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08 気晴らしついでに、ピーマンを摘んできました。

8月8日水曜日


 相も変わらず、空は青かった。


 その変わらなさが俺は好きだ。ポエマーなんて言われてしまうかもしれないが、たとえ雲に隠されようとも、夜の闇に包まれようとも、必ず日は上り空は青く染まる。


 その絶対的な信頼が、人々に空を美しいと思う心を与えるのではないだろうか。


 ばさっ、ばさっと布が空気の流れを急激に変えることで音が生じる。

 端的に言えば、俺は濡れた洗濯物を両手で持ち、振り回すことでしわを伸ばしていた。


 そして、横の洗濯物と少し間を開けて物干し竿にかける。

 今、俺が干したのは玲乃の洋服のようだった。心地よい夏風に揺れる女の子の服……。

 あぁどうしてだろう。俺は今すぐにこの光景を絵画として残したい衝動に駆られた。……まぁ、どうせ下手な絵ができて失望するのがオチだから描いたりはしないけど。


 えっちらおっちら一枚ずつ洗濯物を干していると、思ったより早くその作業は終わった。

 そして、それを見計らっていたかのように……というか、おそらく見計らっていたのだろう。

 窓際にいた玲乃がガラスとコンコンと叩いて俺を呼んだ。


「どうかしたか?」


「ちょっと、わたしも外に出ようかと思って」


 彼女のその言葉に俺ははっきり言って驚いた。

 まぁ、普通のことだとは思うが、大体こういう森の中のお嬢様は引きこもりと相場が決まっている物だと思っていた。

 ……それは創作上の話か。


 とにかくお嬢様のご要望とあればどんなことでも叶えて差し上げないといけないのがこの『管理人』という仕事だ。(これは「自暴女」自身が言った言葉だが)

 と、いうわけで俺は彼女を車いすごと玄関まで運び、そのまま外へ。車輪は後で拭けば問題ないだろう。


「外もそこまで暑くないのね」


「まぁ、まだ午前中だしな」


「雲はないわね」


「だな」


 そんなどうでもいいことを途切れ途切れに話す。

 大きめの石を極力車輪で踏まないようにしながら、俺はなんとか彼女を庭まで運んだ。

 玲乃を迎えるかのように風が吹いて、彼女の髪はふわりとたわむ。


「畑のほうまで連れて行ってくれないかしら」


「了解。あー、そういえば怜美さんが野菜を収穫してていいって言ってたな」


 聞く人が聞けばただの仕事の指令じゃないかと思うかもしれないが、俺としてはこの提案は嬉しかった。

 自分で収穫した新鮮な野菜を自らの手で調理して食べる。それ以上の贅沢はないと俺は考えるのだ。


「野菜もいいけれど……」


 俺が今日の昼食に思いをはせていれば、前からそんな声が聞こえた。


「いいけれど……なんだ?」


「……畑の横に、花が咲いているのよ。青くて小さい……だけど、香りがとても素敵な花が」


 車いすを押す俺からは彼女の顔が見えないが、その声音から優しい微笑みを湛えていることは簡単に分かった。

 花、か。


「どこらへんだ?」


「ほら、トマトの奥に……」


 縁をレンガで囲った小さな家庭菜園。その最も奥にはトマトが植えられており、彼女はそのまた奥を指さした。

 しかし、玲乃はすぐにその手を下ろした。


「……やっぱりいいわ。部屋の中に戻りましょう」


「は? いや、そこにあるんだろ? なら……」


 突然、先ほどとは正反対のことを言い出した彼女。

 また「自暴女」の気まぐれか……? と俺は先ほど彼女が指さしていた場所を見た。

 そして、彼女の真意を知る。


 少し伸びた雑草に紛れて佇む一本の植物。

 その茎は折れ曲がり、葉はしおれ、花弁は散っていた。

 恐らく、あれがさっき彼女が言っていた花だろう。


 俺はすぐさま自分がすべきことと、その手段を悟った。


「……ちょっとあっち向いててくれ」


 一応、そう言い添えて俺は車いすの向きを変えた。明確な意図をもって彼女の背中があのしおれた花に向くようにする。


「えっ? 突然どうしたのよ」


「いいから。黙って待ってろ」


 車いすのストッパーをかけてから俺はあのしおれた花のそばまで歩み寄った。

 そしてそこにしゃがみ込み、まわりに咲く名も知らない黄色の花をいくつか摘んだ。


「ごめんな」


 決して誰にも聞こえないようにそう言って、俺は目を瞑る。


 この花たちを〈犠牲〉で対等になるのか?

 そう『何か』に問いかけながら、俺は再度黄色い花たちへ心の中で謝る。そして、最も大事なこと。本来、可憐に咲いていたはずの美しい青い花の姿を心のキャンバスに描く。


 ふと、胸の前に温かく、冷たい不思議な感触を感じた。


 瞼を上げれば、しおれた花のそばに緑色の光が輝いていた。

 それを認知するのと同時に、俺の手の中の黄色い花たちが光の糸へほどけていく。

 そして、その糸は宙をふわふわと浮かびしおれた花に近づくと、少しずつ結びついていった。


 どれくらいその様子を見つめていたかはわからない。

 止めた息が苦しくなってきたちょうどそのころ、青い花が倒れた頭をゆっくりともたげた。

 そして、茎はピンと伸び、先端には青い花弁が現れる。


 さぁ、そろそろいいだろう。

 俺はちょっとしびれかけた足に力を入れて立ち上がる。


「あ、玲乃。言ってた花ってこれじゃないのか?」


「これ……なんて言われてもあなたがそっぽを向かせたせいで見えないのだけれど」


「そ、そうですね。すみません」


「その前に、もう花は……」


「ん? なんか言ったか?」


 もう何振り構ってられないので俺は難聴鈍感主人公を演じてみた。

 そんな小芝居をうちながらも慌てて車いすに駆け寄り、彼女の向きをあの花の正面へ。


 その瞬間、彼女が息をのむのが分かった。

 俺はその横で黙り、彼女の言葉を待つ。


「……綺麗でしょ?」


「……そうだな」


 もしかして、彼女は俺にこの花を見せようとしてくれたのだろうか。

 そんな疑問を抱いてみるが、きっとその仮定になんにも意味はなくて、もしそうだとしても何も変わりっこない。


 はっきり言ってしまうと、俺は花というものに美しいと感じたことはなかったような気がする。

 そりゃあ、たくさんの花が一か所に集まって咲いていれば驚き、その迫力に感心することはあっただろう。

 だけど、こんな小さな一輪の花にしみじみとした魅力を感じたのは、きっとこれが初めてだと思う。


「それじゃ、野菜でも摘んで戻ろうか。そろそろお昼時だろ」


「そうね。……ピーマンは別に摘まなくてもいいんじゃないかしら」


 俺はわざと緑色の実に真っ先に手を伸ばしてやった。

 案の定後ろから飛んできた辟易とした声に満足感を感じつつ、何のためらいもなくピーマンさんを何個か摘む。

 悲壮なほど感情の乗った「あぁ……」という声が聞こえたが、きっと勘違いだろう。


 そのままほかの野菜もたくさん収穫して、家の中に戻る。

 玄関までの短い道すがら、「ありがとう」という声が聞こえたような気がしたけれど、あれはいったい何に対する感謝だったのだろう。

 

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