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この世界から犯罪が消えたなら

作者: ケロ風

 1. 事件のはじまり


 2. 七夕の日


 3. 人を守る人


 4. すれちがう願い


 5. 願いが叶う、その時


 6. 本当の願い


 



 1. 事件のはじまり


 電気の消された、暗闇に包まれた部屋の中、テレビだけが時の流れを感じさせた。

時刻は、夜10時をまわっていて、深夜番組が大音量で流されている。

とつぜん画面が切り変って、女性アナウンサーが、ニューススタジオに、緊迫した表情で立っていた。

「ここでニュースです。今日午後9時30分ごろ、東京都内のマンションで、殺人事件が発生しました。

被害にあったのは、マンションの住民である家族4人で、犯人は、知人の男とみて捜査中だそうです。

なお、都内の金融系会社に勤めている、30代の男性の田中偲さんと、その妻の倖子さんの死亡が確認されており、その息子の只彦くん7才と、弟の凛治ちゃん3才は軽傷です。

現場に中継がつながっています。佑吾さん。」

また画面が変わり、中継先の男性アナウンサーがマイクを手に続けた。

「はい。新しい情報が入りました。犯人とされている知人の男は、妻、倖子さんの愛人だということが、その後の警察の調べで分かってきました。それによると…。」

テレビの画面が真っ暗になった。たった独りで、ダイニングで食パンをかじっていた少年、かざたにこうがリモコンの電源ボタンを、叩きつけるように押したからだ。

息を肩でして、震える手で、自分のズボンをにぎりしめている。

この少年は1才の誕生日の日、両親を事故で失っているのだ。

今から、9年前の事だが、今でもあの日を忘れた事はない。

目をつむると、優しい両親の笑顔がうかんでくる。

いや…。あれは事故なんかじゃない。殺人事件だ…。と、虹輝は思っていた。

あの日、虹輝は祖母の家に預けられていた。

夕方に、自宅で開く誕生日パーティの飾りつけと、プレゼントを買うために、父親の運転する車で、近くのデパートへ来た帰り、ガードレールを突き破り、崖下まで転落した。

乗っていた母と父は、即死だったそうだ。

警察の言い分は、飲酒運転による、転落事故。

しかし、虹輝の両親は、酒に手をつける事はしないのだ。

祖母は、最後までそう主張したのだが、公正な裁判の結果、事故として処理された。

公正なんて、あるのだろうか、あれはきっと、上から圧力がかかっていたのだろう。

と、言うのも、虹輝の父は、名刑事、母は名検事、2人とも真実を暴く天才だったが、警察組織の不正まで暴いた事があったので、上から快く思われていなかったのだ。

きっと、これ以外の悪事を世の中にさらしたら組織が危ういと判断して、手を下したのだろう。

直接、とは限らないが。

そして圧力をかけて、事故として処理させたのだ。

これらの事は、虹輝の想像に過ぎないのだが、虹輝は憎んでいた。いや、恨んでいた。

不正を、不正でもみ消していく、警察組織を。

両親の裁判に負け、追うように祖母が亡くなってしまってから、叔母夫妻のもとで暮らしているのだが、

叔母の夫の浮気が発覚してから、離婚寸前で、もともとさんざんな扱いを受けていた虹輝は、さらにひどい目にあっていた。

開き直った叔父は、もう1週間も帰って来ていないし、叔母も、深夜1時をまわった頃に、酔って帰って来ればまだ良い方で昨日は帰って来なかった。

毎月、小学4年生にしては多すぎる額のお小遣いを渡して、家事の一つもしない。

おかげで、毎日のようにコンビニ弁当を食べて、小腹がすけばパンをかじる生活をしていた。




 2. 七夕の日


 次の日、学校では二つの話題で盛り上がっていた。

一つ目は、例の殺人事件のことだ。

どうやら被害者一家を殺した犯人が、まだ捕まっていないらしい。

しかもその男は、国内外で殺人を繰り返している、凶悪犯で、国際指名手配犯なのだそうだ。

二つ目は夢が叶う短冊について。

19世紀末、世界最強といわれた資産家の遺品の中から、古くから「夢が叶う」と伝えられていた短冊が10枚見つかったそうで、1世紀に1枚、世界中で抽選をして、それを使える1人を決めるのだそうだ。

資格は5才以上である事。それを満たしている人はみな、自分の意思とは関係なく、抽選を行うらしい。

そして今年の夏、その大抽選会を行うのだそうだ。

虹輝は、物好きなもんだな。と思っていた。

仮に本当に夢が叶うものなら、世界中で大抽選会を行わずに、遺品の持ち主が使ってしまうか、オークションにかけて高値で売ってしまえば良いのに。

きっとそれをしないのは、夢など叶わないからなのだろう。

しばらくしてチャイムがなり、担任の先生が入ってきて、まだ話し足りなそうな児童達を静まらせた。「えー。みなさんニュースで見たとは思いますが、都内で殺人事件があり、犯人は未だに逃走中だそうです。

ここから近くも無いので、みなさんには登校してもらいましたが、現場近くの小中学校は臨時で休みになった所もあるそうです。

みなさんも、必要以上に外に出ない事、登下校はお家の方に送ってもらうか、出来ないときは、二人以上の集団で歩いて下さい。1人で歩かないように。

もちろん外で遊んではいけません。友達の家に行くのも、控えた方が良いでしょう。

お家でも、しっかりカギを閉める事。怪しい人を見つけたら、すぐに大人に知らせて下さい。

学校なら、先生に。

みなさん、防犯ブザーが鳴るかどうか、確かめておいて下さい。

3、4時間目に予定していた野外授業は、念のため、中止します。」

みんなの反応は、それぞれだった。

「えー。楽しみにしてたのに。」

「ズルくない?こっちも休みにしてよ。」

「今日の約束、取り消す?」

「なんか、コワイな。」

「でも大丈夫じゃね?そんな近くじゃねぇんだしよ」

ざわめきを静める様に、先生が咳払いをした。

「えー、もう一つ大切な話しがあります。こちらもみなさん、知っているとは思いますが、「夢がかなう」という短冊についてです。

日本でいうと、資格は5才以上なので、小学生は全員参加となります。もちろん、みなさんもです。

抽選は、学生は自分の学校で行い、幼児(5才)は、通っている保育園、幼稚園が認定されているならそこで。その他の幼児または、成人、その他の人は地域で開く抽選所で行います。

みなさんは、この学校で行う事になります。

くわしい事は、今から配るプリントを見るように。お家の方にも見せたら、自分で管理しておいて下さい。」

そう言いながら、前列の児童達に人数分のプリントを配った。

それが虹輝の手元にも届いた。


 **************************************************

  「夢がかなう」短冊の抽選について


    向夏の候、保護者の皆様におかれましてはますます

   御清祥のことをお喜び申し上げます。

    日頃より本校の教育推進に当たりまして、深い御理解

   と御協力を賜り、厚くお礼を申し上げます。

    さて、本校では「夢がかなう」短冊の、世界規模で

   行われる大抽選会において、7/15(月)の1校時に

   体育館で全校児童を対象に実施致します。

    尚、決まりに基づきまして、保護者の皆様や本校に

   在籍していない兄弟姉妹等お子様につきましては、

   ご遠慮頂くようによろしくお願い致します。

    つきまして、ご不明な点等ございましたら、下記の

   電話番号にお問い合わせください。


   〇〇小学校  △△△ー◇◇◇◇

 **************************************************


 またクラス中がざわめき始めた。

「当たるのかなぁ?」

「無理じゃないの?相当な倍率でしょ?」

「いや、奇跡は起きる!かもしれない。」

「当たったら、何を願う?」

「そりゃ、億万長者になれます様に!」

先生が、少々苦労して静めると、1校時目の国語が始まった。

それから、2、3、4校時と、クラス移動が無かったため、虹輝はぐっすりとねむる事ができた。

ただし、給食後の一番ねむたい、5、6校時が、音楽、理科と移動が続いた上に、

理科担当の先生が休みだったので、学校一怖いと噂が立ち、児童達がこっそり、鬼先生とあだ名を付けているほどの先生に当たってしまったおかげで、眠る事が出来ないまま、家へと帰った。


 いつもと変わらない、冴えない日々が過ぎ、5月10日になった。

その間にクラスメイト達は、地に足がつかぬ様になっていたが、虹輝は相変わらず、どんよりとした日々を過していた。

一校時に、選挙の投票箱の様なステンレスの箱から1人1枚紙を引いていった。

虹輝は519235 と書いてあった。それを端から、先生が記録していく。

抽選が行われた体育館は、ザワザワと騒がしかった。


 さらに10日ほど過ぎた。今日の二校時は、学活。

教室のスクリーンに、全世界共通で、当選番号を決める所を生放送される番組が映しだされていた。

例の資産家の子孫である少女三人と、少年二人が、ダーツのボードの前で、矢を持って立っている。

ボードは、0から9までの数字がそれぞれ書かれていて、それを回転させた。

ボードは10つ、すなわち一人二回なげる事になる。

一の位の少女が投げ、ボードの回転が少しずつ遅くなり、ダーツの矢が見えてきた。

4か、5か、それとも6か…。ついに回転がほぼ止まり、司会者がマイクを口に近づける。

「5」クラスから、悲鳴と歓声が同時に響く。

次に十の位の少年が投げ、司会者が数字を告げるとともに、悲鳴が上がった。

外れた児童達は、もうどうでも良くなったかの様にそれぞれに話し出した。

しかし虹輝の心臓は、大きく波打った。今にも飛び出しそうなくらいだった。

告げられた数字は、「3」だった。

次に百の位の少女が…。スクリーンから出た数字に、耳がおかしくなったのかとか思った。

耳がおかしくなければ、百の位は、「2」だった。

これまでに、こんなに緊張した事があるだろうか。

胸の鼓動は、痛いほどに大きくなり、握りしめた手のひらに、くっきりと爪の跡がついている。

次は、「9」だった。期待と不安が入り交じり、頭がそれについて行けずに真っ白になった。

座っていられぬほどの寒気がして、思わず机に伏したが、虹輝の瞳は、次の、万の位の少女を映していた。

「1」司会者の声に、頂点を通り過ぎた胸の鼓動は、それさえも分からなくなったかのように感じなくなってきた。

次は、「5」、そのあとの3つは、「0」が続いた。最後の少年が矢を放ち、結果が分かった瞬間、クラス全員が虹輝に集中した。

緊張と、期待がのしかかり、たおれたのだ。

先生が、あわてて飛んできた。


 正直、バカらしいと思っていた。夢なんて、そう簡単に叶うものじゃない、と。

でも、こうなってみると、やっぱり…。

色々な事が、保健室のベッド上の虹輝の頭にぐるぐるとまわる。

でも、なぜか短冊に書く事は決まっていた。虹輝が一番ほしいもの…それは両親だ。

自分でも、そんな事は知らなかったのに、一番に頭に浮かんだのは両親の事だった。

それを恥ずかしい、とは思わなかった。

大切な、尊い命が、犯罪という穢れたもののせいで、一瞬のうちに失われない事が、虹輝の望みだった。

虹輝の両親のように、失われる命を出さない事が。


 1か月後、虹輝は短冊を受け取った。

資産家の子孫であり、遺品の持ち主である男性から受け取る「授与式」はテレビでも大いに取り上げられ、叔父・叔母もよそ行きの服を着て、なるべくふつうの夫婦に見られるように、そしていかにも虹輝をかわいがっているように見える様に出席した。

それを記者達はまるで不幸な少年が優しいおば夫婦に育てられていて、その少年に短冊が当たったのだというように報道した。

父母を悪者扱いされるのは相当な屈辱だったが、それ以上は何とも思わなかった。

なぜなら、虹輝のこの手の中に短冊があるからだ。

家へ帰っても、叔母夫婦から何も言われなかったのもありがたかった。

二人とも、まともなフリをするのに疲れて、叔母はすぐに自分の部屋に閉じこもり、叔父はどこかに出て行った。

暗い部屋に一人残された虹輝は、鉛筆で細く短冊に文字を書きはじめた。

テレビの青白い光で、時々まだ幼さの残る虹輝の顔を照らし出している。

「これから、この世界から、犯罪がなくなりますように。」

書き終えた短冊の短い文を何度も目で読み返すと、鉛筆の上からマジックで力一杯になぞった。

テレビでは、先日の一家殺人事件の凶悪犯がまだ捕まっていないという内容が伝えられていた。




 3. 人を守る人


 職場のディスクの上で、30代前半の男性 ―大葉正斗(おおばまさと)― は、物思いにふけっていた。

彼が勤務するのは、警察庁警備局公安課。

単なる泥棒や殺人犯ではなく、国家に関わる犯罪者を相手とする、いわば警察組織の「上」である。

そして今、世間で騒がれている、一家殺人犯をおっている所でもある。

ホシは、国内外で犯罪を繰り返し、現在日本で児童誘拐事件を何度も起こしている。

そのうち90%は殺人と化していた。

ヤツは人の命なんて、何とも思わない。しかも、国家の重要機密をにぎっている可能性もあるのだ。

すなわち、一刻も早く捕まえなくてはならない。

…そう思っているのは、公安課の人間も、正斗も同じだった。

しかし…。この組織は、刑事課では出来ない事ができてしまう。

いや、どこかがそうしなければ、日本の安全と秩序は維持出来ないのかも知れない。…

ここでは、日常的に非合法スレスレ…というか、ほぼ合法でない捜査が行われていた。

正斗も、公安の人間も、もとは「犯罪を無くしたい、正義を守りたい」と思って、こういう組織に入ったのであって、まさか自分達が悪に手を染めるとは夢にも思わなかっただろう。

例えそれが、この国のためであったとしても。

正斗も初めは混乱し、悩んだ。しかし正斗も若かった。

「これが国のためなのだ。」と、自分に言い聞かせ、せわしなく過ぎる時の流れに身をうずめ、ひたすら突き進んで来た。

しかし30を過ぎた今、もう一度その疑問を自分に投げかけた。

本当にこれで良いのだろうか。

盗聴、違法浸入、おとり捜査…。今まで色々な事をしてきた。

妻も子もいない正斗が守るべき事は法律でなく、違法を犯してまでもこの国なのだろうか。

確かに、それで助かる命もあった。今追っている、「ヤツ」も、おおよその見当はついていた。

あと少しで捕まえられるかもしれない。

…しかし、それを突き止めるのにも公安お得意の違法捜査が行われていた。

それによって、失われる命は、傷つく何の罪もない人が、本当にいないのだろうか。

―心当りが、一つだけあった。もう、10年ほど前の事だろうか。

世間では、「名刑事」とよばれる男性が、ある事故に関わった公安の非合法を告発した事があり、それにより多くの人間が退職せざるおえなくなった。

人手が足りなくなった公安は、当時まだ22才の正斗を公安にひっぱった。

その刑事は、公安にとって、いてはいけない存在になったが、法律を害していない彼を捕まえる訳にもいかなかった。

そしてついに、混乱に乗じて「名検事」であった妻もろとも、事故に見せかけて殺めたらしい、

という噂は正斗の耳にも入ったが、あの時は、この組織がどういう物か知らなかったために、単なる噂だと、最近まですっかり忘れていた。

しかし、今はあの時のように考える事ができずにいた。

あの噂には続きがあり、その二人にはまだ幼い息子がいたという。

その事が心の奥の方のどこかに、ずっとひっかかっていた。

「大葉、何ボッとしてる?行くぞ。」

小学生になる以前からの幼なじみの、冬川勇気(ふゆかわゆうき)の声に我にかえった正斗は、書類の束をカバンにつめると、勇気のあとを追って外へ出た。

彼もまた、公安課の人間だった。幼いころ抱いていた夢を、二人とも実現させたのだ。

しかし勇気はここに来て、変わってしまった。

幼いときから正義感が強く、4人兄弟の長男で、母子家庭だったので、優しくしっかりとしていて、

学習も優秀だった。

とてもまじめで、誰も気付かない所でも頑張る様な性格だ。

しかし、今は犯人を逮捕する事しか頭に無いようで、強引に物事を動かす様なまねをする事もある。

しかたが無い、そうなのかも知れない。

まじめな彼が、現実を知った時に感じたものは、正斗以上だっただろう。

彼の強さだけが空回りして、感情をどこかに置きざりにしたまま、信じる物を間違えて、ただ無謀に生きてきてしまったのだろう。

勇気に続いて正斗は局長室の前まで来ていた。

勇気が軽くノックすると、「入りなさい。」と、局長が答えたので、二人は部屋の中に入った。

「冬川君と大場君だね。どうした。」

局長の名前は、岸崎澪。

厳しそうな外見とは裏腹に、温かい言葉をかけてくれる男だが、どこか、正斗は、近寄りがたい何かを感じた。

彼にも、過ぎ去った日々がある。長年、こういう役職についていれば、大切な誰かを失った日もあるだろう。

人知れぬ、涙を流した日もあるだろう。

彼の過去を知ることは無くとも、正斗は岸崎が、「犯罪」というものを憎んでいる事は分かった。

警察という組織の中にいる以上、誰もが犯罪を阻止しようとする気持ちを持っているが、岸崎は尋常ではなかった。

恨み、憎しみから彼は、それをどんな手段があっても、この世から消し去ろうとする。

それがたとえ「犯罪」であっても。

犯罪によって傷ついた大切な人のために、悪に手をそめた犯罪者を、正斗は何度も見てきた。

それはあまりにも矛盾している。

悪を裁く事ができるのは、正であり、そのために悪に染まってしまえば、永遠に同じ過ちを繰り返す事となる。

きっと彼は、そんな事は分かっているのだろう、しかしそれ以上の何かを、胸の中にひめている。

彼の、岸崎のひとみは、いつも冷たかった。

「ホシのそうさについてですが…。」勇気が答えた。

勇気は、岸崎のお気に入りだ。おそらくは、「犯罪」を阻止するために行う、非合法な捜査を進んで買って出るからだろう。

そして勇気も、岸崎をとても慕っている。

「ああ、その件だがね…。」岸崎は、まゆを寄せて声のトーンを落とした。

「しばらく、待ってくれないか?」

「は、はぁ。何かあったのですか?」

「私も、本当の事を言えば良く分からないのだが、国から圧力がかかっていて、私たちが動こうにも、動けんのだ。」

国から?…。我々公安が、多少の非合法をおかしているのは、国家公安委員をはじめとする人々は知っている。暗黙の了解、というものだろうか。

しかし、ホシの捜査、すなわち非合法捜査にストップがかかるという事は、何かがあったにちがいない。

我々は、国家をゆるがすような人物以外は相手にしない。それさえも上回る「何か」が、日本で起きようとしているのだろう、と正斗は思った。おそらく勇気もだ。

考えて、黙りこんだ二人に、岸崎は話し出した。

「とにかく、だ。お前達は、じっとしていろ。ホシについては、範囲内で行動しろ。」

範囲内、とは、法律の、という意味だろう。

「大丈夫だ。こちらで何とかする。何か分かったら、また知らせよう。」

「はい、了解いたしました。」正斗と勇気が同時に頭を下げ、部屋をあとにした。

いったい何があったのだろうと、正斗は歩きながら考えこんでいた。




 4. すれちがう願い


 あれから、三日間がたった。

あれ、とは虹輝が短冊に願いを書いた夜の事だ。

虹輝の生活は、いつもと変わりなかった。

短冊は、布団とベッドの隙間に隠して入れているので、叔母夫妻でさえ、虹輝の願いを知ることは無いだろう。

学校に行っても、急に友達が増える訳でも無く、すれ違う児童達が、ヒソヒソと耳うちしあうのを見るのもいやになって、今日はいわゆる「ズル休み」をした。

おそらく、家の人は気が付かないだろう。虹輝の事なんて、少しも頭の中にないのだから。

さっきからずっと、家の電話が鳴り続けているが、学校からだと分かっているので、取る気はさらさら無い。

叔母夫妻も、相変わらずだ。浮気が犯罪なら、話は別かも知れないが。

もう朝の11時をまわっているが、まだパジャマ姿の虹輝は自分の部屋から出て、リビングのテーブルの上の、今日の日付けの新聞を手に取った。

あれから、犯罪という犯罪が起きていないのだ。

―ただ一つを除いては。

まだ3日目なので、偶然、という事も考えられなくは無いが。

その、ただ一つの犯罪、というのが、新聞の一面に大きく掲載されていた。

「中都区、男子児童行方不明、同一犯の犯行か。」と、見出しがついている。

内容は、先日一家殺人事件の凶悪犯が、未だに見つからず、まだ誘拐事件をくり返している。

なお、犯人の名前と顔は公表されていない。

というものだった。

その記事を読む虹輝の目は、憎しみの色でいっぱいだった。


 よく日の朝、仕度をすませた虹輝は、リビングで一人、コンビニのおにぎりを食べていた。

さすがに二日連続で学校を休む訳にもいかないが、児童達が虹輝を見る目と、前に無断欠席した時の先生の怒った顔が頭にうかぶので、体が重かった。

テレビでは、例の犯人が、行方不明になっていた少年を殺めた事と、それ以外の事件が、ここ4日間起きていない事を報道していた。

おにぎりを食べ終ると、ランドセルを背負い、テレビを消して家の外に出た。

すがすがしい朝の風がほほをくすぐり、虹輝は思わず両うでを上に突き上げて体をのばした。

鍵をしめて、プランターの下に隠すと、足早に学校へ向かう。

学校へ行くとなると、遅刻するとやっかいな事になるからだ。

その時どこからか、「キャー。」と、女子の悲鳴が上がった。

「ヤメて、たすけて!」さらに聞こえてきた声をたよりにそちらへ向かうと、人通りの少ない裏通りへ出た。

時間が時間なので、他に登校中の児童は見当たらなかった。

近くなる声にかけだすと、100mほどはなれたところに黒いワゴン車がとめられていて、近くに、大きいのと小さい人影があった。

その様子からして助けなければと思った虹輝は、全力で走りだした。

自分でも驚くほどのスピードだった。

幸い、その人物は後ろを向いていたので、虹輝には気が付かない。

近づいてきて、1人は大がらな黒服の男、もう1人は、1、2年生くらいの、ランドセルを背負った少女だと分かった。

男が強引に車の中にひきずりこもうとするのを、少女は必死に抵抗していたが、それももう限界のようだ。

ひきずりこまれる…‼そのしゅん間、虹輝は叫んでいた。

「やめろ!」

男は驚いて少女をおさえていた手を緩めた。

そのとき少女は力をこめて手をふりほどき、駆け出す。無事に逃げ切れたようだ。

ふり向いた男を見て、虹輝は目を見開いた。

その人物は、虹輝に「夢がかなう短冊」を授与した、資産家の子孫であり、短冊の持ち主である男性だったのだ。

その男は、ニヤリと不敵に、背筋に冷たいものが走るように笑った。

「気付かれてしまっては、しかたがないなぁ。そう、オレは今世間をお騒がせ中の、凶悪犯だ。」

その口調は、言葉とは裏腹に楽しそうで、からかうようだった。

頭の中で、色々な事が交ざり合い混乱したが、とにかく、人の命を何とも思わないような男が、目の前にいる事は分かった。心臓が激しく波うつ。

「なぜ、あなたが?」今すぐ逃げ出したいのに、虹輝の口は、そんな疑問を投げかけた。

「なぜ?フン。決まってんじゃねーか。楽しいからだ。」

「人が苦しむ所を見て、そんなに楽しいのか?他人の不幸がそんなに好きか?アンタに心はないのか?」

気が付くと、虹輝はそうさけんでいた。

半分は、両親を亡き者にした、警察組織への憎しみをこめて。

しかし、その男は表情一つかえずに、不気味な笑みを浮かべていた。

「ココロはあるさ。楽しい、って感情だって心が無きゃね。あぁ、楽しいさ。好きさ。

傲慢な人間共を見て、苦しめるのはね。」

一瞬、男の顔が憎しみの色で染まる。

虹輝が何も言えずに唇を噛みしめていると、男は話を続けた。

「オレがお前にわたした短冊があるだろ?」

「あんなの、デタラメだったじゃないか!」

「いや、ウソじゃない。あれでオレ以外の人間は、犯罪を行う事ができなくなった。そうだろ?」

確かにそうだ。

「じゃあ、何でアンタは?…」

「あれは、オレの先祖が、とある魔術師につくらせたもんなんだ。

やっかいな事にならないために、あの家系の血を引く者の命令はことわれない…。

つまりオレが事前に、オレ自身ににかからないよう命令すれば良いってわけさ。」

だから、だから…コイツには犯罪がおかせたんだ。

「でも、何で?」率直な疑問を口にする虹輝に、男は答える。

「どんな欲望も、いずれは人を振り回す。

自分だけその苦しみから逃れられる楽しみを、味わいたかったのさ…。」

なぜかその顔は、自嘲気味で、さびしそうだった。

確かに、男が言っている事は、完全な間違いではないかもしれない。

けれど、こんな事は決して許される事ではない。

虹輝はこぶしを、震えるほどに強くにぎりしめた。

「知られてしまってはしかがないな。

ボク、オレは逃がしてやるほど甘くは無いぞ。首をつっこんだお前が悪いんだぞ?

ふつうにお友達と学校に行っていれば、子供らしくしてれば、こんな事にはならなかったんだ。

だけどオレは、ここで捕まる訳にいかないんだよ。悪く思うなよ。さあ、こちらにおいで。」

まるで父親が子供をさとす様な口調で、男はそう言った。

虹輝は一歩も動かずに男をにらみつけた。けれど男は、ニヤリと笑うと、こう続けた。

「警察には、もうバレかけてるんだ。

ボクがあんな事を書かなければ、願わなければ、今ごろオレは、冷たい冷たい牢獄の中だったかもしれないんだよ。」

「…どういう事だ?」

「オレ以外の人間が、犯罪をおかせなくなっている、そう言ったろ?それは、警察も変わらないのさ。

もしもあのまま、非合法な捜査が行われていたら、オレが犯人だと裏付けられる証拠が見つかっていたかも知れないってこった。

感謝してるよ、君には。」

これ以上ないくらい、面白そうな声だった。

そうか、虹輝が願った事が悪い方にでて、コイツは今、ここにいられるのか。そんな考えが浮かぶ。

さっき男が言った、『どんな欲望も、いずれは人を振り回す。 』という言葉の意味が、分かったような気がした。

唇を噛みしめる虹気を見て、男は顔をさらにうれしそうにゆがめる。

男は、一歩ずつゆっくりと虹輝に歩み寄り、わずか50㎝という所で、胸ポケットからナイフを取りだす。

キラリと光るナイフが、虹輝の目の前まで近づく。

虹輝は目を閉じた。

ああ、結局こうやって死ぬのだろうか。死ねば、どうなるのだろうか、両親に会えるのだろうか。

両親も、自分も、良いと思って、自分の正義を信じて、必死にやってきた事なのに、そのせいで、命が絶たれるのだろうか。

それなら、何もしなければ良かったのだろうか。

では、いったい、何を信じて、何を正義として、生きればよいのだろう。生きてくれば良かったのだろう。不安定な、真っ暗な世界を、たった一人で、何を信じて一歩踏み出せというのだろうか。

生きるためには、正義なんてものを捨てるしか無いのだろうか。

誰もが、愛情のまま生きるのは同じなのに。

…いや、ちがう。自分や、両親のした方は決して過ちでは無い。

なら、なぜ穢れなきその命が、失われなければいけないのか。

こんな世界、絶対間違っている!

虹輝は目を開いて、前を見た。

ナイフの刃が、あと数㎝にせまってきていた。


「…また、被害者が⁉」正斗は思わず立ち上がり、大声でそう聞き返した。

「ああ。〇〇区で小学生の男の子が。」そう答える勇気の目には、悔しさと怒りの色が浮かんでいた。

正斗は唇を噛みしめた。

もしもあのまま捜査が続行されていたら、さらなる被害者を出さずに済んだかも知れない。

そんな思いがこみ上げてくる。

「通報者は?」

「同じ小学校に通う1年生の金子優奈という少女の母親からで、その少女をかばった少年が捕まったそうだ。逃げ出したその子が母親に伝えて、通報したらしい。」

「その子は、無事なのか?」

「ああ。おそらくは。」

「少年の方は?」

「…分からん。…ヤツの事だからな。

オレは行く。正斗、お前はどうする?迷っている時間は無い。」

正斗の事を、昔のように下の名前で呼んだのを、本人は気づいていなかったが、勇気は昔のような、優しく、強い眼差しで、正斗を見つめた。

「オレも行く。」正斗が力強くうなずくと、勇気もうなずき返した。

二人は、尊き命のために走り出した。


「えっ…。虹輝が…。」虹輝の叔母が、家の電話の前で、警察からの電話に驚愕し、凍り付いていた。

電話を切ると、すぐに叔父に電話をかける。

数分後、叔父が酒で顔を赤くしたまま帰って来た。

「アイツの、短冊を、知らないか?」それは久しぶりに叔母にきいた口だった。

「あの子の、部屋…?」叔母も、それは同じだった。

叔父は虹輝の部屋を荒らす様に捜しまわり、ついにベッドの中から、一枚の紙を見つけ出した。

それは虹輝の書いた短冊だった。

その内容を読む叔父の顔には、困惑した様な、後悔した様な、複雑な表情が浮かんでいた。

無言でわたされた短冊を目にした叔母も、同じような表情をしたが、短冊をテーブルに置くと、ペンを持ちキャップをはずした。

叔父を見つめると、叔父はうなずいた。

叔母は虹輝が書いた「これから、この世界から、犯罪がなくなりますように。」という文字の上の少し空いたスペースに「これまでも」と書き足した。

最後の文字を書き終ると同時に短冊が光りだし、次の瞬間、消えてなくなった。




 5. 願いが叶う、その時


 虹輝の目の前には、キラリと冷たく笑うナイフの刀が、あと数センチメートルに迫っていた。

それを手にする男の瞳には、様々な感情が入り交じり、闇と化した不気味な色がうかぶ。

虹輝は思わず、唾を飲み込んだ。

3センチ、2センチ、1センチ…。天国へと続くカウントダウンが近づく。

もう、ダメだ…、と思った時、虹輝と男の間が、ぴかりと強く光った。

目が眩むほどの眩さに、一瞬男がひるむ。

その光がだんだんと大きく広がり、中に人影が浮かんだ。

ふいに光が弱くなり消えて、その代わりにそこに現れた二人の人物に、虹輝は大きく目を見開いた。

そこに立っていた人物…それは虹輝の両親だった。

遠い日の、しかし、しっかり虹輝の脳裏に焼き付いている優しく、強い笑顔があった。

「…お父さん…お母さん…⁉」

「ええ、そうよ。」「ああ、そうだよ。」重なる二人の声に、張りつめていた思いが一気に溢れだした。

視界がかすむ。ほほに、温かく、大切なものが流れた。虹輝は必死にそれを、手でぬぐいとった。

しかし、止まるどころか、激しく溢れだす。ついに虹輝は大声をあげた。

なつかしい温もりが、虹輝を優しく包みこんだ。ああ、お母さんのにおいだ。

しばらくそうしているうちに、流れ出ていた感情がおさまった。

虹輝はもう一度、手でぬぐい取ると、両親をみつめた。

父の手には、自宅のベッドにあったはずの短冊がにぎられていた。

視線に気付いた父がしゃがみこみ、刑事らしいしっかりとした大きな体を、こちらに向けて虹輝の瞳をみつめた。

「虹輝、お前の叔父さん達が、書き直してくれたんだよ。」

そう言って差し出した短冊を虹輝は手にとった。

そこには虹輝が書いた字の上に、叔母の字で、「これまでも。」と書きたされていた。

虹輝は、母と父を交互に見つめた。

「これまで」の犯罪も無くなった事になったので、両親が、今ここにいるのだ。

なぜはじめからそう書かなかったんだろうか。

「家族との涙ぐましい、感動の再会もそこまでだ。」男の冷ややかな口調が、虹輝にふりかかった。

「さすがだな。その短冊の願いはオレにはかからないが、亡き両親なら出す事ができると。

あぁスゴイ。天才だとでも呼んでも良いさ。」男はパチパチと両手をたたいた。

次の瞬間、冷酷な目に、怒りがはしった。

「でもな、オレがお前を殺る事に変わりない。なぁに、すぐお前の両親も葬ってやるさ。

そしたらずっと一緒にいられるんだぞ。」

男は持っていたナイフを構えて、固まっている虹輝に歩みよった。

虹輝の目の前で、刀をかかげると、投げ捨てた。

数メートルはなれたところにナイフが打ち付けられ、ガチャリと音がする。

驚いた虹輝がナイフに目をとられていると、すぐそばでガチャリと音がして、こめかみに固く冷たいものが当たった。

虹輝がおそるおそる視線をずらすと、拳銃が黒く、冷たく微笑んだ。

「さよなら。良い夢を。」耳もとで囁く男の声が、どこか遠くから聞こえた。

バンッ‼大きな銃声とともに、虹輝は意識を失った。

「ぐわぁぁぁぁっ。」叫び声と、鮮血が辺りに飛び散る。

男は信じられないものを見たように、撃ち抜かれた自分の腕を押さえた。

思わず落とした拳銃を、拾おうと伸ばした男の手より先に、一発の弾丸が拳銃をはじきとばす。

怒り狂った目で男がにらみつけた人物…それは、拳銃を構えた虹輝の父だった。

虹輝が男に撃たれるより先に、虹輝の父が男の腕を正確に撃ち抜いたのだ。

虹輝は撃たれたのだと誤解して、気を失ったのだ。

「くそっ!。」男は上着をぬぎ捨てるとライターを内ポケットから出してそこに火をつけた。

炎は辺りの草木に引火して、みるみる大きくなる。

拳銃を撃ったひょうしに落とした短冊が、焼けこげていく。

完全に紙が灰になった時、虹輝の両親は強い光を放ち、消え去った。

それとほぼ同時に、パトカーと消防車のサイレンが鳴りひびいた。

正斗と勇気はパトカーから飛びおりると、目の前の光景に驚愕した。

辺り一面、真っ赤に染まっていたのだ。

しかし二人はそれに構わず、炎をよけながら、中央に呆然と立ち尽くしていた男のもとに走りよった。

男はこちらに気付いた様子だったが、その場を離れなかった。

「6月7日、午前10時32分、無波むなみこころ、児童誘拐、放火、および殺人の疑いで逮捕する。」

正斗は落ちついた口調でそう言うと、男―無波心―に手錠をかけた。

心は、あまりに無抵抗だった。正斗は肩の力がぬけていくのを感じた。

ふり向くと、勇気は、正斗の幼なじみにもどっていた。

強く優しい笑顔でうなずく。その表情に、正斗の顔にも笑みがこぼれた。

すぐに火が消され、焼けあとから、気を失った少年が、無傷で保護された。

少年の顔は、涙でいっぱいだったが、どこかうれしそうに見えた。

念のため病院に向かう救急車のサイレンが聞こえなくなると、正斗と勇気は心を連行した。




 6. 本当の願い


 正斗は、しばらく自分の考えにひたっていた。

心は幼いころに両親を失い、妹と二人で暮らしていたが、その妹も、犯罪により、幼くして命を落としたらしい。

犯罪を憎むがゆえ、悪に手を染め、何人もの尊き命を奪いとったのだ。

それは、決して許される行いではない。

しかし、心の気持ちを、どこか理解できてしまう自分が、正斗は怖かった。

正斗は、長い時間考えた。これから自分が、どの道をたどるのが正しいのか。

しかし、正しき道など、存在しないのだ。正斗は、この職をもう少し、続けようと決めた。

それが、自分の歩むべき道なのか考えるのは、40のたん生日プレゼントにでもしよう。

人生というのは、なぜこんなにも理不尽なのだろうか。

人間というものは、なぜこんなにもあさはかな生き物なのだろうか。

短き一生では、答えなど出ないだろう。

しかし、正斗は、今という時を確かに生きているのだ。

目を開いて、耳を研ぎ澄まして、目の前にあるものを知り、考えよう。

その事実が、たとえ信じがたいものだったとしても、真実であることを忘れずにいよう。

正斗は、心の、どこか奥で、そう決めたのだ。

「正斗、今夜付き合えるか?」勇気の言葉に正斗は深くうなずいた。「ああ。」


 病院からの帰りの車内で、叔父も叔母も、虹輝に何も問わなかった。虹輝も何も話さなかった。

けれど、三人の顔には安堵の色が浮かんでいて、それが意味するものを、三人はそれぞれに噛みしめていた。

家に帰ると、虹輝の体に、どっと疲れがのしかかった。

リビングにむかった虹輝の目には、プレゼントの包み委がうつった。

近づくと、カードもあって、そこには虹輝、1才のおたんじょうび、おめでとう。と書かれていて、

「1才」という文字が線でけされ「10才」と書き直されていた。

ふり返った虹輝に、叔父が口を開いた。

「お前の両親からだ。今日はお前の、10回目の誕生日だろ。開けてみろ。」

そう言われるまで忘れていたのだが、今日は9回目の両親の命日、そして10回目の虹輝の誕生日なのだ。虹輝は、丁寧に包み紙をはがし、箱を開いた。

中身をそっと持ち上げた虹輝は、つまみを回した。

静かな、優しい調べが、体に入っていく。

それでいて、どこか力強さをやどすこの曲は、心の奥で覚えていた。

9年ごしの、両親からのたん生日プレゼントは、父も母も、ともに好きだった歌の、オルゴールだった。

幼い日によく、子守歌がわりに母が口ずさんでくれたものだ。

虹輝は、オルゴールを抱え込むようにして座ると、泣きくずれた。

両親の遺品をだきしめ、泣きじゃくる10才の少年を、叔父と叔母は、静かに見守っていた。


「おい、そろそろ行かないと、遅刻じゃないか?」

叔母と虹輝とともに、食卓を囲んでいた叔父の言葉に、虹輝は顔を上げた。

テレビのニュース番組を見ていたので気がつかなかったが、もうこんな時間だ。

ニュースの内容は、先日の虹輝が巻き込まれた事件についてだった。

虹輝も、虹輝が助けた少女も名前はふせられて、「ひがい者の少年」、「少女」と報じられていたが、それが自分だと思うと、不思議な気分になる。

犯人―無波心というそうだ―が、一連の事件を起した動機は、幼くしてなくした妹を、死に追いやった犯罪への復讐だそうだ。

犯罪に対して犯罪を犯しても、何も変わらない。

心のあの目が、彼の人生に何があったのか、語っていた気がする。

虹輝は、子供である。大人ぶってみても、強がってみても、虹輝はどこかで、大人に守られている。

けれど、ある日とつぜん、不安定な世界に独り、孤独と恐怖に苛まれたまま生きる事にとなったら、自分は自分のままでいられるだろうか。

はっきりと、首を縦にふる事はできない。…でもやはり、犯罪は許されるものではない。

だから虹輝は、犯罪を犯す者を許す事はできない。それがたとえ、人を守るためであっても。

一つだけ、この目で見た物がある。一つだけ、この耳で聞いたことがある。一つだけ、分かった事がある。それは、喜びでも、楽しさでもなく、自分の無力さだ。

虹輝がどれほど犯罪を憎み、恨んでも、今の虹輝に犯罪を止める力などないのだ。

当たり前だが、学校では教わる事のない己の非力さを、感じた。

きっと、いつかその時が来るまで、それは虹輝を強くする。

無知とは、きっと、自分の限界を知らない事なのだと悟った。

それなら、虹輝は、「今」を大切に生きよう。

今、過ぎ去るこの刹那を、大切に生きていこうと決めた。

虹輝はランドセルを背負うと、「いってきます!」と、玄関を飛び出した。

閉まりかけるドアのすき間から、「いってらっしゃい。」と、二人の声が聞こえた。

学校へ向かい走り出す虹輝に、背後から元気な声がとどく。

「よう!」あれ以来、新しくできた友人が、虹輝に追いつく。

「ねぼうか?」「まあ、な。」

二人はしばらく走って、他の児童が歩いている辺りまでくると、足をゆるめた。

「なぁ、唐突だけどさ、虹輝の将来の夢って何?オレ、飛行機のパイロットになりたいなって、最近思ってて…。どうかな…変、かな…。」

友達の言葉に虹輝は答えた。

「変じゃないよ。スゴイじゃん。一番に、オレを乗せろよ。」

友達は、はずかしそうに、はにかんだ笑みをうかべると、「おお。」とうなずいた。

「それで?虹輝の夢は何なんだ?」

「オレはな、警察だ。」そう答える虹輝の目は、虹のようにキラキラと輝いていた。


                完





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