりと墨に濡れた筆がしゅらしゅらと滑る。
細身の玲桜より更に小柄な背中が畳の上にきちんと正座し、黙々と筆を走らせている。
襟の無い黒いシャツから少女の様に細く伸びる首に垂れる同じく黒く肩まで届く髪が
腕の運びに合わせて揺れている。
その背後で鏡の中の自分をうっとりと見つめる玲桜。
「オレってどんな身体身体になっても機能美に溢れてるよな~。
______!あっ、でも後ろ崩れてるっ⁉
ちょっ、見て!直してっ!」
ソファで一人騒ぐ玲桜の眼前スレスレを、颯颯の様に筆が十字にビュビュッかすめた。
「うる さい」
「うおッ!?」
しゅるしゅるっと再び半紙の上に戻された筆が”禅”の一文字を書き終える。
「あっぶねーなてめえッ!」
小柄な黒髪の少年は静やかに、切れ長の目を前髪の間から光らせ、玲桜の方に静かに向き直った。
「身は心の鏡。
乱れあるその姿が心の未熟さの現れだ、玲桜。
お主も”書”というものから心の静けさを少しは学ぶとよかろう」
玲桜はその言葉を無視する様に鏡を覗き込みながら髪の乱れを直しつつ、小馬鹿にするように横目で鼻を鳴らす。
「は?そっちこそテレビの時代劇とかってのに影響されて
その口調痛くなね?一颯。」
「は?イヤ、拙者これがめちゃめちゃ素だし。
全然作ってないし」
目を泳がせながら顔の前で小さく手を振り否定する。
「嘘つけ、先月まで普通に喋ったくせに」
「黙れ!」
土産物屋で買った模造刀を振り回す一颯。
「うおお⁉」
8畳間でドタバタと暴れまわる二人の背後で、襖がスーッと開く。
濡れた素足が廊下の床に足跡を残しながら、そのまま部屋の中に踏み込んでくる
「やべえ……」
声に畳の上で絡み合って互いの髪の毛を掴み合う玲桜と一颯が同時に振り向いた。
全身を風呂の湯に濡らしたままの長身の岳岳が恍惚とした表情で二人を見下ろし、
上気した肌から湯気を立たせている。
「俺______今日、生まれて初めて風呂っての入った……」
この家に住む他の4人の細身の身体と比べ、運動部のキャプテンを思わせる逞しく鍛え上げられた
胸や腹筋、がっしりとした手足がしずくを滴らせながら二人にズイズイ迫ってくる。
「最高過ぎだろ……!俺これから毎日風呂入る~」
「馬鹿かお前!身体拭いてこい‼」
「ウギアー!見苦しい器官を突き付けるな!」
悲鳴を上げる玲桜と一颯。
ドヤドヤと騒がしい部屋を、襖一枚で直接つながる台所からエプロン姿の瑞埜が
おたまを片手に覗き込む。
「皆~。そろそろご飯できるよー。
机出して準備してて______
ってちょっと!」
いつの間にかテレビの前に陣取りゲームの対戦に没頭している三人。
「五本先取な!」
「拙者アイテム無しルールがいい」
「もお‼ご飯の前に片付けといてって言ったでしょ⁉
あ、でも負け抜けなら次僕も一戦~______」
3人の間に混ざろうと腰を下ろしかけた瑞埜、ふと背後からの気配に振り向いた。
「あ……」
廊下に続く障子を開き、買い物袋をまとめた慧が無言で立っていた。
唇をきつく結び、拳を握り肩を震わせる。
「お、おかえりぃ~……」
引きつるような瑞埜の声に気が付き、他の三人もおそるおそる首を背後に巡らせる。
「______お前たち……」
足元に目線を落としたまま、その手を更にきつく握りしめる慧。
風も無い部屋の中で髪の毛がゾワゾワと踊るように逆立ち始める。
固まる四人にゆっくりと向けられる黒く大きな瞳の奥で、チカチカと音を立てて青い火花が散る。
玲桜が青ざめた顔で呟く。
「______やっば」
次の瞬間、華奢なその身体がパァッと華が開くように爆ぜた。
胸が、肩が、腕が、首筋が、
身体中の皮膚がまるで白銀で編みこまれていた細工のように、羽毛を大きく震わせ膨れる鳥のように
形を変える。
そして何万枚にも解れた銀色の肌が、それぞれを繋ぐ無数の糸によって織り合わされるように
再結合されてゆく。それぞれが擦れ合う音が無数の小さな鈴がなるような音色を立てながら結ばれてゆく。
そして瞬時に”構成”され直されたその姿は______
それは翼を畳む白鳥にも、
繊細な彫刻の刻まれた甲冑にも似ていた。
美しい甲虫にも、複雑で可憐な銀細工にも、
人間たちが綴る物語に描かれる天使にも似ていた。
だが慧が姿を変えたそれは、
この星の上に住むどの生きものの姿でもなかった。