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04 一日目の終わりのついでに。

「お疲れ様~」


 リビングの扉を開けて入ってきたのは、パジャマに身を包んだ怜美さんだった。

 頭に巻いたタオルからは濡れた髪の毛が垂れている。


「お疲れ様です。あれ、玲乃は?」


「もう寝た。あの子、お風呂入ったらすぐに眠たくなるんだよ」


 そう言いながら彼女はキッチンの冷蔵庫を開けると、中から缶ビールを一本取り出した。

 パシュッという小気味のいい音を立ててタブを開け、一気に泡立つ液体を呷る。


「っくぅ~~! やっぱりお風呂上りはビールだねぇ」


「はぁ」


 なんだか一口飲んだだけでとろーんとした彼女の瞳。それを見ながら俺は一つ訊こうと思っていたことがあったのを思い出す。


「あの、怜美さんはこの仕事の依頼人なわけじゃないですか」


「そうだね、それが?」


「じゃあ、玲乃とはどういう関係なんですか?」


「ん、親子だよ。てっきり唯くんはもう感づいてると思ってたんだけど」


 いや、内心そうではないかと思っていた。だけれど、次の質問をするために俺はあえてこの問いを投げかけたのだ。

 彼女は俺の座る椅子の正面に座り、「飲む?」と缶ビールを差し出してきた。もちろん丁重にお断りし、話を続ける。


「……もしよかったら、玲乃の体のことについて聞かせてもらえませんか」


 ふいに投げかけたその質問に、怜美さんの表情が一瞬驚きを見せた。

 だけど、すぐにどことなく嬉しそうな微笑を湛え、話し始めてくれた。


「そうだね、唯くんには話しておくべきだね。あの子、玲乃は四肢、両手両足が不自由ってことはわかってるね?」


「はい。あと、調子がいい日は立てることもあるって」


「そ。だけれど、走ったり、強い力を入れたりはできない。しかも、その調子のいい日は一か月にあるかないかぐらいだしね」


 くいっとビールを呷る彼女の微笑みには、どことなく、悲しみが内包しているようだった。


「それで、どうしてあの子があんな体になってしまったかというと……なんだか話すのは難しいね。最初と最後をつなげれば、『玲乃はできすぎていたから、自由を失った』ってことになるかな」


「できすぎていた?」


 できすぎていた、と、自由。この二つにアクセントをつけて彼女は語った。


「そう、玲乃は昔からなんでも完璧だった。まず、かわいいでしょ、あの子?」


「……そうですね」


「おっ、認めるんだ」


 あえて、というかなんだかここで誤魔化すのもあれなので認めたが、怜美さんのにやりという表情を見ると、否定してもよかったかとおもってしまう。


「まぁ、それでね、勉強も誰よりもできたし、スポーツはなにやらせてもすべて一番を取ってきた。それが、ほかの子供たちとの『差』になってたのね」


「それって……いじめ、ですか?」


「らしい、ね。玲乃は中学校でいじめられ、そしてある日。いじめっこの一人から暴力を受けた」


「それで、けがを?」


「違う。けが自体はそうでもなかったの。だけれど、その時の精神的ショックからか体自体は正常なのに、動かすことができなくなった」


 まるで、心を鈍器で殴られたかのような、そんな衝撃を受けた。

 ただの他人。今日始めて会った女の子の身の上話なのに、俺はそれに強く心を動かされるのを感じた。


「そして、もう学校にはいかなくなったわ。高校にも入学していない。そして今に至る、って感じかな」


 何か返さなければ。

 そう思い口を開いたが、俺が言葉を発することはできなかった。


 夏の夜。

 都会のように蝉がわんわんとなき散らすこともなく、ほかの虫たちもそっと息をひそめている。

 聞こえるのは遠い鳥の鳴き声と、怜美さん小さなの吐息。


「そろそろ私は帰るよ」


「え、ここに住んでいないんですか?」


 ビールの缶をキッチンに捨てに行って、そのまま彼女は部屋の扉を開いた。


「うーん、普段は住んでるんだけどね」


「どういうことですか?」


「まぁ、親の気遣い、ってやつだよ。おやすみ、唯くん」


 ただそう言い残すと、俺が言葉を返す前に彼女はその場を去った。

 けたたましく響くエンジン音に呼応して、森の鳥たちが飛び立ったらしい。


 ばさばさっという翼の音が、耳に残っていた。






「……寝るか」


 怜美さんを見送り、やることもなくなった俺はおとなしく床につくことにした。

 まだ9時過ぎというかなり早い時間だが、疲れのせいか睡魔がすでに襲ってきている。


 大あくびをしながら階段を上り、自分の部屋へ。

 真っ暗な廊下から、扉をくぐり真っ暗な部屋の中に入ると、そのままどすんとベッドに寝転がった。


 あぁ、なんだか疲れた。

 まるでふかふかのベッドに体が沈み込んでいくような感覚を覚えながら、俺は眠りに落ちていった。







『……ね。もし……ら、…た……こで……』


 誰、だ?


 深い深い意識の底から引き揚げられるように、俺の意識はぼんやりと戻ってきた。

 ふわふわとしたまどろみのなか、誰かの声が聞こえる。


『………め……まだ……に、だか……』


 なんだよ、聞こえない。もっと大きな声で言ってくれ。

 そう語り掛けても全然声は大きくならない。


 だから、もっと大きな声で――


『嫌だ!』


「うわあぁっ!」


 突然、耳朶を打ったその大きな声。

 それに驚いて俺はベッドから跳ね起きた。


 窓の外はまだ暗い。時計を見れば、時間は午前2時過ぎ。というか、ここどこだっけ?

 周りを見れば、明らかにここは俺の部屋じゃない。洋風のベッドに小さな机。床も濃い色のフローリングだし。


 ……あぁ、そうか。そういえば俺は『管理人』なんていうバイトの途中なのだった。


 そう思いだして、次に考えるのはさっきの声だ。

 明らかに誰かの声がして、俺はそれに驚いたから起きた。

 だけど、あれはだれの声だろう……。


 しかし、ここで言えるのはただ一つ。疑う余地もなく俺が確かに感じている事実。


「トイレ行こ……」


 もぞもぞとベッドから降り、俺は部屋から出る。あぁ、そういえば俺、風呂も入ってない。

 そんなことを考えながら後ろ手で扉を閉めて気づく。

 何にかというと、廊下にさす一本の光の線にだ。ピンクっぽい柔らかな光をたどると、それは俺の隣の部屋、すなわち朝見た物置部屋の扉の隙間から刺していた。


 なんだろう、そこには誰もいないはず。

 恐れなどという感情を微塵も持たず、寝ぼけた頭のまま俺は物置部屋の扉を開く。

 

 きぃ、と小さな軋みを聞かせて開いた扉の向こう。その部屋は、全面がピンク色の光に包まれていた。

 決して強くはない、一歩間違えば暗闇に飲み込まれそうな光。その光源を俺は無意識に探していた。


 一歩部屋の中に踏み込み、一つの箱を見つけた。その箱の隙間からこの光は溢れている。


 ためらいなくそれを手に取ると、俺は蓋を開ける。瞬間、まばゆい光が中からあふれ出した。

 同時に気づく。自分の胸のあたりも同様に光っていることに。しかし、その色はエメラルドグリーンとでも言うべき色だったが。


 箱の中身は、一つのペンダントのようだった。銀色で、円形の見覚えがあるペンダント。

 これって……。

 

 その瞬間だった。首から下げていたペンダントの光と、箱の中の光が混ざり合った。うねり、回転し、少しずつそれらは融和していく。

 まるで光をかき混ぜているかのような美しい光景が目の前で繰り広げられ、そして、終わった。


 終わりは突然だった。

 まるで意識が途切れたような、そんな感覚を抱くほどあっけなく光は消え去った。


 しかし。


『やっと来たんだね。お帰り』


 おか、えり? その音が、声だということにすら、俺が気付くのは一瞬かかった。

 どういうことだ? この声は?


『こんばんは、浅田唯くん。いい夜だね』


 さらに続いて頭に声が響く。

 粘りつくような、まるで俺の全身を舐め回すようなそんな声。だけど、不思議と不快感はなかった。

 いやちょっとまて。俺の名前を呼んだ、のか……?


『そう驚くことはないよ。君に悪戯いたずらしようってわけじゃない。ただ、君に機会を授けるだけさ』


「どういう、ことだ?」


 まるで、喉から絞り出したような声だった。だけれど、それでも俺の質問はその『何か』に伝わったらしい。


『簡単だよ。君に交換の機会をボクはあげるんだ。よくあるだろう? これを捨てて、あっちを手に入れることができたらいいのに、って思うこと』


 意味が分からない。どういうことだ。交換? 何が? というか俺は何と話しているんだ?

 突然の出来事に訳が分からず、俺は立ち尽くす。だが、その『何か』はこちらのことなど気にしていないかのように話をつづけた。


『自分のいらないものを〈犠牲〉にして、望む〈対価〉を得る。その手段をボクは君に提供する。簡単な話だろう?』


 暗闇の中、その声は頭蓋にがんがんと響いた。いや、実際にはそんなことないのかもしれないが、頭の中をかき回すようにその声は俺の中へ入りこんできた。


『まぁ、使ってみればわかるさ。だけれど、一つだけ条件。この交換は、常に〈犠牲〉と〈対価〉が等しくならなければいけない。まぁ、その判断基準はボクの気まぐれなんだけどね』


 そして、ふふっと『何か』は笑った。

 その笑いはどこか不気味で、夏だというのに寒気を感じたような気がした。

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