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09 料理ついでに語り合いました。

「わたしも今日は手伝うわ」


 日もかなり傾き、さぁそろそろ夕飯の支度をしようかとしていた時。玲乃は一言そう言った。


「手伝うって……何を?」


「そのくらい察しなさいよ。夕飯の調理を手伝うって言っているの」


 キッチンに立って手を洗う俺に彼女は少し苛立ったような声を向けた。

 いや、手伝ってもらうこと自体はいいんだが……。


「できるのか?あんまり動かないんだろ?」


「何かを切るぐらいならできるわよ……多分」


 自分でも少しは不安を感じているのか、彼女は最後に一言付け加えた。

 まぁ、断る理由もないし、料理が彼女のリハビリにならない可能性もない。


 手拭きタオルで手の水気を拭き取りながら俺は「わかったよ」と彼女に返した。


 とは言ったものの、何を作るかなんて全く考えていなかった。俺が自分で決めてもいいが、せっかく玲乃が手伝ってくれるのだ。彼女が好きなものを作ることにしよう。

 俺は彼女を車いすごとキッチンに動かしてから、尋ねてみる。


「玲乃、じゃあ何を作ろ――」


「オムライスよ」


 即答であった。

 俺が彼女の方を向き、尋ねかけた瞬間彼女は俺の言葉をさえぎってそう答えた。


「オムライスか。わかった」


 そう頷くと、彼女はキュピーンと効果音が出そうなほど目を輝かせた。そんなにオムライスが好きなのだろうか。


「じゃあ、チキンライスは俺が作るから、その間玲乃は卵を解いておいてくれ。できるか?」


「その程度他愛ないわ」


 これが漫画なら、彼女から「にやり」という吹き出しが出ていそうな感じで彼女は笑う。

 さて、「自暴女」様ご所望のオムライス、本気で作るとしますかね。


 生卵とちょっとした調味料、小さなボウルを彼女に渡して、俺は野菜を切り始める。

 たかがチキンライスと思うかもしれないが、オムライスの味は卵と中身の調和が完璧にできていてこそよりよくなっていくのだ。

 そのためにも不可欠なのは玉ねぎ。この野菜の甘みがご飯と合わさることで鶏肉の旨味や卵の風味を引き立てることができる。


「……ねぇ、唯」


 と、俺が内心でオムライスについて熱く語っていると、卵を割った玲乃がボウルの中の黄身を見つめていた。


「どうした? やっぱりやめておくか?」


「いいえ、できるわ。できるの、だけれど……。あなたは考えたことはない? もし自分がこの殻を割らなければ、この黄身は命を得て成長していくことができたのではないか、って」


「は? いや、それ無精卵だから孵化はしないだろ」


 やけに悲し気な瞳で語る彼女だったが、俺は気にせず真実を突きつける。

 その言葉を聞いた瞬間、彼女の頬がかあっと朱に染まった。


「し、知っているわよ。……別にいいじゃない、少し感傷に浸ったって」


 てっきり、赤面からのこちらを怒鳴りつける、もしくは完全に論破しようとしてくるかと思っていたが、彼女は不機嫌そうに顔を背けただけだった。

 これは、ちょっとフォローしとかないといけないだろうか。


「あー、まぁ確かにわからんこともないか。黄身をかき混ぜるときには俺もちょっと罪悪感を感じるし」


「…………」


 あれ、選択肢間違えたか?

 残念ながら彼女の機嫌は戻ることなく、こちらを見ようとはしない。


 しかし、少しの間を置いた後、彼女は菜箸をとった。そして、少しためらう仕草を見せながらも箸を運び、その先端で卵の黄身を突き刺す。


「……だけど、わたしたちはこうするでしょう? なぜだと思う?」


 そのこうする、という表現はただ単に黄身を割るという意味ではないのだろう。おそらく、なぜ俺たちは罪悪感を感じながらも生命を食らっているのか、ということ。


「そりゃあ、食べないと生きていけないからな」


「そう。――つまり、わたしたちはほかの生命と自分の生命を交換している。交換しないと生きていけないと、知っているの」


「交換?」


「犠牲を払い、対価を得る。自然界だけでなく、人間社会でも通じる基本的な考え方よ。人間、いえすべての生物の営みは一つの例外もなくこれに当てはめることができる」


 そう口に出しながら彼女は箸で円を描いた。それと同時に黄色い液体は広がっていく。

 というか、その言葉……

 その瞬間。俺の頭の奥で知らない誰かが泣き叫んだ。


「……唯?」


 記憶の何かに彼女の言葉が引っ掛かったとき、こちらを向いた彼女は不安そうな表情に一変した。

 彼女はその表情のまま視線を外そうとはしない。


「なんだよ、人の顔をじろじろ見て」


 俺は居心地の悪さに思わずそう尋ねた。それに玲乃は一瞬驚いたように身をこわばらせ、俺に質問を返す。


「……あなた、どうして泣いているの?」


「――え?」


 その時気が付いた。

 自分の頬を、つぅっと雫が撫でていることに。

 反射的に手でそれを拭うが、あとからあとから液体はあふれ出てくる。


「あれ、なんだろう……どうして……」


 訳もなく出てくるその液体は、拭っても拭っても止まりはしない。

 なんで、こんな……。


 そして一つの結論に至る。俺はいま何か。おそらく自分にとってとても重要なことに触れたのだろう、と。だから、こうも意味のわからない涙があふれてくるのだと。


「ねぇ、あなた、もしかして……」


「……なんだよ」


 彼女が真剣な表情でこちらに声をかけてきた。

 それに少しの恐怖を感じながら俺は問い返す。


 彼女の整った顔に見つめられると居心地が悪く、身をよじりそうになるが、ここは何とか我慢。

 俺は、次に彼女が発する言葉を静かに待った。


「もしかして――あなた、玉ねぎで泣いているの?」


「ふぁ?」


 瞬間。なかなかに謎な声を俺は上げた。

 もちろん自覚してではない。無自覚にだ。


「たしかに私も目が痛くはあるけど……泣くほどでもないでしょう」


「え? あ、あぁ……そうか、玉ねぎ、か……」


 諭すような彼女の言葉を聞いて、俺は手元を見遣る。そこには細かく刻まれた玉ねぎが。

 つまり、俺はこの切った玉ねぎのせいで目が痛くなり、涙が出たのだろう。

 ……なんか、深い意味を考えていた自分が恥ずかしい。


「冷蔵庫に入れてから切ればよかったな」


「冷蔵庫に入れるとどうなるの?」


「たしか、だけど目が痛くならないらしい」


 そう言葉を返しながらも俺は作業を再開した。

 変な勘違いをしていたという恥ずかしさと女の子に泣き顔を見られたという恥ずかしさのダブルコンボに打ちひしがれて、俺のHPはもうゼロでした。



 まぁ、その後もあれやこれやあったものの、しっかりオムライスは完成した。

 俺の涙が混じっているおかげか、(混じっていません)見た目だけ見れば最高の出来栄えだ。


 玲乃をテーブルまで運んでから、俺もその正面に座る。


「……いいじゃない」


「……そうだな」


 じゅるり、と俺たちは二人舌なめずりをする。

 そして、ちらとお互いにお互いを窺い、うむと頷いた。


「「いただきます」」


 その合掌とともに食事は開始した。

 さてさて、お味のほどは……とスプーンを握って黄金色の山を切り崩す。

 とろりと流れ出る卵を視覚でも楽しみつつ、俺は一口目を口に入れた。


 こっ、これは……!


「ん~~~~~!」


 と、俺が心の中で食レポしようとしたそのとき、目の前の彼女が唸り声をあげた。

 まるで、悶えているかのようなその声に一瞬ぎょっとした俺だったが、すぐにその心配は間違いだと知った。


 限界まで細められた目。幸せそうに弛緩するほっぺた。むしゃむしゃと小動物のように咀嚼するその口元。

 それらすべてが、彼女の「おいしい~~~!」という感情を表現していた。

 普通にしているときには冷静沈着とか、知的キャラみたいなイメージを受ける彼女だが、今この瞬間だけはその印象のかけらもなかった。


 しかし。彼女は突然不安そうな顔になる。

 手元のオムライスを見て、俺を見る。そしてオムライスを見て、また俺を見た。


「……ねぇ、唯」


「なんだ?」


 まるで泣き出す前のことも見たいな表情で、彼女は俺の名前を呼んだ。


「こ、この一皿を本当にわたしひとりで食べてしまっていいの?」


「え? そりゃ、まぁ……」


「本当に?」


「本当だよ」


「本当に、いいの? 後で返せなんて言わないわよね……?」


「だからいいって」


 俺は繰り返し彼女の問いに肯定を返す。

 そして、その俺の言葉を聞いた後、彼女の表情は再びぱぁっと明るくなった。

 まるで、欲しいおもちゃを買ってもらった子供みたいだ。


「……うん、…うん……」


 一転して、今度は一心不乱にオムライスを食べ始める彼女。

 その輝く瞳を見ていると、作ってよかったな、って心から思ってしまう。


 そんな優しい時間の中、太陽はゆっくり落ちていっていた。 

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